トリニティの隠れ悪魔はシャーレの先生を倒したい 作:エガンドロ
――ピーピー
「ん、うるさ……」
やかましく無機質な電子音を喚きたてる目覚ましに手を伸ばす。
何度かナイトテーブルの上を私の手が空ぶり、ありもしない物を掴もうとする。
それでも止まらない目覚ましに、眉を寄せて抗議をしてみるが意味は無い。
それから布団の誘惑と目覚ましの騒音と格闘して数分、寝起きで半分まだあちらの世界にいる頭がようやく目を覚まして私の体を冷たい外気に晒そうと促してくる。
ずるりと半ば布団の中に体を残したまま出てきた私の上半身は蛇の様に、柔らかいカーペットの上を這いずり、やがて完全な脱出に成功した。
「う……ん、学校か、やだなあ。でもヒフミ先輩やアイリちゃんに会えるし、頑張ろっ!」
可愛い女の子を餌に気合を入れた私は、床の上で眠い目を擦って立ち上がり、洗面所の鏡の前に辿り着く。
そこに映っていたのは美少女――と表現しても過大評価にはならない程度の顔だと思う。
自分で言うのはちょっと気持ち悪いけど。
見た者に生まれついて無害なのだと理解させる様な、人好きのする笑顔。
ハサミで切り取られたみたいに欠けた背中の双翼。
そして夜みたいに青い長髪に紛れた小さな黒い角……そしてそれを隠す為に染め、まとめ上げられた黒いメッシュ。
更にとどめには頭の上に浮遊する、内に反転した双翼を抱く白色のヘイロー。
未だにどれもが見慣れない。特に俺の居た世界にこんな生れつき青い髪の人間はいなかった。
「私はトリニティ総合学園1年帰宅部、白裏オトハ。年齢15歳、誕生日は6月16日。趣味は読書と裏道の散歩、成績は中の下。性格は内気で優しく自由人……」
これが私の朝のルーティーン。
未だに慣れない鏡に映る自分の顔と体に目を合わせ、繰り返し自分のプロフィールを無意識の底まで暗示する。
それが終わってようやく自分の身だしなみに取り掛かれる。
窓から差し込む朝日はもう高い。
さあ急がないと、登校まで時間がない。
『白裏オトハ』は真面目な生徒。遅刻なんてしないんだから。
「あっ、オトハちゃん。おはようございます!」
「ヒフミちゃ……! おはようございます、ヒフミ先輩」
寮から校舎までの短い通学路。
後ろから天使の声が掛けられて、思わず素が出そうになるのを引き締める。
阿慈谷ヒフミ。同じトリニティ総合学園の2年の先輩で、私がこうなる前から挨拶を交わす仲。
金にもクリーム色にも見える髪を揺らし、足を止めた私の隣に並んで歩く彼女は自らを凡人と称するが、こんな天使の笑顔を見せる少女が凡人なわけないと思う。
彼女の笑顔といったら本当に万人の心を和ませてくれて、状況が飲み込めず馴染めなかった頃の私にも優しくしてくれて……。
「いつも私より早く登校してるのに珍しい……。やっぱりこの前の怪我がまだ痛むんですか?」
ヒフミ先輩が私のおでこを心配そうに見つめる。
ヒフミ先輩の視線につられて手でそこを擦ってみると、硬い小さな角が存在を主張する。
「――いえ、もう1週間も前の怪我ですし治りました。傷跡を隠したいので、染めてみましたけど。どうでしょう、似合いますか?」
「はい、オトハちゃんの青い髪に良く似合ってますよ!」
ちょっと浮いているかと思ったけど、ヒフミ先輩にそう言って貰えたなら安心だ。
きっと自然にこの学園に溶け込めるだろう。
私は黒髪の下でうずく角を取り繕いながら、少しの罪悪感と共に天使の笑みを堪能した。
……だったというのも間違いかもしれない。
正確には男だったという認識と記憶がこの『白裏オトハ』の人格の中にある。
うん、この表現も分かりにくい。遠回しに表現するのはよそう。私は簡潔に言えば転生して『ブルーアーカイブ』というゲームと酷似した世界に迷い込んだ、日本の一般男性だ。
1週間前の不良による襲撃事件の後、救護騎士団本部で目覚めた私は傷跡から芽生えた小さな角と、覚えのない男性の記憶に慄いた。
片やトリニティの生徒に相応しくない悪魔のソレ。
片やこの世界の住人に相応しくない人間の男のソレ。
「あ、目が覚めたんですね! お加減どうですか?」
「あ、え……あなたは?」
目覚めた私が最初に目にしたのは紫に近い髪に絆創膏やカプセルなどの医療を思わせる髪留めを付けた少女。
そう、彼女は。
「こんにちは! 私は白衣の天使、朝顔――」
「――ハナエ」
救護騎士団本部のベッドの脇に立っていた、元気ハツラツとした少女――朝顔ハナエ。
知りもしない彼女の名前を理解してしまった。その瞬間に湧き出る恐怖。
そして名乗る前に名前を言い当てた私に対する困惑の表情が、それを加速させる。
「きゃあ! どうしたんですか急に!」
私はハナエさんの隣を走り抜けて自分の寮のベッドだけを目指した。
すれ違う時に触れたハナエさんの柔らかい服や、道を必死に走る私への奇異の目も感じず頭の中はぐるぐる混乱しきっていた。
部屋に飛び込んだ俺は机の上のノートとペンを掴んでベッドの布団の中に潜り込んだ。
スマホの灯りだけを頼りにペンを走らせる。
俺が生まれた場所、私が育った街、俺が遊んだゲーム、私が学んだ戦術・技術……。
一心不乱に書き込んだ思い出せる記憶、全てが見事に混ざっていた。
名前も知らない前世の男と、キヴォトスで育った『白裏オトハ』の記憶に。
「なんで、なんで、なんでなんで、どうして……!」
確かにこの俺は『白裏オトハ』のはずなのに、頭の中を蟲みたいに這いずり回る男の記憶が、この体を拒絶する。
トイレに駆け込んで胃の中の物を吐き出して、顔を上げて洗って、目に入る自分の容姿に、体の柔らかさに違和感を覚えてまた体調を崩して――。
ふと自分が誰かに頭を抱きしめられているのに気づく。
過呼吸になって意識が朦朧としていたみたいで、意識は飛んでいた。何があったのか分からなかった。
それでも目の前の誰かが俺を意識の泥沼の底から救い出してくれたのは分かった。
何度も吐き戻して意識を飛ばして、相当体は汚れていたはずなのに、それも気にせず抱いてくれている。
「だ……大丈夫です! 大丈夫ですから、オトハちゃん……! 私絶対にオトハちゃんを放しません!」
きっと意識のない時からずっと、こうしていてくれた。
暴れる私を止める為に汚れる事も厭わずに。
恩人の顔を見ようと頭を上げると、そこには天使がいた。
瞳は閉じられ、服は汚れ、髪は乱れていても、確かな意思で私を助けてくれた優しい天使が。
「――はい。もう、大丈夫です。ヒフミ先輩」
私はそっと天使の手を握り、自分の粗相を謝った。
それから聞いた所によると、ヒフミ先輩は怪我をしていた私を救護騎士団に連れて行ってくれていたそうだ。
授業が終わってお見舞いに行ったら、ちょうど救護騎士団本部から飛び出す私を見つけて、後を追いかけたら狂乱する私に出くわして咄嗟に抱きしめたそうで……。
ヒフミ先輩マジ天使。
ただ挨拶をする程度の仲の私にここまでしてくれるなんて、優しいなんてレベルじゃない。
マジリスペクト、敬愛する。
だからその日、私は決心した。
必ずあのシャーレの先生を打ち負かす。
なぜってそんなの決まってる。
友達のアイリちゃんや、私を看病したハナエさん、そして何より天使ヒフミ先輩は素晴らしく純心な乙女達だ。
そんな純情な生徒をたらしこむ大人は悪い大人。
だったら私はそんな大人を倒さなくちゃいけないよね?
……嫉妬じゃないかって?
いやいや、そんなまだ表れてもいない様な未来のライバルに嫉妬なんて恥ずかしい真似私がするわけないでしょう。
とにかく今はまだ連邦生徒会長が行方不明になる前だ。
『ブルーアーカイブ』サービス開始を先生が赴任する日だとすれば、シャーレの先生が来るまで数カ月時間はある。
それまでに私は先生に対抗できる兵力を手に入れるんだ。