今日ほど長く感じる一日は滅多にないでしょうね…
「…カナ、わかる範囲でいいから説明して頂戴。上海も、答えられそうなら答えなさい」
完全に油断してたわ。カナがパスを断ち切って、もう人形たちにはわたしの魔力しか残っていないと思っていたけれど…上海にはあの家の魔力が残っている。それも全身に薄く、染み込むように。それはまるで、気付かれないよう乗っ取ろうとしているようで。
「まず上海、ボディに負担は無いの?異常があるなら今すぐ放出しなさい」
「はい、その点は大丈夫ですご主人様。元々このボディが必要だったようなので、むしろ守ろうとしてくれています」
そのようね。逆に私が上海を使おうとするのを妨害しようとしている…この程度ならわけなく抜けられるけれど。
「上海、右目と右手を私が使うわ。反発されるだろうから危険を感じたら声を出すか左手を上げて」
「はい………っ…」
…妨害は稚拙。これならむしろ…
「上海、あなたの方で妨害してる魔力をコントロールできるか試しなさい」
「はい…こう、でしょうか」
完全にコントロール出来てるわね。つまり乗っ取ろうとしているのではなく、同化しようとしている…か。
何が起きているのかの予測は付いたけれど…一応カナにも聞きましょう。上海との接続を切ってカナに向き直る。
「それで、カナ…私もだいたいは察せたけれど、状況を詳しく」
「どこから話せばいいのかな…アリスのおかげで豹の魔力を扱えるようになったんだけどね。使ったものを戻そうとしたら、お家が力を貸してくれなかったの。あれって思って早速魔力で探ってみたんだけどね、もう離れちゃってた」
離れた、ね。消えたわけじゃなくて。
「さっき言ったけどね。マイナスの感情に沈んでも、このお家の一番大切な意思は変わらなかったわ。豹のそばにいたい。それだけは、どれだけ不安定になっても変わらなかった」
「………」
上海が俯く。
「不安定になって、崩れてもいい。そう考えてしまったのは、ここから動けなかったから。
出て行ってしまった豹を、追いかけることができないから。
一度崩れたら、追いかけられるカタチになれるかもしれない。その誘惑に、揺れてたのよ。
でもね、豹が出ていく直前に、ここに置いていった
それは、ただの偶然。
「シャンハイちゃんも、豹が案内した部屋で記憶の残滓を見つけちゃったんじゃないかな?」
「…小さなひな人形さんに重なっていた、不思議なものの事でしょうか」
「そうだよ。あのお人形さんは誰かからのプレゼントだったの。それも、このお家までやってきて豹に渡してる。お家にとっては、外で豹を守ってくれてる一人だったから。忘れることなく、残ってたんだわ」
「あの方は…たしか、妖怪の山の厄神様です」
…鍵山雛のことかしら。たしかに人形に縁がある相手として、一度上海を連れて会ったことがあるわね。
「記憶の残滓を見つけてしまったシャンハイちゃんを、お家も見つけちゃったんだね。アリスにも言われたけれど…」
「人形には宿りやすい。実に都合のいい相手を豹が置いていった」
「うん。これを使え、って言われたと思ってもしょうがないよね。だけど、もうシャンハイちゃんには上海ちゃんがいた。そのまま宿ることはできなかったわ」
今になって振り返ると、あの時上海を使ったのは博打も博打だったのね…
「そうしてアリスがここまで来てくれた。後はアリスも見ての通りなんだけど、あの中でもお家にとってチャンスが出来たの。まずはアリスがお家から魔力を吸い取ったこと。それをシャンハイちゃんにもつないだこと」
私を介して繋いだから大それたことは出来ないと考えたのが間違い…交戦する前から上海に目を付けられていたわけね。
「そしてわたしが古い鎧を使ったこと。それをシャンハイちゃんが止めてたこと。あの鎧はこのお家の家族の中で一番人型に近くて、頑丈だったから…練習と浸食を兼ねてシャンハイちゃんを狙ったわ」
「…いえ、待ちなさい。さっきひな人形と言ったわよね?明らかにもっと宿りやすい人形があったということじゃないの?」
記憶の残滓…私にはどういうものなのかわからないけれど、今まで聞いた限りではその人形に家の意思が宿ってもおかしくないはず。
「え~っとね、あのお人形さんは毎年交換されてるのよ。はじめてここに直接訪ねて届けたという記憶の残滓は、正確に言うと人形自体じゃなくてそれを飾ってる場所…台座に残ってるわ」
「あの小さなひな人形さんは、この家の厄を集めてくれていました。おそらく、厄神様が流し雛として手ずから作り上げたのではないでしょうか」
上海が私の疑問に答えられる。私の推測が確信に変わる。
「シャンハイちゃん、流し雛ってどんなお人形さんなの?」
「えっと、私も聞いただけで詳しくはないのですが…」
「ひな祭りの起源とされる、上巳の節句に行われる穢れ払いの形代よ。毎年交換されているそうだけれど、それは3月3日に新しい人形と交換されていたんじゃないかしら」
「あ、たしかにそれぐらいの季節だったわ!…って、少し話がそれちゃったね。そういうわけで、交換されることがお家にもわかってたから、宿る対象として考えてなかったんだと思うよ」
なるほどね。あの鎧具足に上海を差し向けたのは一撃で動かないように出来るのが上海かゴリアテだけだったからなのだけれど、ここでもしてやられてたわけか…
「アリスに八つ当たりして落ち着いたこのお家は覚悟を決めちゃった。豹を追いかけられるチャンスを逃したくなくて…シャンハイちゃんのボディを使おうとしたのね。だから問題は…今のシャンハイちゃんが、アリスにとっての上海ちゃんとどれだけ違いがあるかなの」
「…違い、ですか」
上海がまた俯いて言葉を漏らす。私の手から離れて半日も経っていないのに、これだけのことが起こった。上海への負担は私よりずっと重い。
だけれど…上海は私を《ご主人様》と呼んだ。まだそう思っているのであれば、私も製作者として応えるべきなのでしょう。
「上海、一つ聞くわ。この家の記憶があなたに宿ったのは今の話で理解できた。ただ、その替わりに私があなたを創り出してからの記憶を失っているのかしら?」
「そんなことはありません!もしそうだったら、ご主人様なんて呼べないです…!」
何の迷いもなく、間髪入れずに返事が返ってきた。これなら、私も認めてあげられる。
「それなら問題は無いわね。上海、今日のところは私の家に帰るわよ。この家から離れることによって何かしら影響が出るかを調べるわ」
「えっ…?」
とても重い意志と記憶を継がされて。その副次効果か流暢に言葉を話すようになって。
人形である上海に表情なんてないけれど、その分発する言葉から感情を汲み取れるようで。
「……いいのですか、ご主人様……
私は、上海と名乗っても良いのですか……?」
急に押し付けられてしまった感情に、私の
「私はそれ以外に呼ぶ名前を知らないわよ」
「ですが、今の私は…」
「シャンハイちゃん、こう考えればいいんだよ。今ここでまた、上海と名付けられたって」
「あ…」
カナが横から口を挟んできたけれど、とても良い考え方だと私も思った。
彼女にとっても、上海は大切な存在になってしまったのだから。支えたいのでしょう。
\ホラーイ/\……/
「蓬莱、ゴリアテちゃん…ありがとう……っ!!」
蓬莱とゴリアテが上海に抱き着いた。蓬莱はわかるのだけれど、ゴリアテまでとはね…たしかに吸い取った家の魔力は巨大化維持のために8割方ゴリアテに回したから、影響を受けてもおかしくない。試験中の魔法を扱わせていたから自立意識はかなり薄くしていたのだけれど、それでも影響されるぐらい、大きな意志だった…
「アリス、わたしからもお願いするね。こうなった以上、このお家はもう大丈夫だと思う。だから上海ちゃんが受け止められるかどうかになるよ。明日またここに来て…
わたしはお家に影響が出るかどうかを調べておくわ」
「ええ、お願いするわ。豹のことはその時にまた話しましょう」
アリスは上海ちゃんたちを連れて一度帰っていった。やっと、もう一人のお客様の対応に移れるわ。
「待たせちゃったみたいでごめんね~。たしか麟さん、だったよね」
「…名前だけでも覚えていてもらえたのは嬉しいです」
「…ごめん。豹から教えてもらったはずなのに、忘れちゃってる。これが麟さんの…」
「はい、ですので手短にお願いします、私が辛いので…何があったのでしょう?」
「―――そうですか…豹さんはすでに」
「出してくれた名前はエリーと春告精。リリーホワイトはわかるんだけど、エリーさん?がわからない。麟さんは心当たりある?」
「いいえ、残念ですが…でも手掛かりがあるだけ助かります。私は単独行動しか出来ませんが、何かわかればまたここに来ます。それでは」
「うん…ありがとう」
二胡を携えた楽師が隠れ家へ訪れたことを、カナはアリスが戻ってくるまで覚えていることはできなかった。