チート主人公がスローライフを送る為にヒロイン達や試練から逃げまわる話 作:あいうえあ
「あ~疲れたぁ~」
一日の業務を終え、近くの風呂場で身体を労い豊穣の女主人に帰って来た。
この「後はもう寝るだけ」という時間が一日の中で一番好きだ。
店に入り、割り当てられた部屋まで移動する。他の部屋をチラッと見てみたが明かりはついていなかった。もう皆寝てしまったのだろう。
つまり、今僕は安全な場所で一人きり。
ふぅ~。漸く少しの平穏を得る事が出来た。もちろん人嫌いという訳では無いが、僕は一人が好きなのだ。ベル達と居た時はもちろん安らぎを感じていたのだが、やはり一人が一番気楽だ。
僕の言う「平穏な日常」とは、友達と遊んだり飲みに行く事は有っても、基本的に一人でのんびりと平和に暮らす事を指す。
漸く得た平穏を堪能していたが、部屋の前に来ると何やら話し声が聞こえた。
「……」
周りを確認するが間違いなく僕の部屋だ。いや、厳密に言えば僕の部屋では無いのだが。
気の所為だよね?隣の部屋の声が漏れてるだけだよね?
漸く得る事が出来た一人でゆっくりできる時間。その安らぎのひと時が脅かされそうになっていた。
ガチャ
「あ、アルトさん。お帰りなさい」
Oh…
部屋に入るとシルさん、アーニャさん、クロエさんの三人が出迎えてくれた。皆制服姿ではなくパジャマ姿だった。
「…ただいまです。まだ起きてたんですね」
「ええ。アルトさんを待ってました。結構長風呂なんですね」
そりゃそうだ。だって久々のお風呂。身体の隅々まで洗い、ゆっくりと温泉を堪能してきた。
「待っていたとは…?何か用事ですか?」
ここではお酒も提供している。居酒屋では無いが結構な深夜まで営業しているのだ。風呂場で見たが今は深夜の2時。そんな時間に集まってどうしたのだろう?
「まったくアルトは察しが悪いにゃ。今から皆でこのゲームをやるにゃ」
アーニャさんが呆れ気味に差し出したのはトランプの様な物だった。
「げ、ゲーム!?今からですか?」
「そりゃそうにゃ」
今は深夜の2時だよ!?聞く所によると明日も朝から営業があるらしいのだが…オラリオの女性は元気だなぁ。
「もしかして…イヤ…でしたか…?」
シルさんが不安げに言う。
「ああ。もう!嫌な訳無いじゃないですか!さぁ始めましょう!」
「おお。アルがやる気ニャ」
「流石私のアルにゃ。ノリがいいにゃ」
こうなりゃやけだ。
よく考えろ。目の前にはすれ違えば誰もが振り向く程の美少女が3人。しかもレアなパジャマ姿。これは結構役得なのでは?
どんな事でも捉え方によっては良い事になる。そう。ポジティブシンキングだ。
「と言うか猫のお二人さん。アルという呼び方は止めて頂けませんかね?」
ベルにばれない様にわざわざ偽名を使ったのにこれではまるで意味が無い…。
「おや?なぜにゃ?」
「もしかして元カノにそう呼ばれてたとか…?」
「え!?そうなんですか!?」
勝手に盛り上がる女子共。
「と言うか今は彼女は居るのかにゃ?」
「確かに。気になるにゃ」
「わ、私も気になりますっ」
…はぁ。長い夜になりそうだ。
と言うか今更だが、こんなに騒いでも大丈夫なのだろうか?ここの従業員は皆住み込みで働いている様だし迷惑になっていないのだろうか?
「その事なら気にする必要ないにゃ。この階に住んでいるのはリューだけだからにゃ」
いや、ならリューさんに迷惑になるんじゃ?
その瞬間扉が開いた。
「すみません。遅れました」
やって来たのはリューさんだった。
リューさんも一緒に遊ぶのかよ!?何となく想像していたキャラと違った。もっとクールで一匹狼的な人だと勝手に思っていた。
「もぉ~リュー遅いよ」
「そうにゃ。始めるとこだったにゃ」
こうして長い夜が始まった。
◆◆◆◆
初めはカードゲームで遊んでいたのだが、アーニャさんが持ち込んだお酒によりいつの間にか宴会になり、皆酒に弱いのか直ぐに酔いつぶれてしまった。
僕の傍らには気持ちよさそうに寝息を立てているシルさんが居る。
酔っ払ったシルさんの相手は大変だった。ひたすらに僕の腕に引っ付いてこようとしてくるのだ。初めは抵抗していたが、もうめんどくさくなって諦めた。その結果シルさんは現在、僕の肩に頭を乗せ眠っている。
本来ならシルさんはこんな事はしないだろうし僕もさせないのだが、酔っているのでまぁ仕方が無い。
僕とリューさんは飲まなかった。僕は飲んだ事が無いというピュアな理由から。リューさんはこうして酔いつぶれた皆を介抱する為に飲まなかった様だ。
「アルトさん。今朝はありがとうございました」
皆が寝静まり二人きりになった途端リューさんに礼を言われる。
何の事だろうか?
「酔っ払いに絡まれた時、貴方はシルを守ってくれた」
ああ。敢えて拳を躱そうとしなかったのがバレていたのか。
しかしよく気が着いたな。やはりリューさんは相当な手練れな様だ。
「いえいえ。リューさんこそありがとうございます」
「私は当然の事をしたまでです」
「それを言うなら僕だって当然の事をしたまでですよ」
「ふふ…貴方は優しい人だ」
リューさんが柔らかく笑う。今日一緒に仕事をしていたが、初めてリューさんの笑顔を見た気がする。普段は綺麗と言った感じだが、笑った顔はとてもかわいらしくそのギャップに思わずドキッとしてしまった。
話題はダンジョンについて。
リューさんはやけにダンジョンに詳しく、明日ダンジョンを攻略する身としてはとても有意義な情報ばかり教えてくれた。
「―――ですので、ダンジョンは非常に危険な場所です。冒険者が疲弊し体力を消耗した時に初めて本来の牙をむくのです」
「な、なるほど…気を付けます」
「?気を付けますとはどういう事ですか。ダンジョンに行く予定でも有るのですか?」
「え?ええ。明日には。いつまでもここでお世話になる訳にもいきませんからね」
「では明日にはもうここを出て行くと言う事ですか?」
あ、そう言えばミア母さん以外には言ってなかったな。
「はい。そうですね」
「ええっ!?そうなんですかぁ!?」
寝ていた筈のシルさんが飛び起きる。
「あれ?酔いつぶれて寝てたんじゃ…?」
飛び起きたシルさんに酔っている気配は一切なかった。
「シル…酔ったフリをして話を聞いていましたね」
酔ったフリだと…?本当は酔っていなかったと言う事か…?
「あれ?じゃあさっきまで僕に引っ付こうとしてたのは…」
「あ、ああああっ!私もう自分の部屋に戻りますねっ!おやすみなさい!!」
そう言って物凄いスピードで去って行った。
な、なんだ理解が追い付かない…。
「ふあぁ」
大きな欠伸が出る。
シルさんに関しての疑問や、ダンジョンに関してリューさんに聞きたい事はまだあったが、眠気は限界に達していた。これ以上の夜更かしは明日に響く。
リューさんと一緒に酔いつぶれた二人を部屋に運び、僕も眠りに付いた。
◆◆◆◆
「ほんとに行っちゃうんですか?」
一通り挨拶を終え、豊穣の女主人を出ようとするとシルさんに声を掛けられる。
「また来てくれますよね?」
「え、ええ。お金に余裕が出来たらまた来ますよ」
「…本当ですか?」
シルさんは疑うような目で僕を見ている。なんだろう…。出会った日から感じていたが、シルさんには嘘が通用しないような気がする。
「ではこれを持っていってください」
そう言って差し出されたのは弁当箱だった。
「お弁当作ったんですっ!ダンジョンに潜るなら腹ごしらえは必須ですよ!」
「あ、いいえ、いいえ!お気になさらず!もうお気持ちだけでだいじょ」
「私のご飯美味しく無かったですか…?」
食い気味でシルさんが言う。その声には覇気がなくどこか悲しそうだった。
「で、ではいただきますよ」
「やったぁ~!」
シルさんはコロっと表情を変え、僕の手を両手でつかみ胸元へと寄せる。この人本当にあざといな。もし素なのだとしたら、相当な魔性だ。
その体制のまま囁く様にシルさんは言う。
「このお弁当箱、実は結構高い物なんですよ。だから今日の夕方必ず返しに来てくださいね。アルトさんなら盗まずに返しに来てくれるって信じてますから」
「……」
なるほど。そういう作戦かぁ!
…まぁいいか。平穏な生活も重要だが、人を傷つけてまで手に入れたものに意味は無い。
今日の夕方、ここに帰ってくることが確定してしまったが、これは平穏な生活を送る為の必要経費と言う事にしよう。リスクなしで手に入れられる物は無い。
自分にそう言い聞かせ、自分自身を正当化する。
「ではいってらっしゃ~い」
「い、いってきます」
シルさんは大きく手を振っている。ここは大通り。言うまでもなく『豊穣の女主人』は有名店で、そこの従業員であるシルさんは美人で有名だ。そんな女性が男にお弁当を渡し「いってらっしゃい」「いってきます」などと言い合っている。目立たない訳が無かった…。
「な、なんだあいつ…」
「もしかしてシルさんの…?」
「くそぉ、先を越されたぁ!!」
周りからの視線を断ち切る様にゴブリンに追われた時以来の全力で走る。
シルさん絶対わざとだろっ!
シルさんに会えてよかった、とちょっと本気で思っていたが、やっぱりもっと警戒すべきだった!!
周りの視線を振り切る様にギルドへと走って行った。