イタリアのどこかにある大きな城にて、今までにない試みが行われていた。
「あーっ」
「アーッ!」
「あ゙ーっ!!!」
三人の男達が口を大きく開けて大声を出していた。一番最初に声を出した者は声を低く、そして後になるにつれて高くトーンを上げていく。
二番目の男の台詞の内容に悪寒が多少するものがあるが、彼らにはなんてこともないようである。
尚、この三人の男達の名はそれぞれフラン、ベルフェゴール(通称ベル)、スクアーロと言う。彼らは後から大声を出すためのウォーミングアップをしていた。
まず最初に声を上げたフランは、窓から身を乗り出しながら再び口を大きく開けた。
「給料を、値上げしろーっ」
山間部にある城であるため、彼の欲望に満ちた叫び声はやまびことなって辺りに響き渡った。棒読みで叫ばれたその声は、やまびことなって聞こえると随分おどろおどろしい。
己の欲望を吐きだしたからか、ポーカーフェイスの裏にすっきりとした表情を浮かべて彼は頷いた。
フランに続いて、ベルが声を上げた。
「もっと殺しの任務を、出せーっ!」
先程の彼とは打って変わってブラックな内容だが、この場にいる誰も何も言わない。彼らにとってそれは最早日常となっているからだ。
彼の声も響き渡り、より一層不気味さを醸し出す。月が段々と昇ってくる中でこのような声が聞こえるのは心臓に悪いことだろう。運が良いことにこの辺りに民家はないので彼らの心配は必要ないが。
暗い欲望を吐いたからか、満足気な笑みをベルは浮かべた。
そして最後に、今までにない程の声量でスクアーロは己の欲望……否、率直な己の気持ちを、魂を籠めて叫んだ。
「暴力反たぁあ゙あ゙あああい!!!」
やまびことなって返ってくるその声は「あ゙ああい」という、意味のない叫び声だったりする。この辺りに民家があったのならば、夜通し不気味な訪問者が来るだろうと恐怖に身を縮ませたに違いない。
スクアーロは魂の一声を放ったが未だ満足できなかったようだ。再び彼は吠えた。
「クソボスゥゥゥウ!! 俺は肉屋でも侍従でも椅子でも奴隷でもねぇ! 右腕だぁあああ!!!」
「右腕だから肉とか用意すんじゃね? 腕だし」
「ですけどー、腕は椅子になれませんよー」
「マジレスすんなし。ってか腕でも椅子になれるだろ。その上にケツ乗せれば良いだけだし」
一人で吠えるスクアーロの傍らでベルとフランは呑気に会話を交わしていた。彼らの会話より自分を優先しているスクアーロには彼らの会話は聞こえない。
聞こえていたら、怒鳴り散らしていただろうが。
フランはベルの妙に説得力のある言葉に手を叩いた。彼のポーカーフェイスは相変わらず健在だが、頭は上下運動をしている。
納得している様子の後輩にベルはにんまり笑った。
「スクアーロは右腕を名乗り続けている限り、ずーっと奴隷で肉屋でメイドで椅子なワケ。ボスは使い勝手のいい右腕を手に入れたってコトだな」
「じゃあ、レヴィさんはどうですー? アレも右腕がなんちゃら~とか言っていたじゃないですかー」
今までレヴィと呼ばれた男について忘れていたのか、ベルは一瞬沈黙した。一瞬の沈黙の後にベルは取り繕ったように笑って言い放った。
「じゃ、アイツも奴隷だな」
「やっぱりー?」
「ゔお゙おぉい、ガキ共ぉ! そろそろ始めるぞぉ!!」
二人が顔を見合わせたその時、今までの鬱憤を叫ぶことで晴らしていたスクアーロが彼らを呼びかけた。
呼ばれた二人は揃ってスクアーロの方へと首を回転させ、彼に注目する。彼の合図を待つために、彼らは口を閉じてじっと己の先輩を見つめる。
後輩二人の視線を集めたスクアーロは、拳を強く握りしめて振り上げた。彼が今から上げるその声は、彼らの所属する組織では今までになかったものである。
前例がないなら、作ってしまえば良いじゃない。
その考えの下、スクアーロは己と同じように不満を持つ二人の後輩を集め、そして今に至る。
そして、スクアーロは旗を上げた。今までにない、新たな試みを始めるために。
「今から始めるぞぉ――――ストライキだぁ!!!」
***
世界で最も勢力の大きいと言われるボンゴレは今までにない程混乱していた。これ程までに混乱が起きたのは、十八年前の事件「ゆりかご」の時以来であった。
「ゆりかご」はボンゴレ管轄の組織ヴァリアーがある一人の男の暴走によりボンゴレに反旗を翻した事件――すなわち、クーデターのことであった。
しかし今日、その「ゆりかご」を越える大事件がまたもやボンゴレを襲ったのである。
ヴァリアー内に起きた、ストライキ
ボンゴレの上層部たちは今までにないこの事件に揃って頭を抱えていた。彼らの頭に沸くのは疑問。疑問ばかりである。
一体何故、ヴァリアーがストライキを起こしたのか。そもそも、彼らの労働条件はいかなるもので、何が彼らの不満を呼び寄せたのか。
上層部たちはヴァリアーの頂点に立つXANXUSを呼び寄せて尋ねた。
何が起きたのか、と。
それに対してXANXUSは不機嫌な顔を保ったまま、声音に怒りを滲ませて答えた。
俺が聞きたい、と。
XANXUSの返答により、ボンゴレ上層部に再び混乱が襲った。荒くれ者の多い者達を束ねるXANXUSですら知らないのだ。ヴァリアー内部に、XANXUSも知らない勢力ができた可能性が否めなくなってしまった。
ボンゴレ十代目である沢田綱吉は頭を抱えた。彼の守護者たちは首を捻った。
そして、真実を知るとある守護者だけは苦笑した。
ボンゴレの上層部たちは、XANXUSには敢えて指令を下さずに自分たちで動くことを決意した。主な理由として挙げられるのは、XANXUSの存在が彼らの怒りに触れた可能性があるからである。
彼らを無暗に刺激させないために、敢えて無関係の人物たちで捜査を行うことを沢田綱吉は提案したのである。そして彼の提案は全会一致で可決され、彼の守護者たちが捜査に当たることになった。
捜査に当たることになった者の一人である、沢田綱吉の雲の守護者雲雀恭弥は絶賛不機嫌中であった。
彼は誰よりも孤高を望んでおり、こうして集められるとまず怒りが湧くような人間であった。それに加えて彼自身や彼が何より大切とする並盛町に何ら関係のない事件の捜査をすることになった彼は、勿論誰よりも不機嫌であった。
「これが終わったら沢田綱吉を咬み殺さないと」
鋭い肉食動物のような眼差しで獲物を――ヴァリアー本部を睨みつける雲雀恭弥。前述の通り、孤高を望む彼は共に捜査する人物を連れることはない。常に、独りで行動している。
彼の脳内は既にこの捜査が終わった後、彼に命令を下した沢田綱吉をいかにして咬み殺すか――否、戦うかで埋められていた。捜査のことは一片たりとも考えていない。
腕に構えた己の武器、トンファーを握りしめて雲雀恭弥は城へと足を踏み入れたのであった。
城に入って、そこにいる者達を咬み殺せば良い。
そう思っていた雲雀恭弥だが、彼は後にその考えを改めることになる。
ここで、雲雀恭弥は勿論、沢田綱吉ですら想定していなかったことが一つだけある。
頭の回転が速いベル、話術を得意とするフラン、そして武力で物事を決めるスクアーロ――この三人が揃えば、どうなるのか。
答えは言わずもがな、被害拡大である。
つまり、何が言いたいのかというと、ミイラ取りがミイラになる――つまり、雲雀恭弥も彼らの訴えに納得し、彼自身もストライキに加わったのである。
「君達と群れるのは嫌だけど、僕はそれ以上に沢田綱吉達と仲良しごっこをするのが耐えられない」
不愉快そうに顔を歪めて言い放った雲雀恭弥に、フランは密かにガッツポーズをした。彼のよく喋る口が結果的に雲雀恭弥を引っ張り込むことに成功したからである。
スクアーロやベルは勿論、フラン本人ですらまさか雲雀恭弥が加わるとは思ってもなかった。良い誤算である。
雲雀恭弥は彼なりに常に不満を抱えていたようで、己の不満をぶちまけたスクアーロ達三名の心意気に納得し、なら自分もと声を上げたのだ。
雲雀恭弥が加わり、四人となった彼らは会議を開いた。
「とりあえず最優先事項は"何が何でも要求を通す"だぁ。ボスさんが出て来ようが、沢田綱吉が出て来ようが、要求が通らなければ力付くでも通してやるぜぇ!」
「ししっ、楽しそーだなスクアーロ」
特徴的な笑い声を上げたベルは、実に楽しそうであった。彼の口元も愉しそうに弧を描いている。
対して、フランはポーカーフェイスを貫いているため表情に変化はない。
「クーデターモドキですけど、結構楽しいですよねー。でも、やられた時のことも考えると、ミー達の死亡フラグはビンビンですねー」
理想を貫こうとするスクアーロに対してフランは現実主義的な面がある。気の抜けるような棒読み口調で話す彼は、今自分たちが決して超えてはならない線を越えたことを悟っていた。
「本拠地奪っていたら最早クーデターだよね」
雲雀恭弥は窓を見下ろしてぼそりと呟いた。彼の視線は真下の、今にも扉を叩き割らんとするXANXUSへと注がれていた。
扉を破壊しようとするXANXUSを押さえ込んでいるのは三人の幹部達――レヴィ、ルッスーリア、マーモン――であった。
雲雀恭弥は知らないが、XANXUSが今にも壊そうとしている扉には一枚の紙が張り出されていた。
"ボスなんざクソ喰らえ! 暴力反対! 給料増やせ! ついでに任務のレベルを高くしろ! 最後に、暴力反対だ! 右腕は肉を運ぶためにあるものではない!"
スクアーロの魂からの声が、貼り紙として顕現していた。しかしXANXUSは勿論その紙からスクアーロの魂の声を聞くことができる訳もなく、ただ「イラつくから」というだけでその紙ごと扉を破壊しようとしていた。
窓に向けていた視線を三人のヴァリアー幹部達に移した雲雀恭弥は、いつの間にか正座して茶を啜っていた男を思わず二度見した。
視線を外に向け、そして再び元に戻す――しかし、男は変わらずそこに存在している。
雲雀恭弥は本能のままに男に向かって駆け出し、トンファーを振り上げ――――られなかった。
「いてっ」
床が異様に滑り、雲雀恭弥は駆けだすために足を一歩踏み出した瞬間に滑った。つるり、と効果音が聞こえてしまうほど、見事な滑りであった。
彼は前にずっこけ、額を床に打ち付けて地面に倒れ伏した。
沈黙が、その場を支配する。
「……ごめんなさーい」
聞こえるか否かの声量で呟くように謝罪したのは、フランであった。彼の手には、「スーパーワックスX」と書かれた容器とバケツがあった。
彼の師である男は呆れたように首を横に振った。
「相手を嵌めようとした罠に味方の最高戦力を嵌めるとは、なんて間抜けなおチビ」
「手が、滑っちゃいましたーてへぺろ」
先程までの大人しさはどこに消えたのか、フランは開き直って胸を張ってすらいた。彼の様子に諦めたように首を振った男――六道骸は、茶碗を片手に立ち上がった。
「この面子でクーデターはできそうにないですが……まあ、やらないよりはマシでしょう。では早速、外にいるXANXUS達から契約しましょうか」
今までの光景を無言で見ていたベルとスクアーロは「ん?」と首を傾けた。彼らにクーデターの意思はない。ただ、ストライキをしているだけである。
しかし骸からすればクーデターにしか見えていなかったので言ったまでである。まさか、本当にスクアーロ達がストライキをするとは思ってもなかった……と彼は後に語る。
勘違いをした骸も問題だが、根本的原因はスクアーロにあった。何故なら彼は、骸の言う「クーデター」をまんま「ストライキ」の一種として認識したのである。
スクアーロは「クーデター∈ストライキ」という式を頭に浮かべ、納得したように頷いた。この式の意味は「クーデターはストライキの中に含まれる」という意味である。
それが、彼が脳筋だと分かった瞬間であった。
スクアーロは、骸の言う「契約」が労働条件を改善する契約だと思い、これを了承した。骸は、スクアーロにクーデターの意思があるというように受け取った。
勘違いを抱えたまま、二人は手を組んだのであった。
しかし、悲劇はこれだけには納まらなかった。
「咬み……殺す……咬み殺す!!!」
額をぶつけてしばし呆然としていた雲雀恭弥は、怒りに身を任せて足を一歩踏み出した……途端に、足を滑らせて転んだ。
一部始終見ていたベルは、これは笑うべきなのかそれとも逃げるべきなのかしばし悩み、そして見なかったことにした。
一方でフランは己の手にあるワックスの恐ろしさに身を震わせ、まるで最終兵器の如くそれを高く掲げた。
「ワックスに光栄あれー」
バケツの中になみなみと注がれたワックスを持ち上げ、彼はとてとてと扉へ向かって走り出した。
その時、フランの足は雲雀恭弥を襲った輝く床にあった。
それに気づいたベルが「あっ」と止める間もなく、彼は足を滑らせて盛大に滑った。滑りに滑り、それでも転ぶまいと足を懸命に動かした彼は、どんどん憤怒の構える扉へと滑ってゆく。
「あー、お助けー」
棒読みで助けを求める彼を助ける者は、勿論いない。フランが救いを求めた先である師の骸は、スクアーロと契約について話し合っているため聞いていない。
頼りになる筈の先輩、ベルはただ呆然と口を開けたまま反応しない。
そして、最高戦力の筈の雲雀恭弥は立ち上がっても襲ってくるワックス地獄に捕らわれたまま。
全てを諦め、悟ったフランは、最後の悪あがきとばかりに扉を蹴り飛ばした。
「もう、どうにでもなーれ☆」
彼が投げやりに引っくり返したバケツの中身は、運が悪いことに目の前にいた男に注がれた。
言わずもがな、XANXUSである。
「あっ」
「あらら」
この先何が起きるかいち早く思い浮かんだ二名の幹部は、すぐさま脱兎のごとく駆けだした。しかし、最後の一人は何も知らずにただ疑問符を浮かべるだけ。
疑問符を浮かべながら、彼は己のボスを案じた。
「ボ、ボス……」
しかし彼の敬愛するボスは何も返さない。彼にワックスという武器ですらないものを投げて一太刀浴びせたフランは、自分のしでかしたことをようやく実感し、蒼白になった。
されど、XANXUSは何も言わない。ただ、その手に炎が、眩いほど凝縮されていく。
「やべーです……ししょー、お助け―」
「諦めて成仏しなさい」
冷静に一言返した骸に、フランが「情けをーギブミーお情けー」と棒読みで続ける。しかし骸は無情に告げた。
「僕にはもう、お前を助ける術は残されていません」
骸がそう言ったその瞬間、XANXUSの手が夕焼け色に輝いた。
「カッ消えろ!!!」
「アーッ!」
光球がフランの頭の上にあるカエルの顔を模した被り物に直撃し、フランは一直線へと飛ばされた。
その先は無論、ワックス地獄……に捕らわれた雲雀恭弥であった。
激突した二人は、ワックスにより光り輝く床に滑った。先に回復した雲雀恭弥は立ち上がって動こうとしようにも、ワックス地獄に囚われ抜け出せない。
彼がこれほど動いても尚抜け出せない理由に、彼の靴が挙げられる。
彼の靴には滑り止めがない。彼の靴は革靴で、滑り止め加工がされていない類だからである。加えて、彼の靴は未だ買って一日しか経っていないものであるため、靴底が削れていない。
ヴァリアーの本拠地の床は元から滑る。凹凸が一切ないように丁寧に作られたことが更に不幸をもたらした。そう、ワックスの存在である。
ワックスにより滑りやすくなった元から滑りやすい床。滑りやすい床に、買ったばかりの滑りやすい革靴――滑らない方が可笑しいくらいである。
「いたいっ」
「あいてっ」
滑った雲雀恭弥は、立ち上がろうとしていたフランと激突し、再び地面とお友達になる。フランは立ち上がろうにも近くによく滑ってしまう雲雀恭弥がいるため、直ぐに激突してしまう。
この無限ループから最初に抜け出すのは、果たして誰なのだろうか。それは、彼らも知らない。
フランと雲雀恭弥が仲良く床とお友達になっている間、スクアーロはラスボスと対峙していた。
ただし、ラスボスは水も滴る良いボスであるが。
「一体何がどうなってんだ」
恐らく本心からであろうその言葉に、スクアーロはキリッと真剣な表情で返した。
「ストライキだ。暴力反対、給料の値上げ、そして任務を充実させねぇと俺達の暴走はとまらねぇぞぉ」
「おや? それだけで君達の怒りが収まるのですか、スクアーロ」
「俺は大人だからな、妥協することくらいは弁えてるぜぇ」
骸は目をしばらく瞬かせて首を捻った。ストライキ……だとスクアーロは言っていた。しかし彼にはクーデターの意思もある。
一体どういうことなのだろう、と骸は疑問に思う。しかし彼がそれを問う前に、XANXUSがスクアーロに手を出した。
「まあいい、とりあえずテメェ等をカッ消してからだ」
XANXUSが怒りを込めた生命エネルギーの塊、憤怒の炎をスクアーロに向けて放つ。慣れた様に回避した彼に、追い打ちをかけるように彼は高速でその背後に回る……回ろうとした。
「って!」
「だ、大丈夫かぁ……?」
今は敵方の筈のスクアーロが思わず声をかけてしまうほど、XANXUSは派手にこけた。彼は全身からワックスを滴らせる良い男であるため、それが地面にも伝わって彼は盛大にこけたのである。
運が悪いことに、ヴァリアーの本拠地から外に出たとしてもその地面は土ではない。きちんと整備された、凹凸のない室内通路のような道であるのだ。
その道に、ワックスをかければどうなるかは一目瞭然……つまり、XANXUSもワックス地獄に嵌まったのである。
「くっ、技術開発の奴らの新兵器か?」
ぎりり、と忌々しそうに歯を噛み締めるXANXUS。しかし彼は、それが市販のワックスであることに気付く由もない。
立ち上がった彼は、炎を手に籠めてその拳をスクアーロに振おうと足を踏み出した……その途端に彼は滑った。
しかし彼はふんばり、なんとかバランスを保とうとするが、彼はこの時己の手に灯っていた炎をコントロールすることを疎かにしていた。
ヴァリアーの本拠地前で、盛大な爆発音が響き渡った。
***
「よぉーフラン、大丈夫か?」
ストライキと言う名のクーデターから一日が経過した。傍観者であり唯一の無傷であったベルは、このクーデターの負傷者の見舞いに来ていた。
彼が今、見舞いに来ているのは後輩のフランの病室である。
フランは、顔のあちらこちらに傷をつけ、腕や足、お腹には酷い痣ができていた。全身の打撲と顔にある擦り傷。それだけで、彼の怪我の要因がわかる。
擦り傷は、地面とお友達になった際にできたもの。そして、打撲は雲雀恭弥のトンファーによるもの。
痛みに時折顔を顰めながらもフランは余裕そうな態度を崩すことはなかった。
「これは名誉の傷ですよー。この傷のおかげでミーの給料、上がることになりましたし」
「……ホントに上がってんのか?」
不審そうに呟いたベルの言葉を聞き逃したフランは今一度聞き返した。しかしベルは二度も言うことはなかった。肩を竦めた彼は、ひらりと手を上げて後輩に背を向けて扉を閉めた。
後輩の病室を出た彼は、次に短い間ながらも世話になった人達の元へ訪れることにした。その道中で彼は一人ぼやいた。
「ま、これぐらいで無事じゃなかったらすげー馬鹿にしてたけどな! ボスとスクアーロの所は毎日激しいぜ。暴言やら暴力やら……王子的には面白かったから満足だし、フランは自分の要求が通ったと思ってるしで良いんだけど……スクアーロが不憫すぎるよなぁ」
無言で扉を開けた彼は、そこで一人チョコレートを頬張る骸に見舞い品を投げ渡した。
「ししっ、王子からの見舞い品♪」
「おや、ありがたいですね。高級チョコレートですか……随分センスが良いようで」
「まぁ、ね! ししっ♪」
ベルは、頭に包帯を巻いた骸を視界に映して更に笑みを深めた。
骸の怪我は、XANXUSの爆発に巻き込まれた際のものである。爆発に巻き込まれた彼は、飛ばされて受け身を取ろうにもワックス地獄に嵌まったために滑りに滑った挙句、雲雀恭弥のトンファーにものの見事に激突していた。まさに不幸の連続である。
彼は爆風に巻き込まれただけなので、ワックスさえなければ殆ど無傷で過ごせたはず。そう、無傷で過ごせたはずであった……。
しかし彼自身は過去のこととして忘れるつもりらしく、その時を聞いても「忘れました」と答えるだけであったと言う。しつこく聞くと、右目を禍々しく血の色に輝かせて天界道を発動させるとかさせないとか。
骸に別れを告げたベルは、次に雲雀恭弥の病室に顔を出した。
彼への見舞い品は彼を心配していたらしい小鳥である。ヒバードと言う名の小鳥は、実に賢い鳥で、すぐさま己の飼い主の元へ飛び去った。
「ヒバリ、ヒバリー」
「……ねぇ、天才君。今すぐ出て行ってくれないかな……君達のせいで、僕は今にもトンファーを投げてしまいそうだよ」
そう言いながらも、既に彼は一回トンファーを投げていたりする。勿論、暗殺部隊の天才は避けているが。
ベルは、雲雀恭弥の怒りに関しては最早仕方のない物だと割り切っている。彼は怒って当然である。巻き込まれただけの不憫な男である。
本来なら沢田綱吉を咬み殺すはずだったのに、何故病院で横たわっているのか。恐らく、誰よりも彼自身がその理由を尋ねたいことだろう。
身体のあらゆる所に貼られている絆創膏は、彼が転んだ回数を現している。包帯巻いた方が良いのではないかと思ってしまうほど、隙間なく埋められた絆創膏。
雲雀恭弥は、この時からワックスを敵対視するようになる。
おっかない雲雀恭弥の病室から出たベルは、最後に己のボスと先輩の病室へと向かった。嫌な予感しかしないが、見舞うことになる以上、仕方がない。
病室の扉をノックし、開いた瞬間――炎が飛んできた。
「あぶねーっ」
ひょいと軽く屈んで避けたベルは、ベッドの中で怒鳴り合う二人を落ち着かせるべく見舞い品を放り投げた。
しかしそれだけではXANXUSの怒りは治まらなかったようだ。彼がベルへ射殺すような視線を向けて再び炎を放つ前に、ベルは扉を閉めて距離をとった。
途端に爆発して粉々になる扉に一筋の汗が、ベルの額から滴る。
「あ、危なかったぜ……」
軽く口笛を吹きながら汗をぬぐったベルは、足音を立てずにその場を後にした。
彼が目指すべき場所はあと一ヵ所……それは、この件を知りながらも手を出すことをしなかった、愉快犯と言うべき人物の元であった。
その人物の元に辿りついたベルは、早速とばかりに口を開いた。しかしその手にはナイフが握られていた。
「ししっ、ご褒美ないと切り刻んじゃうかも♪」
「ははっ! わかってるのな」
ベルがナイフを向けた相手――沢田綱吉の雨の守護者、山本武は寿司桶を抱えて笑った。
寿司桶の中には、握りたての、新鮮な魚をネタにした寿司がずらりと並んでいる。どれもが、早く食べてくれと言わんばかりに輝きを放つ。
じっとその輝きを食い入るように見つめたベルは満足気に笑んだ。
「うししっ、任務完了♪」
山本から渡された寿司桶をテーブルの上に乗せたベルは、早速食べ始めた。美味しそうに頬張るその姿を、山本は微笑ましそうに目を細めて眺める。
「ちょっとした仕返しのつもりだったんだけどまさかこうなるとは思わなかったのな」
「ししっ、ヴァリアーは常に想定外なことばっかり起きるトコだからな!」
「うーん……そうなのかぁ……俺、馬鹿だから失敗したと思ってたんだけど……成功したのか?」
言い終えると共にこてん、と山本は首を傾けた。能天気な彼にベルは可笑しそうに笑った。
「まぁ、中々面白いことになったし、これはこれで良いかもな! 王子には一切の被害がないし、俺としては損もしてねぇし寧ろ面白いのが見れたから大満足♪」
けらけらと腹を抱えて笑うベルに、山本も彼に合わせて笑うことにした。何はともあれ、協力者が楽しかったと言っているので彼としても問題なかったのだろう。
事の発端は山本がXANXUSから酷い仕打ちを受けているとスクアーロがぼやいたことにある。
師匠であり戦友であり、そしてライバルであるスクアーロが苦しんでいる!と思った彼は、如何にしてXANXUSに仕返しをしようか頭を悩ませた。
どうしようかと悩んでいた彼は、当時彼の父親が見ていたドキュメンタリー映画に心を引き寄せられる。その内容は、ストライキについてであった。
明らかに労働者側に不利な労働条件を突きつけた会社に反旗を翻し、正当な労働条件を得るために戦う内容の映画に、山本は閃いた。
スクアーロのそれは、ストライキに該当するのではないか?なら、ストライキをすればいいじゃない!
そう思った山本は、スクアーロに提案する前にまず外堀から埋めることにした。それが、協力者――ベルである。
ベルは労働条件に不満を持っているわけではない。しかし、偶然にも山本の企みを知り、寿司と引き換えに協力をしているだけである。ベルからすれば山本の考えていることは彼が一度も思いついたことのないもの。
ベルは好奇心に負けて、山本を手伝ってみることにしたのだ。
そんな彼を仲間にした山本は、ベルからアドバイスをもらいつつ、新たにメンバーを入れるために模索していた。そしてその結果、仲間に引き入れたのがフランであった。
ちなみに彼は何も知らされていない。巻き込まれただけである。
ベルの巧妙な話術により、彼は見事にストライキに参加したくなる欲求を抑えられず参加するに至った。話術が巧みなのは、何もフランだけではないのだ。
そしてフランにより巻き込まれた骸と、話の流れ的に加わった雲雀恭弥もフランと同様に何も知らない。こうして被害者は続出したわけである。
尚、ワックスのことは想定外である。まさか山本もベルも、フランのワックスがあそこまで強いとは思ってもなかった。
しかし、終わりよければ全て良しの考えを持つ明るい性格の山本は、大して気にすることもなく満面の笑みでベルに告げた。
「まあ、結局のところスクアーロもXANXUSも痛み分けだったらしいじゃん。なら、これでスクアーロへのパワハラとか暴力とかはなくなるよな!」
その代わり、被害は結構出たけどまぁいっか!
山本は心の中で彼のボスである綱吉が聞けば絶叫するようなことを思いながら爽やかに笑った。
ベルは、山本の言葉にそれは絶対にありえない、と内心確信していた。しかし純粋に笑う彼にそれを指摘するのも気が引けた彼は、苦笑しながら頷いたのであった。