《リおん達が出発した日の午後》
帝国貴族の令嬢、ブレヒチェは焦っていた。
(……どうしましょう。一体どこに……)
彼女は前日、城で開かれた『とある茶会』に参加し自身の『作品』を披露したのだが、どこかに置き忘れたのか紛失し、一泊後の今日になって気付き懸命に、ただし誰にも覚られぬよう捜索していた。
(……どうして見つからないの? あとは、どこを探せば……)
そう思いながら廊下を歩いていると、奥で人が左右の壁際へ寄り、頭を下げて不動の姿勢をとり始める。
(いけない! 陛下だわ。私も道を開けないと)
周りに合わせ礼の姿勢をとり、皇帝の通過を待つブレヒチェ。
だが、彼女の目線の先で、皇帝の足が止まり自身の方へと向き直った。
(……え?)
「面をあげよ」
皇帝の声を聞き間違えるはずもない。
しかし事態を飲み込めないブレヒチェが恐る恐る
「……私でございますか?」
と訊ねると
「そうだ、面をあげよ」
己の美貌にそこそこの自信はあれど、まさか皇帝と対面する事になるなど考えた事もなかったブレヒチェは、思わぬ栄誉に胸を高鳴らせつつ顔を上げた。
すると皇帝・ジルクニフは一冊の本を差し出す。
見覚えがありすぎる表紙に頭の中が真っ白となった彼女に、ジルクニフは
「お前の作品であろう? とても参考になった」
と、本を渡し、何事もなかったかのように立ち去った。
(……あ、これ私死にましたわ)
先程の興奮が嘘のように、顔面は蒼白となった。
そう、この本こそ彼女が探していた『作品』であり、内容は皇帝陛下とリおんの
『 ふ つ く し ひ き ず な 』
の物語である。
処断するべき相手には容赦しない『鮮血帝』
去り際の「参考になった」という一言。
腐レグランスな本の内容。
人 生 終 了 。
そのようにブレヒチェが理解するのは当然であろう。
(何も言わず立ち去られたのも慈悲などではないのでしょう。きっと『精々ギリギリまで足掻いて無様を晒せ』という意味。見せしめにする御積りなのですわね……)
故に、彼女は直ちに行動を開始した。
すぐさま実家に帰り、遺書を認め、『やりたい事リスト』をまとめ、可能な限りの資金を用意し、出発した。
どうせ処刑されるならと、まさに『開き直った』のだ。
未知なる場所への
(国外だと逃亡と判断、拘束されそうなので国内限定)
危険な冒険
(冒険者になったわけではなく冒険者を雇っただけ)
貴族生活では縁のない『食』
(確かに珍味などもあったが基本は単なるジャンク)
今まで接した事のない文化や人々との触れ合い
(と、本人は感じたらしい)
最後に『ロマンチックな身分違いの恋がしたい』と、家柄など関係なく見た目と性格だけで選んだ騎士爵の男と情を交わし……
……結婚し、数年後には一男一女を儲け幸せに暮らしていた。
ある時、彼女は気付く。
(……私、なんで生きてるのかしら)
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時は当日の朝まで遡る。
朝食を手早く済ませたジルクニフは考え事をしていた。
ここ最近の悩みの種について。
(才覚に溢れ、忠誠心も強く、私を慕ってくれるリオン……褒美というか、何か、こう……ないのか。本人が無欲すぎるのが特に困る)
一応、ある程度には褒美を受け取るのだが、あくまで『皇帝がケチだと思われないための配慮』でしかなく、ジルクニフ本人が与えたい分を考えれば雀の涙ほどと言っても過言ではなかった。
(……いっそ『友にならぬか』というのも悪くない、か?……だが、今更どう接し方を変えたら良いのか)
ジルクニフは『友達付き合いとはどういうものか、知識としては知っていても経験がなく、具体的なイメージが湧かない』という問題を自覚した。
例えば相手が『自分と対等な、それでいて何ものにも縛られない自由な存在』ならまだしも、リおん相手では『今までの関係』が先入観として邪魔をする。
もちろん貴族同士に友人関係というものが存在しないわけではない。
一緒に狩りや遠乗りに出たり、邸宅に招き茶会や食事をしたり……
だが大抵の場合、利害関係を含むのが一般的で、それ以外の『真の友人関係』となると互いの迷惑にならぬよう目立つ事を避ける。
当然、皇帝である自分の下には諜報活動の報告としては『友人関係』の情報も入ってくる。
それでも会話やノリといった『空気感』までは知りようがない。
(……食後の散歩にでも出るか。ある程度、体を動かした方が頭も回るというし)
結局また棚上げにする事を決めたジルクニフは気晴らしに城内を歩き始めたのだが、その途中、清掃が行き届いた皇城内では珍しく、 一 冊 の 本 が落ちているのを見付けた。
あとは言わずともわかるだろう。
しかし問題の本、実は『全4巻の構想』で書かれた一冊目であり、二冊目から雲行きが怪しくなり、三冊目でグチョグチョのネチョネチョ、四冊目で『めでたしめでたし』となる予定であった(永久に書かれる事はなくなったが)
そのため、一冊目はソフトな内容で『なんだこのネッチョリした雰囲気は』という僅かな違和感こそあるものの、展開としては友情を描いたようにも見えるものとなっていた。
結果、ある意味『温室育ち』で政争に明け暮れていたため先入観を持っていなかったジルクニフは
(……なるほど)
盛大に勘違いした。
だからこその「とても参考になった」なのである。
当然ブレヒチェが真相に気付くはずもなく、彼女の人生は面白おかしい方向へ狂ったわけだが、後年、宮廷内での立場こそ失ったものの、その多様な経験から貴族子女からカリスマ的な人気を集め、彼女が出版したエッセイ『死んだ気になれば不可能なんてない☆』は女性達のバイブルになるのだった。
なお、ジルクニフが本の空気感を実践してしまったのか、リおんが新しい世界の扉を開いてしまったのかは、アーウィンタール城の最奥に秘された謎である。
ようやく死の間際になって『その可能性』に気付いたブレヒチェの、天寿を全うした顔は幸福に満ちていたという(その笑顔の意味は知らない)
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《ジルクニフが本を見つける当日、夜明け前》
まだ暗い城の中、蠢く影が一人。
「……こ、こんな所に置いちゃったらリオン様が見つけちゃうよね……いつも良く通る場所だし……ハァハァ……ど、どうなっちゃうかなぁ……もしかしたら、あんな事や、こ、こ、こんな事に……グヒィ!」
エルフ三人娘の一人、 モ ラ ノ ー ル であった。
普段の楚々とした、ともすれば気弱そうにも見える様子が嘘のように、その表情は愉悦に歪んでいた。
誰にも知られていない事なのだが、彼女はエルフ三人娘の中で一番の危険人物である。
彼女が神官になった本当の理由が『苦悶の表情を目近で見られるから』である事は他の二人さえ気付いていない。
別に誰かを痛めつけたいわけでも死んで欲しいわけでもないのだが、痛みや苦しみに耐えようとする苦悶の表情が、そのシチュエーションが『大好物』なのだ。
そんな彼女も奴隷になった時は流石に年貢の納め時かと思ったが、実際そうはならなかった。
リウリンド共々『初物』である事から高値で売るため(暴力的な『躾』は徹底的に行われたが)『下の方』には手を付けられなかったし、彼女らを購入したエルヤーも意外と律儀だったのか「決闘後までは手を出すなよ?」というリおんとの約束を守っていた。
結果、彼女はリおんに救われ『あらゆる尊厳を踏み躙られ、情けない家畜以下の便器として犯し尽くされるという人生最高にして最後のオカズ』は永遠に失われた。
耳の再建で三人揃って号泣していたのも、彼女だけは違う理由だったのだ。
そのため、彼女はリおんに恋をした。
ましてやリおんは、そこらの雑魚が何をしたところで殺せない程の強者である。
『安心して表情を見ていられる唯一の存在』だ。
だからモラノールはリおんの事が大好きになった。
……彼が辛い物を食べて悶絶しているところに「お、お水ですっ」と言って熱々の『お湯』を間違って渡すくらいには。
そんな時、彼女の脳内は
(リオン様お辛そう、あ、泣いちゃう? 泣いちゃう? かわいい、リオン様かわいい、好き、リオン様すき、好き、スキ、suki、すキ、は 、 お 、 イ っ 、 k)
などという事になっている。
そして彼女の最近お気に入りの妄想ネタは『逆らう事が許されない絶対的権力者である皇帝陛下に組み敷かれて切なげで苦しそうな表情を浮かべるリオン様』だった。
擁護するならば、彼女は最初から『こんな性癖』だったわけではない。
ある意味、エルフ国の闇が彼女を作ったと言っても良いだろう。
元々彼女はサエルアンナとは別の女性が部隊長を務める教育部隊に所属していた。
当時はまだ職業も固定されていない従者で、部隊長へと仄かな思いを寄せていた。
だがある時、彼女を庇って部隊長が重傷を負った。
戦闘の恐怖、生き延びた事への安堵と興奮、部隊長が負傷したショックからモラノールは混乱。
震えが止まらぬモラノールを安心させようと、部隊長は気丈にも激痛を押し殺し「大丈夫、だから、ね?」と無理矢理に笑みを作った。
そして残った方の腕で頭を撫でられた時、彼女は『達して』しまったのだ。
『自分は何と罪深い存在なのか』と罪悪感に苛まれた彼女は『精神を病んだ』と判断され、リハビリと再教育を名目にサエルアンナの部隊に転属。
負傷した部隊長の扱いは『あのエルフ国』である事からお察しであり、その事が更に彼女の精神を歪めた。
結局、教育部隊という名前とは裏腹の戦闘に次ぐ戦闘で精神を疲弊させたモラノールは、職業を固定する時期には既に『今の性格』へと堕していたのだった。
……ちなみに、えげつない暴言が出たりする程に男勝りながら実は初心で純心なリウリンドこそが三人の中では一番の常識人であったりする。
閑話休題。
そんなモラノールは今、花瓶台の下、城のメイド程度であれば見落としそうな、しかしリおん程に目聡ければ見付けるであろう位置に『例の本』を……
「ア、ア、置いちゃう、本置いちゃう、どうしよう、私ったら、こんな事……けど、すぐ持ち主なんて見つけられないし、もう出発の準備もしなくちゃだし………………
………………フーッ、フーッ、し、仕方ないよね?」
置いた。