* * *
今回は何もするな、と言い含められていたレンだったが、やはり何もせずにいるのは落ち着かなかった。
こうしている今も、ダイキは狙われている。少女を突き動かす理由は、それだけで充分だった。
レンは自宅のPCにはりつき、独自で肉啜りの正体の手がかりを掴めないか、調べていた。
まずレンが着目したのは、肉啜りによる被害の影響……即ち、どれだけの人数が食われたのか? そこにポイントを絞った。
「……やっぱり、ここ最近、行方不明者の捜索が増えてる」
明らかに異様な件数だった。
事件の詳細は、恐らく機関による情報統制のせいで確認できなかったが……似たような案件が一定期間で頻発しているところ、やはり肉啜りの仕業と見ていいだろう。
被害者の何名かは、本名公開でSNSやブログをやっていた。
それを頼りに、レンは情報を洗い出す。『被害者には何か共通点があったのではないか?』……そこを重点にして調べる。
怪異は何かしらの条件を満たした人間を襲うことが顕著だ。
もし肉啜りにも、何らかの法則性があるとしたら……狙われた人間には何かしらの共通点があったはずである。
それがわかれば……肉啜りの正体の手がかりがわかるかもしれない。
「……あっ」
レンは気づいた。
彼らのSNSやブログには、愛犬や愛猫、鳥などの写真が投稿されている。
被害者たちのほとんどが、何かしらの動物を飼っていたということだ。
そして事件が起こる以前に、そのほとんどが……『動物の具合が悪くなった』と書き込んでいる!
『腕がいい、と評判の病院に行ったおかげで、アイちゃんすっかり元気になりました!』
『すごく優しい獣医さんでした! おかげで怖がりなゴメちゃんも珍しく大人しかったです!』
『動物病院ならこちらがオススメですよ! 本当にビックリするくらいあっという間に治っちゃいましたから!』
彼らの書き込みには、動物病院を賞賛する声で溢れていた。
中には、その病院を紹介する記事もある。
貼られたリンクをクリックする。
表示された動物病院の名前に、レンは見覚えがあった。
「あ、あぁっ……」
レンの中で繋がるものがあった。
人間も、動物も、生き物の肉を等しく貪る怪異……そんな存在が餌を吟味するための拠点を選ぶとしたら?
……獣医という立場は、充分候補に挙がる!
わずかな情報で、レンは見事に真相に辿り着いた。
……だが、今回は一歩遅かった。
レンが慌ててルカに電話をかける頃には……すでに、悪夢は始まっていた。
* * *
それは、まさしく肉の塊だった。
不定形に輪郭を変え、伸縮しては膨張を繰り返している。
粘液を滴らせた触手は、それぞれが独立した生き物のように蠢き、その先端では口らしき器官が金切り声のような奇声を上げている。
見ているだけで発狂してしまいそうな、冒涜的な姿。
コイツが……肉啜り!
「ひいいいい!? お、オバケえええ!? これは夢!? 現実!? どちらにせよショッキングな光景に先生、理性の許容値の限界を突破! なので気絶します! う~~ん……」
「み、水坂先生!? 何でここに!?」
いつ来ていのか。なぜかこの場にいる水坂先生は、おぞましい怪異の姿を目撃して気絶してしまった。
「紅糸繰! たぐり寄せて!」
ルカのひと声で、霊力を帯びた紅色の糸が伸び、水坂先生に巻き付く。
ガラスが全壊したことで筒抜けになった窓を通って、水坂先生はこちら側に引き寄せられた。
この場で誰よりも無防備な彼女の身を守るべく、俺は慌てて抱きかかえる。
「先生!? しっかりしてください先生!」
「あへぇ~ミートパイがたくさんです~」
目をグルグルとさせながら呑気なことを呟く水坂先生。
なんて緊張感の欠片もない顔だ……。
「っ!?」
よく見ると、窓には皮だけの死骸がある。
あれはまさか……草薙姉妹か!?
機関から派遣されてきた霊能力者……そんな彼女が、やられてしまったというのか!
「ルカ、キリカ……」
「大丈夫。私たちが絶対に守る」
「いまは自分の身を守ることだけを考えなさい」
ルカとキリカは、俺と水坂先生の身を庇いながら、肉啜りと向き合う。
俺が気絶している間に何が起こったのか、それはわからない。
だが、ハッキリしていることはひとつ……。
あの獣医の女性が、肉啜りだったということ。
つまり……。
「アイツが……アイツがクロノスケを!」
許せない。
恐怖よりも怒りが上回る。
あんなヤツにクロノスケの身を任せてしまったのかと考えるだけで、はらわたが煮えかえりそうになる。
「あはは、怖い顔してますねぇ」
肉塊の中で、一部だけ人間の顔を残したところから声が上がる。
肉啜りは俺の様子を見て、さも愉快そうに嗤っていた。
「獣医って立場は便利でしたよ? 人間も動物も、餌が自分からやってきてくれますからね」
「黙れ……」
「あの黒猫ちゃんは、おいしかったですよ? 健気でしたねぇ。あなたを守るために私に噛みついてきたんですよ?」
「黙れっ」
「猫ちゃんの声真似、上手だったでしょ? あの子の代わりに気持ちを込めて鳴かせていただきました。取り込んだとき、あの子の心が叫んでましたからね。『あなたのところに帰りたい』って! だから皮だけ返してあげましたよ! どうです~? 素敵なプレゼントだったでしょぉ?」
「黙れよおおおおおおお!!!」
許さないっ! コイツだけは絶対に!
「ダイキ! ダメ、落ち着いて!」
「あんなの、あんたを招き寄せるための挑発よ! 怪異の言葉にマトモに耳を傾けるんじゃない!」
いまにも肉啜りに向かって飛びかかろうとする俺を、ルカとキリカが押し止める。
わかっている。
ヤツの目的は俺だ。
だが、それでも……せめて一発、アイツを殴らなければ気が済まない!
「ん~残念、挑発にのってきませんか。あんまり怒らせちゃせっかく私好みの味に仕上げたのに台無しになっちゃいますね。では鮮度が下がる前に……」
ぐちゃぁっ……と気色の悪い音を立てて、複数の触手がこちらに矛先を向ける。
「そろそろ頂くとしましょうか」
津波のように押し寄せる触手の群れ。
先端に生えた牙が、迷いなく俺に食らいつこうとする。
「させない!」
だが、大鎌と化した紅糸繰が触手を捌く。
霊力によって強化されたルカの動体視力による一撃は、一瞬で触手を細切れにした。
切断され床に落ちた触手は「ギゲエエエ」と不気味な悲鳴を上げながら、ゆっくりと消滅していった。
「ダイキは、渡さない」
紅色の大鎌を肉啜りに突きつけ、ルカは宣言する。
いつものように頼もしい背中が、そこにはあった。
「……おやおや。これはちょっと、今夜のお食事は苦労しそうですね」
触手を切断され、緑色の液体を垂らしながら肉啜りは呟く。
「メインディッシュの前に、もう少し運動をする必要があるようですねぇ」
切断面から、瞬く間に新しい触手が生えてきた。
な、なんだあの再生力は!?
「肉体の再構築……そうか、一欠片でも残ればアイツは何度でも蘇る。やっぱり草薙家の前当主は肉啜りを討伐しきれていなかったんだ」
脅威的な再生能力を前に、ルカは固唾を呑む。
「そんなヤツ、どうやって倒すのよ?」
横でキリカは冷や汗をかきながら、ルカに尋ねる。
「本体から切り離した部分は消滅してる……つまり、再生できるのはアイツ自身だけ。きっと、再生するための核のようなものがあるはず。それを潰せば、きっと……」
ルカは冷静に相手の能力を分析して、そう結論づけた。
「アイツは私が仕留める。キリカはダイキと先生を守って」
「了解よ」
ルカの指示に頷き、キリカも霊装を構える。
キリカの手に握られた、一本の木刀。
当然、ただの木刀ではない。
「……『
キリカの掛け声と同時に、木刀の刀身がうっすらと青白い光を帯びる。
淡い光を纏った木刀を握りしめ、キリカは息を整える。
肉啜りの触手が再び伸びる。
「破ッ!」
繰り出される一撃を、キリカは木刀で一閃。
触手は切断され、ルカのときと同じように消滅の運命を辿った。
「なめなるんじゃないわよ化け物……アタシだって、この霊装があれば戦えるんだから!」
ご神木を材料に作られたその木刀は、藍神家の娘たちが代々、修行用に使うための霊装だ。
材木そのものに特別な力が宿っているこの霊装は、注ぎ込まれた霊力を増幅させる効果がある。
たとえ微弱な霊力であっても、一度注げば火が燃え上がるように増えるのだ。
木刀は本来、打撃用の武具だが、霊力を帯びた神木刀は真剣と同等の切れ味を持つ。
もともとは修行始めの未熟な巫女たちが実戦の感覚を学ぶための霊装だそうで、成長に従って次第に使われなくなっていくはずだが……霊力の少ないキリカにとっては、この霊装こそが最も実戦に適した装備なのだ。
「やあああああああ!!」
次々と繰り出される触手の猛攻を、しかしキリカは見事な乱れ斬りで捌ききる。
霊能力者としては確かにキリカは半人前かもしれない。だが彼女には優れた身体能力がある。
紫波家で厳しい修行をしてきたからこそ、わかる。
キリカの身体能力は、常人を遙かに陵駕している。
霊力で動体視力を強化するまでもなく、怪異の攻撃に対応できている時点で、そのポテンシャルの高さが窺える。
……もしも、キリカが腐らず修行を続けていたら、いったいどれほど強靱な肉体を得ていたことか。
「……死なせない。絶対に死なせないわよ。もう二度と、同じ過ちは繰り返さない!」
決意を胸に、退魔巫女の少女は霊力の刀剣を握る。
「黒野。アイツをぶっ倒してやりたいのは、アタシだって同じなのよ。でも悔しいけど……
「キリカ……」
「だからこそ、託すのよ。できる人間に、自分たちの思いを。だって……死んでしまったら、その時点で負けなんだから。……生き残るの。生きてこそ、死んでしまった者たちに報いることができるんだから!」
「っ!?」
キリカの言葉に、俺は冷水を浴びせられたような心地となる。
そうだ。ここで俺が死んでしまったら、俺を守るために戦う彼女たちの思いも、そして……クロノスケの犠牲も無駄になってしまう。
「ルカ、黒野と先生はアタシが必ず守る。だから……お願い、アイツを倒して!」
「わかった」
友の願いを聞き入れて、ルカは庭に降り立つ。
眼前には再生を繰り返す異形の肉塊。
月光に照らされた銀色の髪の少女は、瞳と同じ紅色の鎌を敵に向かってかざす。
「さあ」
透き通るような少女の声が、決して大きくはない静かな声が、混沌と化したこの場に不思議なほどに広く響いた。
まるで福音をもたらすように、天の使いが救済の唄を奏でるように、少女は言葉をのせる。
「──悪夢を、終わらせましょう」