【悲報】ビビリの俺、ホラー漫画に転生してしまう   作:青ヤギ

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藍神の剣

 

 拳の豪雨は止まない。

 宣告通り、少年は異形が朽ち果てるまで、その拳を振り下ろすつもりだ。

 もはや再生も追いつかないほどに、肉啜りの体は原型を失っていく。

 

(負ケルノカ? オレガ? 人間ゴトキニ? ドウシテ……ドウシテコンナコトニ!?)

 

 狂っている。なにもかもが狂っている。

 こんなことが、あっていいはずがない。

 摂理に反している。

 自分は狩る側だったはずだ。

 ……なのにどうして、逆にその獲物に牙を剥かれているのか。滅ぼされようとしているのか。

 しかも霊能力者でもない、人間に!

 悪夢としか言いようがない。

 

(アア……オカシイ……ナニモカモガ、オカシイ……全部、全部ウマクイッテイタハズナノニ!)

 

 もはや悲鳴すらも上げることのできなくなった肉啜り。

 今際、胸中に浮き上がってきたのは、激しい後悔。

 ……こんな奴を獲物に選ぶんじゃなかった。

 いままで見たこともない生き物だからといって、執着すべきではなかった。

 

 ……そう、よくよく考えれば、おかしかったのだ。

 こんな生き物がいるはずがないのだ。

 一番狂っているのは……この少年の存在そのものだ。

 だって……。

 

 ど(・)う(・)し(・)て(・)生(・)者(・)の(・)体(・)に(・)死(・)者(・)の(・)魂(・)が(・)宿(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)!?

 

(アリエナイ……アリエナイ! アア、イヤダ……消エタクナイ……オ助ケクダサイ、女王様……【常闇の女王】様ァ!!!)

 

 異形の嘆きは虚しく散り、制裁の鉄槌が振り下ろされる。

 

「終わりだ……消え失せろ! 肉啜り!」

「ア……イヤダ……イヤダアアアアア!! ウワアアアアアア!!!」

 

 因果応報の一撃。

 もはや逃れようのない報いを前に、肉啜りは、ただ絶望した。

 

 

   * * *

 

 

 身動きが取れないキリカは、ダイキの戦いをただ見ていることしかできなかった。

 

 思いもよらない展開だった。

 まさか守るべき少年に、逆に守られる形になるとは。

 しかも今回は、いつものような暴漢相手ではない。怪異だ。

 相性の問題もあったのは確かだが……霊力を持たない少年が、見事に怪異を撃波してしまった。

 これまでの常識が一気に覆るような現実を前に、キリカは驚愕する一方で、複雑な気持ちをいだいていた。

 一般人の少年に、霊能力者である自分の役割を取られたからか? ……否、そういった毎度の劣等感から来るものとは、また異なる感情のような気がした。

 

 キリカはむしろ少年の活躍に誇らしさを覚えていた。

 思い知ったか化け物め。ウチの男子部員は怒らせると怖いのよ?

 ダイキが肉啜りにトドメを刺した瞬間などは、胸がすくような思いだった。

 ……だが、いま目の前で肉啜りに、何度も拳を叩きつけているダイキを見ていると、勝利への昂揚感はだんだんと薄まっていった。

 

「……返せ! 返せよ! クロノスケを……お前が奪ってきた命を返せよ!」

 

 ダイキは、苦痛に歪んだ顔で殴っていた。

 もう二度と戻ってこない命を思いながら。

 理不尽な現実を悲しみながら。

 少年のそんな姿を見て、キリカはやがて胸が締めつけられるような気持ちとなり、彼の活躍に心を躍らせていた自分を恥じた。

 

「黒野……」

 

 自分は、何をしているんだ?

 彼にあんな表情をさせないために、この場にいるのではなかったのか?

 

 頼もしい仲間である少年は、自分たちと同じように怪異退治の一線に踏み込んできた。

 ……それは、はたして歓迎すべきことか?

 

 血飛沫が上がる。

 鋼鉄の篭手が、殴るたびに異形の血で汚れていく。

 立て続けに起こる強打の音が、だんだんと切なげなものに聞こえてくる。

 まるで、少年の心の悲鳴を代弁しているかのように……。

 

 相手は怪異だ。

 憎むべき化け物であり、どうあっても相容れない人間の敵だ。

 だが……キリカは知っているはずだった。

 たとえ相手が化け物でも、自らの手でその存在を殺めることへの後味の悪さを。

 守るためとはいえ、自分の中に修羅を宿すことの辛さを。

 

 ダイキは、優しい少年だ。

 虫も殺せないようなお人好しだ。

 いつもビクビクと怪異に怯えているような臆病者のくせに、人が悲しんでいるときはそっと寄り添って励ましてくれる少年……。

 穏やかな日常が最も似合うそんな彼に……辛い役割を背負わせてしまった。

 自分が、未熟なばかりに。

 

「お前さえ……お前さえいなければ!」

 

 少年の顔は、もはや涙でボロボロだった。

 キリカはますます辛い気持ちになった。

 

(泣かないで……ねえ、泣かないでよ)

 

 ダイキには笑っていて欲しかった。

 いつもは厳しく接してしまうけれど、ついつい憎まれ口を叩いてしまうけれど……キリカはダイキの優しさに何度も救われ、感謝していた。

 素直になれないせいで、なかなかその思いを伝えることはできないが……だからこそ、こういった局面で恩を返したかったはずなのに……。

 

(アタシは……何をしているのよ!)

 

 キリカは悔しかった。

 心優しい少年を鬼に変えてしまった……そんな事態にしてしまったことが。

 結局、彼にばかりに辛い重荷を背負わせてしまっているではないか。

 

 何が『できる者に託す勇気』だ。

 そんなのもの、ただの言い訳だ。

 たとえ『蛮勇』と言われようと、『愚昧』と罵られようと、我武者羅になって自分が霊能力者としての務めを果たさなければならなかったのではないか?

 

『……真似事だとしても、俺たちはキリカのおかげで救われた。それは事実だろ?』

『あれが偶然だったとか、奇跡的なことだったとか……そんなのはどうでもいい。ハッキリしていることは、キリカがいなければ、俺たちはいまこうして生きていないってことだ。だから……キリカはもっと自分のことを誇っていいんだよ』

 

 情けない過去を打ち明けても、自分を肯定し、受け入れてくれたダイキ……そんな彼の優しさに報いなくては、いけなかったのではないのか?

 

「終わりだ……消え失せろ! 肉啜り!」

「ア……イヤダ……イヤダアアアアア!! ウワアアアアアア!!!」

 

 ズシン、と重い衝撃波が生じ、異形の断末魔が夜空にコダマする。

 

 人食いの怪異、肉啜り。

 無数の命を食らい続けた異形は、黒野大輝の拳によって、この世から完全に消滅した。

 

 キリカを拘束していた肉の繭が消滅する。

 肉啜りが滅されたことで、効力が失われたのだろう。

 

「黒野……」

 

 自由の身となったキリカは、見事に肉啜りを撃波した少年のもとへ駆けつけたかった。

 彼を労い、そして重荷を背負わせてしまったことを詫びたかった。

 その涙を拭い、抱きしめてあげたかった。

 でも……それは、自分の役割ではない。

 キリカは、それをよくわかっていた。

 

 

   * * *

 

 

 確かな手応え。

 核のようなものを潰した感触が、拳に残っていた。

 肉啜りと呼ばれていた肉塊は、徐々に煙を立てて消えていく。

 もう再生する様子はない。

 黒い塵となって、完全に消滅していった。

 

 ……倒した。俺が。

 霊能力者でもない俺が……怪異を倒した。

 

「ダイキ! ダイキぃ!」

「おわっ!?」

 

 横から俺にいきなり抱きついてきたのはルカだった。

 どうやら、肉啜りの拘束が解けたようだ。

 

「ダイキ! よかった……無事でよかったよぉ!」

「ル、ルカ。痛い。痛いって……」

 

 涙ぐみながら、ルカは俺の胸に縋りつく。

 よほど心配していたようだ。

 ……無理もないか。

 なんせ、いままで対人専門に戦っていた俺が、いきなり怪異と一対一でやり合った。その様子をルカは見ていることしかできなかったのだから。

 

「すごい……すごいよダイキ! まさか……肉啜りを倒しちゃうだなんて!」

「ああ、俺もビックリだ。でも……この篭手はいったい?」

「それは『双星餓狼』。紫波家の人間にしか装着が許されない秘伝の霊装のはずだけど……」

「やっぱり、そうだよな……」

 

 見覚えのある霊装だ。

 確かツクヨさんのお父さんの形見で、随分と大事にしていたような気がするが。

 

「いったいどうしてこんなものが数珠から……」

「きっと、お母さんの仕業だと思う」

「璃絵さんが?」

「理由はわからないけど……でも、おかげで肉啜りを倒せた。ダイキ、本当にすごい」

 

 そう言ってから、ルカは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「……ごめん、ダイキ。私、守るって約束したのに。逆に助けられちゃったね」

「……気にするなよルカ。今回は、そのなんだ……偶然、俺のほうが怪異に対して相性が良かったってことだろ。終わりよければすべてよしだ」

「ダイキ……」

 

 そうだ。今回は相性の問題で、奇跡的に何とかなった。

 まさか俺が怪異相手に戦うことになるなんて、思いもしなかった。

 師匠たちには感謝だ。

 彼女たちの厳しい修行のおかげで、こうして憎き相手を倒すことができた。

 

 ふと、俺たちの周りに、蛍のような光が無数に浮かぶ。

 光は、一斉に天に昇っていった。

 

「これは……」

「きっと、肉啜りに囚われていた魂だと思う。かわいそうに……食べられた後も、ずっと肉啜りの中に閉じ込められていたんだ」

「まさかっ、俺がずっと殴っていたのは!」

 

 いままで食べられてきた人たちや、動物の肉だったのではないか!?

 だとしたら、俺は何てことを……。

 

「それは違うと思う。肉啜りはきっと魂をエネルギー源にしていただけで、構成されていた体はヤツ自身が造り出したものだった。……大丈夫、ダイキは誰も傷つけてないよ」

 

 俺の悪い予感を、ルカは即座に否定してくれた。

 ひょっとしたら無実な生き物たちを痛めつけてしまったのではないかと戦慄したが、そうでなくて安心した。

 

 無数の魂が天に昇っていく。

 その中で、見覚えるのある姿が、俺に近寄ってきた。

 

「っ!?」

 

 黒い猫の霊体……間違いない、クロノスケだ!

 

「クロノスケ!」

 

 咄嗟に俺はクロノスケに手を伸ばす。

 

「あっ……」

 

 だが、俺の手は猫の霊体をすり抜けてしまう。

 

 ……特殊な篭手を身につけたところで、霊体に触れられるわけではないようだった。

 どれだけ強靱な戦闘力を得たところで、やはり俺はただのヒトだった。

 でも……今回ばかりは、俺に勇気があれば。もっと早く、こうして戦う手段があることを知れたら。

 目の前の黒猫を、その尊い命を、おぞましい化け物から救えたかもしれない。

 

「クロノスケ……ごめん。ごめんな? 俺……俺はっ……」

 

 涙が溢れる。

 肉啜りは倒した。

 でも、失われた命はもう戻ってこない。

 

「俺は……やっぱり無力だ。手に届く範囲の命すら、守れなかった!」

「ダイキ……」

 

 ルカがそっと俺に寄り添い、一緒に涙を流した。

 

 そんな俺たちに、クロノスケの霊体が、そっと身を寄せてくる。

 もう、あの夜のように触れ合うこともできない。

 それでも……クロノスケは涙を拭うように、俺とルカの頬に、口づけをした。

 

「……にゃあ!」

 

 助けてくれて、ありがとう。

 そう、言われたような気がした。

 

「クロノスケ……」

 

 クロノスケも、光となって天に昇っていく。

 最後に見せたその顔は、笑顔だった。

 

「……守ったわよ。あんたは、あの子の魂を守ったわよ」

 

 庭に降りてきたキリカが、そう俺に言ってきた。

 

「見たでしょ? あの子は、最後に笑ってたわ……だから、胸を張りなさいよ。あんたは、あの子を確かに救ったのよ」

「キリカ……」

「あんた、いつも偉そうにアタシに同じようなこと言ってるじゃない。だから……あんたも自分を無力だなんて言って、自分を追い詰めないでよ。辛いわよ、見てて」

 

 天に昇っていく魂を見て、キリカも涙を流していた。

 

「まったく……一人で肉啜りを倒しちゃうとか、とんでもないヤツねあんた。アタシたち、立つ瀬がないじゃない。嫌になっちゃうわ、本当に」

「キリカ……その、ごめん」

 

 今回の俺の行動は、霊能力者であるキリカにとって、また劣等感を刺激してしまうような真似だったかもしれない。

 

「謝るなバカ」

「イテッ」

 

 後ろめたさを覚える俺に、キリカは拳骨をお見舞いしてくる。

 

「あのね? いくらアタシでも、命がかかってるってときまで、そんな嫉妬みたいな感情いだくわけないでしょ? そこまで卑屈じゃないわよ。だからその……ありがとう。守ってくれて」

「キリカ……」

 

 キリカは顔を真っ赤にして、不器用にお礼を言ってきた。

 

「ともあれ……無事に終わったわね。今回も」

 

 ひと息を吐いて、キリカはまた天を見上げた。

 

 ……そうだな、今回も無事に乗り越えた。

 失った命も多いが……俺たちはこうして何とか生きている。

 何とか、無事に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあー。あっけないなぁ。もう終わりなの~?」

 

 場に似つかわしくない、陽気な声が上がる。

 声の持ち主は……気絶していたはずの水坂先生だった。

 

「水坂、先生?」

 

 いったい、いつ目覚めていたのか。

 彼女はまるで何事もなかったかのように、平然な様子で立っていた。

 

「もう、ダメじゃな~い。こんなアッサリ負けちゃ~。せっかくあなたには期待してたのに~」

 

 様子が、おかしい。

 俺たちの知る、天然でおっちょこちょいな教育実習生である水坂牧乃の面影が、まったく感じられない。

 そういえば彼女は肉啜りの分身を植え付けられ、操られていた。

 まさか、その影響がまだ残っているのか!

 だが……。

 

 その諸悪の根源である肉啜りの分身は、水坂先生の手に握られていた。

 

「ギッ……ギィ!?」

「褒められるのは、そのゴキブリ並みのしぶとさだけね。先代の草薙家当主にやられたときも、こうして分身だけ残して、そのまま本体として成り代わったのね……でも、また負けちゃったわね~? しかも今度は霊能力者でもない人間相手に。ダメダメ。ダメよアナタ。怪異として落第点よ」

「ナ、ナンダ、オ前? ドウシテ……」

「『どうして人間がオレの支配から逃れた?』って言いたいの? アハハ。そんなの……フリに決まってるでしょ? アナタ程度の格下に私が操られるとでも本気で思ったの?」

「ギイイイイ!?」

 

 小型の肉塊を、水坂先生は握り潰しかねない勢いで掴む。

 ……何だ? あれは、本当に水坂先生なのか?

 冷酷な眼差し。余裕に満ちた態度。そして、どこか妖艶にすら感じる残虐な笑み。

 まるで、別人じゃないか。

 

「アナタ、もう用無しね。大人しく私に取り込まれなさい。光栄に思うことね? 私の糧になれるのだから」

「ッ!? マサカ、オ前ハ……イヤ……ア、貴(・)方(・)様(・)ハ!?」

「バイバイ、肉啜りちゃん。最後に経験させてあげる。……食(・)べ(・)ら(・)れ(・)る(・)っ(・)て(・)こ(・)と(・)が(・)ど(・)ん(・)な(・)感(・)覚(・)か(・)」

「っ!?」

 

 水坂先生は「あーん」と口を大きく開けたかと思うと……肉啜りの分身を、そのまま呑み込んだ。

 

「……ギャアアアアアアアアアア!!!?」

 

 異形の怪異が、噛み潰され、咀嚼される。

 生きながら食われ、悲鳴を上げる肉啜りの分身を、水坂先生はさもおいしそうに味わっている。

 ゴクン、と喉を鳴らし、恍惚とした顔を浮かべながら、水坂先生を空を仰ぐ。

 

「ああ……混ざる……溶け合っていく……気持ちいい……気持ちいいわぁ……また新しい仔が、私の体の中に……あぁ……」

 

 まるで性感を味わうような淫蕩な仕草で、官能的な声を上げる水坂先生。

 豊満な肉体を蠱惑的にくねらせ、際どい部分を自らまさぐり、びくんびくんと快感に打ち震える。

 

 その光景に、俺は言葉を失っていた。

 理解が追いつかない。

 どういうことなんだ。いったい何が起きている。

 

「水坂先生……あなたは、いったい……」

「ん~? ……うふふ」

 

 俺を見て、水坂先生はニコリと笑みを浮かべる。

 

「言ったでしょ? 私──『食べるのが大好き』って♪」

 

 先に冷静さを取り戻して動いたのはルカだった。

 紅糸繰を大鎌に変え、水坂先生に向けて構える。

 

「……あなた、いったい何者なの?」

 

 ルカが水坂先生に向ける眼差しは、すでに人に向けるものではなかった。

 特殊な凶器を向けられても、水坂先生は慌てふためくどころか、余裕の態度をまったく崩さない。

 

「……白鐘さん? アナタ、私が『肉啜りじゃないか』って疑ってたみたいだけど……でも残念、その予想は外れよ? でもね~……」

 

 満面の笑みを浮かべて、水坂先生は目を見開く。

 猫のように大きな目が……赤く光る。

 

「『味方じゃない』ってのは大当たり! ごめんね~! 結局騙してたの! アナタたちのこと!」

 

 おぞましい色をした霊力の波動を剥き出しにして、水坂先生は……水坂牧乃は狂った笑みを浮かべていた。

 

「……霊能力者だったのね、あなた!」

 

 霊視を使ったのだろう。ルカが水坂牧乃の正体を見破る。

 霊能力者? あの人が?

 

「どうやって偽装していたのかはわからないけど……それほどの霊力を隠蔽できるなんて……あなた、本当に何者なの!?」

 

 俺でも可視化できるほどの膨大にして、禍々しい霊力。

 ルカの言葉を信じるなら、水坂牧乃はあれほどの霊力を持ちながら、一般人に成りすましていたということ。

 怪異である肉啜りを直に食らったことと言い……彼女はいったい何者なんだ? 何が目的だ?

 

「何者ね~……まあ、アナタたちのような正義の霊能力者とは真逆の存在……と言えばいいかしら?」

 

 水坂牧乃が右手の甲をかざす。

 そこから、何やら禍々しい模様が浮き上がってくる。

 何だ? あのタトゥーみたいなものは?

 

「これは『証』。……あ(・)の(・)御(・)方(・)の配下であることの『証』よ」

 

 あの御方……その言葉に、何か言い知れぬ危機感を覚える。

 つい最近になって、その存在を知った『怪異の長』と呼ばれる者……。その名が連想される。

 まさか……。

 

「改めて自己紹介するわ。私は【常闇の女王】様の配下……『常闇の侵徒(しんと)』。同志たちからは……『邪心母(じゃしんぼ)』と呼ばれているわ」

 

 彼女の口から出た名前に戦慄する。

 【常闇の女王】!

 すべての怪異の頂点に君臨するとされる存在。

 彼女が、その配下だと!?

 

「……聞いたことがあるわ。人間でありながら、怪異の長を信奉する巨大な集団がいるって。まさか、彼女が……」

 

 キリカがそう口を開く。

 人間が【常闇の女王】を信奉する、だと?

 なんてことだ。そんなイカれた連中がいるのか!?

 

「ねえ、黒野大輝君? 私からひとつ提案があるの。霊力もないのに肉啜りを倒した、そんなアナタに」

「っ!?」

 

 心臓が鷲掴まれるような嫌な感覚。

 水坂牧乃に視線を向けられただけで、本能的な忌避感が芽生えた。

 

「さっきの戦いは素晴らしかったわ! あなたのように才能や素質に恵まれた人間を、私はずっと探していたの! ああ、私の目に狂いはなかった! 会ったときから感じていたの! ええ、あなたならきっと……」

 

 昂揚した顔で、水坂牧乃は言う。

 

「素晴らしい怪異になれるわ!」

 

 理解しがたい、どうあっても相容れないことがわかる、その言葉を。

 

「……何を、言っているんだ?」

「言葉通りよ! 黒野君! 私たちと一緒に来ましょう! あなたのその才能……腐らせるには惜しいわ! あなたならきっと……上質な『闇』を生み出すことができる! 【常闇の女王】様を復活させるために必要な『闇』を!」

 

 両手を大きく広げて、水坂牧乃は叫ぶ。

 それは狂信者の目だった。

 

「足りないのよ! あの御方が復活するための『闇』が! 『悲劇』が! 『絶望』が! だからもっと増やすのよ! この世を『闇』で満たす怪異を! それがあの御方を蘇らせる贄となる! ……ああ、あ(・)の(・)子(・)は惜しかった! せっかく上質な『闇』を生み出す才能を持っていたのに! せっかく私が手をかけて育てたのに! 彼女は惜しかったわ! ……大(・)谷(・)清(・)香(・)ちゃんは!」

「っ!?」

 

 大谷清香。

 アイドルとして華々しい活躍をするはずだった女性。

 その未来は、何者かによって奪われた。『怪異の素質を持つ』……たったそれだけの理由で、命を奪われ、危うく化け物に変えられようとしていた……。

 

 おい。待て。

 ……まさか。まさかまさかまさか!

 

「……お前か?」

 

 罪も無いアイドルを、あまりにも身勝手な目的で殺めた。

 ……そんな真似をしたのは!

 

「お前が清香さんをオオオ!!!」

 

 視界が真っ赤に染まる。

 怒りが体を突き動かす。

 気づけば俺は水坂牧乃に殴りかかっていた。

 

「黒野!?」

「ダイキ!? ダメェ!」

 

 振り下ろす拳。

 だがそれは、見えない壁によって止められる。

 

「ぐっ!?」

 

 拳が水坂牧乃に届くことはなく、俺はそのまま弾き飛ばされる。

 ……何だ、あの、出鱈目な霊力は。

 霊力を喰らうはずの霊装『双星餓狼』でも喰らい尽くせなかった!

 

「ダメですよ黒野く~ん? 女性に手を上げたりしちゃ~」

 

 水坂牧乃は鷹揚な態度でヘラヘラと笑っている。

 俺の攻撃など、やんちゃな犬が飛びかかってきたのも同然とばかりに。

 

「でもまあ、私たちの誘いに乗れば許してあげますよ~? 仲間ですからね~。さあ、返事を聞かせて黒野君! 怪異になる気はないかしら!?」

「黙れ。誰がなるか!」

 

 答えは当然NOだ。

 ふざけるな。

 どうして清香さんの仇敵である連中の仲間にならなければならない!

 許さない……こいつだけは絶対に!

 

「ダイキに少しでも変な真似をしてみろ? 叩き斬ってやる!」

「水坂先生……いえ、『邪心母』とか言ったわね? よくも騙したわね! 最初からこれが目的だったの!?」

 

 ルカが殺意を向けて紅糸繰を構える。

 キリカも怒りを滲ませて神木刀を握る。

 

「思春期の子は心が不安定で上質な『闇』を生み出す素質をたくさん持っていますからね~。学園で新しい同志を探すのは効率がいいってわけ。そう意味では白鐘さん? 藍神さん? アナタたちも素晴らしい素質を持っているわ! どう? 一緒に【常闇の女王】様を復活させる手助けをしない?」

「ふざけないで!」

「何でアタシたちが人間の裏切り者にならなくちゃいけないの! 狂っているわよ、あんた!」

「……狂っているのは、アナタたちのほうよ? ……ねえ? まさか人間があの御方に勝てると、本気で思ってるの?」

 

 ここで初めて水坂牧乃は笑みを消し、真顔となった。

 

「いつになったら気づくの? この世界はね……とっくに詰んでいるのよ? あの御方が、この世界に生まれ落ちた時点で。もうね、私たち人間に未来なんてないの。だったら……おの御方に与して、同じ存在になったほうが逆に幸せになれると思わない?」

 

 ……もう話すだけ無駄だ。

 ハッキリと、そう悟る。

 完全に理解の埒外にある存在と、言葉を交わす必要はない。

 どうあっても、こいつとは相容れない。

 

 俺たち三人が水坂牧乃に向けるのは、もはや無言の敵意だけだった。

 

「ああ、そう……交渉は決裂ね」

 

 交渉などそもそも最初からない。

 清香さんの仇敵であり、そして人類の裏切り者であるこいつを倒すため、俺たちは霊装を構えた。

 

「残念だわ。教え子たちと戦うことになるなんて。まあ、そういうわけだから……死んじゃってよ、アナタたち」

 

 霊力が練られる気配を感じる。

 ルカたちとは異なる、邪悪に染まった霊力。

 禍々しい霊力が、水坂牧乃の体を包む。

 

「見せてあげる……あの御方に与えられた、私の特別なチカラを」

「っ!?」

 

 不敵に笑い、水坂牧乃は上着のボタンに手をかける。

 恥じらいもせず、瑞々しい肌を空気の元に曝していく。

 その体に、腹部に……異様なものがあった。

 

「うっ!?」

 

 思わず吐き気を催した。

 それほどまでに、ソレは薄気味の悪い光景だった。

 女性の体にあるべきではない異質な物体が、水坂牧乃の腹部にあった。

 

「何だ、アレは……」

 

 一見すると、ソレは青銅鏡を連想させた。

 歴史の教科書に載っているような、複雑な模様が刻まれた円盤状の青銅器。それに似た物体だった。

 そんなものが……生身の人間の腹部に埋め込まれていた!

 まるで体の一部のように。

 

「さて、新しく取り込んだ肉啜りちゃんを早速使ってみようかしら。どう組み合わせようかしらね~? この仔? いえ、こっちのほうがいいわね。あ~、この組み合わせも捨てがたいわ」

 

 水坂牧乃は陶然とした顔で己の下腹部を撫でるように弄り回す。

 ……何だ? 何を始める気だ?

 

「……決めたわ。これでいきましょう」

 

 水坂牧乃は掌を開き、そこに視線を注ぐ。

 

「肉啜りちゃん」

 

 突拍子もなく、肉啜りの名を呟く。

 すると……水坂牧乃の掌に、赤く光る玉が掌から生じる。

 それはフワフワと浮遊しながら、水坂牧乃の腹部に埋まった円盤に向かう。

 円盤の中央には丸い玉があり、それとは別の三カ所に空洞のような穴がある。

 赤く光る玉は、その内のひとつの穴に向かって填め込まれた。

 

『肉啜り』

 

 円盤から加工された音声のような、おどろおどろしい声が上がる。

 空洞に赤い玉が填め込まれた途端、中央の丸い玉がエネルギーを供給されたかのように禍々しい光を発する。

 

「白姫ちゃん」

 

 再び水坂牧乃が何かしらの名称を呟く。

 今度は白く光る玉が掌から生じ、先ほどと同様に空洞に填め込まれる。

 

『白姫』

 

 またしても不気味な声が円盤から響く。

 

「反魔鏡ちゃん」

『反魔鏡』

 

 青く光る玉が、最後に残された穴に埋まる。

 空洞が無くなった円盤の中央で、極彩色の光が鼓動を打つように明滅する。

 

「たっぷり味わわせてあげる……私のカワイイ仔のチカラをね!」

「っ!?」

 

 動物的本能が危機感を知らせる。

 ……まずい。逃げろ、いますぐに。逃げろ逃げろ逃げろ、と。

 

「産声を上げなさい。闇の仔よ!」

 

 水坂牧乃が叫び、目が眩むほどの発光が起こる。

 

『魔道超合』

 

 常闇の侵徒『邪心母』。

 その名の由来となったチカラの一端を、俺たちは目撃することになる。

 

「……ア」

 

 気配がひとつ、増えた。

 異様な影が、そこにはあった。

 

「■■■■■■■■■■■」

 

 もはや生き物の声なのかも怪しい呻き声を上げて、ソレは俺たちの眼前に立っていた。

 

「エ……ア……?」

 

 ソレの姿を目に収めた途端、言いようのない拒否感が芽生える。

 受け入れたくなかったのだ。

 ソレが、この世界に存在していることに。

 

 これまで、多くの怪異を見てきた。

 そのどれもが恐ろしい見た目をしていた。

 だが目の前にいるのは……根本的に何か違う恐ろしさを感じる。

 こんな存在が、あってはならない。認めるわけにはいかない。認めたくない。

 

 真っ白い肉の塊。

 蜘蛛のような脚と目。

 そして背中に貼りついた巨大な鏡。

 

 ……すべてが異様だった。

 まるで、あり合わせの道具を無理やりくっつけて造り上げたような不細工な工作。

 子ども特有の無秩序な感性で組み合わされた、趣味の悪い合成物。

 

 不自然。

 そうとしか表現のしようがない。

 自然の摂理に反したカタチが、意思を持って動いている。

 気が、狂いそうになる。

 

 ……何だ? 何なんだコレは?

 怪異なのか?

 

「おはよう、カワイイ坊や♪」

 

 ソレに向ける水坂牧乃の目は慈しみに満ちている。

 お腹を痛めて生んだ我が子を見つめる母のように。

 

「それじゃあ、早速だけど……やっちゃって」

「あ」

 

 逃げろ。

 そう叫びたかった。

 だが遅すぎた。

 いや……ソレの動きが、あまりにも速すぎた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 冒涜的な姿をしたソレの咆吼が、夜空に響いた。

 

 

   * * *

 

 

 キリカは落ちそうになる意識を必死に繋ぎ止めた。

 

「あ……くっ……」

 

 地に倒れ伏している体を何とか起こす。

 激痛が襲う。

 

「うぅ!」

 

 再び倒れそうになる体を、神木刀で支える。

 立たなければ。

 なぜなら、もう動けるのは……自(・)分(・)し(・)か(・)い(・)な(・)い(・)。

 

「ルカ……黒野……」

 

 ルカも、ダイキも、意識を失って倒れている。

 辛うじて息はしているが……もう戦えない。

 誰が見ても、そうわかる悲惨な状態だった。

 

 一瞬だった。何もかもが。

 三人総出で、挑んだのだ。

 だというのに……結果はこの有り様だ。

 

(何なの……いったい、何が起きたの?)

 

 冷静になった頭で、キリカは先ほどの戦闘を思い返す。

 そうだ、確か……。

 

 ルカが言霊で敵の体を崩壊させようとした。

 すると敵の背中にある鏡が光を発して、呪詛返しのごとく言霊の効果を跳ね返した。

 

 ダイキが拳を打ち込んだ。

 すると敵の体は一瞬で霊体と化し、ダイキの物理攻撃をすべて無効化した。

 

 それからは一方的だった。

 自分たちの技のことごとくが完封されたまま、多種多様な攻撃の嵐を浴びた。

 

 そして……運良く意識を維持したのはキリカひとりだけ。

 ……いや、はたしてこの状況で気絶しなかったのは、幸運と言えるのだろうか。

 

「悪運が強いわね、藍神さん」

 

 水坂牧乃がくつくつと嗤っている。

 

「最後に残ったのが、一番役立たずのアナタだなんて……白鐘さんも黒野君も気の毒ね。一番足を引っ張っているアナタに、自分たちの命運がかかっているんだから」

「くっ……」

 

 役立たず……悔しいが水坂牧乃の言う通りだった。

 肉啜りのとの戦いでも、結局ルカとダイキにすべてを一任させてしまった。

 そして、いまも……。

 

「……本当に、哀れに思うくらい貧弱な霊力ね。ねえ、藍神さん……アナタ何のために、ここにいるの?」

「何のため、ですって? ……決まってるでしょ?」

 

 血だらけの体で、キリカは神木刀を正眼で構え、ハッキリと言う。

 

「お前たちのようなヤツらから……仲間を守るためよ!」

「……あは。あははははは!? 守る!? アナタが何を守るって言うのよ!? 霊力も体も、後ろで倒れてる二人には及ばない! 何もかもが中途半端な、落ちこぼれのアナタが!」

 

 さもおかしいものを見るように、水坂牧乃は腹を抱えて嗤う。

 

「白鐘さんも黒野君もお人好しが過ぎるんじゃないかしら!? アナタみたいな無能を仲間にしたところで何のメリットもないでしょうに! 頭の中、お花畑なのかしら? アハハハハ!」

「バカにするな」

「は?」

「アタシへの罵倒はいいわ。事実だもの。言い訳もできない。でも……アタシの仲間を侮辱するな!」

 

 キリカは怒りに燃えた。

 自分への罵詈雑言など、とうに慣れた。

 だが……友たちが貶されることだけは我慢ならなかった。

 

「アタシたちは、損得で一緒にいるわけじゃない。怪異から人々を守りたい……皆、同じ気持ちを持って戦ってるのよ! 自分のやり方で。自分ができることで、精一杯!」

「……それで? アナタは何か貢献しているわけ? その自分のやり方とやらで、あのオカルト研究部に」

「……ないわよ、ほとんど。アタシにできることなんて、本当にひとつしかない。この剣一本で、戦うことしか。でも……」

 

 闘志の消えない瞳で、キリカは顔を上げる。

 

「それでも、あいつらはアタシを仲間として受け入れてくれた。落ちこぼれで、どこにも居場所のないアタシを認めてくれた。アタシの気持ちを尊重して、一緒に戦ってくれた」

 

 どれだけ感謝していることか。

 どれだけ救われたことか。

 その場所を、仲間を、自分から奪おうというのなら……たとえ相手が何者だろうと、戦ってみせる。

 どんなにバカにされようとも……藍神の巫女として!

 

「お前なんかに……奪わせない! アタシの仲間を!」

 

 水坂牧乃は呆れの溜め息を吐いた。

 口ではいくらでも立派なことは言える。

 だが、どうあっても藍神キリカがこの状況を打破することなど不可能だ。

 さっさと決着をつけるとしよう。

 

「じゃあ、大事な仲間たちと仲良く死になさい。安心して? アナタたち三人は、仲良く私の中で飼ってあげるから! やりなさい!」

「■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 異形が吠える。

 最後に残った獲物に向けて、蜘蛛のような脚を振り下ろす。

 終わりだ。

 そう確信した瞬間……異変が起こった。

 

「……え?」

 

 水坂牧乃は困惑の声を上げた。

 必殺の一撃は、何かに遮られるように防がれ、さらに異形の脚が崩壊を始めた。

 

 どういうことだ?

 彼女は何をした?

 

「……守るんだ。アタシが」

「っ!?」

 

 少女の髪が変色していく。

 紺青色の長髪が、光を放つ青白い色に。

 変わったのは髪の色だけではなかった。

 彼女の周囲に……霊力の奔流が起こる。

 

「もう、誰も……傷つけさせない!」

「なっ!?」

 

 地響きが起こる。

 キリカの周囲だけ、まるで稲妻がほとばしるように、凄まじい霊力が生じる。

 水坂牧乃はますます混乱した。

 

(ど、どういうことなの!? この子、霊力の量も、質も……急に変わった!?)

 

 まるで先ほどとは別人ではないか。

 いったいこの膨大な霊力は何だ?

 霊力に乏しいはずの藍神キリカから、なぜこれほどの霊力が生まれる?

 

「……ようやっと『降りて』こられたようじゃな。相変わらずカラクリがわからんのう」

 

 少女らしからぬ古風な口調で、キリカは言葉を発する。

 霊力どころか、その気配も、貫禄すらも、少女は一変していた。

 まるで、歴戦の戦士のような……。

 

「じゃが儂(・)が来た以上、もう安心じゃ、可愛い子孫よ。お前の友と愛しの小僧は必ず助けてやるからのう」

「っ!?」

 

 キリカが木刀を構える。

 すると……ただでさえ膨大な霊力が、さらに増大した。

 キリカの握る木刀に、光が生じる。

 先ほどまでは薄い光でしかなかったが……いまや刀身が見えなくるほどの激しい輝きが木刀を包む。

 高圧の霊力で構成されたソレは、バチバチと稲妻を放ちながら、元の刀身よりも長く、太く、巨大化していく。

 それは、もはや光の刀剣だった。

 

「……遊びが過ぎたようじゃな小娘。儂の可愛い子孫をここまで傷つけた罪は重いぞ? 覚悟せい」

 

 水坂牧乃は戦慄した。

 これは、ただの霊力ではない。

 

「まさか……」

 

 怪異を問答無用で滅ぼす、浄化の力……。

 そんな芸当ができるのは……あの存在しかいない。

 

「嘘……嘘よ嘘よ嘘よ! そんな……こんな落ちこぼれの霊能力者に……まさか!?」

 

 あまりにも信じがたい。

 だが間違いない。

 この気配は……!

 

「侮るでないぞ? このキリカは、儂の剣技を継承できる唯一無二の存在……生前と遜色ない舞を見せてやろうぞ」

 

 水坂牧乃は恐怖に打ち震える。

 勝てない。

 勝てるわけがない!

 いま目の前にいるのは……。

 

「……『守護霊』ですって!?」

 

 人の身で神域へと至った、霊の最上位。

 生前のように人格を保ちながら、その強大な力で子孫を守護する存在……。

 魂としての『格』が人智を越えた次元に位置する、超越存在そのもの。

 

 藍神キリカ。『歴代最弱の巫女』と称された彼女が、唯一持つ特異能力……。

 それは、

 

「藍神家三代目当主──藍神凪紗(なぎさ)、参る」

 

 先祖霊の加護であった。

 

 

 

 かつて『歴代最強』と謳われた巫女がいた。

 もしも彼女に千年の寿命があれば、この国に存在する怪異を殲滅できたのではないか?

 誇張抜きに、そう言えるほどに次元違いの強さを誇っていた退魔巫女……それが藍神家三代目当主、藍神凪紗である。

 彼女の偉大な剣技を継承すべく、多くの巫女が修練を積んだ。

 ……だが、ついぞ誰一人として彼女の剣技を使える巫女は現れなかった。

 凪紗の剣は、あまりにも人間離れしていた。

 

 結果、伝説の巫女の剣は、幻の秘技として歴史の闇に沈むかに思えた。

 ……数世紀を経て、子孫の身に守護霊として顕現するまでは。

 

 藍神家の現当主は歓喜した。

 落ちこぼれだと思っていた娘が、まさかの伝説の巫女を宿す器だったのだから。

 藍神家の歴史を変えかねない事態だった。

 

 だが……守護霊を自由に降ろすことはできなかった。

 顕現したのは、一度だけ。

 友人の少女を怪異から救ったときだけだった。

 

『やめろ……その子に手を出すなあああ!』

 

 大切な友人が怪異によって一生消えない傷を負わされたとき、キリカは覚醒した。

 それっきりだった。

 いったいどんな原理だったのか、いかなる方法を使っても、キリカが守護霊を降ろすことは、それ以降なかった。

 一度は期待に胸を弾ませた藍神家の面々は、再び落胆した。

 所詮は落ちこぼれは落ちこぼれだっということなのか。

 宝の持ち腐れもここに極まる。

 もしも守護霊の力を自由に引き出すことができれば、あるいはキリカこそが……。

 だが結局、キリカは裏の世界から遠ざけられる形となった。

 

 ……『最弱の巫女』に『最強の巫女』が宿る。

 何とも皮肉な話だった。

 だが、ひとたびキリカに守護霊が降りれば……いかなる怪異も、彼女の敵ではない。

 廃病院の怪異も。

 ルカですら敵わなかった、恐ろしい相手でさえも……。

 

 無論、水坂牧乃が生み出した合成怪異とて、例外ではない。

 

 ──剣舞一式・椿の舞『流閃一刀(りゅうせんいっとう)』

 

 決着は一瞬だった。

 神速の勢いで繰り出された、踏み込みの斬撃。

 稲妻が過ぎ去ったような衝撃は、合成怪異を跡形もなく消滅させた。

 凄まじい斬撃の余波は、水坂牧乃にすらも影響を与えた。

 

「あああああああっ!!?」

 

 神気を帯びた霊力が、水坂牧乃の体を苦しめる。

 闇の眷属として恩恵を受けた体にとって、神の力はまさしく天敵である。

 

(じょ、冗談じゃないわ! 『守護霊』に対応できる怪異なんて取り込んでない!)

 

 水坂牧乃が生み出した合成怪異は、ルカとダイキの能力に対応するよう生み出したものだった。

 気絶しているフリをして、ずっと二人の戦いを見ていたのだ。対策は容易だった。

 そして……足手まといであった藍神キリカの対策など、当然していない。する必要もなかった。

 ……それが、仇(あだ)となった。

 だが、いったい誰が想像できよう?

 最弱と呼ぶにふさわしい弱小の霊能力者に、まさか……神に等しい力を持つ守護霊が宿っているなど!

 

 逃げなくては。

 いまは、とにかく撤退するしかない。

 水坂牧乃は身体能力を強化して、屋敷の柵を跳び越える。

 

 その直前……右腕を切り落とされた。

 

「っ!?」

「よお。状況はよくわかんねえけど……お前、敵でいいんだよな? 霊力がドス黒過ぎるしよ」

 

 手刀を構えた紫波ツクヨだった。

 彼女に続いて、三人の女傑が水坂牧乃に追撃をかける。

 

「あらあら~? ダイちゃんを虐めたのはあなたかしら~? ……ブチ殺されたいみたいねぇ?」

「どこの賊か知らんが……我が輩の愛弟子を傷物にするとはいい度胸じゃな?」

「……お前、ダイキ、傷つけた……殺ス」

 

 斬撃を伴った蹴りが繰り出される。

 扇で煽られた鉄球が弾丸の勢いで打ち出される。

 長槍が渦のように回転して突き出される。

 

 水坂牧乃を容赦なく串刺しにしようとした連撃は……黒い影によって防がれた。

 

「っ!?」

 

 紫波家の四人は驚愕する。

 とつじょ出現した影は、そのまま水坂牧乃の体を包み、水中に沈ませるように取り込んでいく。

 

「助かったわ『影浸(えいしん)』。さすがの私も紫波家四人を同時に相手にするのはキツイわ」

 

 影に取り込まれながら、水坂牧乃は切断された自分の手を呑み込んだ。

 

「んっ……あああっ!」

 

 すると、彼女の右手は何事も無かったかのように新しく生える。

 その様子に、ツクヨは息を呑んだ。

 コイツ、本当に人間か? と。

 

「今夜はこれまでね。……また会いましょう、黒野大輝君。私、あなたのこと諦めないから……」

 

 空間に溶けるように、姿を消していく水坂牧乃。

 最後に彼女は濡れた眼差しで、気絶したダイキを見ていた。

 

 

   * * *

 

 

 目が覚める。

 体中が悲鳴を上げている。

 とても動けそうにない。

 いま、どうなっている?

 ルカとキリカは……。

 

「黒野。動いちゃダメ。ジッとしてなさい」

「キリカ……」

 

 俺の傍にキリカがいた。

 

「凪紗様がまた助けてくれたわ。だから、もう大丈夫」

「そうか……ありがとう、キリカ」

 

 どうやら、またキリカのおかげで一命を取り留めたらしい。

 

「キリカ……ルカは?」

「安心して? いま紫波家の人たちが応急処置してくれてる。命に別状はないみたい」

「そうか……」

 

 師匠たちの姿が見える。なぜここにいるのかはわからないが……彼女たちがついてるなら、とりあえず安心だ。

 

「……」

 

 いろいろなことが、急に起きすぎて、いまだに整理が追いつかない。

 

 水坂牧乃が霊能力者だったこと。

 清香さんの仇敵だったこと。

 【常闇の女王】を信奉する『常闇の侵徒』という勢力が存在すること。

 そして……怪異同士を組み合わせて生み出された合成怪異。

 俺たちは、ソレに手も足も出なかった。

 死んでいた。

 キリカがいなければ、確実に。

 

「……少し、わかった気がする。キリカの気持ちが」

「え?」

 

 俺の両手に出現した鋼鉄の篭手はすでに無く、元の数珠に戻っていた。

 戦うための手段を得て、俺は肉啜りを倒した。

 べつに舞い上がっていたわけじゃない。

 ただ……どうしても勝てない相手がいる。

 そのことを、嫌でも痛感させられてしまった。

 

「辛いな……弱い自分って……悔しいよ……何も、できなかったことが……」

 

 涙がこぼれる。

 わかってはいる。

 人には人の役割がある。

 今回が特殊だっただけで、本来、あんなものと戦うのは俺の役割ではない。

 ……でも、それでも、考えてしまう。

 

「強くなりたい。もっと……いろんなものを、守れるように」

 

 ワガママを言っていることは承知だ。

 きっと、いつものようにキリカに『生意気なこと言ってるんじゃないわよ!』と厳しく叱咤されるかと思った。

 だが……。

 

「……泣かないでよ」

 

 キリカは、いつもよりも穏やかな声色で、そっと俺の頬を撫でた。

 

「あんたが、そうしたいなら……アタシも一緒に探すわ。強くなる方法を。だから……一人で背負い込まないでよ? アタシたちは……チームでしょ?」

 

 涙ぐんだ顔で、キリカがまっすぐ俺を見つめる。

 

「アタシも、もっと強くなるから。この力を、ちゃんと使えるように……あんたばかりに辛い思いをさせない。だから……」

 

 一緒に、戦っていこう。

 キリカは、そう言ってくれた。

 

「もう『追放する』なんて、バカなこと言わないから……あんたの覚悟も、苦しみも一緒に背負うから……だから、泣かないで」

「……ありがとう、キリカ」

 

 キリカの優しい手つきを感じながら、俺は星空を見上げた。

 天に昇っていた無数の魂……彼ら彼女らの無念を晴らすためにも、探していこう。

 この残酷過ぎる世界で、俺にできることを、頼もしい仲間たちと一緒に。

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