「あれ、サラが持ち場を離れるなんて。ルイズがなんかやらかした?」
幻想郷と繋がる扉の門番のサラは滅多なことでは持ち場を離れないから、割と大きな問題が起きたのかなって思ったんだけど。
返された言葉は、わたしにとって大きな問題どころじゃなかった。
「あ、ユキもマイも丁度いいところに!神綺様のところまで急いで!
幻想郷に、ヒョウさんがいるかもしれないわ!」
「えっ…!!」
「………!?」
兄さんが、幻想郷に!?
返事も返さず、わたしは神綺様の下へ飛び出した。
「見事にユキとマイが一緒ね。聞いたとおり、今はあの二人で組んでるのは間違いないみたい」
「となると、やっぱり夢子とユキが魔界を出るのを待たなきゃならないか。
ヒョウのことを気にしないのなら、追いかけて捕まえる方が楽しいんだけど」
「夢月、気持ちはわかるけど抑えてよ?」
「昨日あれだけ暴れた姉さんには言われたくない」
「あーいたいた。探したぞ慧音」
「ん、妹紅にマミゾウ?こんなところにまで来たということは、私に何か急ぎの用か?」
珍しく慧音が寺子屋に居らず、行き先がわかったので足を延ばす羽目になった。まあ要件の内容的に丁度いい場所だってのもあるからここまで出向いたわけだけど。
「切りがいいですし、私の方はここまでで構いませんよ?」
「そうか。ならそうさせてもらおうかな」
阿求も筆を置いてこちらに視線を向ける。私だけじゃなく慧音も覚えてなかったとしても、阿求なら人里の人間のことはわかるだろうしね。
「別に急ぎというわけではないんじゃが、お主らであれば忘れることはなかろうと思うて来させてもらったぞ。お主ら、金髪赤リボンに二胡を携えた人間の少女に心当たりはないかの?」
「それは麟だな。…やはり、妹紅は覚えていられないか」
「麟…?ああっ!!」
そうだ、また忘れてしまってた!思いっきり麟のことだよその姿は!
「…本当に困った呪いですね。麟さんは人里に留まっていてほしかったのに」
「だが、それを強制するのも酷な話だ…力があっても、麟が少女であることに変わりはない」
「なんじゃ、お主らだけで納得するでないわ。大荷物を抱えて人里から出て行ったから気になったのじゃが、そろそろ日が暮れる。一人で大丈夫なのかの?」
「ああ、麟なら問題ない。そこらの妖怪じゃ相手にならないし、スキマ妖怪の管理下に置かれてるからな」
人里を守る人間となるために、私や慧音が鍛えていた少女―――冴月麟。
私たちが犯したたった一回の失策で、人里で得たすべてを失い妖怪側に引き取られてしまった…不憫な少女。
「スキマ妖怪の管理下じゃと?たしかにそれなりの力は感じたが、あの程度の力だけでは手駒にするまい。どんな能力を持っておるのだ?」
「麟は麒麟の加護を授かっていてな。下手な魔法使いの回復魔法などより数段優れた治癒能力を持っている。麟自身への負担もあるから乱用はできなかったが、負傷に限れば医者が不要になる程だ」
「一応釘は差しておくが、この能力に関しては広めないでくれよ?忘却の呪いのせいで、出処がどこかはすぐ知られるからね」
「言われんでもわかっとるわい。あのスキマ妖怪を敵に回すのは面倒過ぎるわ。
じゃが、余計気になる単語を出しよったな?忘却の呪い…治癒能力だけでなく妹紅殿にすら作用する呪術まで扱えるとでも言うのかの?」
これはどこまで話すべきだ?狸の旦那は数少ない当てにできる大妖怪なんだが、あまり詳しく話すと豹のことまで話さなきゃならなくなりそうなんだよね。顔の広さを考えると、豹のことは伏せときたいんだけど。
―――なんて私の内心を知るわけもなく、慧音と阿求が話を続ける。
…せめて、ここで私が主導して話しておけばよかったと後悔することになる。
「…私の失策でな、麟は忘却の呪いをかけられた側だ。この呪いによって、麟は私や阿求のような能力持ちにしか覚えていることが出来ないんだ。妹紅のように妖術などに耐性があれば今のように思い出すこともできるようなのだが、力無き麟の父親や友人たちはもう思い出すことすら出来ない。
そして、博麗の巫女や妖怪の賢者ですら解呪できなかった。麟は親しい相手に忘れられたこの人里に耐えることが出来ず、八雲紫の下に去ってしまった」
「随分と強力な呪いじゃの。となると高位妖怪の断末魔でもまともに喰らったか」
「妖怪ではなく、元人間の魔法使いからです。実力は大したことなかったくせに、死に際の呪いだけは凄まじかった厄介な男。麟さんと同様、幻想郷でも片手で足りる人数しか覚えていないですが」
「…だが、あの時選択の余地はなかった。慧音一人の責任じゃない」
せめてあと一人、実力者がいれば…少なくとも魔理沙か麟、どちらかは呪いを受けずにいられた。無いものねだりでしかないのはわかっている―――あの豹が率先して動いてくれたほど、戦力は不足していたのだ。
妖怪の賢者からすれば豹はむしろレミリアの方に配置したかったはずなのに、人里に回した。それだけでも相当に戦力を融通されているのだから、もっと寄越せなんて言える立場じゃなかった。
「人里に被害は全くありませんでしたが、麟さんだけに被害が集中する形になってしまいまして。私はまだ幼い名ばかりの当主で、全て終わった後に報告を受けただけでしたが…誰一人敵の首謀者と麟さんの名前を出さなかった。あの時の違和感は今でもはっきり思い出せる、恐ろしい状況でした」
「それをいいことにスキマ妖怪が横から搔っ攫って行きおったのか。妖怪の賢者を名乗るだけはあるのう…儂でもそこから連れ戻すのは骨が折れそうじゃ」
「……待ってください、マミゾウさん。骨が折れそうということは、不可能ではないということですよね!?力を貸してください!麟さんを、あの恐ろしい男から守るために!」
………は?恐ろしい男って…麟と縁のある男なんて、豹だけだよな?
「たわけが。いくら稀少な能力持ちと言っても、人間の小娘一人のために八雲紫を敵に回すわけがなかろう」
「そこをなんとか!あの呪いのせいで、麟さんはあの大妖怪より危険な男に囚われてしまっているんです!
妖怪の庇護から取り戻すことまでは望みません。豹という男から引き離すだけでいいんです!」
ちょっ…!?何を言ってくれてるの阿求ぅぅぅ!
「豹だと?あの豹のことか?」
「って、慧音さんもです!慧音さん一人では厳しそうなので今まで隠してきましたが、マミゾウさんと妹紅さんも協力してくれれば、豹から引き離すだけなら出来るかもしれない…!」
「落ち着かぬか!何も知らん男の名前だけ出されても何も返せんわい!協力を求めるのなら順序立てて最初から説明せい」
うわぁ…もしかしてこれ、とんでもなく厄介な話になるんじゃない…?
「なるほどのう、要は能力によって麟という少女を忘れずにいられる豹という男がいる。麟はその豹とやらを慕っておるが、危険な輩だから追い出すなり麟の方を説得するなりせよと?」
「はい…!人里に居た頃の麟さんは私にとって姉みたいな存在だったんです。それをみすみす危険な男の傍に居させるなんて…妖怪の賢者の庇護下ならともかく、得体の知れない乱暴な男の傍になんて居させたくないんです!」
…いや、どういうことなんだこれ。阿求の口から出る豹の人格が私の知る豹とまるで一致しない。
「…まず、私から聞かせてくれ。その豹という男…背の高い金髪で黒い洋服の男か?」
「っ!慧音さんも知ってるんですね!」
「いや…あの豹がそんな危険人物なんてことあるのか…?」
慧音は私と似た印象みたいだし、誰かと勘違いしてるのか?
「慧音の言う通り、豹はそんな奴じゃない。そもそもあの時麟と魔理沙を人里に連れ帰ってきたのが豹だぞ」
「………は?」
阿求の目が点になっている。いや、阿求の方が勘違いしてるんだって絶対。
「ちょっと待て妹紅、それはつまりあの時の敵戦力4割を一人で片付けたのがあの豹だったのか!?」
「ああ、慧音の言う豹はプリズムリバーのライブの手伝いをしてる豹のことだよね?」
「そうだ。滅多に見ないが力仕事なんかを頼めば何も言わずに手伝ってくれるからな。どこに住んでるのか何度も聞こうとしたんだが、いつも礼を言う前に帰ってしまって何も聞けていない」
「ライブの手伝い!?あの男が!?」
「ええいお主は少し黙っておれ!先に妹紅殿と慧音殿の話を聞くわい!」
弱ったなあ…伏せるどころかきっちり話さなきゃ駄目じゃないかこれ。まさか阿求が豹と麟に繋がりがあることを知ってたなんて思わなかった。…いや、私はそもそも忘れてたからそれ以前の問題なんだけど。
「私も付き合いは長いとはいえ、あまり豹と親しいわけじゃないんだけど。私が幻想郷に流れ着く前から豹は八雲紫と付き合いがあって、逃げ場を提供してもらってたそうだ。荒れてた頃の私を話し相手にして、気を悪くするどころか私の方を気遣うようなお人好しでさ。なんというか…友人というより兄様って感じだった」
「……プッ…ククク、妹紅殿が兄様とは。これは貴重な単語を聞けたのう」
「茶化すな!つい一昨日知ったばかりだけど、豹は魔界から逃げて幻想郷に隠れてたんだってさ。つい最近になってライブの手伝いで人里に降りて来たのには私も驚いたけど、その程度ならともかく逃亡者だった豹が大それた行動なんて起こすはずが無いんだよ。だから阿求がなんで豹を危険人物扱いしてるのかが全然わからないわ」
「うむ、私も妹紅と同意見だ。だからなぜ豹をそんなに危険視してるのかを話してくれないか?」
「そうじゃの。逃亡者というあたり、善人とは言い切れないようじゃが…少なくとも二人は信用するに足ると言っておる。危険というのはお主だけじゃぞ」
阿求に視線を向けると、真っ青になりながらも信じられないと言った顔をしている。
「八雲と関係があった?お人好し?意味が分からないです。私はあの男に脅迫されてるんですよ!
『俺の妹分の妖精に人里の連中が手を出したら、扇動したお前を同じ目に遭わせる』って!」
………あー。これは阿求を庇えないな…
「そういうことか…つまり豹は逃亡生活の中で親しくなった妖精がいるから、妖精を憂さ晴らしに使うように推奨した阿求は許せなかったってことね…」
「これは…阿求の運が悪かったとしか言いようが無いな。まさか妖精にそこまで入れ込む実力者がいるとは思わないだろうし…」
「じゃが、お主も稗田の当主じゃろう?己の取った行動には責任を持たねばならん。妖精の扱いに関してはしっかり責任を果たさなければならんぞ」
「そんな!?私が悪いって言うんですか!?」
「「少なくとも豹は悪くない」」
「儂はそこまで肩入れする気は無いが、豹とやらを敵に回す気にはなれんぞ」
「………」
阿求が文机に突っ伏した。
「…妹紅殿よ。もう少し豹とやらについて聞かせてもらえんかの?」
阿求の相手を慧音に押し付けて稗田邸を出てしばらく。人気の無くなった裏路地で狸の旦那が口を開いた。
「私に答えられることならいいが、あまり詳しいことは知らない。それでも?」
「うむ。逃亡者がわざわざ稗田の当主を脅しにかかる…それも妖精ごときのためにじゃ。
お人好しにも度が過ぎておる。何か裏があるのではないかの?」
「…たぶん、八雲紫が豹を切り捨てる理由を作りたかったんじゃないかな。
予想でしかないけど、八雲紫はそう簡単に豹を手放す気は無いんだろう。
なら、手放さざるを得ない状況を作ればいい。例えば、幻想郷の重要人物に――」
「もういいわい。面倒臭い男なのはよくわかった」
豹は逃亡者。ここ幻想郷に長く留まっているのはおかしい話で、その理由は八雲紫だろう。
あのスキマ妖怪から逃れるには、幻想郷と天秤に掛けさせればいい…小娘でしかない阿求は丁度いい理由付けでしかなかった。あくまで私の予想だけどね。
「実はの、昨日八雲紫が命蓮寺に現れておる。豹と魔界絡みの件でな。
そう遠くないうちに、大事になるじゃろう」
「…そうかい。今の私には、関係ないさ」
「…お節介じゃが、言っておく。―――死んでからでは、遅いぞ」
それだけ言い残し、命蓮寺の方へ去っていった。
(そんなこと、わかってる。でも、私に出来ることなんてない…
豹はもう、私を頼ろうとはしてくれないんだから)
阿求の件がいつのことなのかまでは聞きそびれたけど、私の感覚からすれば最近のことなのは間違いない。
つまり、豹の状況はここ最近で急激に悪化したということなのに、私には何も話してくれなかった…
「けどさ、少しぐらい頼ってほしかったよ、豹」
―――久しぶりに、私は辛い別れを味わうのかもね…