「チッ……くっせえなお前……」
「……え?」
葛城蓮の発したその言葉に反応したのは、これから彼と仕事の打ち合わせの予定だった夕桐アヤノ。
現在は、他人のヒモと化した元カレ──緒方シュウから金の無心をされている女である。
蓮の方に顔を向けたアヤノだが、彼の視線ははるか遠方へと向けられていた。
思わず彼女も、そちらの方角へと目を凝らす。
立ち並ぶビル街の隙間から、薄っすらと白い煙が立ち上り始めている。
「……火事か?」
白煙を目にしたシュウがつぶやいた。
どこかヌケた感じのある彼の言葉に反し、蓮は視線をスッと細め
「いや……ありゃそんなモンじゃねえぞ」
と、わずかな緊張をはらんだ言葉を発する。
同時に、煙の上がる方へと一歩踏み出した。
アヤノはとっさに、蓮を呼び止めるための声をかける。
「ちょ、葛城さん! どこ行くんですか! 打ち合わせは!?」
「んなもんはあとだ」
「まさか、あの火事を消しに……? そんなの消防に任せれば」
「火事なんかじゃねえんだよ。これは、俺らの出番だぜ」
アヤノの制止を聞かず、ズンズンと蓮は進んでいく。
残されたシュウたちは、互いに顔を見合わせた。
「俺たちの出番って……まさか、これD災害なのか……!?」
「でも、警報はまだ……」
バッグから端末をとり出し、悪魔が発生していないか反応を調べるアヤノ。
だが、AAAの本部からも一切の警告はない。
「キサラ!」
「……ううん。なにも感じないよ、シュウくん」
首を横に振って、この近くに悪魔はいないと答える。
キサラは疑わしげな眼を、遠ざかっていく蓮の背に向けた。
「あのおじさん、適当なこと言ってるだけじゃ……」
「それにしては、真に迫りすぎてる気もするけど」
「とりあえず、俺たちも行ってみよう」
三人も、蓮のあとを追って走り出す。
先を行く蓮に追いついたのは、ちょうど煙の発生地点のそばまで来た時だった。
煙は、コートコーポレーションという一件のビルの内から発生していた。
周囲には、ビルから外に避難したと思われる人だかりができている。
さらには、事件の見物に来たやじ馬たちの姿も。
「葛城さん、悪魔はどこに」
追いついたアヤノが、蓮の背中越しに問うのと同時に
バァン!
目の前のコート本社が、大音響とともに爆発四散した。
爆風と粉塵をまともに浴びて、蓮たちは地面に投げ出される。
が、そこはプロのエージェント。しっかりと受け身をとり、四人ともに怪我はない。
舞い上がる
煙をさいてゆっくりと姿を現したそれは──真っ白なブリーフとソックスをはいた、裸の少年だった。
「えっ、子供……?」
アヤノは予想もしない事態に戸惑いの声を上げる。
「いや、子供かなぁ……それにしては、ずいぶんガタイが良いけど」
「だよね。やっぱりおばさんは視力もよわよわなんだよ」
シュウの言うように、少年と思わしき人物はそう呼ぶには、いささかしっかりしすぎた体格をしている。
だがなんにしても、爆発を起こし火の手が上がる建物から無傷で出てきたこの男が、ただの人間であろうはずがない。
「……ぼく、ひで」
少年──ひでは、蓮たち四人に向け唐突に自己紹介をした。
ほほ笑んだのだろうか?
不気味に吊り上げられた口角は憎たらしく歪み、四人は強い不快感を覚えた。
「あの、葛城さん。あの子? が悪魔なんですか?」
「当たり前だよなぁ? あんなムカつく
「でも、どう見ても人間ですよ。悪魔憑きでも、あそこまで姿かたちが人そのものなのは、確認されてません」
「じゃあ試してみるか」
そう言うと、蓮は
銃弾が当たったひでは大きくのけぞり……
「あー痛い」
倒れることなく体勢を立て直すと、言葉とは裏腹にあっけらかんと言った。
「銃で撃たれたのに……じゃあ、マジであいつ悪魔なのか」
完全な人間型の悪魔など前例がないが、どうやら蓮の言う通りのようだとシュウ。
直後、アヤノとシュウの持つ端末から警報が鳴り響いた。
D災害の発生を確認したことを知らせるアラームである。
対策本部はひでの出現から大きく遅れて、悪魔の発生を認識したのだ。
シュウは独自のルートで、悪魔が姿を現す前にその出現を、事前にリークしてもらっている。
それは彼の狙う
(それでも、ここまでなんの前触れもなく悪魔が現れたこと、なかったぞ? なにかおかしくないか?)
わずかな疑念がシュウの頭をよぎった。
「夕桐、緒方。同時にやるぞ、おい」
蓮の声がシュウの意識を現実に帰す。
隣で蓮とアヤノは銃を構え、遅れてシュウもコートの内から拳銃を出し、ひでに狙いをつけた。
三つの銃口を向けられてなお、ひではムカつく笑みを絶やさない。
「撃てッ!!」
蓮の号令で銃は火を
だが――。
「アァ痛ッたい! ッタァーイ……」
「ウソでしょ!? いくら携帯用で威力が低いっていっても、これだけ撃ち込んでダメージが全くないなんて……」
数十発の弾丸を浴び続けながらも、ひでは痛いと漏らすだけでその実、体には傷一つ付いていなかった。
アヤノが持つ拳銃は、トリプルエー・ディフェンダー社が独自に製造したものである。
D級の悪魔であれば、携帯用でも多少の傷は負わせることができる代物だ。
蓮のピストルも、製造元は違えど威力については同程度。
シュウにいたっては
それら三丁が弾が尽きるまで撃ち尽くしてもなお、ひでは無傷を通してしまった。
つまりそれは、ひで=非D・E──彼がC級以上の悪魔であることを示している。
そしてC級悪魔は最低でも、『都市の運営にいちじるしい混乱をもたらす』規模の災害を起こすことが可能なのだ。
現にひでは、すでに出現の余波だけでビル一棟を消し飛ばし、周辺にも二次被害をもたらしている。
「おい、夕桐! お前は周りの民間人を非難させろ」
「け、けど悪魔の対処は」
「俺らでなんとかする。急げ!」
AAAの実働部隊を率いるリーダーでもあるアヤノだったが、おそらく現場での経験が一番豊富であろう蓮の指示に、この場は従った。
「わかりました。みなさんこちらへ! 早く!!」
アヤノが声を上げると、その指示に従い避難を開始する市民たち。
蓮はシュウと、その隣に立つキサラをチラと見、声をかけた。
「おい、嬢ちゃん。お前にも協力してもらうぞ」
「葛城さん、こいつは……」
なにごとか言い
だが蓮は、彼と彼女の隠していた秘密を、すでに看破している。
「悪魔、なんだろ。もう分かってんだよ」
「っ!?」
驚愕の表情を浮かべる二人。
しかし蓮はすでに確信を持っているようで、淡々と言葉を続ける。
「『A級悪魔と契約したPMCのエージェントがいる』ってのは、噂でちょっと耳に
「……葛城さん、このことは内密に」
「いちいち触れ回る気はねえよ。だが今は事態が事態だ、悪魔の手も借りてえ」
「キサラ……」
頼み込むようなシュウの視線を受けて、少女は静かに首を縦にふった。
「お話は終わった?」
これまで黙って蓮たちのやりとりを
相変わらず浮かべているニヤけ笑いは、目の前の三人を完璧に舐め切っている証しだった。
ひでからの問いかけを無視して、キサラは自らの魔力で生成した一振りのブレードを構える。
「キサラ、俺の代償は……」
「大丈夫だよ、シュウくん。C級程度の悪魔なら、
言うが早いか、キサラは大地を一蹴りして瞬時にひでの眼前まで迫った。
超スピードの加速に乗せて、黒き鋼のブレードが振るわれる。
鋭い刃は容易にひでの首と胴体を
「うそっ!?」
しかし、現実にはそうはならなかった。
並の動体視力では追いきれない速度での斬撃も、ひでは首を
それも、余裕を持ってだ。
その事実に驚愕するキサラだが、攻撃の手を止めない。
「まだまだ!」
縦横無尽に繰り出される連撃も全て空を切る。
残像すら見えないほどの速さなのに、ひでは軽々と避け続けるのだ。
「お姉さん(こんな中途半端な攻撃は)やめちくり~」
「うぁっ!?」
ついには反撃を
軽く手首を払っただけの、ただそれだけでキサラは、はたき落とされた羽虫の様に吹き飛ばされてしまう。
「キサラ!」
「なんだとぉ~……!?」
C級悪魔と思われていたひでが、まさかA級悪魔のキサラを簡単にあしらうとは。
目の前の光景が信じられないシュウと蓮。
「(この程度の力しかないのにA級悪魔だなんて)ほんとぉ?」
ひでは、地面を転がるキサラを
「(実力の底は)わかったわかったわかったよもう! それじゃあ……『火で死ね』」
キサラの力は見切ったとひで。
おもむろに右手に一本の剣を召喚すると、刀身から凄まじい量の炎を放った。
横たわるキサラは避ける間もなく、雪崩のように襲い来る猛火に飲まれてしまう。
「なっ……!? キサラァーッ!!」
シュウの叫びが響く。
炎の海の中、動くものはない。
ひでの視線がこちらに向くのを見て、蓮はシュウの服をつかみ走り出した。
「葛城さん、なにを!? キサラがまだ!」
「バカ野郎! あのまま突っ立ってたら燃やされるだけだ!」
逃げる背後で火の手が上がる。
ひでは蓮とシュウには興味がないのか、攻撃目標をベイロンシティそのものに変えたようだった。
一般市民の非難はすでアヤノが完了させたため人的被害こそないものの、建物への延焼は激しくなるばかり。
仮にひでを討伐できたとしても、ここら一体を元の街並みに戻すには相当の時間がかかるだろう。
「クソっ。あのひでって悪魔、強すぎる。A級のキサラが手も足も出ないなんて、まさかS級……いやチョーS級の悪魔なんじゃ」
「いや、あの小僧は悪魔なんかじゃねえ」
ひでの強さに
「あの剣と炎。そして『ひで』って名前でわかった、奴の
「悪魔の正体? 悪魔は悪魔でしょう……?」
シュウの疑念に、蓮はニヤリと不敵な笑みを見せる。
「小僧のことは俺に任せろ。だが今は武器がねえ。ちょっと取りに戻ってくっから、お前は悪魔の嬢ちゃんを見つけてどっか隠れてろ」
伝えることだけ伝えると、蓮は一目散にその場をあとにした。