人間と燐葉石の輓歌 作:サンサーラ
「白粉? あるよ」
「あるんだ」
仕事
ぱん、と濡れた布を鳴らす。
皺の伸びたハンカチ。これを洗濯バサミで挟み、日がよく当たる物干し竿へと引っ掛ける。
単純で地味な仕事だけど、文句も言ってられないし、此処に大きな仕事はないと知っている。
「……月人が本当にいないんだもんなぁ」
僕が「人間」の家で目が覚めてから十日。青空に黒点は一度も発生したことはない。
音沙汰のない、平和な時間があった。
どうにも実感がなく、違和感があって落ち着かない。
良いことのはずなのに、どこか不安だった。
「やばい、またぼーっとしてる! 次々!」
最近、固まることが多い。住まわせてもらってる身分で、ただ立ってるだけとか寝てるだけとか、居心地が悪いにも程がある。
…『学校』ですらそうだったんだ。気にかけてくれる奴の所じゃ、尚更そう思う。
ので、任された仕事はきっちりこなす。
終わったらちゃんと褒められるので、言われた通りに地味で退屈だけど不満はない。
きらり、と白粉のない手が光る。
厳しいながらも温かな日差しが雲から顔を出した様子。ちょうど良いことに時間もお昼。
このままお昼ご飯というやつにしよう。
縁側に腰をかけ、のんびりと陽の光を
「…でんわ? 終わってるといいけど」
朝から「人間」は、でんわとか言う遠くにいる人と話せる道具を使ってる。
面白そうというか、初めて見るものだったから気になったけれど、話が始まってからすごい不機嫌そうな顔になったから、そそくさと部屋を出てしまったのがお昼前の話。
密かに聞いた二言が少し意外。
『もう「だいがく」に顔は出さねぇって』
『出席日数は満たすから良いっつってるだろ』
振り返っても、普段の口振りから信じられない程荒れた口調をしていたなと不思議に思う。
なんだかルチルみたいだと少し可笑しくなる。
「…………帰れないかもなぁ」
そう思って、予感を口にする。
夢でもなく現実な今。変わらない十日という時間は、僕から根拠のない明るい見通しを奪うには十分だ。
ごとん、と体を木の床に倒す。
白粉のつけていない手を眺める。
塗ってもらった白粉が、洗濯物に触った時に落ちないよう、手の部分だけは素肌を晒している。
…「慣れて来た」と心から思った。
今ある記憶を振り返る。僕の知ってる星の成り立ち、
忘れたものは今のところ見られない。
ただ一つ気がかりなのは───ここに来る前の記憶に、全く心当たりがないことだ。
「…街中あんま出たくないな」
からり、と引き戸を鳴らして人間が姿を表す。
朝から始まった長電話は、昼下がりにもなってようやく終わったらしい。
黒い瞳には疲労感が滲み出ており、肩も落ち目だ。
ため息一つ、体を伸ばしてあくびも一つ。
ごきごきと体を鳴らす人間を、フォスフォフィライトは戦々恐々とした顔で見た。
「思いっきり割れた音してるけど大丈夫?」
「人間とはこういうものだ」
「マジかー怖いな人間」
他愛もない話。疲れ切った態度を隠そうともしない人間は、その場にゴロリと寝転がる。
燐葉石は、そんな人間をつぶらな瞳で見つめる。
その視線に気付いた人間は、片眉を上げて問うた。
「……なーに?」
「いやぁ……なんか元気なさそうだね」
「んー…ちょっとなぁ」
言い淀む人間の声色は暗い。よほど嫌なことでもあったのか、とフォスフォフィライトは不安になる。
何か力になれることはないだろうか。
助けてもらったから助けたいと考えるのは、彼の中では当然の選択肢だった。
「どうしたら元気出る?
僕に出来ることなら何でもするよ?」
フォスは勢い込んで尋ねる。
すると人間は「あー……」と言葉を探すように空を見上げ、やがて答えを見つけたのか苦笑いで言った。
「大丈夫だよ、君は優しいな」
ぽん、と頭に手が乗せられる。
そのまま優しく撫でられれば、フォスフォフィライトは目を細めた。心地よい。安心する。温かい。気持ちいい。
そんな気持ちが彼を満たす。
どこか懐かしく感じるそれを、もっとして欲しいと思った時だった。ふっと手が離れ、温もりが消えていく。
どうしたことかと、人間を見る。
すると申し訳なさそうな顔をした人間が、顔を手で隠したまま謝意を口にした。
「ごめん、すごい自然に触っちゃったな。
つい手が出た。いや本当にごめん」
「え、そんな気にすること?」
「大いに気にすることだよ。立場にかこつけて触ったようなものだ。君みたいな未成年みたいな子に何をやってるんだ俺は」
「どうどう、言葉が滅茶苦茶になってるよ。
気にしすぎだって、僕は嬉しいから問題ないよ」
「俺が気にするんだよぉ……。
もうだめだ俺はここで干からびて死のう」
「ちょっ!?何言ってんのさ!」
慌てるフォスフォフィライト。そのせいか、凄まじい勢いで落ち込む人間の一人称が自分から俺に変わったことに気づいていない。
些細な変化と言われればそれまでだが、そこに隠されたものがあると石が知るのは、また遠い話だ。
ともかく人間は深く溜め息をつくし、燐葉石はそれをほっとけなかった。
「気分でも変えようよ! まだ朝もお昼も食べてないんだろ? 僕が作るからさ!」
そう言って、ぐいと袖を引く。
人間は「はい…」と呟き、引く力に従いのそりと起き上がって、困ったように笑った。
「……ありがたいけど。
君、料理は未経験だろ? 一緒に作ろう」
「へーい…」
「そんな気落ちしなくても…
まぁ、次第に任せるかもだから、ね?」
そう言うと、人間は立ち上がり台所へと歩いていく。
その後をついて行くフォスは、一つ意地を張ったような声を投げた。
「〝ヒカル〟は色々気にしすぎなんだよ。
僕を子供扱いしてんだろ」
「いや、まぁ、うん。
実際、君は見た目年齢からして子供だろう」
「違うっつーの! 僕これでももう300歳に…いや、バラバラだった期間合わせればもっとか…?」
「うーん、種族の差」
ヒカル、と呼ばれた人間は苦笑しながらも台所へと入る。整理されたように置かれた段ボールには、様々な種類の野菜が分類分けされて入っていた。
その量を見て、フォスフォフィライトは興味深そうにする。
「…人間って色々食べるよね」
「必要な栄養が多いから。あ、手袋そこにあるから付けといて。今日は冷やし中華でも作ろうかな」
「色がいっぱいのやつ?」
「はは、言われてれば確かに。
あ、
その間にと、ヒカルは包丁やまな板を洗い、卵を取り出しては殻を破り、ボウルに落としてはかき混ぜる。
それが終われば、フライパンと鍋を用意。
フライパンに油を引きつつ、鍋には水を入れてから火にかける。一連の動作は手慣れたものだ。
この人間は料理を何度もしてきたのだろう。
その背中を眺めながら、頼まれた野菜をそれぞれ一つずつ持ってきたフォスフォフィライトは疑問を口にする。
「……なんで人間はそんなに色々出来るの?」
「出来ないと困るし、沢山練習するからかな」
「練習すれば出来るようになるもんなの?」
放たれた一つの疑問。
その声色には、何処か縋るようなものがあった。
ヒカルはフォスが不器用であることなど、この十日間で嫌というほどに思い知っている。
洗濯物のたたみ方は汚かったし、掃除も雑で、おまけに飽きっぽいというか、地味なことを続けるのに抵抗がある傾向だった。
けど、そんなの人間にとっては当たり前のことだ。
誰だって地味なことは避けたいし、やりたくない。
珍しくもない気持ちだけど、それでも「仕事」はやらないと心は蝕まれるし、孤独が襲ってくる。
人間はそう思って、不器用だからと仕事を取り上げることはしなかったし、任せないなんて事もしなかった。
その代わり、何度も何度も練習をさせた。
出来るまで、無理のない範囲で、根気強く何度でも。
そんな短くも濃密なこれまでを思い出し、人間は笑う。
そうして薄荷色の瞳を見つめながら言った。
「───ああ、なるさ、絶対に。
実際、今じゃ洗濯も綺麗に出来てるじゃないか」
「…そっかぁ」
ほんの少し、口角が上がる燐葉石。
出来上がるのは嬉しそうな、誇らしげな、それでいてどこか照れくさそうな笑顔。
それにつられるようにして、ヒカルもまた小さく微笑み、そしてそれを見てから、噛み締めるように隣葉石はもう一度こう言った。
「そっかぁ!」
長閑で、平和で、退屈。
戦争のない日々なんて、考えたこともなかった。
ヒカル…人間。フルネームは無量塔 光。苗字の読みはムラタ。名前の由来は仏教用語の無量光から。色々悩みはあるけど根気強い。
フォス…宝石。このフォスの記憶はシンシャと出会う前までらしい。仕事もあるし褒められるので少しづつ承認欲求が満たされていってる。
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