All for the queen.   作:ふみどり

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※たぶん黒執事知らなくても読めると思います
※黒執事は世界観だけ流用、キャラは出ません
※夢主はファントムハイヴ家の子孫
※あくまでしつじなかれはいません


女王の番犬

 女王の国では、まことしやかに流れる噂がある。

 曰く、この国には女王の庭を護る番犬が存在する、と。女王に仇なすもの、その箱庭を荒らすものに鉄槌を下す、と。その番犬の正体は限られた者しか知らず、知ろうとすればその身を牙が切り裂くらしい。

 ただの、都市伝説に過ぎない。この現代においては誰も信じてなどいないだろう。女王の憂いを払う任を負った「悪の貴族」が実在するなどと。

 

 

 *

 

 

「……都市伝説なんでしょう?実在しているかもわからないものを調べろと言うんですか」

 

 いきなり呼びつけられた暗い酒場、そのわずかな明かりの下でもきらめく金糸は、いかにも面倒そうに言葉を垂れた。その少し離れたテーブルの傍で鈍くかがやく銀糸は、不機嫌を通り越して殺意の籠った瞳で彼を貫く。

 

「あの方からのご命令だ」

「……あの方が直々に? 何か問題でもあったんですか」

 

 その言葉に答えたのはウェーブのかかったプラチナだった。細く麗しい指が、琥珀色のカクテルグラスを傾ける。

 

「組織の研究者が殺されたのよ。研究中に偶発的に出来たクスリを勝手に英国で捌いていたお馬鹿さんがね」

「それが女王の番犬の仕業だとでも? 証拠でもあるんですか」

「血みどろの死体が大通りで発見されたのに、ヤードはろくに調べもせず捜査を打ち切った。そしてその研究者、死の間際に電話をしていたみたいなの」

 

 女王の番犬に、殺される、と。その男は、死にものぐるいで逃げながら、そう電話口で叫んだという。

 す、とバーボンは目を細めた。それを見たベルモットは芝居がかった様子で両手を広げる。グラスの中の琥珀色がゆらりと揺れた。

 

「殺された事実はどうでもいいわ。むしろ粛清の手間が省けたくらい。だけど、もし本当に実在しているのなら、英国での任務の危険度が変わってくる。ボスが危惧してるのはそこよ」

 

 ジンがイラついた様子で煙草に火をつける。その様子を面白そうに眺めながら、バーボンはなるほど、と顎に指を添えた。

 

「わかりました。調べてみましょう」

 

 せいぜい犬に噛み殺されねえことだ、と飛んでくる不機嫌な声に、怖い怖いと肩を竦めてバーボンはふたりに背を向ける。

 

「探り出してみせますよ。女王陛下の趣味の悪いペットをね」

 

 

 *

 

 

 英国の階級制度はすでに撤廃されているが、それでも根強いものがある。それは差別的な意味ではなく、それぞれの立場としてやるべきこと、求められていることが違うという意味でだ。それぞれの階級はそれぞれの階級に誇りをもち、なすべきことを果たすことで英国という国が成り立っているという。

 ではこの悪趣味なほどにきらびやかなパーティも、上流階級の「なすべきこと」なのだろうかと、バーボンはうんざりしながら内心で吐き捨てた。夜なのに明るすぎる会場、手をつけられてもいない豪華な食事に、無駄に飾り付けられた調度品、そして多すぎる使用人。もっとも、そのおかげで自分もまた使用人としてパーティに潜り込めたのだが。

 英国に来てしばらく。例の殺人事件を探ってもみたもののあまりに情報がなく、そこから女王の番犬を探るのは難しいと踏んだバーボンは、それならばと上流階級の人間の方に探りを入れることにした。女王から直々の命を受ける「悪の貴族」ならば、まさか低い身分のわけがない。少なくとも、ヤードに圧力をかけて捜査を打ち切らせるくらいの権力はあるはずだ。

 そして近く夜会の予定があるという貴族の情報を仕入れ、雇われの使用人として潜り込んだというわけである。パーティに潜り込むのは初めてではなく、彼の英語と立ち居振る舞いに問題はない。バーボンは堂々と近くのゲストに飲み物を渡しながら、それぞれの会話に耳をそばだてていた。

 

「おお、これは男爵夫人! お久しぶりですな」

「ご無沙汰しておりますわ。奥様はお元気ですこと?」

 

 交わされるのは当たり障りのない会話と、景気や時勢の話、そしてつまらない見栄の張り合い。上流階級は上流階級でも、さほど「上」すぎない貴族が多い夜会だとは聞いていたが、これはハズレだっただろうか。

 そうため息をつきかけたとき、ホストの主人のひときわ大きな声が響く。

 

「これは、ファントムハイヴ伯爵の妹君! まさかおいで頂けるとは!」

 

 その声に合わせて、会場がどよめいた。

 

 

 *

 

 

 ホストの声に淡い微笑みを返したのは、輝くブロンドを丁寧に結い上げたレディだった。淡いグリーンの裾を柔らかに翻し、優雅というほかない仕草で礼をしてみせる。

 

「本日はお招きに預かり光栄ですわ。申し訳ございません、遅れてしまいましたか?」

「とんでもない!お越しいただいて光栄ですよ、レディ」

 

 ホストに礼を告げて、彼女はお付きからグラスを受け取る。社交界についてまだまだにわかの知識しか入っていないバーボンでも、彼女のことは知っていた。

 ファントムハイヴ家は、長くこの英国を支えてきた大貴族のひとつである。伯爵の地位を与えられ、女王陛下からの信も厚い。広大な領地をもつ他、玩具・製菓の超大手メーカーであるファントム社の経営をしていることでも有名だ。現当主ノア・ファントムハイヴは二十代という若さで事業をさらに拡大させている。彼女はその双子の妹、エマ・ファントムハイヴだろう。ゆったりと微笑んでいるだけなのに存在感が違う。さすがは大貴族の令嬢、まさに生まれながらの淑女である。これが品格というものなのだろうか。

 予期せぬゲストに、バーボンは舌先で自身の唇を舐める。バーボンとしては当然、彼女に近づけるなら理想的。お付きに阻まれる可能性も十分に有り得るが、動かないことには何も得られない。ゲストの波をかき分け、会場の華となった彼女に近づいていく。

 そして彼女との距離がもう数歩となったところで、事件は起きた。

 

 

 *

 

 

 不覚にも、バーボンは一瞬何が起きたのかわからなかった。

 令嬢に近づこうとしたバーボンの前に突如現れた、含み笑いの品のないドレス。その手にはなみなみとシャンパンの入ったグラスがあり、あわや衝突してしまいそうになった瞬間にさらにバーボンの目の間に現れた、仕立てのいい黒服。

 ぱしゃり、と軽い音がして、琥珀色の液体が宙を舞った。

 小さく聞こえた悲鳴と水音に、周囲が硬直する。淡い琥珀色を身にまとったのは、黒服をまとった背の高い女性だった。その出で立ちはどう見てもどこかの貴婦人が連れてきたお付きで、招待客ではないことが見て取れる。女性は無表情で、空になったシャンパングラスを持った婦人を前に目を伏せる。驚いた表情の婦人は、パープルに彩られた目を丸くしていた。

 

「まあ、なんてこと!」

 

 そこで誰より先に声を上げたのが、何とファントムハイヴのご令嬢。少し焦ったようにその場に進み出て、自身の手が汚れることも構わず婦人の手をグラスごと取った。事態を呑み込めていない婦人は、ただただ驚くばかり。

 

「せっかくのお召し物にシャンパンが……! 申し訳ありませんミセス、わたくしの使用人が大変な失礼を……本当に申し訳ありません」

 

 どうやらその黒服は彼女のお付きであったらしい。真っ青な顔になった黒服の使用人も、震える声で謝罪に続いた。レディは婦人の手を取ったまま、お付きに目をやることもなく厳しい声で言った。

 

「下がりなさい」

「お嬢様、」

「下がりなさいと言っているのよ」

 

 重ねて告げられた言葉にぐっと押し黙り、お付きの彼女はその場で一礼をしてホールの出口へと歩き出す。前髪から滴るシャンパンを拭いもしないその姿はいっそ哀れであったが、こればかりは彼女が悪い。それが貴族社会であり、身分というものだった。

 バーボンはようやく我に返り、改めて大貴族の令嬢を間近で見る。

 

「この手袋の替えはすぐにホストの方にお願いしましょう。嗚呼、でも本当に申し訳ありません、せっかくのパーティなのにご気分を害してしまわれたでしょう?」

「……まあ、そんな、レディ、お気になさらないでくださいな。私ごときがファントムハイヴ家の方とお話しできただけで光栄ですわ」

「何を仰るの、きちんとお詫びをさせて頂かなくては……そうだわ、よろしければ新しいドレスを一着贈らせていただけませんこと? 良いデザイナーを知っておりますの、ご存知かしら、あの男爵家の……」

「ま、まあ、予約がずっと埋まっているというあの?そんな、よろしいのかしら」

 

 すっかりシャンパンのかかった手袋のことなど忘れた様子の婦人を前に、令嬢は淑女らしくにっこりと微笑んで見せる。では少し手袋の替えと、それから少しお話しましょう、と言って二人はその場を離れて行った。もちろん、お騒がせしてすみませんでしたと軽やかに礼をして場を取りなすことも忘れずに。

 バーボンはさっと思考を巡らせた。この状況では再び令嬢に近づくことは難しい。だが、そちら以外からでも情報を得ることは出来る。何よりこの騒動、バーボンは強い引っ掛かりを覚えた。とにかく話を聞きに行かねばならない。そう判断して、バーボンはそっとパーティ会場から抜け出した。

 

 

 *

 

 

 会場の外にもなるとさすがに薄暗い。

 中に入ることを許されていない、主人の帰りを待つ従僕たちの中から、琥珀色の残り香を嗅ぎ分ける。さすがに主人を置いて帰りはしないだろうと当たりを見渡すがなかなか見つからない。

 微かな灯りの中で目を凝らし、ようやくその姿を見つけた。出入り口から少し離れたところ、おそらく庭園に続くだろう植え込みのそばに、彼女は立っていた。簡単にしか拭っていないのか、まだその前髪は湿って小さな束を作っていた。

 バーボンは白いハンカチを手に、そっとその傍に寄る。

 

「失礼。まだ濡れていらっしゃるようです、よろしければ使ってください」

 

 特に驚いた様子もなく、彼女は目線のみをハンカチに向け、小さく結構、と呟きを落とした。無表情に変化はないが、関わるなとでも言いたげにバーボンから顔を背ける。

 

「そう仰らず。……庇ってくださったのでしょう」

 

 彼女がいなければ、琥珀色を浴びていたのは間違いなくバーボンだった。

 しかも体格差や角度を考えれば、バーボンと衝突していればおそらく婦人は手袋だけではすまなかっただろう。ただの雇われ使用人のバーボンにとっては非常に面倒な事態に発展していたことが易く想像できる。ただ追い出されたり弁償するだけならまだいいが、顔を覚えられて社交界への出入りが出来なくなっては堪らない。文字通りバーボンは彼女のおかげで命拾いをしたのだ。彼が所属する組織において、ボス直々の任務の失敗はそのまま死を意味する。

 

「庇ってなどいません」

「……わかりました。そういうことにしておきますから、せめてハンカチくらい受け取っていただけませんか」

 

 差し出したものを受け取って頂けないのは、なかなか辛いものがありますよ?

 バーボンが苦笑してそう言うと、少し眉間にしわを寄せた無表情は、めんどくさそうにひと息ついてハンカチを受け取った。そしてそのままさっと前髪を拭う。

 つややかな黒髪が揺れたせいだろうか、仄かなアルコールの香りがバーボンの鼻腔をくすぐった。

 

「……失礼ですが、ファントムハイヴ家にお仕えしているのですよね? お名前を伺っても?」

「雑談をご希望であれば他の方をあたって頂けますか」

「これは手厳しい。僕は安室透と言います。これでも日本人なんですが、貴方も同郷かなと思いまして」

 

 しばらく沈黙が続く。一向に引く気のないバーボンに本気で嫌そうな顔をして、いかにもしぶしぶといった様子で彼女は口を開いた。

 

「……ルカ・タナカ。日系ですが英国人です。先祖の代からファントムハイヴ家にお仕えしております」

「へえ、そうなんですか!」

 

 ぱあっと嬉しそうな声をあげる裏で、勝った、とバーボンはほくそ笑む。最初のひとことを引き出してしまえば会話は続けられる。会話が続けられれば、いくらでも情報を引き出せる。それだけの自負はあった。

 

「ファントムハイヴ家のご令嬢は今日初めて拝見したんですが、本当に品のある方ですね。立ち居振る舞いも優雅で、お美しくて。お噂以上で驚いてしまいました」

「当然です。お嬢様は社交界の華と名高い方ですから」

 

 ばっさりと勢いをつけて帰ってきた答えに、ただならぬほどの熱意が窺える。なるほど、本物の忠誠心をもって仕えているらしい。そして同時に、バーボンは思った。「自慢の主人」に仕える者がふらりと主人の傍を離れてバーボンと婦人の間に飛び込んでくるはずはなく、まして琥珀色を浴びて主人に恥をかかせるような真似はプライドにかけてしないだろう。

 やはり、あの騒動はわざとだ。つまり彼女には、あの騒動を起こさなければならなかった理由がある。いや、彼女の行動原理を考えれば、彼女の主人にとってあの騒動が必要だった、とまで仮定してもいいかもしれない。彼女が会場を離れるためか、それとも。

 

「ええ、素晴らしい方だとよく耳にします。……しかし、そういえばさきほどぶつかってしまった女性についてはご存知ですか? そちらも初めて拝見した方だったのですが」

 

 狙いはそちらか、とひとつカマを掛ける。どんな反応を示してくれるかと、そっとその顔を盗み見たが、タイミングが悪かった。

 

「お嬢様がいらっしゃったので失礼いたします」

 

 さっと身をひるがえした彼女の進む先には、なるほど確かに優雅にホストに別れの挨拶をする淑女の姿があった。迷いのない足取りで数歩進んだところで、ぴたりと彼女は歩みを止める。そして顔だけ振り返って、相変わらずの無表情で言った。

 

「ハンカチについては一応お礼を申し上げます。機会があればお返ししましょう」

「ああ、お気遣いなく。しかしまたお話しできればうれしいですね」

 

 うれし、のあたりですでに彼女は顔を戻してまた歩き始めていた。何ともせっかちな、本当に彼女の頭の中には主人のことしかないらしい。

 先ほどの騒動に何らかの目的があったことは明らかだが、その目的は明らかにならぬまま。舌打ちしたい気持ちをおさえ、バーボンはパーティ会場を後にした。

 そしてその「目的」をバーボンが理解するのは、その翌朝のことである。

 

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