人間と燐葉石の輓歌 作:サンサーラ
それでも、
思うに、宝石とは不思議な生命体だ。
骨格も無く、筋肉もない。だというのに、その動作は滑らかで美しい。バレリーナを想起させる。
もし彼、…彼?彼女?
まぁ細かい性別区分は良いとして───もし、今の同居人、フォスフォフィライトの同族が、この世界にやって来たとして、恐らく、あまり良い未来はないだろう。
隠れ住むことがせいぜいだ。
ここが程よく田舎なことに感謝だ。
誰もが自分の生活を第一にしてる。
そも、この家の場所が場所だ。まず人目にはつかないし、ある程度自給自足も出来る。まるで世捨て人のための施設。まぁこの場合、世捨て人は自分なのだが。
無量塔光、自分の名前が今は嫌いだ。
名前という繋がりがあるから苦しい。
本当、孤独の方が楽なのに。
「…ヒカル?」
「ん、ごめん。ぼっとしてた」
夏の真っ只中、蝉の声がよく響く居間にて。
飴色の卓上に肘を置き、ぼんやりと論文を眺めていた人間の目の前で、薄荷色の輝きが言う。
すっかり恒常化した光景も、側から見れば伝奇小説ものだ。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもの。まさかこんな未知との遭遇を果たすとは、人間も宝石も思っていなかっただろう。
「ヒカルってほんとに19才?」
「一応ね、らしくないとは言われがちだけど」
「ふーん」
…そんな14から16辺りの外見をしたフォスだが、その実年齢は驚くことに300に至る。
想像だにつかない長い年数。
こちらの世界で言えば江戸が平成になるまで。
途方もない年月だと人間は少し笑う。
そんな彼に、宝石は少し複雑そうな顔を見せる。薄荷色のそれは、机に頬を付けた。
「君はえらいね、僕よりずっと若いのに、いろんなことができるし、難しいこともわかるし」
「…素直に受け取るよ、ありがとう」
三世紀もの暦を生きたもの。
でも、その内面は賢者や長老には遠い。
時折それらしいところはあるが、宝石という種族のせいか、彼あるいは彼女の精神は幼くもある。多分、寿命が果てしなく長いか、存在しないことから来るものだろう。
肉体が変わらないのなら、中身もそう。
だが永遠無変などこの世にはない。
人間はそれを知っている。
黒い瞳が薄荷色の髪を眺める。
するりとした涼やかな質感。
だけど石の光沢が確かにある。
その輝きは人の欲望をくらませた。
───どうせ長い命なら、ここにいてくれたらと。
人間はそんな風に思ってしまう自分がいることが怖いと感じた。同胞がいない苦しみは、きっと自分の想像以上なはずなのに。
「早く返してやらないとな…」
「…ヒカル?」
「ん、こっちの話だよ」
無責任に「帰す」だなんて言うべきじゃなかったかもしれない。手段も何もわからない。手立てなんて何処にもない。だからなのか、さっきみたいな欲望が顔を出す。
よくない傾向だと自覚はしていた。
ヒカルは論文から目を離す。専門外のものを取り扱うせいか、余計に疲れたらしい。紙束を畳の上に散らし、どたりと音を鳴らして倒れた。
「休憩だ休憩、なんかもう頭が痛い!!」
「おー、座布団いる?」
「頭の上にくれないかな」
「はい」
ぼふん、と紫の柔らかい布地が顔に当たる。
それでもネガティヴな思考は変わらない。
人間はフォスに好感がある。やや派手好きというか、ドカンと大きなことをやりたがるし、地味なことは面倒くさがるが、それでも優しい存在ではあると。
人に寂しそうだからと、寄り添えるものだ。
だから、彼は思ってしまうのだ。
元の世界に戻らなくても、良くないかと。
だって、そっちは余りにも危険だ。
月から来るという月人。宝石達を装飾品にしようとする者達。その数は無数だという。対して、宝石達は28名。保護者は『金剛』なるもの一人のみ。
詰むだろうと、人間は悟る。
そうでなくとも、延々と続けば擦り減るのは宝石達だ。そんな世界に、彼を戻すのかと怖くなる。
…それは、かなり嫌だなと思ってしまう。
それくらいには、情が湧いてしまっていた。
「ねぇ、フォス。皆のことは好き?」
「へ? そうだけど」
「それじゃあ『先生』のことは?」
「そりゃ好きだよ」
わかりきった答えに、安心すらする。
同時に聞かなければよかったと切に思う。
座布団を顔からどかして、起き上がる。
ああ、そうだよなと、自嘲する。
綺麗な顔をして、大事なものを語る唇。大切な家族を語る声。でも、彼はそこで『仕事』を与えられなかった。役割を持つことが出来なかった。
それは余りにも惨いと、思う。
恐らく、その金剛という存在も彼に何かしらの役割を与えたかっただろうが、戦争がそれを許さなかった。少なくとも、話を聞く限りはそんな風に考えられる。
月人が厄介だと部外者なりに、思う。
「…そういやさー、ヒカルのことについて何も知らないっていうか聞いたことないんだけど。
なんか面白い話とかないんすか」
「えー、自分の? つまんない話しかないよ」
「なんか凄そうな奴に囲まれてるのに?」
「人間には身近なものだしなぁ」
思考する。蝉の鳴く声がこだまする。思考する。夏の日差しが視界を遮る。それでもフォスの声は綺麗だったし、彼の持つ輝きは日差しの中でより一層美しかった。
「一番面白い話って言ったら」
よっこいせ、と立ち上がる。
そのまま黒手袋をはめた。これは彼の家の蔵にあったもの。恐らくは祖父か、そのまた祖父の持ち物。フォスを復元する際にも使われていたのかもしれない。
宝石に爪先で触れる時、人間はこれをつける。
とん、と人の指がフォスの手の甲を軽く小突いた。
「宝石が動き出したこと以外にないよ」
「お互いびっくりしてんな」
「ま、そんなところ。異種族交流ってね」
そのまま、人間は居間を後にしようとする。
時刻はすっかり午後の半ば。彼は大きく伸びをして、相変わらず体からバキバキと乾いた音を鳴らし、くたびれたあくびを大口で吐き出す。
座布団を小脇に抱えて、ヨタヨタと歩き出す。
そんな人間の背中に、宝石も続いた。
少年を模るそれの足取りは軽く、人懐こい子犬のようで。人間の黒い目は、それを見て和らぐ。
「お昼寝するけど、フォスもする?」
「するするー、家事は程々にやったし」
二人が向かう先は縁側。夏の日差しを直に浴びる木床。座布団が二つ置かれる。一つは長めで、もう一つは枕ひとつ分。前者は宝石が、後者は人間が使う。
二人にとっては当たり前とかしたことらしい。
そのまま、何事もなく揃って横になって青空をぼんやりと眺めだす。蝉の声が、空っぽな青い一枚絵を彩る。
「フォス、天気予報見た?」
「今日は一日晴れだって」
「そりゃよかった、夕立は嫌だからね」
「ねー、僕がせっかく干した服が台無しになっちゃう。洗う量も干す量も増えるし」
間の抜けた会話だった。
戦争とは程遠い、穏やかな会話。
薄荷色の宝石は、空に手を伸ばす。
黒点はない。月に生命は存在しない。
その代わり、同族も先生もいない。
悪くはならない、よくもならない。
そんな間延びした───平和な時間。
「……ん………」
「…ヒカル、もう寝た?」
寝入りは人間のほうがずっと早かった。いや、これは寝るというより、気絶の類なのだろう。
呼吸は浅く、微動だにしない。
腹部と胸がかすかに動いている。
それを見てから、燐葉石はほっとした。
同時に、人間の黒い髪に触れる。
柔らかいのに、硬い。そんな奇妙な感触。
「…僕のことばっかだけどさ、そっちはそっちでどうなの? 自分のことしてるの見たことないよ」
「………」
「起きてたら誤魔化すんだろ、知ってる。
でもちょっとは身の上話しても良いだろ」
誰にも聞こえぬ独り言は、ただ滔々と。
「同居人だぞ、一応」
それは平和な時間を、穏やかに流していく。
赤バー感謝 番外編
-
生身の国(現パロ的な)
-
白粉を塗る話(白粉無き体)
-
夜更かしの日(深夜まで遊戯)