賢王ゴドリック   作:Humanity

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元気です。


擬態のゴドリック

 

女子供を連れだって貴人や隊商とそれらを護衛する小姓達がローデイルを去っていく。荷車の車列があげるぎいぎいという不気味な呻き声は二枚の高い壁と一つの広く深い水堀を隔てた王都にも轟いていた。

 

「…我が王よ、あの音は一体なんだ?」

 

「む。おぉマリカか。あれは王都を脱する者らの音よ。」

 

議場や大聖堂から降ったところにある、上層街の通りでそう話すのは女王マリカとその夫たるエルデの王ゴッドフレイである。

この場所から街を眺むれども見えるのは大きな竜の巌と灰色の壁、そして黄金樹のもとに在る黄金の空ばかりであるが。おそらくゴッドフレイ自身も伝え聞いたものなのであろう。

 

「ようよう大乱が治ったとはいえ、もはや王都の中であれど安全であるとは言い難かろう。民草もそれがわかっていてのものだ。」

 

「そう…。」

 

第一次、第二次ローデイル攻防戦という、王都ローデイルを突如襲った戦火は民衆を揺さぶるのにはこと欠かぬ大きな衝撃であった。古竜戦役が明け、その後の信仰の成果もあり此度の戦乱も勝利を収めた王都勢であったが、度重なって戦火が都へ被られたことは特に諸侯の子息やその妻妾そしてそれらを侍らせるものらにとってこの上ないほどの強力な恐怖心を煽ったのだ。

 

「逃げる先はリエーニエかリムグレイブか、はたまたケイリッドか。リエーニエは和睦したといえどいまだ黄金樹の麓の民よりしてみれば不信感が残る。ケイリッドは東の地の風習が強いゆえにあまり王都の者らが馴染める地とは言い難い。それにかの地はリエーニエと同様に魔術の地。苦渋の択となろうが、少なくとも黄金樹の側であることを鑑みれば目指す先はリムグレイブであろうな。」

 

ゴッドフレイは遥か南東の地を臨む。

嵐の渦巻く地、ストームヴィルはゴドフロアの所領であった。

 

「彼らの命運はお前の手腕に掛かっているのだぞ、…ゴドリックよ。」

 

彼らはストームヴィル城に靡く黒い風を思っていた。

 

場所を移して、今まさにアルター高原を出でんとする黄金の市民たちの真っただ中に件のゴドリックの姿があった。

擬態のヴェールにより子女に姿を変じた彼はもとの身分の知れぬよう貴人の装束に身を包み、同様に小姓や旗持ちといった一般的な旅団の一員に扮したエドガー率いる失地騎士たちに守られて遥かリムグレイブを目指し歩みを進めているのである。

 

「…。」

 

しかしその表情は王都を離れる市民たちの中にあって尚さらに暗く、思案の海に沈んだ顔をしている。そんな彼の脳裏に焼き付いていたのは、実父ゴドフロアの有様だった。

それはゴドリックの似たように祝福の薄き故か只人と区別もつかぬほどに小さな身に生まれ落ちたはずであるゴドフロアの、無数の腕や足、あるいはその見分けもない肉塊に継ぎ接ぎの巨躯となっていた悪夢のような醜態である。

 

『あれが、あの悍ましい蠢きが王の姿であって良いはずのあるものか。』

『あれが我が父君であろうはずがない。』

 

ゴドフロアの姿を昇降機の待つ間に遠目で見たゴドリックは、かの醜悪な死体まみれが自らの父であるという事実に酷く打ちひしがれたのだった。

故に彼は自らに問うたのだ。

 

『あるべき王とはいかなる姿であろうか。』

『父たる誇りと振舞いはどうであろうか。』

 

眉間に皺の寄るなか、がくりと膝を折る程の揺れに驚いたゴドリックはハッとして気づけばエドガーに支えられた我が身を自覚する。

 

「っ!エドガー今のは…!」

 

内心自らの口より発せられた高い声にも驚いたのだが、すぐに擬態のヴェールを思い出したのでこれは顔に表れていない。そのはずだとゴドリックは飲み込んだ。

 

「ご心配には及びません。昇降機が動き出したのです。」

 

「昇降機…あっあぁ我らの番が回って来たのだな。」

 

顔を上げると巨大な木枠の向こうで岩肌が風の様に過ぎ去っていく。時折橙色の点が通りすぎるので、この岩肌は存外に遠くにあるものであるようだった。

 

「…あれは建造中の大昇降機であります。確か名は『デクタスの大昇降機』であったかと。」

 

「『デクタスの』…『大昇降機』。…ああうむ、カーリア王家との和睦を祝したものだったか。見るのは初めてだが…これほど大きいものになるのだな。」

 

ゴドリックは王都で過ごした邸宅が一つ丸ごと飲み込まれてしまうであろう大穴に目の回るような心持ちをしつつ、恐る恐る下を覗き見る。背後につくエドガーによって強く抑えられたがためにゴドリックはあまり鮮明には見ていないのだが、視界のかすむ大穴があんぐりと口を開けていることは理解できていた。

 

「あまり身を乗り出しませんよう。」

 

「す、すまない…。これは…『ロルドの大昇降機』と同じものになるのだろうか。」

 

『ロルドの大昇降機』。巨人戦争の戦勝を祝して造られた大昇降機である。その先には第一マリカ教会があり、巡礼路の体を為して巨大で豪勢な昇降機とそれにつなぐ大橋を建造したのであるが実際のところそれが単なる巡礼のために使用されることはない。大昇降機の先は古くの『巨人たちの山嶺』であり、御伽噺に有名な消えぬ滅びの火を封じる禁足地であるためだ。

 

「おそらくは…あちらよりもやや実用に寄っていることとは存じます。」

 

「とはいえもう、戻ることはないが…な。」

 

上を見上げれば黄金樹の枝葉がまだ見えた。とはいえここはアルター高原の末端。王都を満たした金色の空も霞んでいて、黄金の輝きは遠くなっていた。

 

「無礼をお許しください。」

 

「よい。」

 

ゴドリックは思い至って、荷馬車の積荷を爪先立ちになって覗きこむ。家財道具に紛れてひっそりと横顔を見せているのは王都の館から取り寄せた黄金の花の親株だ。小さなゴドリックの、精一杯に盗み出した「秘宝」と言えるだろうか。

 

「…よし、…む。」

 

荷車の中にあふれている家財道具の山の中に、自らと同じ貴人の旅装を着込んだ黒い髪の者が男女で乗らされている。それを視て小さく唸り少しばかり目を細めたゴドリックはそのまま荷車の足掛けから降りた。彼らは要はゴドリックの影武者であろう。

 

荷馬車を離れエドガーの下へ早足にもどる途中ちらと昇降機に同乗する他の一団を見やる。するとどうだろう。その一団の貴人の長は王都の館でも務めた失地騎士のうち一人では無いか。

驚き見回すと他の団員たちは顔を隠しているもののゴドリックにはわかったのだ。周囲の小姓たちや荷馬車、旗持ち、貴人を護衛する帯剣した者たちは皆己が見知った面々であることを。しかし妙にその数は少ないのだ。

 

「…他の者たちは。」

 

「は。我々に先立ってストームヴィル城へ向かったものや我々の後を追ってくるものもおります。我々は亡命者の身でありますから、相応の策を執っております。」

 

「そうか。…あ奴らも無事であるとよいが。」

 

「それとお耳に入れておきたいことが。」

 

周囲に居る者たちが皆自身の従者であることが分かったゴドリックはやや緊張を解いていた。しかしエドガーの声色に顔を顰めた彼は少し顔を寄せた。

 

「話せ。」

 

「は。この先リエーニエ内は概ね()()()()()()()()()()()カッコウ騎士団が受け持っております。」

 

魔術学院を強調したエドガーに対しゴドリックは訝しみつつ先を急かす。

 

「む…うむ。それが何か。」

 

「は。しかし彼らカッコウ騎士団にあまりいい噂は聞き及んでおりません。」

 

「先を急ぐ必要がある、ということだな。」

 

「は。その通りにございます。」

 

ゴドリックは思案しつつエドガーへ訊ねた。

 

「策はあるのか。」

 

「僭越ながら申し上げます。この先昇降機を降りた先はレアルカリア魔術学院の南門まで一本道です。しかしその先で二手に分かれます。」

 

「リムグレイブへ向かう荷馬車と、もう一方か。」

 

「は。荷馬車を含む一団は大橋を渡りリムグレイブ、ストームヴィル城の門前へ。もうひと手は、ゴドリック様を私めが数名の失地騎士と共にストームヴィル城へお連れします。」

 

ゴドリックは眉間に皺を寄せて言った。

 

「むしろ危険ではないか。」

 

これはもっともな意見であると言えるであろう。

しかしエドガーは待っていたと言わんばかりに弁を振う。

 

「リエーニエでは現在、カッコウらの言う『検問』が強化されていると聞きます。一足早くストームヴィルへ向かった隊の報告で発覚しました。もとより巡礼者を相手に略奪行為を行なっていたようですが、此度の攻防戦より逃げ延びんとする貴人を相手にその動きを強めているとのこと。」

 

トロルを連れ立った大型の貨車でこそないものの、ゴドリックの所有する家財と失地騎士達のための武装が隠されている中型の荷車である。王都より逃げ延びる集団の荷車としては珍しい規模ではないが、略奪者たちにとってはその限りではないだろう。

 

「むぅ…では詰まるところ、イリス教会を目指すのか。」

 

「左様にございます。」

 

イリス教会。黄金樹勢との和睦を祝して、結びの教会に続いて建立された黄金律原理主義の教会である。レアルカリアの門前町に新設された聖堂区と呼ばれる教区を除いては、リエーニエ唯一の黄金律教会だ。

和睦を祝してというものの教会員としてはリムグレイブより派遣されたものや王都より派遣された騎士が大部分を占めるので、実態はカッコウ騎士団に対する監視の目であり黄金律の巡礼者たちにとっては略奪者から逃れる避難場所であった。

 

「黄金律原理主義の巡礼者一行、という筋書きであればなんら不自然にはございません故に。」

 

「…分かった。」

 

亡命の旅が早く終わればいい、とゴドリックは只そう考えて昇降機の外を見やる。長い縦穴を抜けて大きく口を開く洞窟からは既に、レアルカリアへ延びるまっすぐな道が見えており寒々しい青い霧に彩られていた。黄金樹の下の空を見慣れていた彼にとってここはもはや別世界であった。

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