何とか自力で歩けるようになったローゼマリアは、本日の監視役10番隊隊長のクリエルを背後に感じながらひとり甲板に向かう。エースからフシギバナが船首で動かないと聞いているので迎えにいくのだ。
鯨の頭で涼んでいるフシギバナが人の気配を感じてむくりと起きる。主人のローゼマリアを見て顔を綻ばせながらのしのし近付いてきた。
「バナ!」
先程までフシギバナがいた場所の後ろには、バッグに入れていたシーツに包まれたプテラが不安そうな顔をしてフシギバナの傍にいた。怪我をさせてしまった相手、しかもトレーナーとして名乗った相手だからと怖がっているのかもしれない。
大丈夫かと尋ねるようにぺたぺた蔓で顔を触るフシギバナに「いつも心配かけてごめんね」と顔を両手で包み込めば、ぶに、と蔓が鼻を潰してきた。フシギバナなりの「このやろう心配かけやがって」らしい。
「プテラの面倒を見てくれたの? ありがとうネーラ」
「バナ、バァナ」
憑きものが取れたように落ち着いているプテラは、あの凶暴性は無理に巨大化させられた故の混乱もあったようで今はしおらしく喉をクルクル鳴らしている。
膝を折り四つん這いになってプテラに近付くローゼマリア。びくりと身体を震わせ、体勢を低くして上目遣いに動向を見守るプテラのすぐ傍に尻を落ち着けるとそのまま抱き上げた。
「プテラ。まだ囚われているあなたの兄弟たちに近付けば寿命が縮む思いをするように、本当に縮んでしまうようにヨノワールに頼んで酷い人たちに呪いをかけました。ですので安心してください」
「……ぎゅう」
「私からひとつ、提案させて頂きたい。あなたの身を休ませるためにも、一時的ですがモンスターボールに入ってほしいの」
モンスターボールはその名の通り、モンスターを仕舞うボールのことだ。ポケモンは各々生態が異なるが、唯一の共通点として「狭い場所では身を小さくさせる」というものがある。ボールはその生態を利用して持ち運びやすくした人類の英知が輝く結晶だ。
中は、ヒールボールでなくとも快適に過ごせるよう――勿論ヒールボールには敵わないが――最先端の科学力を駆使して開発されている。科学力が進むと共にボールも日々進化してきていた。
新たに快適でいられるよう開発されたボールが発売される度に古いボールを売り、買い換えていたローゼマリアのバッグにはかつての世界にいたときの最新モデルばかり。野晒しで鯨の頭にいるよりはだいぶマシだと自負できる。
ローゼマリアの言っていることを理解したらしいプテラは差し出されたボールに額を合わせてカチリと突起を押し、中へと吸い込まれていく。
うぅ、うぅ、うぅと3回揺れたボールは「ぽぅん」と虹色の光を発した。それは無事に捕獲した、合図。
「新しい家族、いらっしゃい!」
「バナバナア!」
いつもゲットした時口にしていた台詞を言えば、フシギバナが答えてくれる。覗き込んでいたクリエルがあからさまに驚いた顔をしてローゼマリアを見つめてくる。
船首から出てきたところに声をかけてきた。
「今何をした」
「……モンスターボールでプテラを保護しました。ネーラ、出といで」
手招きに応えてのそりと鯨の頭から出てくるフシギバナ。砂でも付いていたか、ローゼマリアの服をぺしぺしと叩く。クリエルは小さなローゼマリアの手に有り余っているとても小さなボールに視線を注いでいた。こんな小さなボールにあのプテラが収まっているのかとでも言いたげだ。
クリエルとボールとを行ったり来たりしたローゼマリアは、小さくなったボールをカチッと押して大きくしてからクリエルの手を掴みその上に乗せる。
動揺した顔をジッと見据えた。
「投げれば出てきます」
「……どう、しろと」
「どうとでも。今押した出っ張りをもう一度押すと小さくなります。小さくなった状態では基本的に出てこられませんから海に投げ捨てることも出来ますよ。この子を追放したければ出っ張りを押して適当に放るだけです」
顎をしゃくるローゼマリアの試すような目に、手の中のボールを見つめるクリエル。「……何故だ?」ポケモンを愛し愛される彼女が取るべき行動はクリエルに渡すことではなくボールを腰に戻すことのはずだと言外に匂わせたが、ローゼマリアはちらりと見ただけで気難しそうな顔のまま立ち尽くしていた。
手の中で転がしたまま、どうしたものかと思っていると貝のようだったローゼマリアが口を開く。
「現状、エースくん以外にはポケモンたちが懐いていません。当然ながら自分たちを警戒し距離を置く人物に愛想を振りまけなんて命じてませんし、害意や悪意は無くとも少なからず敵意を感じたネーラたちが自分から心を開くなんてこともしません。ですが、船長さんのご厚意でこの船に置いて頂いているのにいつまででも膠着状態では埒が明かないとエースくんとも話しまして」
「俺から懐柔していこうという魂胆か」
「平たく言えばそうです。ちなみにあなたを狙い撃ちしたわけではなくて、今日の監視役を懐柔しようとしたらあなたが来ただけですので」
わざと冷たい言い方をすれば、突っかかりもせずにしらーっと流された。ついには腕組みをして欄干にもたれ掛かる。監視しているフシギバナの視線が痛くて「どうしたもんか」と知らず溜息を吐いた。
甲板には他にも兄弟がいるからと、ようやく腹をくくったクリエルが船首の上に向かって大きく振りかぶる。放物線を描いたボールは頂点に達した時急停止し、ぽうぅん、と開いて中のプテラが飛び出してきた。
「ぎゃあ!」
雄々しく羽ばたいたプテラが旋回したあとに、ローゼマリアとクリエルの間辺りの欄干に留まる。ボールを持っているのがクリエルだと気付いたのか、鳥のように首を傾げてから体勢を低くして上目遣いに見つめてきた。
ローゼマリアは近付いて下から顎をくいくいとかいてあやす。くすぐったいのか気持ちがいいのか「クルル」と喉を鳴らして甘えるプテラ。
「撫でます?」
一瞥もせずに問いかけたローゼマリアは何の反応も返ってこないことに不思議がってクリエルを見る。
少し後ずさり仰け反っていたクリエルは静かにプテラを指差していた。
「下手なことしなければ噛みませんよ。イヤなところはきちんと嫌がるので撫でないようにすればいいですし」
あたまもなでていーい? と聞いたローゼマリアに応えるように少し頭を下げるプテラ。「きゅああっ」撫でられたのが嬉しかったのか尻尾がぷりぷり振られる。遠巻きに様子を窺っている兄弟たちの手前、怖いからイヤですなんてことクリエルは選択出来なかった。
恐る恐る指を伸ばし、ちょん、と乗る。目を瞬かせたプテラはジッとクリエルを見据えてきた。
「……それは、触る、ですが」
「このような生物に触れたことなど生まれてこれまで一度も無いのだ……!」
「まあ……それなら……」
じわじわとくすぐるような触り方に、プテラがくふくふ笑う。
「……冷たいな」
「プテラは変温だと言われてます。暑いとこ苦手だという研究報告もあるくらいで」
「研究されているのか」
「本来であれば「ひみつのコハク」から復元しなければいけない、現代には存在しない絶滅種と言われていました。×××雪原には野生下での生存が確認されましたが」
指先で撫でるクリエルに焦れたプテラがずいと前に出た。おわ、と小さく漏れる声を気にせずぐりぐりと頭を手に擦り付ける。あからさまな警戒心はないと判断したのだろう。それとも撫でてくれたからいい人だと判断したのか、ローゼマリアには分かりかねた。
「いいのかこれは」
「噛まないからいいのでは?」
半ば投げやりな回答だったが、そうかと呟いたクリエルの顔が意外に緩んでいたのを見たので「ふむ」と首を傾げる程度に留める。
くいっと裾を引っ張る感覚がして下を見ればフシギバナが蔓で引っ張っていた。欠伸をしているところを見ると眠いらしい。
「……10番隊隊長さん。私、部屋に戻ろうと思いますが」
「……そうか」
甲板を通って部屋に戻ろうとするローゼマリアの肩にプテラが留まる。前につんのめったところをフシギバナの蔓が助けてくれて、肩から下ろされた。
め! と叱るフシギバナと、どうして叱られたのか分かっていないプテラ。
ローゼマリアもプテラの頭を撫でてから鼻をピチ、と押す。キョトンとした顔はそれだけで悪いことをしたと気付いたらしくしゅんと沈んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お呼びがかかるまではご不浄以外に外出することはありません。用があれば呼びますので、お休み頂いて大丈夫です」
では、とクリエルを見ないで部屋のドアを開けたローゼマリアは突撃を受けて「ゔ」と太い声を出す。何だどうしたとクリエルが覗き込むと、胸元にぶんぶん尻尾を振る六尾の子狐がいた。
「おちびちゃんとはいえロケット並の威力……っ」
「バナ!?」
「こぉん」
鳩尾に食らったか、と背中を擦ろうとして、年頃の女性に軽率に触れてもいいものなのか悩んで止める。抱かれたロコンはしゃかしゃかと脚を動かして「おかえり」を身体全部で表現していた。
「きゅうっ! きゃおん! きゃわわ!」
「はいはい。ただいま。ネーラ、プテラもおいで。ロコン! 暴れないの、危ないよ」
だばだば暴れるロコンを宥めながらフシギバナとプテラを連れて部屋の中に戻るローゼマリア。パタン、と締められたドアに開いている監視窓からそっと覗くと、ロコンを膝に置いてポケモンたちを慈しむ姿があった。
エースはそれを見て色々と妄想しているんだろうなと、手出しが出来ないヘタレ弟を思うクリエル。ほろりと苦い思いで涙を流していると、フシギバナがジッと見つめてくることに気付く。恐らく監視をしていることに抗議しているのだと、すまないと手振りで示した後その場を離れた。
視線の意味に気付いたクリエルがいなくなったあと、フシギバナは方向を変えてベッドに腰掛けた主人を見る。怯えるロコンにプテラの脅威は無くなったと教えているところで、おそらくまだタマゴから孵ったばかりだろうロコンはローゼマリアにべったりとくっついて離れない。
「だからねロコン。もうプテラは私と家族になったから安心して」
「きゅう……」
フシギバナはロコンがしきりに「ママ」を探していることを知っている。そしてローゼマリアを「ママ」なのだと思い込んでいることも。
のそりと歩き出したフシギバナは、ロコンに「プテラはママの子になったんだ」と伝える。「お前もママの子になりたいか?」とも告げた。
「きゃうっ!? きゃんっ!」
よしよしとロコンをあやしているローゼマリアは、急に暴れ始めた理由が思いつかない様子でフシギバナとじとりと見つめる。そもそもロコンが彼女をママだと思っていることも知らないのだから当然といえば当然なのだろうが、さてよっこらしょ、と蔓を出した。
「あっ、こらネーラ!」
バッグからモンスターボールを取り出したフシギバナはロコンへと差し出す。「これがあれば彼女はお前のママになる」と言えば目を輝かせて近付いてきた。慌ててロコンを高く持ち上げて捕獲されるのを防ぐローゼマリア。
「ネーラ! 勝手に何をしてるの」
「バナバナ、バァナ」
「ええ? ママ? ……確かに私はみんなの
ボールも取り上げようとしたローゼマリアだったが、フシギバナの説明を聞いて不思議そうな顔をする。「こん」と小さく鳴いたロコンと目線を合わせた。
「……あなた、もしかして、ママを探してるの?」
「! こんこんっ!」
「ネーラは私を、この子の母親にしたいの?」
タマゴから孵ったばかりなのだろうということはローゼマリアにも理解出来る。本来生息するべき場所ではないところで孵化しプテラに襲われていたことを見るに何処からか逃げ出してきたのでは無いかと推測しているローゼマリアは、このロコンの母親は元の生息地にいる、もしくは既に、という可能性まで考えていた。
どちらにせよ今の段階ではロコンを元の場所に戻してやることも難しい、そしてこの子がどの地方から来たのかさえも分からないのでは返しようがない。野生のプテラが生息していたのはガラル地方のカンムリ雪原だが、未確認なだけで別の地方からかもしれないし。と溜息を吐く。
「バナ、フシ」
大切なパートナーに「なってほしい」と言われて、ローゼマリアは断れるほど器が狭くないつもりだ。高く掲げたロコンを、その鼻先をボールの前に戻した。
「あなたは、私がママでいい?」
カチッと音がしてボールが開く。吸い込まれて、3回揺れて虹色の光が出たボールを手にしたローゼマリアは「そう」と胸に抱きしめる。
「ネーラ……。娘が、出来たね」
まだ結婚もしてないけど、と少しだけ眉を下げて笑ったローゼマリアに、珍しく甘えるようにすり寄ってくるフシギバナ。まだ互いしかいなかった旅の序盤で、鼓舞するためにしていた額の擦り合わせをしたいと蔓を出してくる。
ひやりと冷たいフシギバナの体表が安心感を与えてくれて、ローゼマリアは自然と微笑んでいた。