第十話 マギウス 上
「ねえ椎名先輩、トロッコ問題って知ってる?」
夕日が差し込む教室。
その日の部活動が終わりアリナが散らかした画材を椎名が片付けていると、かりんからそんな質問を貰った。
アリナは椎名に片付けを任せて帰ってしまうから、夕方のこの時間は教室に二人だけだ。
ほぼ毎日片付けを任されている椎名を置いて帰るのも可哀想だからと、彼を待つのがかりんの日課である。同時にこの時間は、部活中ほぼアリナに構っている彼とゆっくり話す時間でもあった。
「走って来るトロッコの前に別れ道があって、片方に五人もう片方には一人が立っていてどちらか片方しか助けられないと言うあれか?」
「全部言っちゃったの…」
最近漫画で知った知識を椎名に聞かせよう思ったかりんだったが、当然の様に全て言ってしまった彼に少し落胆する。
「あ!でも少し違うの」
しかし椎名が話した知識には少し足りない部分がある事をかりんは聞き逃さなかった。
「トロッコのブレーキは壊れてるの!」
「それは大前提だろう…」
壊れてなかったら止めるに決まっていると、椎名は若干呆れる。
そんな彼の反応など気にせず、軌道に乗ったかりんは続けて椎名に質問する。
「椎名先輩だったらどっちを助けるの?」
答えによっては後輩からの評価が下がりそうな質問だが、椎名はさほど気にしない様子ですぐに答えた。
「五人だな」
「残酷なの……」
「質問しといてなんてこと言うんだ!」
「どうして五人なの?」
そっちが聞いたんだろと講義する彼を無視して、次の質問をするかりん。若干文句あり気な椎名だがすぐに切り替え質問に答えようとする。しかし今度はさっきと違い数秒思考した後に口を開いた。
「別に大した理由は無い。小を犠牲にすることによって大を生かす。随分昔から人類はそうやって生き延びてきた」
「やっぱり残酷なの…」
「おい!!…………まあ尤も、この答えはその一人と五人がどっちも俺の知らない奴だったらって話ではあるがな」
椎名の表情が少し真剣なものになる。それに気付いたかりんは恐る恐る真意を聞いた。
「ど、どういう事なの?」
「もしその一人の方がかりんかアリナもしくは姉さんなら、俺は迷わず五人を殺す」
あまりにもキッパリと言う椎名。それにかりんは驚くが、彼は気にしない様子で続けた。
「別にこれは俺に限った話ではないと思うぞ。どんな聖人だって例え口では他の回答をしても、内心じゃ自分にとって大切な人を助けたいだろう」
「どんな正義の味方でも?」
「ああ、どんな正義の味方でもだ。ま、それを口に出すか出さないかは別だけどな……で、なんで急にトロッコ問題が出てきたんだ?」
「それは、最近マジカルきりんで…」
「ああ、なるほど」
マジカルきりんとはかりんが愛読している漫画で正式名称は怪盗少女マジカルきりんだったか、と椎名は思い出す。
わざわざこんな質問をしたくらいならトロッコ問題がその漫画に出てきた時に何か思う所があったのだろうかと質問しようとする。しかしその必要は無かったようで、かりんは自分から話し出した。
「マジカルきりんは敵からこの質問をされた時迷わずこう答えたの…………どうにかして6人助けるって」
「そりゃあ漫画の主人公だからな、それくらい言わせないと格好がつかないんじゃないのか?」
「でも…」
「でも?」
椎名は言い淀んでいるかりんを待つ。しばらく唸った後かりんは彼の目を見て言った。
「椎名先輩なら、同じように言うと思ったの…」
その目はすぐに下を向いてしまう。そしてその目は普段より悲しげな様子だ。
やってしまったと思う椎名だが、自分の性格上今更見栄を張って答えを変える気にもならない。
「そう思ってくれるのは嬉しいがな、俺も人間だ。どこまで行っても漫画の様にはいかん」
贖罪をするように、椎名はかりんの頭を撫でる。
「でもなかりん、先輩としてこれだけは言っておく」
椎名は少し足をおり、かりんと目線を合わせる。
「六人助けるなら、その時犠牲になるのは……」
***
「大丈夫ですか?椎名様」
神浜のとある路地裏。
白いフード付きのコートを羽織った少女が、先程から呆けている少年、七海椎名の肩を揺すった。
「ああ、悪い」
そう言って我に帰る椎名。
辺りを見回して現状の確認をする。
「怪我人は居ないようだな、グリーフシードの回収は済んだか?」
「はい、確かにここに。椎名様が参戦してくださったおかげで怪我人はいませんし、大きく魔力を消耗した黒羽根もいません」
「ならよし」
「わざわざ御手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「別にいい。丁度フェントホープへの通り道だったんだ、見て見ぬふりもできん」
ついでだついで、と言い椎名は路地裏の奥へ進む。それについて行くコートを纏う少女達。
そして一行は、神浜の闇に消えていく。
否、ただの暗闇では無い。それは彼らマギウスの翼本拠地への入口だった。
移動中、椎名はまだ手に残るウワサの力を意識する。
不思議な感覚だ。自分の体でありながら、まるでエネルギーの塊を身に付けているような感覚。
この力を自分に渡した少女はじきに慣れると言っていたが、一ヶ月たった今でも違和感は消えない。しかしこれのおかげで自分は意識が戻ったというのだから、気持ち悪いと形容するのは罰当たりだろう。
椎名はそんなことを考えながら、一ヶ月前の事を思い出す。
目が覚めたのは洋風な一室、そこは里見メディカルセンターではなかった。そして周りにいるのは医者ではなく黒い装束をまとった少女たち。さすがの椎名も動揺を隠せなかった。
しかも暫くその少女達に待ってくれと言われた後、出てきたのは何故か椎名の姉の親友であるみふゆときたものだ。それも随分と珍しい格好をしていた。
混乱が極まったところで、追い打ちで初めの意識不明からもう3ヶ月程経っていると聞いた時には、椎名は考えるのをやめて流れに身を任せる事にしていた。
だが、話を聞けばそうもいかなくなってきた。
魔法少女に魔女、挙句の果てに少女を騙し契約を迫る白い妖精?とアリナが契約したと聞いた時には、そろそろドッキリだなと予想を始めた。そんな椎名に、みふゆは固有魔法を使ったのだ。
「マジか…」
幻覚を見せられ現実に気付くなどどんな皮肉か、奇しくも椎名に現実を見せたのはみふゆの幻覚魔法だった。
そこからの話は早かった。
元々椎名の理解力は良い。
魔法少女を破滅の運命から救済する為、みふゆ達がマギウスの翼という組織で大きな計画を立てていることも理解出来た。
それに加えて彼自身、一つ思い出している事があった。
「ももこの件はそういう事か」
「…!思い出したんですね」
「みふゆさんも聞いてたのか…話を聞く限り、俺の介入は前代未聞だった訳だ」
「はい…」
その上でたまたま忘れたのは運が良いのか悪いのか、椎名は苦笑いする。
しかしそこまで聞いて、一つ疑問が生まれた。
「それを聞かされたところで、俺には何も出ない。何故そんな話を?」
無論アリナが魔法少女の運命とやらに苦しめられているのなら、出来るだけ協力はしたい。だが、みふゆから話された事はただの人間である椎名にはどうしようも無い問題だった。
魔法少女はやがて魔女になる運命。
その解決に手をかせと言われたところで、人間である椎名には何も出来ない。
いくら彼が天才と言っても、羽を生やして空を飛ぶ事はできないように、魔法少女を運命から救う為の計画に力を貸せと言われたところで、とても力になれるとは思えない。頭脳面でサポートしろと言われたところで、もう既にそちらの方向では間に合っている様でもあった。
だとしたら、求められるのは戦力。
だが、それならばやはり力になれない。
「いや、貴方には既に力を与えてあるよ~」
椎名の質問に対して答えたのはみふゆではなく、丁度入室してきた少女だった。
「気分はどう?」
そう言って椎名を興味深そうに眺める少女、里見灯花は椎名があぐらをかいているベッドに腰掛けた。
「悪くない。で、力を与えてるとはどういう事だ?」
「あれ?わたくしには興味が無いの?」
少し不機嫌そうにそう言う彼女を見て、この子は面倒なタイプだと椎名は示しをつけた。ここはこの少女の機嫌を損ねない方がいいと判断し少女に付き合ってあげることにする。
「お前は誰だ?」
「くふっ、そうだよね、興味あるよね。教えてあげる、わたくしはマギウスの一人里見灯花だよ」
「…………マジ?」
その思ってもいなかった少女の回答に椎名は驚きを隠せない。マギウスの翼という組織の上にマギウスという集団がおり、その一人がアリナという事はみふゆから聞いていた。そして彼女達の魔法こそ、魔法少女救済の鍵になっているという事も。だがこの少女は、予想よりも幼かった。マギウスは最低でも中学生くらいだと思っていたのだが、椎名の観察眼が導き出した年齢はまだ小学生であろう12歳程だった。
「マジだよ?」
きょとんとして返答する灯花。思わずみふゆの方を見て確認する椎名だが、彼女は黙って頷いた。
そんな彼の戸惑う姿を全く気にせず、一方の灯花はと言うと身を乗り出して椎名を観察し始めた。
「すごいよね~あんなに高い建物から落ちて魔法少女でもないのに生きてるなんて、普通の人間じゃ有り得ない!流石は噂の万能少年と言ったところかにゃ~」
そう言って灯花は椎名の体を触り出す。彼は一瞬驚いたが、相手が子供ということもありされるがままにする事にした。
「筋肉量は少し鍛えてる高校生位だけど……密度が常人よりもかなり高いのかも……」
何かブツブツと言っている様ではあったが、暫く触ったら満足したのか灯花は元の位置に戻った。
「まあ細かい事はまた検査してみるとして…みふゆから聞いた話は理解できた?」
「ああ、そこは問題ない」
何か不穏な言葉が聞こえた気がするが、椎名は大人しく灯花の質問に答える。するとその返答がお気に召したのか、彼女は上機嫌な表情を浮かべた。
「流石に理解が早いね、万能少年の名は伊達じゃないわけだにゃ~」
「そのさっきから出てくる万能少年ってのはなんなんだ?」
そう聞くと今度は灯花が驚いた表情を浮かべ椎名を見る。
「自分が世間でどう呼ばれてるのか知らないの?」
「知らん」
即答する椎名。それを聞きさらに驚く灯花だが、彼自身本当に知らないのだからしょうがない。
「七海椎名と言えば、一度御手本を見せれば何でも出来ちゃう大天才。その完成度が完璧どころか御手本を越して200%の出来だから、付いた渾名は万能少年。神浜どころじゃ収まらない超有名人の筈だけど、なんで当の本人が知らないのかにゃ?」
「なんだそれは、聞いた事もないぞ」
「え~…」
若干引く灯花を横目に、みふゆは苦笑いを浮かべる。
それに関してはみふゆの方が詳しかった。
椎名が万能少年と呼ばれ始めたのは芸術の道へ進んだ後の話だ。最初は突如現れた異例の天才に芸術界隈でそれなりに話題になっただけだった。だがある時ネットで彼のこれまでの経歴が浮き彫りになったのだ。
それはまさに異端。
スポーツから音楽、果ては演劇まで、あらゆるジャンルで結果を残していた彼の経歴は、まさに万能と言わざるをえなかった。
ネットを介してこの情報は全国的に広まっていったのだが、当時の椎名はアリナに夢中。取材をされる事もあったが無視するどころかパシリに夢中過ぎて気付いてすらいない。
初めは諦めずに取材依頼を続けようとしていたメディアも数ヶ月もすれば無駄だと気付きいなくなった。
そしていつしかその話題は芸能人のスキャンダルなどによって塗りつぶされ、結局椎名が自分の話題を認識する前にこの話は終わりを告げたのだった。
「まあその話はいい。で、力ってのはなんなんだ?」
そう椎名が聞くと、灯花はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに表情が笑顔に戻る。
「くふっ知りたいよね~いいよ、教えてあげる!」
少し勿体ぶった後、灯花は満を持してその答えを口にした。
「椎名の体にはね、ウワサを纏わせてあるんだよ」
「ウワサと言えば、計画に出てきた…」
みふゆから聞いた計画を椎名は一度思い返す。
ソウルジェムの穢れが完全に溜まりきった時、魔法少女は魔女になってしまう。
それをドッペルという別の形へ転化させることで結果的に魔法少女は救われる。その為に必要なのが自動浄化システム。それを司っているのがマギウスの育てる半魔女エンブリオ・イブだ。
半魔女を孵化させれば、今はまだ神浜市内にしか及んでいない自動浄化システムが完全に完成する。
そして孵化させるのに必要なのが感情エネルギーで、マギウスの一人である柊ねむによって生み出されるウワサは、半魔女を孵化させるために必要な感情エネルギーを集めるのが役目だ。
計画を改めて振り返った椎名は、初めの疑問の答えに気付いた。
「つまり俺には、ウワサの力を使い感情エネルギーを集めて欲しいという訳だな」
「あ、そういう訳じゃないよ」
「そういう訳じゃないのか…」