慢心というのは恐ろしいものね。まさか依姫を出し抜くほどのやり手なんて…行使している魔術自体は研究すれば私たちでも使えそうな程度のものながら、使い方が絶妙。自覚していなかっただけで、私もサグメも豊姫も依姫も彼らを侮り、見下していた結果がこれ。投入した兵卒は壊滅、死者すら2名出た。
「きさま、よくも兄さんを!!」
「ユキ、俺より前に出るな!指揮官直々に乗り込んで来たってことは数で押されることは無い、回避と迎撃に徹しろ!」
あら、まだ喋れるのね。あの長身では全身に回るのに時間がかかるか…
昏睡状態にあるせいで、彼がサリエルを左腕に抱えて離さないのがここまで厄介になるとはね。彼からサリエルを強引に引き剥がすのは時間的にも腕力的にも私一人では非効率。だから神経毒で行動不能に追い込んで手放すよう仕向けたのだけれど…妹への指示を聞く限り、あの位置で魔界と繋ぐ腹積もり。つまりは帰り道が開くまであの場に陣取るということ。サリエルを離すことなく、ね。
(でも、余裕はだいぶ無くしてるわね、私たちも人のことを言えないけれど。私に聞かせるべきでないことが漏れている…そうね、なら数で押してあげましょう)
即座に矢は抜いたが――俺の解毒魔法じゃ効かない。しかも神綺様が俺たちを見つけてくれて魔界側の出口は造ってくれたのに、それに気づかれたのか俺の方を狙ってきやがった!俺が入口を造っても強引に閉じられる…クソ、あと一歩が遠い!!
「兄さん、後方から新手が二人!」
「…そいつらが来る前に一か八かだな。ユキ、完全に毒が回る前に試したいことがある。サリエル様を手放すわけにもいかない、肩を貸してくれるか?」
「…っと、次はどうすればいい!?」
「正面から指揮官に突撃、ただユキはしばらく無駄弾を撃つな」
「わかった、行くよ!」
「ああ、頼む!」
(この状況で総攻撃?魔界神が目途を付けたか、豊姫とサグメが合流する前に私を仕留める気か…
こちらとしてはサリエルさえ連れ帰ればいい。なら付き合う必要はないわね)
ここでの判断を、即座に行動に移さなかったのが私の失策。
(…いえ、彼に違和感がある。どこに違和感を私は感じた?)
己の記憶と感覚に自信を持ち、最善のために熟考する。僅かな違和感に気付いた優秀な私の頭脳と、研究者として染み付いた対応が、この戦闘において逆転し…悪癖となる。
【私のとっさの反撃程度で左目を潰せた以上、理不尽なほど頑丈というわけではない】
―――左目が、ある?
それを私自身がこの時確認したということ、すなわち目を合わせてしまったことが最大の失敗。
「くっ…!?」
なぜ警戒を解いていたのか。サリエルを敵に回す上で最も警戒すべき、魔眼。
侵入してからの僅かな時間とはいえ、彼とサリエルが会話することが出来ていたら。
窮地を救った相手に、それを与えていたとしてもおかしくない…っ!
魔眼を使われた時点で死ななかっただけ幸運なのかもしれないけれど、まともに動けない―――この私がここまで醜態を晒すとはね…!!
「兄さんの代わりに毒矢のお返しよ!」
使い方すら教わらず実戦一発勝負、おまけに格上相手だが決まってくれた!流石は邪視の始祖サリエル様直々の預かり物、俺ごときの魔力でも十分な力を出してくれている…!
「ユキ、入り口が開き次第俺を蹴り入れてくれ!右半身はもうまともに使えない!」
「うん、任せて!」
指揮官――八意永琳を魔眼で捉えつつ、念のため持ち歩いていたものを痺れた右手の中に収めておく。左腕にサリエル様を抱える以上、後の戦闘はユキ頼み…この妨害をさっさと抜けねえと…!
しかし、敵はそんなに甘くなかった。
「えっ…いつの間に!?」
「ええい、神綺様が手こずるならこれぐらい出来て当然か!ユキ、俺も援護できるように頼む!俺より前には絶対に出るなよ!」
綿月豊姫と稀神サグメが突然割って入ってきた。要は俺だって使える短距離テレポートを強化したようなもんだ。索敵をユキに任せていたとはいえ、俺が把握できない距離から瞬間移動なんざたまったもんじゃねえけどな!
「前って…今の兄さんじゃ!サリエル様だって――」
「空間魔法じゃ俺たちに勝ち目はねえ!なら前衛後衛はほとんど変わらん、俺たちの本気でやらなきゃすぐ終わっちまう!」
「…っ!そうだね、じゃあお願い!!」
「八意様!いったい何が!?」
「助かったわ豊姫。彼、サリエルの魔眼を与えられてる。こんな短時間で使いこなすことなんて出来るはずも無いから即死の憂き目には遭わずに済んだけれど…彼の左目を閉ざさないとまともに動けそうにないわね」
「…くっ、隙を見せたら一気に妨害を破ってくる!魔界神といいあの男といい、軽々と予測を超えてきますね…!」
それなりに被弾したけれど、豊姫とサグメが援護に入ってくれて事無きを得る。サグメが遠距離戦に秀でた妹の方を狙い、その間に豊姫が再度瞬間移動し攻撃範囲から逃れたけれど…
「駄目ね。彼の視界から外れただけじゃ効果が切れない。サグメ、私はしばらく使い物にならないから囮になる…彼が魔眼を閉じるよう狙って頂戴。豊姫はこっちを優先して」
私たちにも余裕はないけれど、今の突撃で私を仕留めきれなかったのは致命的よ。もう私たちには油断も慢心も無いわ…!
―――俺を狙ってきたか。だが綿月豊姫が最前線に出てきた隙によってようやく俺の入口と神綺様の出口が繋がった!あとはこじ開けるのみ…であれば大技さえ避ければ俺は耐えきれる!後はユキの安全を確保すればいい!
「ユキ、狙いは変わらず八意永琳!脱出分の魔力以外は使い切るつもりで頼む!俺を狙うということは、奴はまだロクに動けない!」
「わかった!距離を取ったぐらいで、逃げられると思わないでよ!」
俺が利用する関係で連射・乱射が得意なユキだが、決して一撃で仕留められるような大技を持っていないわけではない。そして、サリエル様の魔眼を閉じない限り緑の魔法は避けきれないだろ!
そして、情報通りなら少なくとも綿月豊姫は八意永琳の安全を優先するはずなのだ!
―――そう、八意永琳の安全を優先するために動くのであればどうすべきか。俺は自分の力を過信していたがため、最も警戒すべき可能性を見落としていたのだ。耐えきれなくなる可能性を跳ね上げられた、逆転の一手。
「―――本当に、やってくれたわ!もう油断も慢心も、手加減もしない!五体満足でいられると思うなよ魔界人!!」
「バカなっ!?もう抜け出しただと!?」
その魔法を異界からの出口ごと剣閃で切り裂いて、八意永琳の前に綿月依姫が飛び出す。この状況で盤外に追い出した最強の駒が復帰だと…!
だが当然の結果だ。神綺様相手にこれだけの時間妨害し続けられる相手が、俺とユキで放り出せる程度でしかない異空間ぐらい、見つけられて当然。ものの見事に嵌ってくれたおかげで、すぐには戻って来れないと思い込んだのが間違い。
「―――ユキ!もう繋がりはしている!俺が止める間にこじ開けろ!」
「無茶言わないで!今の兄さんじゃ「この先足を引っ張るのは俺だ!俺も助けたいなら頼む!」
「……こんなところでやられたら私も後を追うからね!それが嫌なら生き延びてよ!」
そんなことさせねえよ。いくらなんでも、サリエル様のためにユキを失うわけにはいかない…神綺様の命に逆らうことになるが、どうしようもなくなったらサリエル様は諦めるしかない。あの様子を見る限り俺は怪しいが、ユキだけは見逃してくれるかもしれないからな…!
ゆえに、いつでも取引できるようサリエル様を左腕に抱えたまま。もはや口を動かせる時間もあまり残ってはいないだろう…全身に回りつつある神経毒をおくびにも出さないように繕い、綿月依姫を待ち受ける!
「申し訳ありませんでした八意様。己の未熟を思い知らされましたが…もう不覚は取りません」
「いえ、私も一杯食わされかけたからね。依姫だけじゃない…私たち全員彼らを甘く見てたのよ。力自体はそれなりでしかないけれど、戦闘経験…特に兄の方ね。月に移住して実戦から離れてた私たちに比べて彼は場数が違ったのでしょう。そこの差と私たちの慢心の結果がこの惨状。でも、ようやく追い詰めた」
「―――八意様、魔界と繋げられました…!強引に塞いでいますが、私一人では押し切られます!」
正直に言って悔しい。部下をあっさり蹴散らされた挙句、まんまと狙い通りに異空間に追放されるなど、月に移住してからは最大の失態…しかも実力的には格下と言える相手にだ。
「サグメ、豊姫と協調して魔界神を止めなさい。依姫はサリエルをお願い。流石に神経毒が回っているはずだから、まともに抵抗できないでしょう。サリエルを傷つけずに左腕を切り落として連行しなさい。ついでに左目の魔眼も封じて私を動けるようにして頂戴」
「はい、お任せを」
おまけに私はあの男に一撃すら与えていないのだ。ここまで完全にしてやられたのはそれこそ師匠でもある八意様以来だろう。
私がどれだけ慢心していたかを思い知らされた。気に食わないけれど、強敵だったと認めざるを得ない。
「行くわよ。お前がサリエルを手放さないのであれば、力尽くで手放させるまで」
「ッ…!」
しかし、流石に万策尽きているようね。右目に迷いがある――もう手は抜かない。ここまでの善戦にだけは敬意を払ってあげるわ…そうね、健闘を称えて妹の方は見逃してあげましょうか。
「終わりよ」
その剣閃は、たとえ神経毒にやられていなくても止められなかったかもしれない。抱えたサリエル様を傷付けることなく、肩口から綺麗に俺の左腕が切り落とされた。
『ふざけるな。貴様らに終わらせる権利など無い』
そして、何事もなかったように俺の左腕が元に戻る…これは!?
『私は死を司る癒しの天使。人の命を終わらせる力を与えられし、霊魂の看守』
「くっ…ここまで粘られるなんて!」
「いけない!依姫、下がりなさい!!」
『貴様らなどに、この者の命を断たせてなるものか!』
サリエル様に癒された左腕の中に、サリエル様がいるのに。
六翼を大きく広げた、昏く蒼きサリエル様の影が―――俺とユキを守るよう周囲を光線で薙ぎ払い、そこから追手達に光弾が降り注ぐ!
「だけど、天使では私を止められない!」
「あなたに暴れられるのは困る。もう一度大人しく眠りなさい!」
左腕を落とされたことで魔眼を維持し損ね指揮官が動く。護衛対象に守られるとか本末転倒だが…右手に収めたものが使える状況になった!ユキを守るためにも、勝たなきゃならねえ…!!
「…ユキ、最後の賭けに付き合ってくれ。合図と同時に全力でバラ撒け」
「もちろん信じる。二人で魔界に帰るんだから」
通じろよ…!ユキのため、神綺様のため、そしてサリエル様のためにも!!
(…どういうことだ?)
致命傷ではないとはいえ、喉を抉られたのだ。その傷口に回復魔法が行使された。誰が、何故、この時に?
しかし気にする余裕はない。豊姫と二人掛かりでも魔界神を食い止めるのは難儀していたのだ。繋がった出口を閉じるどころか、広がらないようにするのが精一杯。おまけに目を覚ましたサリエルは私たちも狙っていて魔界神への集中が途切れそうになる。
そのせいで、私は完全に見逃していたのだ。抉られた肉片が、回復魔法によって至近に戻ってきたことに。
「……っ!?」
「きゃあっ!?」
そして添えられていた指輪がワームホールとなり、大量の光弾をバラ撒いた。私も豊姫も不意打ちを防げず多数被弾し…最後の乱入者が姿を現した。
「行けぇ!!」
ユキの最後に残った魔力を全力でワームホールに撃ち込ませ、ようやく妨害を止められた!!
「ザマぁ見やがれ!これで開通だ!」
閉じようとしていた俺側の入口を、一瞬の隙を突いて一気に広げた。後は3人で飛び込むだけだ!
しかし、予想だにしない展開がまだ続いた。
「ごめん、時間かかり過ぎた!みんな無事!?」
「神綺様!?こっちに出てきちゃ駄目でしょう!!」
「だいじょうぶ!夢子ちゃんも戻ってきてくれたからもう閉じられないわ!」
「…すまない、神綺。彼も、彼女も…相当消耗させた」
「無事ならいいわ!逃げる前に、潰すべきはどいつなの!?」
いや、いくら夢子が戻ったからって神綺様が月に乗り込んじゃまずい!何かあれば全面戦争になる!
「っく…完全に失敗ね」
「まだです八意様!サリエルさえ捕らえればいいなら、まだ…!」
依姫は案の定戦意を落とさない、なら、俺が盾にならなければ…!
「神綺、私の殺意を乗せるからスピード重視を1発頼む。狙いは最後方の奴だ」
「任せて!―――っ!!」
俺の左腕の中からサリエル様が神綺様に力を託すと、目にも止まらない速さで一筋の光線がはるか後方に伸びて行った。
「なっ…?あの位置は!」
「やられたわね…減給だけで済むかしらこの大失態」
…流石は神綺様とその友。首謀者をこの位置から狙ったのか。
「―――よし。あの狂人は消えた…重ねてすまない神綺、世話になる」
「気にしないで!じゃあ、帰るわよ!」
「兄さん、掴まって!」
「ああ…!」
「申し訳ありません八意様…私が魔界神を押さえきれていれば」
「悔いても仕方ないわ。頭が痛いのは事実だけれど…帰還して報告以外出来ることはもうないわ」
「完敗ですね。己の未熟と慢心を、ここまで思い知らされるだけの結果なんて…不甲斐ない」
「今後、私たちの思うようにはいかなくなる」
「「「え」」」
「サグメ、あなた…」
「サリエルを逃がしたとはいえ、実利は得れるでしょう。
…正直に言うと、私は初手の時点で相当焦りました。
してやられたとはいえ、最後に私の声を戻した彼には少し感謝しておきましょう」