【悲報】ビビリの俺、ホラー漫画に転生してしまう   作:青ヤギ

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過去編③キリカとの出会い【後編】

 

 

   * * *

 

 

「……うっ」

 

 呻き声を上げながら、ダイキは意識を起こした。

 自分が冷たい床に倒れ伏していることに気づく。

 

(確か俺は……廃病院の中に引きずり込まれて……)

 

 激しい目眩を覚えながらも、何とか起き上がる。

 

(いったい、あの後どうなったんだ?)

 

 一緒に引きずり込まれた配信者の女性は無事なのだろうか?

 呼びかけようにも、声がうまく出せなかった。

 いまだにぼやける視界。

 ダイキは空中に手を伸ばして、手探りで周囲を確認しようとする。

 すると……。

 

 むにゅ。

 瑞々しく張りのある豊満な感触を鷲掴んだ。

 

「え?」

「……んっ。いったい、何が……え?」

 

 視界が徐々に明瞭になっていく。

 ダイキの傍には、ちょうど気絶から目覚めたキリカがいた。

 ダイキの手は、キリカのスポーツウェアの上から主張する豊満な乳房を握りしめていた。

 カァっとキリカの顔面が真っ赤に染まり、

 

「いやあああああああ!!」

「ぐべらぁ!」

 

 見事な蹴りがダイキに炸裂した。

 

 

   * * *

 

 

「最低最低最低! 女の子の寝込みを襲うなんて! 痴漢! 変態!」

「すみませんすみませんすみません」

 

 涙目のキリカは両腕で乳房を庇うように隠しながら、かれこれ数分ほど土下座をして謝罪を繰り返すダイキの頭をゲシゲシと踏んづけていた。

 

「ふぅ、ふぅ……いいわ、アクシデントってことにしといてあげる。でも次はないわよ! 黒野大輝! 今後はあんたは要注意人物のひとりとして警戒していくからね! あと、アタシからは二メートルくらい距離を置きなさい!」

「お、仰せのままに……」

 

 ようやくキリカが落ち着いたところで、二人は現状を把握すべく周囲を確認する。

 不気味なほどの静けさに満ちた、寂れた空間だった。

 目が暗闇になれてくると、無数にある部屋の扉や放置された医療機器が見えた。

 

「……やっぱり、廃病院の中に入っちまったのか俺たち」

「……そのようね」

 

 キリカがリュックから懐中電灯を取り出し、明かりを点ける。

 

「白鐘さんと配信者の女の人も引きずり込まれたはずだけど……白鐘さん! 近くにいるなら返事して!」

 

 呼びかけに応える声はなかった。

 

「……黒野君。白鐘さんに連絡できる?」

「お、おう……いや、ダメだ。電波が切れてる……」

「そう……どうやらアタシたちは彼女たちと分断されてしまったみたいね」

「いったい、どうして? 引きずり込まれたタイミングはバラバラだったのに……」

「……引きずり込まれる瞬間、白鐘さんが言霊で何かを発していたのを聞いた気がするわ。たぶん、彼女のおかげで助かったみたいね。あのままだったら、こことは別の場所に連れて行かれていたのかもしれないわ」

 

 キリカの言葉に、ダイキはゾクリと肌が粟立った。

 

「とにかく、アタシは白鐘さんたちを探すわ。黒野君、あなたはすぐに脱出しなさい」

「……脱出ってどこから?」

「窓から出るなりしなさい。安心して。こんなこともあろうかとロープを持ってきたから、ここが最上階でも脱出することは……」

「いや……その窓も、どこにあるんだ?」

「え?」

 

 ダイキの発言で、キリカは懐中電灯をあちこちにかざした。

 ……無かった。外に出られそうな窓が、ひとつも無かった。

 いくつかの病室の中に入ってみたが、どの部屋にも窓は無かった。

 ……よく見ると、壁のあちこちが不自然に歪曲し、出口という出口を塞いでいる。

 

「これは──『異界化』!? なんてこと……ここまで建物が変異を起こしているのに、『機関』はずっと放置していたの? どうかしているわ!」

 

 キリカは冷や汗を掻きながら『機関』の杜撰な対応に苛立つ。

 

(『異界化』……確か、原作でも言及されてたな)

 

 転生者であるダイキはうろ覚えな記憶から原作知識を捻り出す。

 原作『銀色の月のルカ』によれば、『異界化』とはその建物自体がひとつの独立した世界……一種の固有空間になる怪現象のことを指す。

 外界の物理法則を無視して、あらゆる変異を起こし、あたかも生き物のように成長していく……そう記憶していた。

 

「よほど強力な地縛霊がいるか、大量の情念が無ければ滅多に発生しないのに……まずいわね。黒野君、予定変更よ。アタシから離れないで。ここはもう別世界よ。何が起きるか、わかったものじゃないわ」

 

 ダイキと距離を詰め、キリカは周囲を警戒する。

 ダイキも固唾を呑んで、意識を研ぎ澄ます。

 

(何が起きるかわからない……確かに、さっき俺を引きずり込んだ黒い腕……あれは原作にはなかった展開だ。ひょっとして、俺の行動のせいか?)

 

 ダイキが配信者の女性の侵入を止めたがために、廃病院そのものが人間を引きずり込むというイレギュラーが発生した。

 ダイキのちょっとした行動ですでに原作と異なる展開になってしまっている。

 ……実際、こうしてキリカと行動を共にするのも、本来はルカでなくてはならないはずなのだ。

 

(まずいぞ。このままじゃ、俺の持ってる原作知識が役立つかわからない。取り返しのつかないことになる前に、何とかしないと……)

 

 魔窟に閉じ込められたことへの恐怖。

 そして原作の展開が崩壊することへの焦りで、ダイキは顔を青白くさせる。

 

「白鐘さんを探して合流しましょう。『機関』からの支援もいつ来るかわからないし」

「あ、ああ」

 

 そうだ。いまは一刻も早くルカと合流し、無事を確認しなければならない。

 たとえこの先、どれだけ原作とは異なる展開が起きたとしても、ハッキリしていることはひとつ。

 

 ……この廃病院の怪異は、キリカがいなければ倒せない。

 ゆえにルカをひとりにするのは危険だ。歴戦錬磨の霊能力者であるルカですら危機に陥る化け物……それがこの廃病院の怪なのだ。

 

「それにしても、凄い瘴気……白鐘さんの霊力を追跡したいのに、感じ取れないわ」

 

 瘴気……どうやら霊能力者にしか感じ取れない淀んだ空気が充満しているようだった。

 ダイキにわからないが、しかし心なしか息苦しさを感じた。

 

「手当たり次第に探していくしかないわね。行くわよ黒野君……って、ちょっと!? いくら傍から離れるなって言ったからって手を繋いでこないでよ!?」

「え? いや、俺そんなことしてないぞ?」

「じゃあ誰よ! この手、は……」

 

 キリカは己の発言で血の気が引いていく。

 ダイキも恐る恐るキリカの手の先を見つめる。

 

 女の子がいた。

 小さな女の子が、キリカの手を嬉しそうに握っていた。

 

「……新しいお友達?」

 

 女の子は無邪気な声色で尋ねてきた。

 

「あなたたちは、どんな姿にされるのかなァ?」

 

 満面の笑みを浮かべる女の子の顔が……縦に裂けた。

 まるで果実の皮を剥くように、パックリと赤々しい肉が露出する。

 かち割れた顔面の中に、いくつもの口があった。

 目の位置に。鼻の位置に。頬の位置に。顎の位置に。

 その口すべてが白い歯を剥き出しにして、パクパクと蠢いている。

 

「わたしはね、口をいっぱい付けられたの!」

「いろんな場所からお話できるの!」

「ひとりで大合唱ができるのよ!」

「あなたたちも同じになる?」

 

 キャハハハハと口から一斉に笑い声が起こった。

 絶叫を上げながらダイキとキリカは走った。

 

「何よ!? 何なのよアレ!?」

「悪霊に決まってるだろおおお!?」

「そんなのわかってるわよ! でもアレは……アレは()()()()()()()()()()()じゃない! どんなことをすれば、あんな化け物が生まれるのよ! この病院はいったい……」

「うわっ!」

「黒野君!?」

「だ、大丈夫だ。ちょっと転んだだけ、すぐに立ち上が……」

 

 立ち上がれなかった。

 ダイキの足首に、何かが巻き付いていた。

 紐のようなもの……否、それは触手だった。

 

「ウ、ウゥ……ウゥゥウウゥ……」

 

 廊下の曲がり角から、何か大きな影が現れる。

 肉塊だった。人間を何人も縫い合わせてひとつにしたような肉塊が、呻き声を上げながらズルリと姿を見せる。

 

「ツナゲナイデ……モウ、ツナゲナイデ……」

「ワタシハ、ワタシ?」

「アノ腕、ボクノ?」

「ヤメテ……勝手ニ、動カナイデ……」

「消エチャウ。コレ以上ハ、自分ガ、自分ジャナクナル」

「モドシテ……モドシテ……」

「憎イ……一個ノ体ヲ持ッタ、オ前ガ、羨マシイ……」

 

 無数の顔と目が、ダイキを睨む。

 肉塊から無数の腕が生えてきて、ダイキに伸びる。

 

 ──バラバラに、してやる……。

 

「ひっ、ひぃ……!」

 

 声にならない悲鳴がダイキから上がる。

 死を覚悟をしたその瞬間、

 

「──神木刀よ。我が霊力を増幅させ給え!」

 

 青白い光が一閃される。

 足に巻き付いていたものが切断され、ダイキは自由を取り戻す。

 

「ハァ!」

 

 立て続けに衝撃波が起こる。

 肉塊に切り傷が生じ、おぞましい悲鳴が上がったかと思うと、うっすらと消滅していく。

 

「……良かった。腕は鈍ってないようね」

「あ、藍神さん」

 

 ダイキの前に、木刀を握ったキリカが立つ。

 木刀の刀身は淡い光で覆われ、ジジジと稲妻が走ったかのような音が鳴っていた。

 

「立って! 早く逃げるわよ!」

「あ、ああ!」

 

 キリカに手を引かれ、再び走り出す。

 

(藍神キリカ……何だよ、全然戦えるじゃないか!)

 

 ダイキはキリカの戦闘力を直に見て、その凄まじい剣技に驚いていた。

 作中で散々『最弱』だの『無能』だと言われていた彼女だが、とてもそうは思えない。

 むしろ身体能力なら、ダイキの師である紫波家の面々にも引けを取らないのではないかとすら感じた。

 

「……気配は遠ざかったわ。とりあえず大丈夫そうね」

 

 ひとまず危機から逃げきったことで、二人は走り止まり、ひと息吐いた。

 

「藍神さん! すげえじゃねえかあんた! あんな化け物を一撃で倒せるなんて!」

「ハァ? 倒せてないわよ! 負傷させて追い払っただけよ! 除霊できてない時点で霊能力者としては半人前よ!」

「そうなのか? でも、助かったぜ。藍神さんがいなければどうなっていたか……」

「……お礼はここを無事に出られてから言いなさい。正直、守り切れる自信はないから」

「でも、その木刀があれば何とかなるんじゃないのか? 藍神さんの霊装だろ、ソレ」

「霊装について知ってるのね。残念だけど、この『神木刀』はあくまで訓練用の霊装よ。一時的に霊力を増幅させる効果しか持っていないわ。白鐘さんの霊装みたいな特殊機能は持ってないから、期待しないことね」

 

 キリカの言葉で、ダイキはぼやけていた記憶を再び取り戻す。

 

(霊力を増幅させる『神木刀』……確か藍神家の娘が修行の際に使う霊装だったっけ)

 

 訓練用である以上、確かに実戦向きの霊装ではない。

 ……だが霊力に乏しいキリカにとって、力を増幅させるその神木刀こそが実戦向きの霊装なのだった。

 霊力を帯びた神木刀は、真剣とほぼ同等の切れ味を誇っていた。

 除霊はできなかったようだが、退けることができただけでも充分に胸を張っていいと、ダイキは思った。

 事実こうして、ひとつの命が救われているのだから。

 

「……藍神さんが一緒にいてくれて良かった」

「ハ、ハァ!?」

「俺ひとりだけだったら、とっくにいまので死んでた。心強いよ」

「や、やめてよ! そんなこと言われても……アタシなんか、低級の悪霊と戦うので精一杯なんだから! アタシなんかより姉さんたちや妹たちのほうがずっと優秀だし、白鐘さんと比べたら天地の差が……」

「俺はその低級の悪霊とすら戦えないぜ? それに他の霊能力者がどうとか関係ないよ。いま俺をこうして助けてくれたのは藍神さんなんだから。君は命の恩人だ。本当にありがとう」

「な、ななな……!」

 

 慣れない賛辞を貰ったせいか、キリカはリンゴのように紅潮して慌てふためいた。

 

「……本当に変な人ね、あなた。『アタシが希望』とかどうとか、ワケのわからないこと言うし」

「あ……」

 

 そういえば、そんなことも口走ったなとダイキは頭を掻いた。

 今回のキーパーソンにしてフィニッシャーであるキリカが原作通り部室に現れたことで、心底安堵し、つい衝動的に感謝してしまったのである。

 

「……ねえ、あなたもしかして未来でも見えるの? この先、どうなるかわかってるとか……」

「……そんな力はないよ。ただ──神様にちょっとだけ知識を貰っただけだよ。『藍神キリカは、たくさんの人を救う希望の象徴だ』って」

 

 嘘は言っていない。

 前世の知識は、ある意味で神によるギフトのようなものだからだ。

 藍神キリカは、このホラー漫画の世界で希望の象徴となる。

 ダイキはそれを知っている。

 

「……ぷっ。何よ、ソレ?」

 

 ダイキの突拍子もない発言に、キリカは思わず吹き出した。

 冗談だと受け取ったらしい。

 本当のことを話してもきっと信じてもらえないだろうし、何より『君たちは物語の登場人物だ』と言われて良い気分にはならないだろう。

 なのでダイキは、それ以上は口を閉ざした。

 

「……どこの神様か知らないけれど、随分と意地の悪い神様ね。こんな落ちこぼれのアタシが希望だなんて……そんなの、なれるわけないのに。生まれた家の神様にすら見放されている、このアタシが……」

 

 乾いた笑みを浮かべて、キリカは顔を俯かせた。

 

「……ねえ? あなたは、どうして裏の世界に関わるの?」

「え?」

「教室での様子を見るに、あなた相当なビビリでしょ? そんなに怖がりなのに、どうしてわざわざ自分から顔を突っ込むのよ?」

 

 キリカの目は真剣だった。

 生半可な解答は許されないものを感じた。

 ダイキはしばし言葉を選んでから、口を開いた。

 

「……怖いさ。本当なら怪異とは無関係な場所で平和に暮らしたいさ」

「だったら、どうして……」

「逃げ場はない、ってわかったからさ。どんなに逃げても、この世界に怪異がいる限り安息の場所はない。だったら……真っ向から立ち向かってやるって決めたんだ。ルカと一緒に」

「え?」

 

 ダイキの答えを聞いて、キリカは目を呆然と見開く。

 

「怖いけど、すごくイヤだけど……でも大切な人たちが怪異の犠牲になることのほうが、一番怖いから。ルカはいつだって死に近い場所にいる。ルカのことは信頼してるけど……でも絶対はない。いつか怪異の犠牲になるかもしれない。霊力のない俺じゃ、力になれることは滅多にないけど……それでも支えていこうって決めたんだ。俺にできる範囲で、精一杯に。そして何より……許せないんだよ。理不尽に人の命を弄ぶ怪異が」

「──ぁ」

 

 言葉を成さない吐息がキリカからこぼれた。

 霊力を持たず、人一倍臆病でありながら、数々の修羅場を乗り越えてきた少年から語られる言葉の重み。それを、キリカは感じ取った。

 

「……そう。そうよね。怪異が、許せないわよね……ええ、本当にあなたの言うとおりだわ……」

 

 キリカはいまにも泣きそうな声色で身を抱きしめた。

 

「あなたも黄瀬さんの言うように、自分の心に正直になっているのね」

 

 キリカは眩しいものを見るように、複雑な感情のこもった眼差しをダイキに向けた。

 

「……無駄話に付き合わせてごめんなさい。こんなことしてる場合じゃなかったわね。生きましょう。あなたの大切な人を探しに」

 

 キリカとダイキは、再びルカの捜索に向かった。

 

 

   * * *

 

 

「藍神さん、地下に行こう。たぶん、ルカはそこにいる」

「それも神様に教えて貰った知識?」

「自由に受け取ってくれればいいよ」

「そう……信じるわ。正直、アタシも感じていたの。──この廃病院のおぞましい瘴気は、地下から来ているって」

 

 ダイキとキリカは慎重に廃病院の最下層を目指した。

 やがて、地下に繋がると思われる階段へ辿り着く。

 明かりが失われた廃病院……それにも関わらず、地下に繋がるその階段は、毒々しく赤い光を発していた。

 歓迎するよ? と客人を招くように。

 

「強い霊力を感じるわ。一方は白鐘さん……もう一方は……きっとこの廃病院の地縛霊。──いるわ、この下に白鐘さんと、諸悪の根源が」

 

 キリカは強張った顔をダイキに向けた。

 

「あなたはここに残って……って言っても、聞かないんでしょうね」

「当たり前だ。ここまで来たら、一緒に行く。配信者の女の人も助けないといけないしな。ひとりを担いで逃げるだけなら、俺でもできる。大丈夫、足手まといにならないって約束するよ」

 

 ダイキの言葉が根拠のない過信ではなく、経験則から来るものだと理解したキリカは静かに頷いた。

 どちらにせよ、この廃病院に安全な場所などない。

 団結して行動したほうが、生存率は上がるだろう。

 二人は恐る恐る、地下へ続く階段に一歩、足を踏み入れた。

 

 ……生ぬるいプールに浸かるような感触がした。

 浸水などしていない。それにも関わらず、重々しい泥濘の中に落ちてしまったかのような、薄気味の悪い感覚が付きまとった。

 地下の空気はより一層、淀んでいる。

 まだ上階の空気がマシだと思ってしまうほどに、地下は濃密な瘴気を帯びている。

 建物の中というよりも、何か巨大な生き物の腹の中を歩いているような気がした。

 

 ダイキは目眩がした。

 ただ立っているだけで正気を失ってしまいそうだった。

 

「うぐっ……」

 

 キリカが口元を抑え、壁に向かって蹲る。

 

「藍神さん、大丈夫か?」

「ごめんなさい、こっち見ないで……見苦しいものを見せちゃうから……ごほっ!」

 

 キリカは咳き込みながら胃液を吐き出した。

 霊力を持たないダイキですら目眩を覚えるほどの瘴気だ。霊能力者のキリカが平気でいられるわけがない。

 

 キリカの背中をさすってあげていると……激しい爆音が轟いた。

 次いで、グシャっと音を立てて、何かがダイキとキリカの横に墜落する。

 ルカだった。

 最初は、水浸しになっているのだと思った。

 だが少女の体を濡らす液体が赤黒いことに気づいたとき、ダイキの中で激情が弾けた。

 

「ルカあああああああ!!!」

 

 全身を血で染めたルカのもとに駆け寄り、ダイキは必死の形相で抱き起こす。

 辛うじてまだ息はあった。

 だが、それも風前の灯火のように感じた。

 

「……ダイ、キ……ごめん……私……ダメ、だった……」

 

 ひゅーひゅーとか細い息を漏らしながら、ルカは血で染まった瞳で少年を見やる。

 

「お願い……逃げて……この怪異は……私の手に、負えない……」

 

 切に告げて、ルカは意識を手放した。

 

「ああ……あああああっ!!」

 

 ダイキは絶望の雄叫びを上げた。

 自分は知っていたはずだ。ルカがこの廃病院の怪に追い詰められることを。

 ルカをひとりにしてはいけなかった。いち早く、合流しなければならなかったはずだ。

 なのに……。

 

(俺は……何を、やっているんだ!? 何のためにここに来たんだ!?)

 

 ダイキは己を責めた。

 せっかくの原作知識をまったく活かせていない無能ぶりを嘆いた。

 良かれと思って行動したことが、すべて裏目に出てしまった。

 防げなかった。結局ルカを原作通り負傷させてしまった。

 

「く、黒野君……」

 

 キリカの震える声が耳に届く。

 

「……こっちへ、ゆっくり来なさい。向こうを、見ては、ダメ……」

 

 キリカの言葉を拍子にダイキは顔を上げた。

 地下室の最奥……ルカの体が飛んできた先の、扉が開け放たれていた。

 

 ……ダイキは知っていた。

 この廃病院の地下にあるおぞましいものを。

 原作漫画を読んだときも、あまりのおぞましさに何度も失神しかけた。

 漫画を薦めた親友のヤッちゃんですら、その回に限っては眉をしかめていた。

 

 事前知識さえあれば人間には耐性がつくのだろうか?

 ……否、そんなことは断じてない。

 平面でモノクロの漫画と異なり、色づいた三次元の現実は、より一層の狂気と恐怖を交えてダイキの神経を襲った。

 

 病院は「白」をイメージとする場所だ。

 だが、その一室はすべてが「赤」だった。

 地獄という表現も生ぬるい。

 悪魔が考え得る限りの「絶望」を瓶に詰め込んだかのような空間がそこにあった。

 

 ホルマリン漬けにされた脳みそがあった。

 脳みそには無数の眼球がついていた。

 眼球はギョロリと一斉に動いて、睨み付けてきた。

 五体満足の人間が羨むように……あるいは、助けを求めるように。

 

 無数の臓物を触手のように繋げられた肉塊があった。

 もはや人のカタチの面影はなく、宇宙から飛来した生物のように、ウネウネと臓物を動かしている。

 

 頭だけが異様に肥大化した人体があった。

 剥き出しにされた頭部には、いくつもの脳みそが埋め込まれている。

 重そうな頭部には電極が差し込まれており、「うーうー……」と苦しそうに呻き声を上げている。

 

 体中に眼球が埋め込まれた人体があった。

 等間隔に瞬きを繰り返し、そのすべてが涙を流している。

 人体は涙でびしょ濡れだった。

 大量の眼球のせいで、見たくもない体のあちこちが見えてしまう。その絶望を嘆くように。

 

「人間とは脳だけでも生きていける生物なのか? 眼球を直接埋め込んでも、視神経は残り続けるのか? 知りたい、知りたい」

 

 不気味な声がした。

 部屋の最奥で、何か大きなものが蠢いていた。

 

「人間の触覚とはどこまで拡張できるのか? 腕や足を追加で付け足しても、それを動かせるのか? 動かせるとしたら、他の動物が持つ器官でも同じなのか? 知りたい、知りたい」

 

 正気を失った声だった。

 まるで加減を知らない子どものように、心底楽しげに、そして残酷に、歌うように嗤っていた。

 

「脳みそを増やせば人間の思考力は上がるのか? 人の身でありながらコンピューター並みの演算能力を得られるのではないか? 知りたい、知りたい」

 

 大きな生き物が言葉を話している。

 膨れ上がる欲望を抑えきれず、そのまま肥大化してしまったかのように。

 

「人間の視神経はどこまで広げられるのか。視界三百六十度の光景とはどんなものか。知りたい、知りたい。──全部、知りたい!」

 

 巨大な生首だった。

 黒々とした皮膚をしていて、首から先はない。

 まるで樹木が根を下ろすように、首から先はドクンドクンと脈動する触手が床に広がっていた。

 

「素晴らしい。この姿は素晴らしいよ。人の身を超えた存在となったことで、寿命を気にすることもなく、無限に人体実験ができるのだから! 君たちには感謝しているよ、モルモット君たち! ありがとう! 私を呪い殺してくれて! ありがとう! 私をこの土地に縛り付けてくれて! 私はこの上なく幸せだよ!」

 

 生首が嗤う。歪に、邪悪に、残虐に。

 嗤い声と共に、脳裏に幻影が映る。

 それはこの地下室で行われた凄惨な人体実験の数々。

 医院長の男は知識欲の赴くままに患者の体を切り刻み、新たな器官を付け加えて狂気の笑みを浮かべている。

 やがて医院長の男は患者の怨霊たちによって呪い殺されるが……尽きることの無い欲望は男をより凶悪な真の化け物へと変えた。いまや、この土地に住まう怨霊を支配する主と化した。

 訪れる生者を引きずり込み、いま尚、人体実験を繰り返す化け物。

 それこそが廃病院の怪の正体。

 

 幻影が消え、ダイキは胃の中のものを吐き出した。

 

(コイツが……コイツがルカを!)

 

 ルカを傷つけた怨敵。

 許せない。この手で始末してやりたい。

 ダイキの中で怒りが燃え上がる……はずだったが、彼の生存本能が告げたのは「報復」ではなく「逃走」だった。

 勝ち目は無い。逃げるしかない。全滅するぞ。

 悔しさと情けなさでダイキは歯噛みする。

 こうして対峙している時点で理解してしまった。

 ここで、自分ができることは何もないのだと。

 

「君たちも歓迎しよう! 新たな実験のモルモットとして!」

 

 生首の開いた口からモゾモゾと虫のようなものが這い出る。

 あらゆる手術道具がついた触手だった。

 診察台の上に、配信者の女性が横たわっているのが見えた。

 触手は彼女の体を切り刻むことをワクワクするように蠢いている。

 助けなければ。そう思っているのに、足が動かない。

 総身が恐怖で支配されている事実に、ダイキは涙が出るほどに己を恥じた。

 そんなダイキの前に、キリカの背中が立ちはだかった。

 

「白鐘さんを背負って逃げなさい。アタシが囮になるから」

「え?」

「アタシに任せて逃げなさいって言ってるの。大丈夫、あの女の人には傷ひとつ付けさせない。機関からの支援が到着するまで、何とか持ちこたえてみせるわ」

 

 覚悟を固めた顔で、キリカは神木刀を構える。

 

「アタシ、霊能力者としては落ちこぼれだけど、体力だけは自信があるから。何とかうまいこと生き延びてみせる。だから、気にせず行って」

「で、でも!」

「行きなさいってば! 白鐘さんは、あなたにとって大切な人なんでしょ!? いま彼女を守れるのはあなたしかいないの!」

「っ!?」

「怪異が許せないって言ったわよね? ええ、アタシも同じよ。こんな風に人間を弄ぶコイツが許せない。これ以上、理不尽な犠牲が増えるのは耐えられない。だから……アタシも自分の心に従うわ」

 

 迷いを断ち切った少女の姿が、そこにはあった。

 

「アタシでも、救える命があるかもしれない……だったら、アタシはもう逃げない。落ちこぼれってバカにされようと、『()()()()()()()()()()()』って罵られても……アタシは自分にできることをする。だって……アタシはずっと怒っていたんだから! 人の命を軽々と奪っていく化け物たちに!」

 

 キリカはやっと己の気持ちを自覚した。

 ずっと、ずっと、許せなかった。

 無力な自分以上に、怪異が蔓延る絶望的な世界そのものが。

 どれだけ願ったことだろう。

 人々が怪異の恐怖に怯えることなく、安心して暮らせる世界になったらと。

 それを実現するための力を使えないことが、ずっと腹立たしかった。

 だが、ようやく悟る。

 力の有無は関係ない。

 ただ許せない。ただ救いたい。それだけで良かったのだと。

 それを、オカ研の皆が教えてくれた。

 たとえ、この身を犠牲にしてでも……いまここにある命を、キリカは守りたかった。

 

「あなたたちに感謝するわ。あなたたちに出会えて、やっと自分の本当の気持ちに気づけた。だから……悔いはないわ」

「藍神さん……君は……」

「さあ、早く行って! ……お願い。アタシにも、何かを守らせてよ」

「……ごめん!」

 

 ダイキはルカを背負って退散した。

 心の中で、何度も同じことを反復させながら。

 

 彼女なら大丈夫だ。だって『()()()』があるのだから。それを目覚めさせれば、きっと……。

 

 ダイキが去ると、キリカは安堵したように微笑んだ。

 すぐに顔つきを変え、触手を伸ばす巨大な生首と向き合う。

 

「さあ、こっちよ! 実験をするならまずアタシからにしなさい!」

「ほう! 自らご所望するかね! では遠慮なくその健康的な肉体を弄くり回させてもらおうか! ごぱぁ!」

 

 無数の触手がキリカに襲いかかる。

 変則的になだれ込む触手の中をキリカは見事な回避で躱していく。

 少しでも時間を稼ぐ。

 彼らが逃げ切れるまで。自分の命は、そのために使ってもいい。

 何も残せなかった人生だったが……構わない。

 きっと、彼らが代わりに自分の望みを実現してくれるはずだから。

 

 特別な力が無くても、怪異から人々を救う……そんな彼らの活動を守りたい。

 

「あ……」

 

 鋭利な刃物がついた触手が迫る。

 直感で理解する。

 ダメだ、これは躱せない。

 ここまでのようだ。

 死が迫り来る中、キリカの心は不思議と穏やかだった。

 

(アタシが死んだら……レイカも、少しは悲しんでくれるかな?)

 

 キリカは瞳を閉じる。

 最期まで思い浮かべるのは、双子の姉のこと……かに思えたが、次に浮かんできたのは、なぜか黒髪の少年だった。

 

『……藍神さんが一緒にいてくれて良かった』

『君は命の恩人だ。本当にありがとう』

 

 ちょっとしたやり取りが、キリカの心に深く刻まれていた。

 それは、きっと……。

 

(……嬉しかったな。あんな風に、感謝されるの、初めてだったから……)

 

 終わりが訪れる。

 だが……キリカの体に痛みは走らなかった。

 パシャッと頬に生温かい飛沫がかかっただけ。

 

「え?」

 

 キリカは瞳を開ける。

 逃げたはずのダイキが目の前にいた。

 その腹部に……触手が貫かれていた。

 

「どう、して……」

「……やっぱり、ダメだ。俺、向いてないわ、裏方に」

 

 口から血を滴らせながら、ダイキは言う。

 

「わからないじゃないか。なにもかも、原作通りにいくかだなんて……もうコリゴリだ。わざと危険を放置したり、起こるかもわからない奇跡を期待したり……そんな自分が、やっぱり許せないよ」

 

 奇妙なことを口ずさみながら、ダイキは倒れ伏す。

 

「ごめん……藍神さん……ルカを、頼む……」

「あ……ああっ」

 

 目の前の現実を受け入れられず、キリカは打ち震える。

 いまさっきまで、彼と話していたのに。

 いまさっきまで、彼の言葉に救われたのに。

 いまさっきまで……生きていたのに!

 

「おやおや、君も自らモルモットになることをご所望かい? うーん、これはいままでに見たことの無いほどに素晴らしい肉体だ!」

 

 触手を蠢かしながら、生首が歓喜に震える。

 

「どれどれ! まずは彼の体でいろいろ試し……」

 

 青白い一閃が触手を断ち斬った。

 

「っ!?」

 

 斬り離された触手は、青白く光る粒子となって散っていく。

 生首は混乱した。

 何だ? いまの一瞬で何が起きた?

 

「……それ以上、彼に触るな。穢らわしい」

 

 ダイキを守るように、キリカが前に出る。

 

「いい加減にしろ……いったい、どれだけ命を弄べば気が済むの……お前たちは……どうしてそこまで残酷になれる!?」

 

 少女が激昂する。

 握る木刀が、感情に合わせるようにバチバチと霊力の唸りを上げる。

 一度は謎の脅威を感じた生首だったが、キリカの貧弱な霊力を感じ取って、すぐに余裕を取り戻す。

 なんという微少な霊力か。この程度の霊能力者に怒りをぶつけられたところで、何の問題も……。

 違和感は、すぐに訪れた。

 

「許せない……お前だけは、絶対に!」

「っ!?」

 

 少女の髪が変色していく。

 紺青色の長髪が、光を放つ青白い色に。

 変わったのは髪の色だけではなかった。

 彼女の周囲に……霊力の奔流が起こる。

 

「……守るんだ。アタシが。もう、誰も……傷つけさせない!」

「なっ!?」

 

 地響きが起こる。

 キリカの周囲だけ、まるで稲妻がほとばしるように、凄まじい霊力が生じる。

 生首は打ち震える。

 どういうことだ? さっきまで貧弱だった霊力がまるで炎が燃え上がるように増えていくではないか。

 増える。まだ増える。……いくらなんでも、多すぎる!

 地下室が瞬く間に光で満たされるほどの霊力の輝き。

 

 ……感じる。怪異としての本能が告げる。

 己と遙かに格を異にする、強大な存在が、いまここに降臨したことを。

 

「……数年ぶりじゃな。やっと儂を受け入れてくれたか、キリカよ」

 

 少女らしからぬ古風な口調で、キリカは言葉を発する。

 霊力どころか、その気配も、貫禄すらも、少女は一変していた。

 まるで、歴戦の戦士のような……。

 

「……可哀相にのう。『異界化』するほどまでに強い怨念が漂うておるではないか。じゃが安心せい。儂がいま楽にしてやるからのう」

 

 少女の姿をした何者かは、木刀を天にかざす。

 淡い光を発していた刀身に、凄まじい霊力が集まっていく。

 もはや刀身が見えなくなるほどの激しい輝き。

 高圧の霊力で構成されたソレは、バチバチと稲妻を放ちながら、元の刀身よりも長く、太く、巨大化していく。

 それは、まさに光の刀剣だった。

 

 刀剣から光の波動が放たれる。

 

「ギギャアアアアアアア!!!?」

 

 焼き付くような激痛に生首は悲鳴を上げる。

 これは……霊力の余波。

 ただの余波だけで、こんなにも苦しみを感じるとは、いったいどういうことなのか!

 

 一方、苦痛に悶える生首と違い、人体実験で体を弄くられた霊たちは、次々と光に包まれ静かに消滅していく。

 ようやく解放されることを感謝するように。

 

「そうじゃ。もう苦しむ必要はない。安らかに眠るのじゃ……」

 

 狂った医者によって変貌させられた憐れな怨霊たちを、彼女は慈悲深き顔で見送っていく。

 一瞬にして起きた奇跡。

 霊力の余波だけで怨霊を浄化し、成仏させるなど、上位の霊能力者でも不可能だ。

 それを、霊力に乏しいはずの藍神キリカがおこなった。

 異様な光景を前に、生首は恐怖に震える。

 

「な、何なんだ貴様は!? いったい何者だ!?」

「儂か? 儂はこの可愛い子孫の先祖じゃよ」

「先祖、だと?」

「儂らの世界ではそういった存在をこう呼ぶらしい──『守護霊』とな」

 

 守護霊。

 人の身で神域へと至った、霊の最上位。

 生前のように人格を保ちながら、その強大な力で子孫を守護する存在……。

 魂としての『格』が人智を越えた次元に位置する、超越存在そのもの。

 

 先祖霊の加護。

 それこそが『歴代最弱の巫女』と称された藍神キリカが唯一持つ特異能力。

 しかも、その先祖霊は……。

 

「終わりじゃ悪鬼。報いを受けるときが来たぞ」

 

 かつて『歴代最強』と謳われた巫女がいた。

 もしも彼女に千年の寿命があれば、この国に存在する怪異を殲滅できたのではないか?

 誇張抜きに、そう言えるほどに次元違いの強さを誇っていた退魔巫女……その名は。 

 

「藍神家三代目当主──藍神凪紗(なぎさ)、参る」

 

 たった一度だけ、キリカ自身に起きた奇跡。

 友人の少女を邪霊から救うため、キリカは秘められた力を目覚めさせた。

 歴代最強の先祖を守護霊として憑依させ、見事に怪異を滅した。

 そのときの力が、数年の時を経て、いまここに解き放たれる。

 

 ──剣舞一式・椿の舞『流閃一刀(りゅうせんいっとう)

 

 神速の勢いで繰り出される、踏み込みの斬撃。

 ……事はそれだけで終わった。

 稲妻そのものが過ぎ去ったかのような斬撃は、獣のごとき唸りを上げて巨大な生首の全体を薙ぎ払う。

 

(き、消えるだと? 私が、たった一撃で! これが『守護霊』の力……こんなの、次元が違うどころの話じゃッ!)

 

 悲鳴を上げる間もなく、人の命を弄び続けた廃病院の怪は、霊力の光に飲み込まれていった。

 

 凄まじい斬撃の余波は、建物の外にも影響を与えた。

 

「きゃっ!? な、何!? 何が起きたの!?」

「あれは……」

 

 廃病院の外でずっと待機していたレンとスズナは見た。

 廃病院の天井を貫いて、夜空に伸びていく光の柱を。

 轟音を鳴らし、星の果てまで昇っていく霊力の奔流。

 

「す、凄い……何なの、あのバカデカイ霊力の塊? ルカ、じゃないよね?」

「まさか……藍神さんが?」

 

 夜を昼のように明るくするほどの光を、レンとスズナはただ呆然と見つめていた。

 やがて光の粒子が雪のように舞い落ちて、陰鬱な廃病院を包み込んでいく。

 その光景にレンとスズナは思わず見惚れた。

 

「綺麗……」

「なんて、力強く、温かく、優しい光……これが、藍神さんの力……」

 

 霊力を持たない少女たちにも感じ取れた。

 その光が、邪悪なものを祓い、穢れなきものへと浄化していく力であることを。

 廃病院の怪は倒された。

 少女たちはそのことを確信するのだった。

 

 

   * * *

 

 

 キリカは、深い愛に包まれているのを感じた。

 自分の頭を優しく撫でる存在がいる。

 

「よかったのうキリカ。お前にもようやく、仲間ができたんじゃな。真に心を許せる仲間が」

 

 いったい誰だろうか。

 この温もりを自分は知っている。たった一度だけ、感じた……そうだ、確か昔、友達の女の子を助けるときにも……。

 

「どうして儂がお前に宿ったのか、それは儂にもわからん。じゃが、この縁には、きっと意味があるのじゃろう。キリカ、お前が生まれたことにも、もちろん意味がある。だから泣くな。もうお前はひとりではないのだからな」

 

 温もりが離れていく。

 寂しさを感じて、手を伸ばす。

 

「悲しむことはない。儂はいつでもお前を見守っておる。本当はいつでも駆けつけてやりたいが……きっと、それにはお前の心が関わっているのじゃろう。よいかキリカ? 儂はただの力に過ぎん。力を使いこなせるかどうかは、使い手の心次第じゃ。キリカ、お前ならきっと乗り越えられる。なにせお前は──いままでどの巫女も実現できなかった、儂の剣技を唯一使えた、特別な存在なんじゃからな」

「あ……」

 

 特別な存在。

 実家の誰にも言われなかった言葉。

 思わず、涙が出た。

 そうだ。こんな風に、自分を認めてくれる存在がずっと傍にいてくれたことを、キリカは思い出した。

 なのに自分は意地になって、耳を塞いで、ずっと逃げ続けていた。

 自分は無力だと言い訳ばかりをして。

 でも……もうそんなことをする必要はない。

 キリカは決めた。

 一度は目を背けたこの道を、再び歩むことを。

 

「さあ、行っておいで。儂の可愛い子孫よ。新しい世界が、お前を待っておるぞ?」

「……ありがとう、凪紗様」

 

 深い感謝を胸に秘めて、キリカは意識を現実に引き戻した。

 

「……ここは」

 

 目が覚めると、キリカはベッドに横たわっていた。

 

「藍神さん!? 良かった、目が覚めたんだね!?」

「赤嶺さん? ここは……」

「霊能力者専用の病院らしいよ。あの後『機関』の人たちがやってきて、手配してくれたの」

 

 レンから説明を受け、キリカは納得しながら起き上がる。

 そこでハッとした顔でレンに詰め寄った。

 

「白鐘さんと黒野君は!?」

「落ち着いて。二人とも無事だよ。治癒霊術で集中治療を受けて、何とか傷も塞がったって」

「ほ、本当に? 良かった……けど、あんな重傷だったのに。さすが『機関』ね」

「いや、どうやらね。病院に運ばれる前の時点で、ほとんど回復していたらしいんだよ」

「え?」

「『何か凄まじい力が彼らの生命力を呼び覚ました』とか何とか言ってたけど……これって、やっぱり藍神さんのおかげ?」

「……いえ、アタシのご先祖様のおかげよ。本当に、感謝しなくちゃね」

 

 しばらくすると、キリカの病室にルカとスズナがやってきた。

 

「藍神さん、良かった。無事だったんだね」

「それはこっちの台詞よ白鐘さん。もう動いて大丈夫なの?」

「うん。むしろ前よりもずっと元気だよ。藍神さんの『守護霊』様のおかげだね」

「ルカさん? 『守護霊』とはいったい……」

「そこからは、アタシが説明するわ」

 

 スズナの疑問に答えるように、キリカは廃病院で起きたことを語った。

 そして自分が藍神家の落ちこぼれであること。その代わり、最強の先祖の力を引き出せること。

 今回のことは、その『守護霊』である凪紗のおかげなのだということを話した。

 

「……皮肉な話よね。『最弱』と言われたアタシに『最強』の『守護霊』が宿るだなんて。でもそのおかげで、白鐘さんたちを助けられた。アタシ自身は、ただの器に過ぎないから、あんまり偉ぶれないけどね……」

「そんなことありません」

「黄瀬さん? きゃっ!? ちょ、ちょっと何で抱きしめてくるのよ!?」

「藍神さん。あなたがいなければ、ルカさんもダイキさんも、配信者の女性も死んでいたのです……どうか胸を張ってください。どうか感謝させてください。ありがとうございます。あなたのおかげで、スズナの大切な人たちは、救われました」

「──ぁ」

 

 涙を流して深い抱擁をしてくるスズナに、キリカは戸惑いながらも胸が温かくなるような心地がした。

 

「私からもお礼を言わせて藍神さん。ありがとう、助けてくれて。あなたがいなかったら、今回は乗り越えられなかった。誰もが悲しむ最悪の事態になるところだった。……本当に、ありがとう。ダイキの言うとおり、あなたは『希望』だったんだね」

「ぅ──ぁ──」

 

 深く頭を下げるルカを、キリカは当惑した顔で見る。

 自分よりも遙かに優れた霊能力者であるあの白鐘瑠花に、こんなにも感謝される日がくるだなんて思いもしなかった。

 

「あれ? 何で、アタシ……」

 

 気づくと大粒の涙が出ていた。

 そんなキリカの肩に、レンが優しく手を置いた。

 

「……事情は知らないけれど、藍神さんにも、いろいろあったんだよね? ひと言じゃ語りきれないことがたくさん……でも、これだけはわかるよ? 藍神さんは誰かのために命を張れる、優しい人だって。ありがとね? 私のお友達を守ってくれて」

 

 キリカは、生まれて初めて感じた。

 ありのままの自分を受け入れ、認めてもらえることへの安心感を。

 藍神の娘としてではない。学園の委員長としてでもない。

 彼女たちは、藍神キリカというひとりの人間を見てくれている。その在り方を、行動を、讃え、感謝の言葉をくれた。

 それだけのことが、キリカにはどうしようもなく、嬉しかった。

 涙が止まらないほどに。

 

「おーい、みんな~! 藍神さん目が覚めたんだって~? おう、本当だ良かった良かった!」

 

 呑気な顔をして、ダイキが病室に入ってきた。

 

「見てくれ藍神さん! 俺の腹、風穴あいてたのにすっかり塞がってるぜ! 藍神さんの『守護霊』が生命力をくれたおかげとか何とか! マジですげえな藍神さん! おかげで助かったぜ! いや~本当に皆が無事で良か……ぶべらぁ!?」

 

 快活に笑いながら腹を見せてくるダイキに、キリカは拳骨をお見舞いした。

 

「バカバカバカァ! 逃げろって言ったでしょ!? 何で戻ってきたのよ!? 何でアタシを庇ったのよ!? バカバカバカァ! このドアホー!」

「だ、だって……やっぱり放っておけなくて……」

「だからって死んじゃったらどうすんのよ!? というかトラウマにさせる気!? 本当に本当に本当に死んじゃったかと思ったんだからあああああ!!」

「わ、わかった。すみません。俺がバカでした。だから頭シェイクすんのやめて……一応病み上がりなんで……」

 

 涙目でキリカはダイキの胸元を掴み、ブンブンと上下に揺する。

 キリカの額には青筋が浮かんでいる。結果的にこうして全員無事だったからいいものの、危うく少女たちに一生もののトラウマにできるかもしれなかったのだ。キリカが怒るのも無理はなかった。

 そんな悲劇を、この先も起こすわけにはいかない。だからこそ……。

 

「まったく何て危なっかしい人たちなのかしら! この先もこんなことが起きないように……アタシもオカ研に入部するわ!」

「え?」

 

 とつぜんのキリカの言葉に少女たちは驚く。

 

「もうあなたたちの活動に文句を言うことはしないわ! ……それでもあなたたちが夜な夜な廃墟に行くような問題児であることに変わりはないんだからね! よって委員長であるアタシがあなたたちを監視します! 学業に影響が出るような依頼の組み方も禁止! 今後は依頼のスケジューリングはアタシが担当するからね!」

 

 ビシッと指を突きつけて、キリカは宣言をする。

 

「何か文句あるかしら!?」

 

 少女たちは顔を見合わせ、やがてゆっくりと微笑んだ。

 

「良かった! ちょうどスケジュール管理を担当してくれる副部長候補を探してたんだ! 藍神さんがいてくれれば安心だね!」

 

 レンは嬉しそうに手を合わせた。

 

「お仲間が増えて嬉しいです! 歓迎いたします! 共に怪異から人々を守りましょう!」

 

 スズナも快くキリカを迎え入れた。

 あっさりと新部員を受け入れる少女たちの様子に、キリカは若干躊躇った顔を浮かべる。

 

「うっ……か、勘違いしないでよね!? アタシはあくまで自分のやりたいと思うことに従っているだけなんだから! べつにあなたたちが心配だから入部するとか……そんなんじゃないんだからね!?」

「凄い。本物のツンデレ初めて見た」

「誰がツンデレよ!?」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶキリカの手を、ルカがキュッと握ってきた。

 

「し、白鐘さん?」

「ルカでいいよ。あなたがいてくれたら、きっとたくさんの人を救える。私じゃ太刀打ちできない相手でも……これから、よろしくね? キリカ」

「ひゅっ!?」

 

 変な声を上げて、キリカはますます顔を真っ赤にした。

 ルカの直球な言葉に照れたのか、体をモジモジとさせ、しどろもどろと言葉を探す。

 

「あ、あうあう、べつにアタシはあの力を自由に使いこなせてるわけじゃないし、肝心なところで役に立てないかもしれないし、そんなに期待されても……ま、まあ、アタシにできることなら精一杯努力するけど……ごにょごにょ」

「……キリカさん! とっても可愛らしいです!」

「きゃあああ!? だから何で抱きついてくるのよ黄瀬さん!?」

「スズナとお呼びください! 親愛の印として是非ハグをさせてください! さあ、キリカさんもご一緒に! むぎゅうううう~♪」

「ぎにゃああああ!?」

 

 スズナに思いきり抱きつかれて、猫のような声を上げるキリカ。

 そんな様子をルカたちは微笑ましげに見ていた。

 

「これでオカ研も五人──また賑やかになりそうだね♪」

 

 レンは楽しげにウインクをした。

 一癖はあるが、頼もしくも優しい少女の参入を、オカ研の面々は心から歓迎するのだった。

 

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