プルフォウ・ストーリー2 月に降り立つ少女たち 後編 作:ガチャM
挿絵:おにまる twitter @onimal7802
ガチャM
■デザイン協力
かにばさみ 4、5、11 twitter @kanibasami_ta
アマニア 7 twitter @amania_orz
いなり 8 twitter @inr002
ねむのと 9 twitter @noto999
おにまる 10 twitter @onimal7802
※Pixivにも投稿しています。
2
「な、なんだお前?」
「お姉ちゃん、花いらない?」
「花だって?」
プルツーは、男児の呑気な言葉に安堵して警戒レベルを下げた。こいつは危害を加えるためでなく、物を売りつけるために近づいてきたのだ。
車輪がついた小さなカートを押している男児は、ヒスパニック系で黒髪。年齢は自分よりは下だろう。ぼやけた色のゆったりしたズボンとシャツを身につけていて、靴はボロボロだった。
「そうだよ。他にもいろいろあるから、気に入ったら買ってよ」
こんな人気のない通りで、商品が売れるとは思えない。愚かな奴だ。
「悪いが、いらない」
「部屋に飾ったら綺麗だよ」
「必要ない。部屋を飾るだなんて、する気もないよ」
「お姉ちゃんにも似合うと思うんだけどなあ、ほら」
男児が厚かましく花を頭にのせてきたので、プルツーは慌ててそれを振り払った。
「なにするんだ!」
「お姉ちゃん、綺麗だから似合うと思うよ」
「ふざけるんじゃない! いらないって言ってるだろっ」
「ちぇっ、ケチ!」
「消えな!」
男児が舌を出して悪態をついてきたが、プルツーは挑発に乗らずに歩き去った。時間と資金に余裕はなく、スケジュールは遅れている。ガキに付き合って争っている暇はないのだ。
が、数歩歩いたところで、プルツーは心に引っかかりを感じて歩みを止めた。
それは、まるで刻み込まれた傷が無理矢理に抉りだされるようだった。傷が広がり身体が引き裂かれて、半身が置いていかれるような感覚。そんな幻視すら見え始めたのだ。
「なんなんだ。身体機能の不調かっ」
胸を押さえると激しい動悸が伝わってきて、汗がうっすらと額に滲んだ。ガキから離れようとするほどに息が苦しくなる。
プルツーは、気がつくと向きを転じて元の場所に戻っていた。
「おい、お前はそれが仕事なのか?」
「えっ? うん、そうだけど」
男児は、言い争った相手がわざわざ戻ってきたことに驚いているようだった。
「親は?」
「ママがいるよ。工場で働いてる。パパは出稼ぎに行ってる」
「そうか」
違う、こいつは知らないのだ。いや知らされていないというべきか。ニュータイプ能力によるのだろう。彼の父親は亡くなったのだと、プルツーには分かってしまったのだ。
「仕事は上手くいってるのか?」
「あんまり。売ってもお金を店に渡さないといけないし」
「店?」
「うん。僕たち雇われてるんだよ」
プルツーは、アクシズ年次経済調査報告書に目を通していたので、モビルスーツや艦船の残骸を集めて売り払う、ジャンク屋紛いのスカベンジャーが増加していることを知っていた。
こいつもそうした連中の一人だが、おそらく売り上げをピンハネしている奴らがいるのだろう。
先の大戦で総人口の半分が亡くなって働き手は不足しているから、子供をこき使って稼ごうとするクズは多いのだ。
子供が大人に良いように使われている。それが、プルツーにはたまらなく腹立たしかった。
「フン、それ全部よこしな」
「えっ」
「買ってやるよ。よく考えたら部屋を花で飾るのもいいかもな」
「ほんとに!? ありがとう」
プルツーは、持ち合わせていた金を全て子供に渡すと、萎れた花束とガラクタのような品物を全て引き受けてバッグに詰め込んだ。
もちろん後でどこかに捨てるつもりだが、これで商業施設に行く理由はなくなってしまった。
「ちっ、戻ってレーションを食べるしかないか」
かなり腹が減ってきているから急いで戻らなければならないが、《クィン・マンサ》まで戻る過程を想像すると、プルツーは軽い眩暈を覚えた。こんなことなら、途中で菓子を買っておけばよかったと後悔した。
彼女は、ふらつく脚を気合いで動かしながら来た道を戻ろうとしたが、少年がまだ離れようとしないことが目障りだった。
「なんだ、お前。まだ用があるのか?」
「お姉ちゃん、まだご飯食べてないの?」
しまった。言葉を聞かれたか。
「気にしなくていい」
「一緒にご飯食べる?」
「いや、遠慮する。って、おいっ!?」
プルツーは少年に掴まれた手を振り払おうとしたが、まったく力が出ないことに驚いた。まるでエネルギー切れを起こしたモビルスーツみたいに無力だった。
吸い付いてくるような男児の手に抵抗できぬまま手を引かれると、そのまま道路脇のスラムにある少年の家まで連れていかれた。
『な、なんだ。これは家なのか?』
家のようなものと表現するべきだろう。その建物は住居と認識出来ないほどに汚く、小屋か倉庫だと表現する方が適切だった。
アクシズでいえば廃品置き場というところか。
こんな場所は御免だと思い、プルツーはすぐさま立ち去ろうとしたが、男児が鳴らしたチャイムに応えて母親がドアを開けて顔を見せたので、彼女は離れるタイミングを失ってしまった。
「あら、見かけない子ね。女の子だなんて。ハイメ、何があったの? 説明なさい」
「このお姉ちゃんが全部買ってくれたんだ」
「本当に?」
「いや、あたしは……」
「良いんですか?」
申し訳ないような、困ったような表情をしている母親は、二十代後半くらいだろう。長い黒髪を後ろで結び、ゆったりとした簡素な服を着ている姿は少し疲れているようで、生活に苦労していると想像できた。
「部屋に必要だったから、買った」
母親には、それが嘘だとばれているだろう。だが例えそうだとしても、同情で花を買ったなどと言えるわけもなかった。
なぜ買ってやったのに困らなくてはいけないのかと、プルツーは不要なシンパシーを抱いたことを後悔した。
「そうでしたか……。お礼に食事を食べていってくださいな。お名前は?」
「えっ? あ、あたしの名前?」
ここで本名を明らかにするのは作戦上リスクが高い。この女が、子供を巧妙に利用した地球連邦軍のスパイではない、とは言い切れないからだ。
だが名乗らないわけにはいかなかった。
プルツーは、咄嗟に何かの資料で見た名前が頭に浮かんだので、それを使うことにした。
「名前は、セーラ。セーラだ」
「セーラさん。ステキな名前ね」
「……」
本当に、ステキだなんだと親子で同じようなことしか言わないのは呆れてしまう。よほど能天気なのだろう。
「どうぞ入って」
プルツーは成り行きで仕方なく、警戒しながら家の中に足を踏み入れた。だが、外見とは違って部屋が片付けられていたことに安堵した。これで部屋の中まで汚かったら絶望的だ。
奥に案内されると、キッチンがくっついている狭い部屋にテーブルがひとつ置かれていて、その上にサラダとパンが並べてあった。
「いま、あなたの分を用意するわね」
「ど、どうも……」
勧められるまま座ってみると、椅子はガタついていた。テーブルも狭くとても快適とは言えない。
プルツーは、少年が笑いながらこっちを見ていることに気付いて、さっと視線を逸らした。馴れ馴れしくされる覚えはない。
視線を逸らしたついでに部屋を観察してみると、タペストリーや花で誤魔化してはいるものの、やはり内装は古びていた。
壁にもひびが入っているから、叩けば崩れるのではないだろうか。建物が崩壊して下敷きになるのは御免だ。
プルツーがぞっとしていると、母親が食事を運んできて目の前に置いた。
目の前に置かれた貧相なパンとスープをみて、彼女は思わずこれで全部なのかと母親に尋ねそうになった。正直なところ、とても腹を満たせる量ではない。
『こいつらは、いつもこんな食事を食べてるのか……?」
とは言え、他に選択肢はない。
彼女は、とりあえず味見しようとスープに手をつけかけたが、親子が手を組んで祈りを捧げていることに気付いて慌てて手を止めた。
ちっ、そうか。宗教的な習慣というやつだ。
ハイメが片目を開けて、いたずらっぽくニヤニヤと笑っている。そんなこと知るかと、抗議の意味で再び横を向いてやった。
「さあ、頂きましょう」
ようやくか。プルツーは母親の言葉で改めてスプーンを手に取ると、ボウルに入ったスープを口に運んだ。
瞬間、彼女は思わず顔をしかめそうになった。
薄くてまるで味がない。具も少なくて、満足にエネルギーを補給することも出来なそうだ。
こんなシロモノを食べたのは生まれて初めてで、軍用レーションの方が遥かにましだと思った。
絶望しつつ、次にパンを食べてみるとこれまた酷く、硬くて歯が折れるかと思った。
仕方なくスープに浸し、柔らかくしてから口に含んだ。
「お姉ちゃん、美味しい?」
「あ、ああ。悪くない」
不味そうに食べるのは母親に気が引けたので、プルツーは無理矢理に作り笑いを浮かべながら咀嚼した。
しかしながら笑うのはあまり得意でなく、筋肉がひきつりそうになってしまった。
「セーラさんは、このコロニーは初めてなのでしょう?」
「え、なぜ?」
「見かけたことはないし、あなたみたいな女の子がくるところではないから」
「いや、そんなことは」
「でもね。昔はもっと活気があったんですよ。それが、あの大戦争のせいで……。セーラさんは、どこにお住まいなの?」
「あ、あたしは……。ズムシティ。ズムシティに住んでる」
「そう、都会でいいわねぇ。そういえば暴動が起こったと聞いてるけれど、あなたのお家は大丈夫だったの?」
「暴動?」
「知りません? 三日前にね。ちょうど、あなたみたいな女の子が歌っているときに発生したのよ」
「知らなかった。その歌っていた子は? 無事なのか気になる」
プルツーは、それが妹のプルエイトだと察して心配になった。極秘テストで無線を封鎖していたから、全く情報を仕入れていなかったのだ。
「安心して。その娘は無事に逃げたそうよ。彼女の妹さんがロボットで助けたとかって、まるで英雄みたいに騒がれているようね」
「そのニュースや映像があれば見たい」
プルツーが強く要求すると、母親は使い込まれたコンピューターパッドにニュース映像を映してくれた。パッドに表示されている名前で、母親の名前がイサベルだとわかった。
「これよ。あら、本当あなたにそっくりね?」
プルツーはパッドを受け取り、ニュース映像を確認した。やはり妹のプルエイトとプルナインだ。ジオン軍服を着たナインと着飾ったエイトが、《ハイザック》らしきモビルスーツの前で一緒にカメラに収まっている。
記事の内容は、だいたい次のようなものだった。
『地球連邦軍の横暴に抵抗した、勇気ある少女パイロット。式典で歌う姉の危機に、颯爽とモビルスーツで現れると、愛国者マリー・ファンネルは、民衆に弾圧を加えていた連邦駐留軍を撃退したのだ。ピンクに塗られたモビルスーツを駆る『桃色ほうき星のマリー』はジオンの新たな英雄だ』
まさか、この記事はナインのことを言ってるのか? あいつがモビルスーツで戦闘を? あり得ない。
にわかには信じられない文章が写真には添えられていた。
「あなたくらいの女の子がパイロットだなんて。子供が戦っているという噂は本当なのかしら……」
「いや、それはない。素人の子供では戦えないから」
「理屈や常識が通用しないのが戦争よ。地球では、ゲリラが七歳くらいの子供に銃を持たせていると聞いたわ。本当に恐ろしいこと。戦争になったら、うちの息子やあなたが徴兵されたりしたら……」
「ただの噂話だ」
母親にそう応えたが、プルツーはアフリカの解放戦線で、子供がモビルスーツに乗っていたことを知っていた。このハイメも大して年齢が違わないから、母親として心配するのは理解できる。もし、あたしがモビルスーツパイロットだと知れば、この女は卒倒するのではないか。
「僕は水中型モビルスーツに乗りたいなあ。ゴッグとかズゴック、アッガイとか。お姉ちゃん知ってる?」
ハイメが能天気に言った。
フン、パイロットのあたしにモビルスーツのことを訊くのか? 女の子は軍事兵器に興味はなく、服や音楽とか旅行が好きだと思ってるんだろう。
プルツーは呆れたが、母親の手前、話を合わせてやった。
「知らないな。ザクなら聞いたことがあるよ」
「ズゴック知らないの? ジオンで一番強い水中型モビルスーツなのに。ザクは水に入ると壊れちゃうんだよ」
確か試作タイプとして水中型のザクが開発されたと記憶しているが、無駄な会話をするのも面倒だった。
「あんな大きいのに海に潜れないのか?」
「うん。だからゴッグやズゴックが作られたんだよ」
ハイメが話しているのは旧式モビルスーツばかりだが、民間人の子供が知っているのはこの程度だろう。
「怖いわね」
「怖いって、何が?」
「みんな、ジオンと地球連邦軍との間でまた戦争が始まるんじゃないかって不安がっているの。あのアクシズとかいう人たちは、まだ古い考えを持っているのかしら」
「古い考え?」
「自分たちだけが優れているという考え方よ。他人を馬鹿にして見下してる。そんなだから敵を作ってしまうのね」
「……」
プルツーは、それを言うなら地球連邦政府こそ傲慢じゃないか、と反論したくなったが、ここで議論しても仕方がないし、子供が戦争を肯定するのは違和感があるだろうから、あえて何も言わなかった。
「御免なさい。不安がらせてしまったわね」
「もし戦争になったら逃げるのか?」
「逃げるところもないし、ここにいるでしょうね。前の戦争でも、ここにいましたから」
「たしかにスペースコロニーに住んでいれば逃げ場はない」
「最近も事故でスペースコロニーが地球に落下したと聞いたわ。恐ろしいことね」
プルツーは、自分の顔が歪まなかったか不安になった。まさしく、そのスペースコロニーを地球に落下させた軍隊に属していて、その場に居合わせていたのだ。
彼女は罪悪感などは持ち合わせてはいなかったが、それでも、まるで犯罪者であることを隠しているかのような居心地の悪さを感じていた。
「食事を感謝する」
プルツーは、スープとパンを食べ終えると立ち上がった。トラブルを回避するために、余計な会話はせず、この場を離れるべきだと考えたのだ。
もちろん野宿するわけにはいかないから、これからすぐに《クィン・マンサ》に戻らなければならない。今は夜八時だから、まだ余裕はある……。
「ふわあぁ……」
だが眠ることを思い浮かべたとたん、うかつにも大きな欠伸が出てしまって、プルツーは慌てて口を手で覆った。一週間ずっと極秘テストを続けてきたので、疲れが蓄積しているのだ。
「あらあら、眠そうね。大丈夫なの? 親御さんは迎えにくるのかしら?」
「あ、いや。ここには一人で来た。でも、スペースバスのチケットをとってあるから心配はいらない」
「チケットは変更できるのでしょう? 良かったら今日は泊まっていきなさいな」
「えっ?」
「息子のベッドを使えばいいわ」
「そ、そんな厚かましいことは出来ない」
だが、そうは言ったものの、プルツーはベッドでまともに寝たいという誘惑に、理性が負けそうになっていた。
「子供がそんなこと気にしなくていいわ。このあたりは暗くなると危ないから、泊まっていきなさい」
「しかし……」
「あまり背伸びしなくていいのよ」
プルツーは。イサベルが近づいてきて、ふいに抱きしめてきたので驚いてしまった。
なんて馴れ馴れしい女だと感じたが、疲れているからか抵抗できず、しばらくそのまま身を任せた。
目を閉じればすぐにでも寝落ちしそうな程に眠い……。
「じゃ、じゃあ泊まる」
「良かった。夜中に子供一人で歩かせるわけにはいかないわ。さあ、寝る前にシャワーを浴びてちょうだい」
シャワーか。願ってもないことだが、他人の家で食事をしただけでもイレギュラーな事態なのに、あまつさえ泊まってシャワーを浴びるなんて。
プルツーにとっては、見知らぬ他人の家でプライベートな行為をするというのは想像しがたいことだった。
「バスルームは奥よ」
「わ、わかった」
狭苦しいバスルームが、廊下を挟んだ向かいにあった。
プルツーは、手洗いを兼ねたその狭い部屋に恐る恐る入ってみた。バスルームの手前にやっと一人が立てるくらいのスペースがあって、そこが更衣室になっている。
なんとか使用は出来るか?
彼女は思い切ってジャケットとズボンを脱いでハンガーに掛けると、下着も脱いでカゴに放り込んだ。
完全に無防備な状態だから、いま敵に襲われたら反撃すらままならないだろう。
プルツーは、少し不安を感じつつカーテンを開けてシャワー室に入った。蛇口は古く錆びていて、操作ディスプレイも壊れていたが、彼女はともかくスイッチをひねってお湯を出してみた。
「熱っ! 温度コントロールも壊れてるのか!?」
予想外に熱いお湯が飛び出してきて、プルツーは慌てて水の量を増やした。参った、壊れた家では全てがこれだ。
しかし贅沢は言えない。濡れた殺菌タオルで身体を拭くのではなく、お湯で汗を流すことが出来るのだから。それも一週間ぶりに。
「ちっ、宿泊料を払って、わざわざこんな掘立て小屋に泊まるなんて馬鹿げた話だよ」
ともかくこの家で休んで体力を回復し、すぐに合流ポイントに向かわなければならない。
だがプルツーは、サイド3で暴動が発生したことが気になっていた。そんな状況で、はたしてグワンバンはまだズムシティに滞在しているのだろうか? 異変を感じて、とっくにアクシズに帰っているのではないだろうか。
ひとり取り残された可能性も考えたが、その場合はこのまま待機して、いつかもわからぬ回収を待つことになる。だが焦っても仕方がない。どうせ今夜はここに泊まるのだから。
心配するのを止めたプルツーは、棚にあったシャンプーを手に取って、ごしごしと髪を洗い始めた。前髪やもみあげも丁寧にケアすると、続けて石鹸をつけたスポンジで丹念に身体を擦ってから熱いシャワーで洗い流した。もう気持ち良いの一言で、彼女は身体が軽くなった気がした。
時間をかけて存分にシャワーを堪能したのは、なによりこれが目的だったからだ。
プルツーは満足してバスルームを出ると、用意されていたタオルで身体を丹念に拭いた。本当に生き返った。あとは睡眠を取れば完全にリフレッシュできる。
あいにく寝巻きは持ち合わせていなかったので、下着で寝るつもりだった。イサベルに下着を収納したポーチを渡していて、カゴの中にそれが用意されているはずだ。
「な、なにっ!?」
プルツーは、あまりのことに狼狽した。用意されていた下着が、自分のものではなかったからだ。
彼女が普段身に付けているのはスポーツブラなのだが、カゴに入っていたのは、ひらひらした布やらリボンが着いた、なんとも恥ずかしいシロモノだった。
困惑していると、ちょうどイサベルが洗濯物を洗うために、バスルームにやってきた。
「こ、この下着は?」
「本当に可愛らしい下着ねえ。都会の子はオシャレね」
「あ、あたしのじゃない」
「ええ? あら、たしかにサイズが合ってないわね……」
まさかプルエイトの下着を持ってきてしまったか!?
プルツーは、妹のプルエイトがこんなヒラヒラした下着を身に付けて、ホロ写真に収まっていたことを思い出した。エイトはモデルの仕事もしていて、背が高く発育もよいから、彼女の下着があわないのは当然だった。ブラはサイズが大きすぎ、ショーツもブカブカだ。
プルツーは、なぜか悔しさと恥ずかしさを感じて、柄にもなく顔が赤くなるのを感じた。
「ま、間違えて『姉』の下着を持ってきてしまった」
「あらあら、そうだったの。じゃあ、着ていた下着は洗っておくから、今夜はパジャマを着て寝たら?」
「そ、そうする」
プルツーは、イサベルが棚から取り出したパジャマを手に取った。見ると、それは旧ジオン公国軍の水中型モビルスーツがいくつもレイアウトされた、子供用のパジャマだった。
ジオン公国軍の水中専用モビルスーツ《ズゴック》や《ゴッグ》《アッガイ》などが、等身が縮まったように擬人化されて描かれている。なんとも幼稚なデザインだが、これは間違いなくハイメのパジャマなのだろう。
そうだ。つまり、イサベルはあたしに男の服を着せようとしているのだ。
「こ、これしか無いのか?」
「ごめんなさいね、息子の寝間着しかなくて。でも、サイズが合ってなくて大きめだから着れるはずよ。さあ、着てみてちょうだい」
「……」
プルツーは裸で寝ようかとも考えた。コールドスリープしていたときは裸で寝ていたのだ。だが他人を前にすると、それがとてつもなく恥ずかしいことに思えてきて、仕方なく馬鹿げた寝巻きを着ることにした。
とは言え、この寝巻きは自分にもサイズが大き過ぎる。裾は長すぎるし、ボタンを留めても胸のあたりに隙間が開いてしまった。
「あら可愛い。綺麗な子は何でもよく似合うわねぇ」
「そ、そんなんじゃない」
「照れなくてもいいのよ」
「……」
容姿が良い悪いなどというパラメーターは、兵士として全く不要なことで、プルツーは普段からそうした価値観は排除していたから、母親の言葉はまったく無意味なものだと感じた。
でも、イザベルの言葉を否定したものの、感情の揺らぎが発生したことは否定出来なかった。
「あ、あたしはもう寝る」
「お休みなさい」
ベッドはシャワー室の隣にあった。
プルツーは、もう凄まじく眠くて限界にきていたので、すぐにベッドに寝ころんで毛布を被った。毛布は滑らかで気持ちが良く、彼女はほどなく意識を失った。
※
精神的に拘束された、戦闘を強いられているという感覚。このマシーンに乗っていたパイロットは、無理矢理に戦わせられていたのだと想像できた。
だが自分は意志で戦っているのだ。そう自覚していなければ、自らの心を見失うと感じるほどのサイコウェーブが、周囲に充満していた。
「あれは、誰だ……?」
宇宙空間に、パジャマを着た自分が立っていた。彼女は両手を大きく広げて、必死な形相で何かを守ろうとしている。
だが、良く見れば攻撃しているのもあたし自身。自分で自分を攻撃しているのだ。パジャマを着たもう一人の自分が、すうっとキュベレイに同化していった。
直後、キュベレイから放出されたファンネルがオールレンジ攻撃を仕掛けてきた。それを自分は、巨大なサイコマシーン《サイコガンダム》のリフレクタービットで全て弾き返してしまう。
そうだ。自身の考えることだから、敵の攻撃が手に取るようにわかるのだ。でも、あいつは誰なんだ!?
「不愉快な奴! 人真似をして!」
『人は自分をみるのは嫌なの』
「な、何を言ってる!?」
『あなたはわたし。わたしはあなたなのよ』
「訳の分からないことを。ふざけるんじゃない!」
『わたしよ死ねぇー!』
「し、しまった!?」
※
「う、うわあーっ!?」
プルツーは悲鳴をあげて悪夢から目覚めた。
ここはモビルスーツのコクピットじゃない!? ちっ、またあのダブリンの戦いか。
プルツーは、嫌な汗をかいて、パジャマがしっとりと湿っているのを感じた。
ダブリンは、不愉快かつ恐ろしい経験だった。最近は、あのときの夢をよく観るようになってしまっている。
『あいつを、あたしは知らないままにやってしまっただけなんだ!』
プルツーは苦しくて息が出来ず、肺から絞り出すように呼吸した。喉が乾いてしかたなく、とにかく水が飲みたかった。だが、起きあがろうとしても身体が動かない。
一週間ずっと狭いコクピットにいたせいで身体機能に異常が発生したのか?
プルツーはそう考えて慌てたが、すぐに胸が圧迫されているだけだと理解した。何かが身体の上にのっているのだ。まさか、この崩れかけた家の天井が崩壊して落ちてきたのか!?
だが、よく見るとそれはハイメの頭だった。ふざけたことに、胸を枕替わりにして寝ているのだ。
「なんだ、こいつ! 寝ぼけてあたしのベッドに入ってきたのか!?」
プルツーは頭を掴んで脇に押しのけようとしたが、ハイメが妙な力強さで抵抗してきたので、逆に自分の胸に押しつける格好になってしまった。
「くっ、どけ! ……あっ!?」
もがいているうち、いきなりハイメが胸にしゃぶりついてきたので、プルツーは思わず声をあげてしまった。
軽く乳首を噛まれた感触に、プルツーの身体がビクッと反応した。
こいつは母親のおっぱいを飲んでるつもりだ。馬鹿が、あの女のとは全然違うだろうが!
「す、吸うんじゃない!」
乳首を吸われたプルツーは、くすぐったさと嫌悪感と快感とを感じて身体を震わせた。
「う、くっ……」
これまで経験したことのないおかしな感覚だった。身体が熱くなり、耐え難い焦燥感が身体を蝕み始めた。
プルツーはこの状況から脱出しようともがいたが、身体が弛緩して力が入らない上に、ハイメに覆いかぶさられているので身を捩ることもできなかった。
危うく喉から悲鳴がもれそうで、もしイザベルに聞かれたら、なにかとんでもなくまずいことになると思った。
このままでは……!
「ど、どきな! いい加減にしろっ!」
プルツーは、快感に身を任せるのを強固な意思で跳ね除けると、身体を捻りながらハイメを無理矢理に身体から引き剥がしてから、そのまま床にごろっと転がした。
「今度おかしなことをしたら殺すぞ!」
ハイメは呻きながらなにやら寝言を言っていたが、そのまま床で眠り続けた。
まったく困った奴だ!
プルツーは、全身に汗をびっしょりとかいているのが分かった。不愉快極まりない感覚で、まだ身体が疼いていたが、どうすることもできなかった。
そのうちに、再び猛烈に眠気が襲ってきたので、プルツーはパジャマのボタンを止めなおすと、布団を被って気を失うように眠りに落ちた。
※
「お姉ちゃん、よく眠れた?」
起きて顔を洗い、私服に着替えてきたプルツーは、ハイメが発した能天気な言葉に怒りを覚えた。
馬鹿が、その言葉をお前が言うのか!? お前のせいでろくに寝られなかったんだぞ!
プルツーはハイメを怒鳴りつけてやりたかったが、あのような体験をイサベルの前で話すことは屈辱的だったので、ただ相槌を打つことしか出来なかった。
「セーラさんが寝ているのに部屋に入って床で寝てしまうなんて……。起こしてしまわなくて良かったわ」
「あ、いや……。気にしなくていい」
「本当にごめんなさいね」
プルツーは、朝から上着を着るのも煩わしいので、下着の上にシャツとホットパンツを着ただけで済ませていたが、シャツとズボンを着たハイメとお揃いみたいに見えたのが少々恥ずかしかった。
「あたしの分の朝食があるのか?」
「ええ、遠慮なく食べてね」
テーブルには、パンとバター、ジャム、焼いた卵、ポットに入ったティーが並んでいた。質素だが、昨日の夕食よりは遥かにましに思えた。
プルツーは、硬いパンを手に取ると、バターとよくわからないジャムを塗って口にいれた。よく噛み締めながら飲み込むと、味は悪くなかった。ジャムの酸味が少々強かったが、バターと一緒に食べるとバランスが良く、素直に美味いと感じた。心なしか身体の疲れもとれるようだった。
「このジャムは?」
「これはシルエラ、梅よ。プラムみたいなものね」
「初めて食べるものだが、美味い」
「良かった。これは私の手作りなのよ」
「え、自分で製造したのか?」
窓際に並んでいる瓶がそうなのだろう。たくさんの瓶に、様々な種類の果実が液体に浸されている。
瓶の上に注目すると、パジャマにも描かれていたディフォルメされた水中型モビルスーツの玩具が飾られていた。
砲撃専用のジュアッグ、白兵戦用のアッグガイ、格闘戦用のゾゴック。どれも、ろくでもない欠陥機だ。
本物のモビルスーツを見たら、ハイメはさぞ驚くだろう。もし、あたしがパイロットだと知ったら……。
想像すると面白く、思わず笑いが出てしまった。プルツーは、くだらない妄想はやめろ、と自分を叱責して食事を続けた。
「セーラさん、今日の予定は?」
「スペースポートまで歩いて行って、ズム・シティ行きのスペースバスに乗る」
「予定は伸ばせないのかしら?」
「それは出来ない。テストがあるから……。いや何でもない」
「学校ね。偉いわ。あなた将来は何を目指してるの?」
「えっ? 将来?」
「してみたい仕事はあるのかしら?」
プルツーにとっては予想外の質問だった。彼女は産まれたときから、ひたすら兵士としての訓練を繰り返してきたので、それ以外の仕事など考えたこともなかったからだ。
もちろんパイロット以外の任務もこなしてはいるが、それだって軍務と関係あることばかりなのだ。
「ま、まだ決めてない。考え中で……」
「そう。ズムシティなら、いろんな可能性があるわね」
「可能性?」
「僕はモビルスーツのパイロットになりたいなあ」
プルツーは、ハイメの言葉に思わずイサベルと顔を見合わせた。
イサベルは戦争を恐れているから良い気分はしないはずだ。プルツーはそう考えて、少しばかり気を回すことにした。
「モビルスーツより、モビルワーカーのパイロットがいいんじゃないか? 別に人型マシーンは、戦う兵器ばかりじゃないからな。マシーンを操縦したいというなら、シャトルも悪くない。モビルスーツと操縦感覚が似ている部分は多いんだ」
「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、シャトルのパイロットになろうかな」
「それがいい」
「ありがとうございます。セーラさん、ずいぶん詳しいのね? 見かけによらないわね」
まずい。
プルツーは、うっかりベラベラと専門領域のことを話してしまったことを反省した。
「いや、その……。友人がパイロットを目指しているんだ。だから、いつも話を聞かされてる」
「そうなの。じゃあ、あなたは?」
「あ、あたしはロボットを設計することに興味がある」
「凄い! 最近の女の子は違うわね。しっかり勉強すれば夢は叶うわ」
「ど、どうも」
何とか誤魔化せたか……。しかし、あまり長居していると軍人だということがバレてしまうだろう。
プルツーは、この家に滞在するのはそろそろ潮時だと感じた。
「美味かった。あたしはそろそろ出発する。とても世話になった」
「そう、残念だわ……。また、このコロニーにきたら必ず寄ってちょうだいね」
「そうだよ。こんどは一緒に遊ぼうよ」
「ああ、わかった。必ず、また来る」
プルツーは、嘘も方便という言葉を初めて理解できたと思った。
まあ、全てが嘘とは言えない。戦争が終わってサイド3がネオ・ジオンに併合されたら、再びこのコロニーを訪れる機会があるかもしれない。そのときはモビルスーツではなく、シャトルで来ることになるだろう。
『ここも悪くはなかったな』
プルツーが出発するために荷物をまとめていると、ハイメがディフォルメされたモビルスーツを彼女に差し出してきた。
「これは?」
「お姉ちゃんにあげる。プレゼントだよ」
「いいのか? お前、窓に飾ってたじゃないか」
「シャトルのことを教えてくれたお礼だよ」
「そうか」
断るのも面倒なので貰っておいたが、機種を確認するとアッグだった。失敗作のモビルスーツだし、人にあげても惜しくない玩具なのだろう。
一応礼を言い、箱にしまってバッグにいれた。
「これで失礼する」
「また会いましょう」
「じゃあね、お姉ちゃん」
プルツーは、親子に見送られて宇宙港に向かった。ホテルとまではいかなかったが、ともかく身体を休めることはできた。それに……たまには民間人と話すのも悪い経験ではない。
プルツーは、そんな風に思った自身感情を、どう解釈すれば良いのか考えあぐねていたが、これが『大人』になることではないかという結論に達した。大人は必ず経験を語るからだ。上級士官に昇進して、組織を動かすようになったら、この経験が役に立つこともあるだろう。
さて、これから急いで《クィンマンサ》に戻らなくてはならない。
朝は気温が低く肌寒いので、プルツーは、ジャケットのポケットに手を入れて、身体を温めながら歩き始めた。
『クィン・マンサに戻ったら、すぐにズムシティに暗号通信をしないとな。駄目ならエイトに連絡だ。確かあいつは暗号受信機を持ってたはずだ」
だが、スペースポートに向かうべく歩みを速めたそのとき、突然脳内に警戒警報が鳴り響いた。
何事かと思ったが、前方から、明らかに素行の良くなさそうな男が歩いてくるのが見えた。おそらく、無意識下でニュータイプ能力が警戒レベルを引き上げたのだ。