ムジツさんは今日も無実   作:じゃん@論破

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その1:黒板アート消失事件
第1話「弁護士を呼んでください」


 

 窓から朝の光が差し込んでいる。

 赤いカーテンを透過した光が、色の付いた影で机と床を染めている。

 教室の後ろの黒板は黒々とした光沢を放っている。そこは一面の黒で、何もない。

 

 何も──描かれていない──。

 

 そこにあったはずのものが、すっかり失われていた。

 

 


 

 

 人や物が忙しなく動き続ける大都会と、穏やかな時間が流れる下町との間に、私立伊之泉杜(イノセント)学園は建っていた。幼稚園児から大学生まで、ありとあらゆる年代の子供たちが集うこの学園では、生徒の自主性と自律性が何よりも重んじられていた。自ら考え、自ら行動し、自ら律し、自ら生み出す。その校是の下に、生徒たちは伸び伸びと日々の学園生活を過ごしていた。

 そんな私立伊之泉杜学園の高等部校舎隅に位置する生徒指導室は、息が詰まるような緊張感に包まれていた。目隠し用の衝立があるせいで壁が近く感じて狭苦しい。部屋の中央には1脚の机と、それを挟んで椅子が2脚置かれている。その1脚に、牟児津(むじつ)真白(ましろ)は腰掛けていた。

 肩口で切り揃えたざくろ色の髪を高い位置で2つに結んでいる。白いブラウスの上にベージュのブレザーを重ね、下は濃いベージュのミニスカートを履いている。首元にはレモンイエローのリボンがかけられていた。

 その表情は固く、体は居心地悪そうに強張っている。視線があちこちへ泳いで落ち着きがない。見ている方が疲れそうなほどの緊張は、偏に向かいに座る川路(かわじ)利佳(としよ)が醸し出す威圧感が原因だった。

 

 「もう一度きく」

 

 切れ長の目で牟児津を捉え、川路は短く言った。150cmに満たない牟児津の小さな体がいっそう縮こまる。川路はすらりと伸びた長身を低くかがめ、牟児津の顔を横から覗き込んだ。忙しなく泳いでいた牟児津の目が、横を見ないよう正面に固定される。今にも泣き出しそうだ。

 

 「お前がやったんだな?」

 

 焼きつけるような鋭い眼光が牟児津に突き刺さる。疑問形ではあるが、明らかに結論ありきの質問だった。牟児津は必死に考えた。肯定してはいけない。しかし、ただ否定しても川路は納得しない。どうすればいい?どうにもできない。万事休す──袋の鼠──絶体絶命だ。

 

 「あ、あぇ……!」

 

 やっとの思いで牟児津は声を出せた。ひどい緊張で喉はからからに渇き、声を出そうとしても空吹かしするばかりだった。生唾を飲み、ようやく言葉を発せられた。

 

 「べ……弁護士を……呼んで、ください……」

 

 


 

 

 「というわけで呼ばれて来ました」

 

 衝立で仕切られた生徒指導室に、新しく生徒が呼ばれた。牟児津の隣に用意された椅子に腰掛けた瓜生田(うりゅうだ)李下(りか)は、気の抜けた声を出した。

 平らに整えた前髪と腰まで伸ばした後ろ髪はどちらも艶やかな黒をしている。丸襟のロングブラウスの上からピンクのリボンとベージュのブレザーを着用し、膝下丈のロングスカートを履いている。

 川路は瓜生田を訝しげに観察する。隣の牟児津が、肉食獣を前にした小動物の如く怯えているのに対し、瓜生田からは全く緊張や動揺を感じない。堂々としているようにも見えるが、状況を理解していないようにも見える。

 

 「高等部1年Aクラスの瓜生田です。よろしくお願いします」

 

 軽いお辞儀をしながら瓜生田は名乗った。ひとまず川路は、このおっとりした生徒と、もう一方の怯えている生徒の関係をはっきりさせることにした。

 

 「牟児津との関係は」

 「ムジツさんの、初等部からの幼馴染です。登校も下校も毎日一緒なんですよ」

 「お前は弁護士なのか?」

 「弁護士?そんなわけないですよ。面白いこと仰いますね」

 

 あはは、と瓜生田が笑う。部屋に満ちた張り詰めた空気をぶち壊すようなその態度に、川路は脳が熱くなるのを感じた。だが今のは自分の質問が悪いと反省もした。一介の高校生である目の前の背高女が、弁護士資格など持っているわけがないのだ。

 

 「何をしにきた」

 「ムジツさんに呼ばれたので……先輩、ムジツさんが何かしたとお疑いじゃないですか?」

 「そうだ。こいつは、今朝2年の教室で起きた事件の容疑者としてここにいる」

 「じゃあ私はその疑いを晴らすために呼ばれたんだと思います。そう言う意味では確かに弁護士みたいですよね」

 

 瓜生田がまた笑う。川路がいくら睨みをきかせようと、高圧的に質問しようと、この瓜生田という生徒は何もされていないかの如く受け流してしまう。

 

 「事件の詳細を教えていただけますか?」

 

 それどころか、下級生なら抱くであろう上級生への遠慮や気遣いの類もほとんどないように見えた。瓜生田は、今この場で最も立場が低いはずなのに、今この場で最もリラックスして会話の主導権を握っていた。それを感じながらも、川路は促されるに従った。

 

 「今朝、高等部2年Dクラス教室後ろの黒板に描かれていた絵が消失しているのが発見された。発見者は同クラス生徒だ。この絵は、高等部見学日に向けて教室を飾るために、クラス内の有志によって一週間ほど前から制作されていた」

 「いわゆる黒板アートですね」

 

 高等部見学日と聞いて、瓜生田は少し懐かしさを覚えた。幼稚園から大学まで一貫教育を行っている私立伊之泉杜学園では、高等部進学を控えた中等部生に高等部の授業を見学させる催しがある。ちょうど1年ほど前、瓜生田もその行事に参加した。その行事において高等部生は、中等部生を迎えるために教室を飾るのが恒例となっている。

 

 「その黒板アートが消失しているのを発見した生徒は、教室に入る前、廊下の反対側に走り去る人影を目撃している。その目撃証言に該当する生徒が、牟児津真白だ。こいつは事件があったクラスに在籍していることからも、重要参考人として連れてきた」

 「重要参考人ですか?容疑者みたいな扱いですけど」

 「態度を見ていれば分かる。私と目を合わせようとしないし、何を聞いても答えようとしない。後ろめたいことがある証拠だ」

 「いやあ、ムジツさんは緊張するとだいたいこんな感じになりますから。ところで、ムジツさんが該当する特徴っていうのは?」

 「結んである赤い髪を見たそうだ」

 「なるほど」

 

 瓜生田が横目で牟児津を見る。確かに牟児津の髪は赤いし結んでもいる。目撃証言が確かならば、この小さく縮こまっている哀れな少女を疑うのは無理もないことだろう。瓜生田はさらに問う。

 

 「犯人のだいたいの身長は分からないんですか?その人影がムジツさんだったんなら、身長もそれなりに特徴あったと思いますけど」

 「目撃者は東側の階段から2階に昇り、西側の階段に走り去る人影を見た。牟児津は確かに背は低いが、比較物の少ない廊下ではっきり分かるほどのものではないだろう」

 「だってさ。よかったねムジツさん。そこまで小さくないって」

 「ふざけているのか?」

 「いいえ。いちおう伺っただけです」

 

 牟児津の身長は中学1年生のころから成長をやめており、今なお黒板の上まで手が届かない。普段はさほど気にすることはないが、改めて言われると牟児津は恥ずかしい気分になった。蒼白だった牟児津の顔面に、少しだけ赤色が戻ってきた。

 

 「それじゃあもうひとつ」

 「なんだ」

 「その目撃証言の時間帯とか分かります?」

 「事件の発覚が7時40分ごろだな。発見者が登校してきた時間だ」

 「あ〜なるほどです。それじゃあムジツさんには無理ですね」

 「なに?」

 

 瓜生田は牟児津による犯行をあっさりと否定した。川路の目がぎらりと光って瓜生田を睨みつける。

 

 「どういうことだ」

 「だって、私とムジツさんは今朝一緒に登校してきたんですよ。毎朝ムジツさんが楽しみにしてる『今日のあんこ』を観てからなので、学園に着いたのは8時より後です」

 「……その、『今日のあんこ』というのはなんだ」

 「毎朝やってる5分のミニ番組です。7時55分放送なので、事件が発覚した時間帯だと、ムジツさんは私と一緒に家にいました。そうだよね、ムジツさん」

 

 牟児津はみるみるうちに耳まで赤くしていく。川路は、自分より瓜生田の方がよっぽど牟児津を追い込んでいるのではないかと感じた。

 それはさておき、瓜生田の言うことは川路が得た目撃証言と矛盾する。公平に考えるのなら、第三者である瓜生田の証言は目撃者の証言と同じくらいには信頼できるし、信頼すべきである。もし瓜生田の証言が事実なら、牟児津の容疑は考え直す必要があるだろう。

 

 「それを証明する方法は」

 「証明ですか……番組の内容を言えば証明になりますか?」

 「私はその番組を観ていない」

 

 「あのう」

 

 声が割り込んできた。川路でも瓜生田でも、もちろん牟児津の声でもない。それは、教室を仕切る衝立の向こう側から聞こえてきた。衝立の陰から、おずおずと様子を窺うおかっぱ頭が発した声らしい。衝立によって完全に気配が隠れていたので、そこに人がいたことなど、牟児津と瓜生田は今の今まで全く気付いていなかった。

 

 「どうした、葛飾」

 

 川路に呼ばれ、葛飾(かつしか)こまりは緊張した面持ちで3人の前に姿を現した。くりくりとした大きい目や赤らんだ頬から、全体的に幼い印象を受ける。左の肩には、川路と同じ風紀委員の腕章を付けていた。そして葛飾は、牟児津と瓜生田の顔を順番に見つめたあと、遠慮がちに言った。

 

 「私、観てます。『今日のあんこ』」

 

 牟児津と瓜生田にとってはまさに救世主だった。川路と同じ風紀委員の立場から、牟児津の潔白を証明することができる人物が現れた。いかに牟児津が疑わしいと言えども、身内の証言を疑ってまで牟児津と決めつけることは、川路にもできないだろう。瓜生田はここぞとばかりに、少しだけ声を大きくした。

 

 「そっかあ。じゃあ内容を言い当てたらアリバイ証明になりますね」

 「……牟児津も、それは分かるのか?」

 「!!」

 

 ため息交じりに川路が問う。潔白を証明するチャンスが訪れたというのに牟児津は相変わらず無言で、しかし激しく首を振って肯定する。瓜生田が音頭を取り3人が声を合わせた。

 

 「それじゃあせーので言いましょうね。今日紹介されたお菓子は、せーの──」

 

 「塩瀬庵のどら焼き!」

 

 


 

 

 どら焼きによってアリバイを証明することができた牟児津は、無事に容疑者から参考人へ格下げとなり一旦は解放されることになった。生徒指導室から教室まで戻る間、緊張によって抑圧されていた言葉がとめどなく溢れ出していた。感情と思考がごちゃ混ぜになったそのマシンガントークを、瓜生田はただ笑って受け止めていた。

 

 「うりゅ〜!ありがと〜!怖かったよ〜!」

 「めちゃくちゃ疑われてたねえ、ムジツさん」

 

 牟児津は瓜生田のことをうりゅと呼ぶ。ぶりっ子みたいだと周囲からの評判はすこぶる悪いが、呼び続けてすっかり口に馴染んだため牟児津は頑なに使い続けている。

 一方、瓜生田は牟児津のことをムジツさんと呼ぶ。これは他人行儀に呼んでいるのではなく、イントネーションを含めてのあだ名のようなものだった。“牟児津さん”のイントネーションは本来“手術中”と同じだが、瓜生田が呼ぶそれは“チルドレン”と同じになる。

 

 「なんなのあの人!めちゃくちゃ怖い!目が怖い!っていうか最初から私が犯人って決めつけてね!?あり得ないんですけど!?もうちょっとで泣くところだったわ!あんなの許されんの!?」

 「風紀委員の活動にクレームがあるなら投書したらいいじゃないですか」

 「それは無理!さっきの人に私ってバレたらめちゃくちゃ怖いから!」

 「情けないくらい気が小さいですね」

 「ムジツさんはこうだから」

 

 次から次へと川路への文句が飛び出してくる牟児津に、護送を任された葛飾は呆れていた。本人を前にしているときはまともに反論さえできなかったのに、陰口なら止める隙もないほど溢れ出してくる。本当に情けない。

 一方、護送という名目で見張りを付けているということは、川路はまだ牟児津犯人説を完全には諦めていないということだ。あまりに牟児津が緊張していたことが、川路の目には怪しく映ったらしい。疑う者と疑われる者という関係以上に、牟児津と川路は相容れない性質のようだ。

 

 「瓜生田さん、わざわざ来てもらってありがとうございます。牟児津さんの後で教室まで送りますよ」

 「いえいえ、お気になさらず。葛飾先輩こそ、お昼休みまでお疲れ様です」

 

 客観的に見て、牟児津より一学年下の瓜生田の方が大人びている。単純に牟児津の背が低く瓜生田の背が高いというのもひとつの理由だろう。だが、小心者で半べそをかきながら陰口を叩きまくる牟児津と、社交辞令とはいえ気遣いができて堂々としている瓜生田とでは、後者の方が人間としても大きく見える。冷静に観察するほどに牟児津が情けなくなり、葛飾はもう一度小さくため息を吐いた。

 

 「とにかく、牟児津さんの容疑はいちおう晴れたわけですから安心してくださいね。真相究明に向けて、風紀委員が全力を尽くしますから」

 

 私立伊之泉杜学園はその校訓に則り、校内自治のほとんどを生徒に委任している。校内で起きた事件や事故は基本的に風紀委員会が対応することになり、教師は生徒の手に余る部分について限定的に協力するという形式となっている。したがって、この度起きた事件も風紀委員が対応に当たっている。葛飾にとっては自分のクラスで起きた事件ということもあり、いっそう気合いが入る。

 

 「まあ頑張って。私はもう一気に疲れちゃった。やれやれだよ」

 

 意気込む葛飾に、牟児津は投げ遣りなエールを送った。風紀委員長である川路に未だ疑われているとはいえ、アリバイがある以上は無闇に疑われることはなくなる。それさえ説明すればクラスメイトも納得してくれるはずだ。なぜならそれが覆しようのない事実だからだ。極めて楽観的に、牟児津はそう考えていた。

 そして牟児津はまもなく、自らの考えの甘さを思い知ることになるのだった。

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