カレーの聖地と問われたら、それは勿論人それぞれ、心に浮かべる地名、光景は変わるだろう。
私で言えば秋◯原の、オフィス街の中に隠れるように店を構える1件の店が思い浮かぶのだが、勿論、それが世間で言うところの「聖地」とは別物だと認識している。
「聖地と言えば神◯町だろう? 他に何処が有ると言うんだ」
私の大らかさを、隣を歩くアリスが大真面目に否定した。
真顔でインドはどうなんだと問い返してやろうかとも思ったが、すぐ隣で、エマが興味深そうに私達を観察している。
子供に
「ふん、次はいつ来れるか判らないと言う話だったが、存外早くに来れたものだな。いずれ私が支配する世界だ、ほれ元現地人ども、案内致せ」
子持ちになった覚えも無いのに、子供とは言えない年齢のエマに妙な遠慮をする私に、カーラがふんぞり返って偉そうに命令してくる。
何故こいつはこんなにも偉そうで、どんな根拠でこの世界を支配できると思い込んでいるのか。
訝しむ私の前で、アリスが腰に手を当て、実に不機嫌そうな顔をカーラに向けている。
「私らの中で一番弱いアンタが、何言ってんだ? エマちゃんに頼んで
「すみませんでした」
アリスが少し言っただけで、カーラは丁寧に腰を折る。
すぐ折れるなら最初から謙虚にしていれば良いものを、と思うと同時に、アリスとエマが妙に仲が良いのも微妙に気になる。
聞いて教えられた所で、果たして私に理解出来るのかは甚だ疑問だが。
エマの威を借りて偉そうに振る舞うアリスの様子にも釈然としない物を感じながら、私は街並みを見回す。
人目につかない所に出たのは良いのだが、どうやら休日らしいオフィス街は閑散としていて、土地勘のない私は自分の居場所もすぐには把握できない。
私達が日本に帰ってきたのは束の間の気まぐれでしか無く、今のうちに逃げようとしても時間経過で勝手にあの世界に戻されてしまう。
一応移動のアナウンスは――各々の脳内に――有るのだが、それは一方通行で、意思疎通を行うことは出来ない。
行きも帰りも融通が効かず、勝手に連れ回されるのであれば、
結果、エマとカーラの意見を採用してしまえば私とアリスの故郷がエラい事になると
「じゃあ、マリアちゃんの故郷のお料理、食べてみたい!」
なんと、危険な意見しか出さないと思われたエマが、私の餌付けの結果、すっかり食べると言うことに楽しみを見出してしまったのか、その本性に似合わない事を言い出す。
エマの恐ろしさを見た事が有る筈なのに、未だにその外見に惑わされているアリスはエマの頭を撫で、カーラは基本的に発言権は無い。
私にしても食べ歩きは嫌いではないので、結果エマの提案が採用されることになった訳だ。
今回以降は
個人的には玉子で閉じたカツ丼を所望したかったのだが、口にした途端にアリスに却下された。
実に遺憾ではあったが、そのアリスの提案には私も文句の付けようも無かったので、渋々とは言えアリスに続いて休日の街を行く。
◯保町と言えば、私にとっては古書街なのだが、アリスはそうではないらしい。
迷う様子も無く、私に相談するでもなく、やや足早に人波を避けて歩く。
◯葉原の路上で客引きをしてそうな格好の私達と一緒に歩くのは恥ずかしいのかも知れない。
そんなアリスはTシャツにジーンズ、足元はトレッキングシューズという、ラフにも程が有るだろうという格好だ。
人形の
だが、アリスは表面上そんな事に興味も関心も無さそうに、ただお目当ての店を目指している。
通り過ぎる古書店の様子を外から眺めつつ通り過ぎ、周囲の奇異の視線を涼やかに受け流して歩き、気が付くとアリスは数メートル先で私達の方に向き直っていた。
「遅い! 早くしな!」
たかが数メートルでしか無いのに待ちきれないらしいアリスに、私は素直に
「これは……茶色いな」
カーラが、人形のくせに引き攣った顔でカレーポットを覗き込んでいる。
「茶色いねぇ。香りがなんだか
エマは純粋に不思議そうに、同じ様に覗き込んでから、アリスの方へと顔を向ける。
「……なんだか反応が悪いね。美味しいのに」
2体の反応に不満げなアリスが私に目を向けるが、私にその不満をぶつけられても困ると言うものだ。
「見慣れない物に対する反応なんて、こんなものでしょう。こういう時にする事は、決まっているでしょう?」
私はアリスに半眼を投げつけてから、徐にカレーポットを手にし、白く輝くライスが乗る皿の上でそれを傾ける。
立ち上る芳香。
鼻から訪れて、脳に到達する幸福な、馥郁たる刺激をまずは味わい、
どういう訳か、はらはら顔のエマとカーラ。
アリスは出遅れた事を悔いるかの様に、手慣れた様子でライスの山を一部崩し、ルーを注ぎ込んで居る。
そんな一同の様子を横目に、私はひとくち、幸せの刺激を頬張る。
芳醇で濃厚な香りが口内に満ち、複雑な塩気の後に、刺激的な
私は
「はあ……
柄にも無い事が口を衝いて出てしまう。
香辛料を複雑に組み合わせ、独特な香りと味、そして刺激を生み出すこの料理は、私ではとても真似できる物ではない。
カレーライス。
インドカレーとはまた違う、日本独自の、その味わい。
「ほ……本当にそれは旨いのか?」
私の様子を見ていた筈のカーラが、それでも尚訝しげに、手元のライスとカレーポット、そして私とアリスとに忙しく視線を巡らせている。
「長時間煮込まれた複雑な味わい、辛いだけじゃない深さ……これよッ! これが食べたかったの! あああ、もういっそ、このお店ごと向こうに持っていきたい……!」
そんなカーラを、いや、カーラどころか私達までひっくるめて無視して、アリスは感激の余り些か過剰に思える感想と共に、受け取り様によっては犯罪紛いな事を言い出す。
責任の取れない事は口にするなと言いたいが、今の私の口はカレーを味わう事に専念している為、残念ながらそれは叶わない。
「ホントに美味しいよぉ、カーラちゃん! おいし……
ひとくち食べたエマが驚いた様子を見せたと思えば、カーラに話し掛けつつカレーを掻き込み、そして押し寄せた刺激に悲鳴を上げる。
愚か者め、だがそれを乗り越えた先にこそ、幸福が有るのだ。
ただでさえ気後れしていたらしいカーラが、エマの様子にも怖気を刺激され、しかし興味もあるので恐る恐る、と言った
途端に目を見開き、何故か私を凝視した後、言葉も無くスプーンを忙しなく動かして、そしてエマ同様に悶絶する。
お前の学習機能はどうなっているのだ。
そんな事を思いつつも当然のように無言でカレーを楽しむ私と、しきりにカレーを絶賛し合うアリスとエマ。
やはり無言で、ラッシーを片手にカレーから離れられないカーラ。
この店の、この味わいを再現することは無理でも、せめてカレールーを買って帰ろうか。
仲間達との(一部)喧騒の食事を楽しみながら、ぼんやりとそんな事を思う。
よく冷えたラッシーが口内の辛さを優しく包み込み、苦手な筈の刺激に向かい合う私の背を、優しく押してくれる。
こんな時間が、もう少し長く続けば良いと考えながら、私は。
ラーメンLOVEとか書かれたシャツを着てカレー愛を語る、変な外人さんにしか見えないアリスに、憐れみの視線を送るのだった。
私の食べられない物についての話を聞かされても、感想の述べようがありません。