エマがナポリタンの味を知って数日が経つ。
あれから私は、夕食にはナポリタンを要求され、当初はアリスも苦笑して受け入れていた。
しかし、エマの要求は止まなかった。
飽きる様子が見られない。
カーラの笑顔は引き攣った。
来る日も来る日も、夕食はナポリタン。
勿論、別の食事を作って私達だけは別の料理を、と言う事も出来るし一度はやったのだが、エマが実に悲しそうに拗ねてしまい、特にアリスが罪悪感に耐えられず、以降は全員同じ夕食になってしまった。
味に文句がなくとも、連日続けば単純に飽きる。
だが、エマは
ケチャップは切れそうだし、次の村までは徒歩で1週間は掛かる。
どうしたものかと頭を抱えている時に、それは起こったのだった。
事前に移動アナウンスが有るのは謎だがまだ良い。
しかし、毎回拒否権が無い上にほぼノータイムで移動開始なので、毎回心臓……じゃない、魔力炉に悪い。
微妙な長さの移動時間中、ずっと無重力というか、謎の浮遊感に包まれ、挙げ句地球(或いは
と言うか、世界を隔てる壁とやらを超えるには、生贄の生命力を使う位には大変だという話では無かったのか?
こうもホイホイと行って帰ってを繰り返させられると、意外と異世界転移とか言うモノは簡単なんじゃないのか、そう錯覚してしまう。
「パスタ以外にしよう」
真顔で、目が死んでいるアリスが私に詰め寄りながら言う。
気持ちとしては同感なのだが、私が責められるが如き構図には納得が行かない。
ナポリタン連続提供事件の原因は、私ではない。
作って振る舞っているので、主犯と言えば主犯なのだろうが。
「えぇえぇ~。私、アレ大好きなのにぃ」
「物には限度が有るのだよ、エマ」
口を尖らせるエマに対して、普段は絶対に口答えしない、しかし態度や口調は常に尊大なカーラが素直に頭まで下げて、真摯に懇願している。
普段からその態度だったら、もうちょっと扱いも良くなるだろうに。
「エマ、今回は諦めなさい。ナポリタンは、気が向いたら作ってあげますから」
アリスの鬼気迫る様子に、さしもの私も身の危険を覚える。
流石に唯我独尊気質の強めなエマも、3体に言われてしまっては我を通すのも難しいらしい。
折角の故郷で、色々と食べてみたい物がある様子のアリス。
パスタは一向に構わないが、単純にナポリタンは食べ飽きたカーラ。
夕飯はナポリタン、そんな洗脳を受けつつあった私。
そんな私達が懇願する姿に憐れみでも覚えたのか、それとも私達の有り様が余りにも鬼気迫るモノであったのか。
エマは不承不承、ナポリタン以外の食事を受け入れざるを得ない、と言う様に首を縦に振るのだった。
じゃあ今日はうどんにしよう、そう言ったらアリスに胸倉を捕まれ持ち上げられた。
本気で麺類を見たくないらしい。
気持ち的には同様だったので、冗談であった事を述べた上で素直に謝罪し、私は漸く解放された。
今日のTシャツは「冷やし中華Strikes Back」と書かれている。
人類は麺類の反撃を受ける状況なのか。
選んだアリスと、これで良しとしたデザイナー双方の感性を疑うが、特に今のアリスに対しては、麺類を見るのも嫌な心境なのでは無いのかと、心のなかで突っ込む。
実際に口にしてしまったらなんだか許して貰えそうに無いので、決して言葉にはしない。
「まずは
周囲を見回した私は、単なる逃げ口上を越えた感情を伴わせて、口の端に言葉を乗せる。
立ち並ぶビルの群れ、片側2車線の通りを行き交う車たちの群れ。
首都圏、それも都心部だろうと思うのだが、私が知っている景色では無い。
もともとそれほど行動的ではなく、狭い範囲で生きてきた自覚は有るが、我ながら酷いものである。
「はあ? ええ? 嘘だろう?」
しかし、アリスは私の様子を信じられない物を見るように見た挙げ句、素っ頓狂と言うに相応しい声を上げる。
続けて、
「いや、そっか、アンタ上○方面とかはやたら詳しかったけど、こっちは馴染みが無いのか……。いや、うん、なんかゴメンな?」
しみじみと、なんだか見下したように感じる物言いで、謝罪に見せかけた侮蔑を飛ばされた気がする。
単なる私の僻みだと思うのだが、果たして。
「ここは銀○だよ。……私もたまにしか来たこと無いけどさ。流石に知らない見覚えない、ってのはマズいと思うんだけど?」
アリスに告げられた街の名は、私の目を開かせるに充分だった。
改めて見回せば、なるほど確かに。
「……TVで見たような景色と、なんだか違うんですが? 当てずっぽうじゃないでしょうね?」
一度も来たことの無いエリアという物は、こんなにも新鮮なのかと驚かせられる。
「ああ、この辺は流石にねぇ。○橋の方が近いくらいだし、まあ、ちょっと歩けば色々有るよ、食べる所は」
私の中で○座と言えば華やかでお高い、私には縁の無い世界だったのだが、この辺りはなんだかくすんで見える。
そんな事を言ってしまうと失礼なのだが、イメージと現実はやはり違うものなのだ。
食べる所、その言葉が耳に届いたエマとカーラは俄に慌ただしく、周囲を見回す。
「まあ、暑いし適当に何か飲みながら、良さげな店でも探そうか」
そんな2体に苦笑しながら、アリスは私に視線を向けつつ何処かへと右手の指を伸ばして見せた。
促されて視線を向けると、見慣れていた筈なのに懐かしい、自動販売機が目に入る。
何か買って来い、そう言う事かと目を戻せば、アリス自身もそちらへ向かって歩いている。
私は自分の疑り深さというか、なんというか器の小ささを自覚して黙り込むのだった。
洋食屋というのは、何故こうも心が踊るのだろう。
運ばれてきたオムライスの黄色いボディとデミグラスソースのコントラストに、私の郷愁は激しく刺激されて、うっかりすれば泣き出してしまいそうだ。
バターがふんだんに使われた、しっかりと焼き上げられたタイプのオムレツ……というか玉子焼きの香りが鼻孔をくすぐり、すぐに、負けじとデミグラスの濃厚な芳香が存在感を主張してくる。
私の表現力では、この程度が限界で、食欲を押さえ付けるのにも限度がある。
「マリアちゃん、それなあに? おっきなオムレツ?」
エマの興味津々な視線が、私の手元に注がれている。
そんなエマの前には、ナポリタンが大盛りで鎮座している。
折角の異世界料理を堪能できる機会に、またこの娘は……。
呆れと哀れみと優越感を同時に感じた私は、常に無い優しさを発揮して答える。
「これはオムライスというのです。ひとくち、食べて見ますか?」
言いながら皿を寄せてやると、エマの表情が輝く。
この娘は、たしか爆殺人形だったと思うのだが、私の記憶はどうもアテに出来ない気がする。
「ありがとぉ、マリアちゃん!」
たしか人類に仇成す筈の人形が、嬉しそうにオムライスにスプーンを潜らせ、持ち上げて驚いた顔をする。
「え? 中が赤い……? あ、これご飯だ! ご飯が入ってる!」
薄焼き卵に包まれたチキンライスを発見し、興奮のボルテージが1段上がる。
デミグラスソースと卵、そしてチキンライス。
私も負けじと口に運ぶ。
「美味しいね! これ、美味しいね!」
ケチャップが効いた、しかし何処か優しいチキンライスを、牛乳とバターを内包した卵焼きが包み、そのドレスを彩るデミグラスソースは、ただのソースと言うには味わいが深い。
それらが口内で渾然と混ざり合い、しかし結果は
一言で表すなら、そう、エマの言う通り。
美味しい、他に修飾は要らない。
オムライスという未知の扉を開けつつ、しっかりとナポリタンを堪能するエマと、その隣ではポークソテー定食を味わうアリス、そして私の隣のカーラ。
カーラはメニューを見ても上手く想像が出来なかったらしく、私とアリスの注文を見て、結果アリスと同じものを選んだ。
運ばれてきたのは、私の想像とも違う、もはや濃いソースの掛かったポークステーキだ。
鉄板ではなく皿に乗っていることに違和感を感じる程の存在感に、おっかなびっくりで注文したカーラが圧倒されている。
定食はご飯お替り自由と言われたが、果たしてカーラはお替りをする元気が残るだろうか。
黒髪ゴシック喪服のカーラと金髪Tシャツのアリスが、心持ち顔を上気させ、上品にナイフとフォークを操る様はいっそ滑稽に見えたが、翻ってみれば私とてオムライスに夢中なメイド服の人な訳で、余計な事は言わずに食事に没頭する。
アリスはご飯を2杯、カーラは3杯お替りしていた。
エマとカーラがなんだか食に染まりつつ有るようで、見ていて微笑ましい。
アリスと私はと言えば、束の間の帰郷だ。
……案外頻繁に帰ってきている気がするが、だからと言って時間を無為に過ごす気にはなれない。
アンテナショップを見掛けては飛び込み、私は食品やスパイス類を、アリスはお菓子や酒、あとなんだか面白おかしいTシャツを買い込んで行く。
地球でも私やアリスの
使う時は、ひと目につかない場所を選ぶ。
異世界マナーというものだろう。
他にも、カーラやエマの興味を引いたもので、特に欲しいと思った物は買って行く。
金銭類は世界を移動する毎に、私やアリスの手持ちが相応に両替される謎に親切な仕様で、つまり各種支払は私かアリスが行っている。
我がパーティ? で、「最も」と言う単語が最も付いて回る女ことカーラが、楽しそうに相好を崩す様を見るのはなかなかに新鮮だ。
我々の中で最も背が高く、最も尊大で、最も古く、最も弱い。
そんなカーラが、エマと並んで楽しそうに振る舞う様子は、癪では有るが可愛らしいと認めざるを得ない。
足元の思わぬ段差に躓いて転び、涙目で起き上がる様子は爆しょ……実に微笑ましい。
何故か私が周囲に引かれている気配を感じながら、エマがカーラを助け起こす様子を眺め、平和というものの尊さと次は何を食べよう、そんな事に思いを馳せるのだった。
異邦で食べて、買い物して。良い御身分ですね?