【悲報】ビビリの俺、ホラー漫画に転生してしまう   作:青ヤギ

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過去編④アイシャとの出会い【後編】

 

 悪魔と対峙する上での鉄則。

 

 ひとつ。悪魔の言葉に耳を傾けてはならない。

 読心術を持つヤツらは、心を揺さぶり、こちらの動揺を誘う言動をしてくるが、それらはすべて無意味な煽りである。

 

 ひとつ。悪魔と交渉してはならない。

 悪魔は一見、理性的な振る舞いを見せるが、その思考は人類が想像する以上に悪逆非道である。たとえ人質を取られて交渉を持ちかけられても、従ってはならない。悪魔が約束を守ることは決してない。

 

 ひとつ。悪魔の器を破壊することを躊躇ってはならない。

 悪魔は物体、または人間を器とすることでこの世に顕現している。可能な限り、器を破壊することなく救出することが望ましいが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

   * * *

 

 

 アイシャが気配を追って辿り着いた場所は、街外れにある廃墟だった。

 不良の溜まり場なのだろう。見るからに柄の悪そうな若者たちが集まり、バイクや酒の空き瓶があちこちに散乱している。

 アイシャほどの美少女がそんな場所に顔を出せば、たちまち彼らの品のない視線を浴びせられ、奥に置かれた小汚いベッドに連れ込まれ、いかがわしいことが行われかねなかっただろうが……若者たちは一様に白目を剥いて、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 意識を奪われ、操られていることがひと目でわかった。

 

 ──廃墟の中央に居座る『讒謗(ざんぼう)の悪魔』によって。

 コウモリのごとき翼。黒い皮膚。金色の瞳が()()、アイシャを睨めつける。

 

「待っていたよ、シスターアイシャ。君の噂はかねがね聞いている。若くして第一席へと昇り詰めた、高潔なエクソシストとね。会えて光栄だよ」

「キヒヒヒ。何だぁ? そのダラしない体はよぉ? エクソシストよりも娼婦していたほうがお似合いじゃねえか~?」

「可哀相だわ……生き方を間違えたんだわ……とても可哀相だわ……」

 

 その悪魔は、()()()()あった。

 ひとつの頭部にまるでお面を三つ貼りつけたように、それぞれがバラバラの言葉を話している。

 ひとつは紳士的に、ひとつは粗暴に嘲り、ひとつは悲しげに泣きながら。

 これが『讒謗(ざんぼう)の悪魔』……数々のエクソシストを屠ってきた、おぞましき悪魔の姿がそこにはあった。

 

「主よ、我に聖なる力を。──顕現せよ! 『聖十字』!」

 

 アイシャは即座に己の霊装を展開した。

 首に提げたロザリオが光を発し、刻まれた術式が発動する。

 アイシャの手元にひとつの物体が形成されていく。

 翡翠色の巨大な十字架だった。

 長さの異なる四本の西洋剣を組み合わせたかのような造形は、一見すると盾のようでもあり、東洋の手裏剣のようでもあり、精巧な美術品のようでもあった。

 中心部にある取っ手を握りしめ、身の丈よりも巨大な十字架をアイシャは構える。

 

「おやおや。見た目と違って血の気の多いお嬢さんだ。もう戦闘態勢に入るとは。もう少し我らとの対話を満喫されても良いと思わないかい?」

「キヒヒヒ。それによぉ? こっちにはこの通り人質がいるんだぜぇ? こんなところでおっぱじめたら、コイツらを巻き込むことになるぜぇ?」

「可哀相だわ……あなたのせいで彼らは死ぬんだわ……とても可哀相だわ……」

 

 アイシャは聞く耳を持たなかった。

 悪魔と言葉を交わす時間など、一秒だって必要ない。

 それに操った人間を盾にするなど、悪魔の常套手段である。そのための対策など、アイシャはとうに経験則で弁えている。

 

「《聖障壁展開》」

 

 アイシャの言葉と同時に、若者たちの周囲にクリスタルのようなものが発生する。

 翡翠色に輝く結晶体は、若者たちの体を包み込み、あたかも檻のように閉じ込めた。

 

「皆様。事が済むまでそこでジッとしていてくださいまし」

 

 そう言うなり、アイシャは霊装の中心部にあるギミックを機動させ、銃のグリップに似たパーツが出現させる。

 アイシャはもう片方の手でグリップを握りしめると、十字の先端をライフルのように向ける。

 

「《聖光装填》」

 

 十字の先端に球状のエネルギー体が発生する。

 一点に収束していく光は、音を立てて密度を増していき、膨大なエネルギー量を孕んでいくのが見て取れた。

 

「《聖砲射出》!」

 

 十字の先端から光の砲撃が放たれる。

 凄まじい衝撃波は、周囲にいる人間すら巻き込みかねない勢いだったが……アイシャが展開した『聖障壁』によって、若者たちの身は守られた。

 動きを封じる檻であり、守りの壁ともなる霊術。これがあれば遠慮無く戦うことができる。

 

 光の砲撃によって廃墟の壁に穴が貫かれていた。

 しかし、射線上にいたはずの『讒謗(ざんぼう)の悪魔』は健在だった。

 翼を広げ、アイシャを見下ろしている。

 すばしっこい。渾身の砲撃を悪魔は紙一重で回避した。

 

「ほう。あれだけの数の障壁を生成しながら、同時に高火力の霊術を放つとは……噂に違わぬ実力だ! 素直に賞賛しよう!」

「キヒヒヒ。容赦なしかよぉ? あんなの喰らったら、器であるこの体の持ち主が死ぬぜぇ?」

「可哀相だわ……あなたのせいでこの体の持ち主は死ぬんだわ……とても可哀相だわ……」

 

 戯れ言だ。

 悪魔に憑依された人間は数百倍も身体能力が向上する。並みの攻撃程度では傷ひとつ付かない。

 憑依された人間の体から悪魔を祓い、救い出すには寧ろあれほどの火力でなければ意味を為さない。

 

 ……だが、アイシャにはわかっていた。

 ──器にされた人間は、もう手遅れであることを。

 

(……悪魔に憑かれた時間が長すぎましたわ……もう人間としての気配は残っていない)

 

 悪魔と対峙する上での鉄則をアイシャは思い出し、下唇を噛む。

 これまでは、幸運にも憑依された人間の命を救うことができた。

 ……だが、とうとう自分にも苦渋の決断をすべきときがきたのだ。

 アイシャは覚悟を決める。

 憑依された器ごと悪魔を滅ぼすことを。

 

「どうかお許しください……せめてわたくしの手で、安らかに眠らせてさしあげますわ」

 

 このまま悪魔に利用され続けることほど残酷なことはない。ならばいっそのこと自分で引導を渡そう。

 アイシャは再び砲撃を放つべく霊装を構える。

 そんなアイシャを『讒謗(ざんぼう)の悪魔』は手で制した。

 

「まあ、待てシスターアイシャ。我々が君を呼んだのには理由がある。他のエクソシストならば、さっさとくびり殺すところだが……君は特別だ。なにせ、ある意味で我々と君は近しい存在なのだからな。君がこの街に来たとき、我々は感じ取ったよ。──君の中に流れる『血』の気配をね」

 

 ニマリ、と悪魔が三日月のような笑みを浮かべる。

 

「どうかねシスターアイシャ。──()()()()()()()()()()()()()()()?」

「キヒヒヒ。いまこうして対面したことで確信したぜぇ? おめぇとは同種の匂いがするってなぁ~」

「可哀相だわ……自分の正体も知らないで、ずっとエクソシストの真似事をしていたのね……とても可哀相だわ……」

 

 何やら意味ありげな言葉を並べているが、アイシャは無視した。

 悪魔の言葉に耳を傾けてはならない。ヤツらの言葉はすべて虚偽なのだから。

 どうせ命惜しさで、デタラメを言っているだけだ。

 

「……ほう。どうやら己の出生の秘密も知らぬと見える。憐れなことだ。その素晴らしい素質を十全に活かさぬとはな」

「キヒヒヒ。宝の持ち腐れもここに極まるってやつだなぁ~。ある意味で、すべての悪魔の悲願を成就させた数少ない種族の血を引いているっていうのによぉ~」

「可哀相だわ……自分が何者かであることも知らずにずっと教会に利用され続けて……とても可哀相だわ……」

 

 アイシャは孤児である。

 教会の前で捨てられていたところをシスターたちに保護され、そうしていままでエクソシストとして生きてきた。

 その人生に悔いはなかったし、己の生まれを嘆いたこともない。

 エクソシストは自分が望んで選んだ道だ。それを……目の前の悪魔は侮辱した。

 否応なしに、アイシャの胸に怒りが宿った。

 

(これ以上、戯れ言に付き合っている暇はありませんわね。いつものように、さっさと片を付けてやりますわ)

 

 エクソシストとして。そして何よりも『聖女』の名を冠する者として。

 憎らしき悪魔に、聖なる鉄槌を降し……。

 

「「「 怒 り を 向 け た な ? 」」」

 

「カハッ!?」

 

 とつじょ、アイシャの体に突き刺さるものがあった。

 ……己の霊装である『聖十字』であった。

 悪魔に向けていたはずの十字の切っ先が、どうしたことかアイシャに矛先を変えていた。

 まるで、霊装そのものが意思を持つように動き、アイシャの体に重い一撃を加えた。

 

「我らに、『怒り』をいだいたな? 我らの、言葉に反応して」

「キヒヒヒ。聞き流してるかと思ったが、ちゃんと効いていたようだな? こっちの挑発がよぉ」

「可哀相だわ……まんまと術中に嵌まってしまって……とても可哀相だわ……」

 

 悪魔が嗤う。あっさりと罠に嵌まった獲物を、さぞ愉快げに眺めながら。

 この一瞬で、何が起きたのか。

 落ちそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、アイシャは冷静に分析した。

 

(これは……わたくしの『怒り』を跳ね返した!?)

 

 アイシャは理解した。

 なぜ誰も『讒謗(ざんぼう)の悪魔』の討伐を果たせなかったのか、その理由を。

 最悪だ。この悪魔は……まさにエクソシストにとっての天敵だ。

 

「エクソシストも所詮は人。いかに常人よりも泰然自若を心がけていようと、感情を完全に抑制することはできまい?」

「キヒヒヒ。一線を越えた発言を聞いちまえば、どんなヤツもブチ切れるってワケだ。特にお前らが忌み嫌う『悪魔の言葉』ともなればなぁ?」

「可哀相だわ……結局あなたも他のエクソシストと同じ末路を辿るのよ……とても可哀相だわ……」

「あ……あぁ……」

 

 エクソシストは悪魔祓いを専門とする霊能力者である。

 とうぜん悪魔に対する慈悲など持ち合わせていない。

 彼らに向けるは、制裁の意思のみ。

 どこにいようか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()など。

 誰が想像できようか? まさか、それが(あだ)となるなど。

 

 廃墟の床に、複雑な模様が描かれた陣が展開される。

 悪魔が敷いた術式が発動したのだ。

 術式……否、それはもはや一種の『異界化』であった。

 アイシャは引きずり込まれたのだ。『讒謗(ざんぼう)の悪魔』が支配する空間に。

 

「「「 こ こ で は 我 々 が 絶 対 だ 」」」

 

 アイシャの霊装が消滅する。

 若者たちを閉じ込めていた結晶体も砕け散っていく。

 アイシャは感じた。

 己の霊力が封じられたことを。

 瞬く間に、アイシャはただの無力な少女となった。

 

(そんな……わたくしが……こんな、こんな失態を犯すなんて!)

 

 これまでも、多くの悪魔が特殊な能力を持っていた。

 だが、その悉くをアイシャは力でねじ伏せてきた。

 圧倒的な力の前では、どんな小細工も無意味だった。

 今回もそうして、うまくいくはずだったのだ。

 それなのに……。

 

 悪魔の言葉に反応し、『怒り』をいだいた相手を、己の有利な領域に引きずり込む悪魔。

 さらに相手の霊力すら自由に封じ、無力化する。

 強力すぎる。

 一瞬でも『怒り』をいだけば最後。それだけで詰みとなるだなんて!

 

「「「 倒 れ 伏 せ 」」」

 

「ああっ!」

 

 アイシャは強制的に地面に叩きつけられた。

 悪魔が放つ言葉の力の前では、もはやアイシャは言いなりも同然だった。

 

「殺しはしないぞ、シスターアイシャ。先の言葉は、決して虚言ではない。君が何者であるか、我々が思い知らせてやろう」

「キヒヒヒ。これは慈悲だぜぇ? シスターなんて立場、さっさと捨てちまって、本当の自分に目覚めるんだなぁ」

「喜ばしいわ……やっと本当の幸福を手にいれるのだから……とても喜ばしいわ……」

 

 悪魔によって操られた若者たちがゾロゾロとアイシャのもとに集まってくる。

 意識を失っていても、その双眸は肉欲に濡れている。

 アイシャという極上のメスを前にして、ケダモノのごとく涎を垂らしている。

 

 アイシャは直感した。

 エクソシストとしてではなく、女の本能で。

 自分は、いまから辱められるのだと。

 

「い、いや……」

 

 アイシャは幼子のように泣き出した。

 そんな自分を恥じる余裕も、もはや彼女にはなかった。

 

 無数の欲望の手がアイシャに伸びる。

 衣服を掴み、いまにも破られようとしたその瞬間……。

 

「どりゃああああああ!!」

 

 雄叫びと同時に放たれた拳と蹴りによって、若者たちは吹っ飛んでいった。

 

「──あ」

「大丈夫か?」

「あ、貴方様は……」

 

 聞き覚えるの声と姿に、アイシャは胸をときめかせた。

 黒野大輝であった。

 

(操られている人間たちを一瞬で……それも霊力も無しに!)

 

 アイシャは驚愕した。

 ものの一瞬で拳と蹴りだけで若者たちを退けてしまった彼の武力に。

 なんと洗練された技だろう。

 刹那の間、目に焼き付いたダイキの動きは、美しささえ感じた。

 構えを取るダイキの後ろ姿を、アイシャは我を忘れて見入っていた。

 

「心配いらない。君には指一本触れさせない」

「っ!? ひきゅっ……」

 

 凜々しい声で断言され、アイシャは思わず変な声が出た。

 なぜだろう? やはり彼を前にすると、体が熱くなり、心臓が早鐘を打つ。

 

「それに、ルカも来てくれた。もう大丈夫だ」

「え?」

 

 悪魔が敷いた陣に、紅色の糸がいくつも突き刺さる。

 

【 《紅糸繰》 よ 《結界》 を 《破壊》 せよ 】

 

 少女の不思議な声が廃墟に反響する。

 紅色の糸が言葉に応じて光を強め、悪魔の陣を同じ色に染め上げていく。

 すると、床に刻まれた陣は、まるでガラスが割れるように砕け散った。

 

「あ……」

 

 アイシャの体が自由となる。

 己の中に封じられた霊力が戻ってくるのを確かに感じた。

 

「「「な!? バカな!?」」」

 

 いとも簡単に己の結界が破壊され、『讒謗(ざんぼう)の悪魔』は驚愕に打ち震える。

 それはアイシャも同じであった。

 

(悪魔の結界陣を、一瞬で……これを、彼女が)

 

 振り返った先に、彼女は立っていた。

 月光を背に、銀色の髪をなびかせ、紅色の瞳を向ける少女が。

 

「──さあ、悪夢を終わらせましょう」

 

 紅色の糸が閃く。

 蜘蛛の糸のように網目状に広がり、『讒謗(ざんぼう)の悪魔』を捕らえる。

 

「「「ギィッ! 何だ!? この糸は!?」」」

 

 肉に食い込むほどの力で糸が巻き付き、動きを封じられた『讒謗(ざんぼう)の悪魔』は地に落ちる。

 

「悪魔憑き……実際に相手をするのは初めてだけど、何とか私の霊装は通じそうだね」

 

 糸を手繰り寄せながら、ルカは『讒謗(ざんぼう)の悪魔』を注視する。

 

「くっ……なんという高圧な霊力か……まさか極東の島国にも、これほどの術者がいるとは……素晴らしい! この者を器にすれば、どのような奇跡をも実現できそうではないか!」

「キヒヒヒ。どうだいアンタ? 俺たちと契約しないかい? アンタも言葉の力を使う術者だろう? お互いの力が合わされば、どんな欲望もきっと現実にすることができるぜぇ?」

「可哀相だわ……その才能をこのまま腐らせるのは勿体ないわ……とても可哀相だわ……」

 

 アイシャは「ハッ!」とした。

 この悪魔め、ワザと挑発的に交渉を持ちかけて、ルカの『怒り』を引き出すつもりだ!

 

「いけませんわシロガネ・ルカ! ヤツの言葉に反応して『怒り』をいだいては! あの悪魔の言葉には『術式』が宿っていますわ! 挑発に応じる者の『怒り』を跳ね返し、己に有利な自己領域に引きずり込むつもりですわ!」

 

 アイシャは咄嗟に悪魔の狙いをルカに伝える。

 

「ふーん。言葉に『術式』……つまり『言霊』ってことだね。……で? それがどうかしたの?」

「え?」

 

 すぅっとルカは息を深く吸う。

 膨大な霊力が口元を中心に集まる。

 練りに練られた霊力が宿りし『言霊』をルカは解放する。

 

【 《言霊》 で 《私》 に 《勝てると思うな》 】

 

 因果が、ねじ曲がる。

 それは常人には知覚できない力同士の衝突。

 言葉に宿った『術式』……その双方がぶつかり合う。

 やがて、片方の『術式』が砕け散った。

 

【 《その()()()》 を 《断ち斬れ》 】

 

 おびただしい悲鳴が上がる。

 三つの顔を持つ悪魔からだった。

 どの顔も舌が切断され、血飛沫を上げている。

 

「『讒謗(ざんぼう)』……ありもしないことを言って人をそしることしか能の無い口車に、力なんて宿らない。言葉の力を舐めないことね、悪魔」

 

 ──悪魔の言葉に『怒り』をいだいた相手を支配する……その『術式』を、ルカは『言霊』で破壊し尽くした。

 アイシャは衝撃で打ち震えた。

 相手の『術式』に干渉できるほどの『言霊』……さらには、自滅を強いる効果まであるとは!

 あれは、もはや怪異の性質を諸共否定し、怪異そのものを『まやかす』まじないだ。

 

(何て、力ですの。これが──シロガネ・ルカ!)

 

 倒せる。

 彼女とならば、この『讒謗(ざんぼう)の悪魔』を完膚なきまでに!

 アイシャは再び霊装を展開し、ルカの隣に並び立つ。

 

「感謝いたしますわシロガネ・ルカ! いまこそ討伐のチャンスです!」

 

 霊装の聖十字を砲撃形態に切り替えて、アイシャは切っ先を悪魔に向ける。

 

「トドメはわたくしが刺しますわ。あの悪魔に憑かれた人間は……残念ながら手遅れです。わたくしが責任を持って、器ごと破壊しますわ」

 

 最後に汚れ仕事を請け負うのは自分だけでいい。

 それがアイシャがルカに示せる、せめての誇りだった。

 だが……。

 

「手遅れ……そうかな?」

「え?」

「私には、まだ聞こえる気がする。自分を取り戻そうと、必死に抗っている声が」

 

 瞳を閉じて、ルカは再び霊力を込める。

 まるで、祈るように。

 

「……前の私なら、きっとあなたと同じ選択をしたと思う。でも皆なら……オカ研の皆なら、きっと、こう言う。──『諦めないで、やってみよう』って」

 

 紅色の瞳が開かれる。

 彼女の手から伸びる紅色の糸が、眩い光を発する。

 

【 《思い出して》 《あなた》 の 《帰るべき場所》 を 】

 

 紅色の糸を通じて、ルカの『言霊』が『讒謗(ざんぼう)の悪魔』に届く。

 巻き付く糸がより強い光を放ち、悪魔の黒い体を赤白い色で覆っていく。

 

【 《悪魔》 に 《負けないで》 《自分》 を 《取り戻して》 】

 

 光に包まれた悪魔の輪郭に変化が現れる。

 コウモリのごとき翼が崩れ落ち、角が外れ、地面に届くほどに長い腕が縮んでいく。

 

 光が弾ける。

 散りゆく光の中から現れたのは、おぞましい姿をした悪魔ではなく、異国の少年だった。

 体のどこにも異変はない。少年は眠るように地面に横たわった。

 

「なっ!?」

 

 アイシャは奇跡を見た。

 奇跡としか形容できない現象だった。

 

 白鐘瑠花は救い出した。

 悪魔に憑かれた人間を『言霊』の力で!

 

「……強い子だね。自分を最後まで見失わなかったから、戻ってこられた」

 

 ルカは静かに微笑んだ。

 ルカは信じたのだ。

 どれだけ憑依された時間が長くとも、手遅れのように見えても、人の心は簡単に消えないと。『言霊』だけの力ではない。異国の少年の精神力が悪魔に見事打ち勝ったのだ。

 

「「「ギャアアアア!! バカな! こんなことで、憑依が解けるなど!」」」

 

 器を失い、ガス状のような姿となって宙を舞う悪魔。

 現世に留まるための方法を失った悪魔は、呆気ないほどに薄弱で、希薄な存在と化していた。

 

「……トドメ」

「え?」

「トドメは、あなたが刺すんでしょ?」

「あ……」

 

 ルカの言葉で、アイシャは己の使命を思い出す。

 

「……感謝いたしますわ」

 

 様々な感情を込めて、アイシャは霊装を構える。

 

「《聖剣展開》!」

 

 十字の先端に霊力で編まれた刀剣が出現する。

 アイシャは神速の動きで宙を飛び、悪魔との間合いを一気に詰める。

 

「ハァッ!」

 

 翡翠色の一閃が放たれる。

 ガス状の悪魔は真っ二つとなり、悲鳴を上げながら、光に包まれて徐々に消滅していく。

 

「ハ、ハハ……シスターアイシャ……最後に呪いを残してやろう……貴様はいずれ、己の中に流れる『血』と向き合い、苦しむ日が訪れるだろう……」

「キ、キヒヒヒ……こっちが手出しするまでもなかった、ようだな……とうに『(つがい)』と定めたオスを見つけてやがる……『覚醒』するのは、時間の問題だなぁ?」

「……可哀相、だわ……ヒトとして生きてきたのに、それができなくなる……とても、可哀相だわ……」

 

 消滅の間際、『讒謗(ざんぼう)の悪魔』は不吉な言葉を残していった。

 それが負け惜しみによる虚言なのか。真実は誰にもわからない。

 

 

   * * *

 

 

 異国の少年の命に、幸い別状はなかった。

 母国への送還は『機関』が受け持ってくれる手筈になっている。

 無事に家族のもとへ送り返すことができそうで、ルカとアイシャは心底安堵した。

 

「シロガネ・ルカ……あなた、どうしてここに?」

 

 アイシャが尋ねると、ルカは溜め息を吐きながら渋々と答える。

 

「本当はあなたのことなんて放っておこうと思ったんだけど……ダイキがどうしてもって言うから、わざわざ加勢に来たんだよ。まあ私、一応この地区の責任者だからね」

「加勢……わたくしが遅れを取るとわかっていましたの?」

「そんなことまでわからないよ。ただ……危なっかしくは感じたかな? あなたからは、()()()()()()()()()()()()()()()()()が感じられたから」

「っ!?」

 

 アイシャは何も言葉を返せなかった。

 事実、自分は負けていたのだ。ルカが来なければ『讒謗(ざんぼう)の悪魔』を滅することはできなかった。

 あれほど威勢良いことを口にしながら、このザマである。

 

(驕っていた? わたくしは、いつのまにか……己の力を過信していましたの?)

 

 ルカの言うとおり、アイシャは『成功体験』しか知らない。

 この日、アイシャはようやく『挫折』というものを経験した。

 アイシャは完敗した。悪魔だけにではない。

 霊能力者として、白鐘瑠花にも完敗した。

 

(わたくしでは、できなかった……彼女のように、憑依された人間を救い出すことは、できませんでしたわ……)

 

 自分は器にされた人間を見捨てようとした。

 だがルカはそうせず、最後まで救うことを諦めなかった。

 アイシャは歯噛みをして、拳を強く握る。

 己の未熟さを恥じながら。

 

 何が第一席エクソシストか。

 何が『聖女』か。

 ひとたび母国を離れ、異国の地に来てみれば……誇れることなど、なにひとつ為せなかった。

 アイシャは悟る。

 自分はずっと『狭い世界で生きていた』に過ぎなかったのだと。

 

「まあ、ともかく一件落着だね。悪魔は無事に倒せたし、これであなたも国に帰れるね」

「……いいえ。そういうわけにはいきませんわ」

「え?」

「このままでは胸を張って母国に帰れません」

 

 今回のことで、アイシャはいかに自分が未熟か痛感した。

 このままではいけない。

 変わらなければ。

 自分は、ここで変わらなければならない!

 

「シロガネ・ルカ。あなたに感謝いたしますわ。今回のことだけでなく、あなたと出会えたおかげで、己の矮小さを自覚できましたわ。当面の間、この地に留まり、修行をやり直すことにいたします……そして! いずれ、あなたを超える霊能力者になってみせますわ!」

 

 ビシッと指をルカに突きつけて、アイシャは宣言する。

 ルカはビクッと驚きの顔を浮かべる。

 

「シロガネ・ルカ! 今日からあなたはわたくしの好敵手(ライバル)ですわ! あなたの素晴らしい素質と実力……共に高め合い、競い合う相手として相応しい! あなたの傍にいれば、わたくしはもっと成長できると確信しましたわ! 是非、末永いお付き合いを望みますわ!」

「ええ~……」

 

 とつぜんのアイシャのライバル認定に、ルカは「めんどくさ」とばかりに眉をひそめる。

 そんなルカの反応も知らず、アイシャは夜空の月を見上げながら、ロザリオを握る。

 

(主よ……あなたはわたくしに新たな試練をお与えになられたのですわね? その試練、ありがたく受けさせていただきますわ)

 

 誓いを新たに、アイシャは天に祈りを捧げる。

 自分はこの地で生まれ変わるのだ。

 かつての自分と別れを告げ、真に立派なエクソシストに……。

 

「お~いルカ~。気絶した人たちはこっちに運んどいたぞ~」

 

 操られていた若者たちを介抱していたダイキが戻ってくると、彼はアイシャに目線を投げた。

 

「あっ、君も無事で良かったな? いや~、何事もなくてなによりだ!」

「おひいいいいいいいいいん!!?」

「うわっ、びっくりした! どうした急に!?」

 

 ダイキに話しかけられるなり、アイシャはまたもや謎の衝動に駆られて悶えだした。

 

(あああああ!? なぜですのおおお!? 彼に話しかけられただけで全身が快楽で満たされてしまいますのおおおおおお!!)

 

 未知の感覚に翻弄されながらも、アイシャは息を整えてダイキと向き合う。

 貞操の危機から救い出してくれた彼にも、きちんと礼を言わなければならないのだから。

 

「あの……その……た、助けていただき、ありがとうございます。貴方様が駆けつけてくださらなかったら、わたくし危うく辱めを受けてしまうところでしたわ」

 

 人差し指同士をツンツンと突きながら、アイシャは真っ赤になった顔でダイキをチラチラと見つめた。

 

「ああ、気にしないでくれよ。ああいうことには慣れてるから。それよりも嫁入り前の娘さんに何事もなくて、本当に良かったよ」

「あ♡」

 

 爽やかな笑顔を向けられ、アイシャはまた未知の悦楽に呑まれそうになる。

 

「はうっ、この気持ちは何ですの?」

 

 ドクンドクンと高鳴る胸元をギュッと抑える。

 苦しいようで、何とも幸せな心地がする。

 彼……黒野大輝を見ているだけで、どんどん熱い感情が溢れてくる。

 

「貴方様のこと、その、ダ、ダダダ、ダイ……ク、クロノ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 

 モジモジとしながらアイシャはそう尋ねる。

 本当はファーストネームで呼びたかったが、その勇気はまだなかった。

 

「ん? 好きに呼んでくれていいけど」

「は、はい。で、ではクロノ様。わたくし、しばらくこの地で修行することにしましたので、またお会いできると思います。わたくしのことは、ど、どうか親しみを込めて、アイシャと……」

「そうか。じゃあ、アイシャ。これからよろしくな」

「きゅん♡」

 

 ダイキに名前を呼ばれ、握手を交わす。

 逞しく、温かな男性の手……。

 

(あ♡)

 

 瞬間、アイシャは体で理解した。

 自分に芽生えた、この新たな感情の名を。

 自覚すると、もう止まらなかった。

 アイシャはひとりの女として、いままさに生まれ変わろうとしていた。

 蛹が蝶になるように、アイシャはいままでの自分を脱ぎ捨てて、翼を広げて羽ばたきだしたのだ。

 

「はああん♡ 主よ……この出会いに、深い感謝を♡」

「ん? どうしたの? 目がすごい潤んでるけど? というか近いな。あの、このままだと君の胸が当たるんですけど……いや近い近い近い! 近いな!?」

 

 握手をしたままジリジリと迫ってくるアイシャにさすがのダイキも動揺を見せだした。

 

「っ!? いかん! ダイキから離れて! この色ボケシスター!」

 

 二人の合間にルカが慌てて割って入る。

 そのままダイキを庇うように抱きしめながら、猫のようにアイシャを威嚇する。

 

「フーッ! フーッ! 危なかった。危うくダイキの貞操が奪われるところだった」

「いや、何言ってるんだルカ! シスターの彼女がそんなことするはずないだろ?」

「ダイキは警戒心がなさ過ぎるよ! 見て、あの女の発情した目を!」

「いや、あっち向いてまた祈り始めてるから見えないけど……」

「くっ! なんて恐ろしい女……アイシャ・エバーグリーン!」

 

 すっかりルカに警戒心を剥き出しにされていることも知らず、アイシャはまたもや自分の世界に入り込んで祈りを捧げていた。

 

 己が生まれ変わるきっかけを作った、運命的な出会い。

 それが二度も起こった奇跡に、アイシャは深い感謝をいだいた。

 

「……わたくしは、この日のために生きてきたのかもしれません」

 

 迷いを断ち切ったアイシャの表情は、実にきらびやかなものだった。

 

 

   * * *

 

 

「失礼しますわ! ここがシロガネ・ルカが所属するオカルト研究部ですわね!」

「うわっ、出た」

「ライバルに対して『うわっ』とは何ですの! さあ、ルカ! 今日も共に高め合いますことよ! あの美しい夕陽の下で互いの霊術をぶつけ合うのですわ!」

「めんどくさーい……本当にこの女めんどくさいよー……」

 

 あれ以来、アイシャは幾度とルカに決闘を挑んでいた。

 ライバルと認めた相手と日々競い合うことにアイシャは喜びを感じている様子だったが、毎度付き合わされるルカにとってはたまったものではなかった。

 

「へえ~、この子がルカが言ってたアイシャちゃん? わっ! 本当におっぱいデッカ!? 背はちっこいのになんてダイナマイトボディなの!? エッロ!」

「ちょっとレン、初対面の相手に何てこと言って……ああっ! ハレンチだわ! 本当にシスターのくせにハレンチな体つきと格好だわ! 風紀が乱れるわ!」

「キリカさんも人のこと言えませんよ~? それにしてもお綺麗な御方ですね~♪」

 

 ルカからアイシャの愚痴を散々聞いていたオカ研の少女たちは、いざ本人を前にして口々にその容姿の感想を述べた。

 

「はじめましてアイシャさん♪ 黄瀬スズナと申します♪ よろしければお茶でもいかがですか?」

「まあ、ご親切にありがとうございます♪ いただきますわ♪」

「いただきますわ、じゃないよ。というか部外者が堂々と学園に入ってくるんじゃないよ。さっさと帰れ。ついでに母国に帰ってしまえ」

「お断りしますわ! この地での暮らしは毎日刺激的ですもの! 母国の教会に暮らしたままでは得られなかった経験がたくさんできて、とても勉強になっていますわ!」

 

 ルカのキツい物言いにもアイシャは動じず、優雅に紅茶を啜った。

 飲み終えるとキョロキョロと周りを見回し、乙女の表情を浮かべる。

 

「と、ところで……クロノ様はいずこへ?」

「ダイくんのこと? 買い出しに出かけてるけど、そろそろ戻ってくるんじゃないかな?」

 

 噂をするなり、買い物袋を抱えたダイキが部室にやってきた。

 

「戻ったぞ~。ん? アイシャじゃないか。ちょうどいいや。良かったら一緒にお菓子食うか?」

「ずっきゅううううん♡ はあぁん、クロノ様ぁ♡ 今日も相変わらず素敵ですわ~♡」

「ははは。そんなお世辞言ってもお菓子は人数分しかあげられないぞ?」

 

 ダイキと顔を合わせた途端、瞳の中にハートマークを浮かべて体をクネクネさせるアイシャを、少女たちは唖然と見る。

 

「……ええと、ルカ? あれってつまり……アイシャちゃん、ダイくんに()()()()()()なワケ?」

「あらあら♪ ダイキさんは相変わらず罪作りな人ですね♪ ねえ、キリカさん?」

「ちょっ!? 何でアタシにふるのよスズナ! 違うから! アタシは違うからね!?」

「けっ! シスターのくせに色ボケになりおって……けっ!」

 

 少女たちはアイシャの抱える感情に真っ先に気づいたが、その手のことに疎いダイキは相も変わらず無頓着な様子でいた。

 

「あの、クロノ様? 街外れに新しく教会を建てましたので是非遊びにいらしてくださいまし。特別なミルクを使ったお菓子をたっぷりとご馳走してさしあげますわ♪ ええ、それはもうたっぷりと♡ ……どっぷりと♡」

「へえ~、俺って牛乳好きなんだよね。特別って聞くとちょっと気になるな~」

「まあ! ミルクが好物でしたの!? でしたらいつでも飲ませてさしあげますわ! 何ならいまこの場ですぐに……ごふっ! 何しますのルカ! 乙女の頭を叩くなど!」

「……河原行こうぜ淫乱シスター? お望み通り相手してやるからさ」

 

 乙女にあるまじき怒り顔を浮かべながら、ルカは親指を外に向けた。

 

「ふふ、ようやくヤル気になりましたのねルカ! それでこそわたくしのライバルですわ! クロノ様♡ わたくしの勝利をどうか願っていてくださいまし♡ そ、それで、もしもわたくしが勝ったあかつきには、今度の休日にわたくしと、お、お出かけなどを……」

 

【 《淫乱シスター》 よ 《ひっくり返れ》 】

 

「ごふっ!? 不意打ちは卑怯でしてよシロガネ・ルカ! よくもクロノ様の前で恥をかかせてくれましたわね!?」

「やーいやーい。色ボケシスター。ピンクの紐パ~ン」

「キーッ! 人の下着の趣味に文句をつけるとは何事ですの! 待ちなさい! 今日こそはギャフンと言わせてさしあげますわ!」

 

 ルカとアイシャはいがみ合いながら嵐のようにピューっと部室を出ていった。

 今日も今日とて、壮絶な喧嘩が河原で繰り広げられるようだった。

 

「……何だか、騒がしいのが増えたわね」

「ふふ♪ でもルカさん、とっても楽しそうでした♪ ああいうルカさんも可愛らしいですね!」

「そ、そうかな~? 普通に険悪そうに見えたけど?」

「まあ、ルカにはいままでああいう喧嘩友達がいなかったからな。本人は自覚してないだけで、きっとアイシャとのやり取りには新鮮な気持ちをいだいていると思うぜ?」

「うん、保護者面してるところ悪いけどいい加減に鼻血止めようかダイくん?」

 

 ひっくり返ったことでセクシーな臀部とショーツを全開にしたアイシャ。

 それを間近で見て鼻血を垂らし続けるダイキに、レンはティッシュを差し出すのだった。

 

 

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