Spica 作:一等星
「……あの、その」
「ああ、うん。ごめん。その、やり直すか?」
結論から言うと、やってしまった。こんな不審者感たっぷりな挨拶なんてないだろう。思わず自嘲してしまう程だが、この挨拶にいい思い出がないのは、自身でよく分かっていたのだ。具体的に言えば、魔法少女が活躍する……と思われていたアニメなのだが。
-閑話休題-
「いえ、その。大丈夫です。私を選ぶ人が、いるとは思わなかったので」
ともかく、声をかけた彼女の反応は悪くない。これは押すべきなのだろう。男は決めた。とにかく、彼女と共に行きたい。そういう気持ちが、強く存在していたのだから。
「周りなんて関係ない」
「!」
スズカの瞳が揺らぐ。やはり、彼女には他トレーナーの声が聞こえていたのだろう。不安の色が現れるが、もう一押し。なぜだか、アクセルを抜いて、止まるという選択肢は頭から消えていた。
「今夜、寮長に話して、外に出られるように時間を合わせてくれ。話がしたい」
「……分かり、ました」
傍から見たら、逢い引きの誘いに見えてしまうのだろう。それも、公衆の面前で。しかし、彼はここまで踏み出せば、もう怖くなかった。その場を後にすると、しっかりとした足取り……というよりは、駆け出してしまう。それは、もちろん。
「よし、やってやる!」
実に単純か、或いは。この男、大事な何かを取りこぼしているような気さえ、しなかった。
■■■
「というわけで、今夜はいないの。ごめんなさいね?」
「いえ、いえいえ! むしろ、専任トレーナーが遂にできるかもしれないんですよね。頑張ってください!」
スズカは、同室のスペシャルウィークに事のあらましを説明すると、それは目を輝かせて飛びついてきた。この少女。何がどうして、今のスズカに憧れているのだから、こうして全肯定気味な返事を貰ってしまう。優しい子なのは、よくわかる。ただ、自身に自信が微妙にないので、不安になることがあるのがたまに瑕だ。
「スズカさんのトレーナー……すごい人なんだろうなあ」
大物と呼ばれるが、まだ結果が何も出ていない。そんな自分に、こんな夢見心地な感情を抱くだけでなく、基本全てを肯定する。普通なら、ありえない状況だ。
この先の将来、自分が居なくとも生きていけるのだろうか。未来を考えてしまうのは、驕りか、それともこれまた不安か。とにかく、思考の波から浮上し、会話の方向を寄せる事にする。無意識の左回りを終えて、スペシャルウィークに向き直った。
「周りの人に聞けば、無名の方みたいよ。でも、なんだか不思議な人だったわ」
「不思議、ですか?」
「ええ、とても。まるで周りは視界に入れず、私だけ見ていたかのような……」
"僕と契約して、担当ウマ娘云々"は、正直言って、まるっきり怪しかった。だが、真っ直ぐな瞳で告げた言葉。"周りなんて関係ない。"それは、スズカ自身に大き響いたのだ。
「あの人なら……」
自分が見たい景色を、見させてくれるのだろうか。何か惹かれるものを感じる彼女は、胸に手を当てる。不思議と、高鳴っている気がして、少し恥ずかしくなった。
「大丈夫です、スズカさん!」
それを知ってか知らずか、スペシャルウィークは鼓舞をする。彼女の明るさは、いつもスズカに勇気を分け与えるのだから、彼女は自然と笑みがこぼれる。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「はい、行ってらっしゃい!」
■■■
トレセン学園前。荘厳な校舎が見えるこの場所は、普段夕刻になると、必ず門が閉まっていた。だが、今日に限っては、人ひとりが通れる分だけ開いている。その傍らに、全身緑の女性と男が一人が寄りかかっていた。
「たづなさん、申し訳ないです」
「いえいえ、構いません。それにしても、初日で担当候補を見つけるなんて、私の目に狂いはありませんでしたね!」
「ははは……」
男は、約束したスズカを待っていた。その最中、わけも分かないうちに、トレーナーとなってしまった原因の、たづなと雑談をしていたのだ。
スズカに会う前に、緊張を解すためでもあるし、門の開閉を待たせていたりすると聞いてしまったのだ。対価として、会話をしたいという彼女の願いに応ええ、お互いに利がある形に落ち着いたのだ。
「ですが、スズカさんを選ぶのは意外でしたね。こう、あなたの好みそうな子は……」
「差しに見えました?」
「ええ、まぁ」
実際、差しは嫌いではない。むしろ、好きな部類にあたる。逆転をする様を見ているのが、楽しいのだ。それは、ウマ娘でも、■でも、変わらない。だが……。
「……?」
「あら、どうしました?」
「あ、ああいえ、なんでも」
一瞬だけ、ノイズが走った気がした。そこで、ゲームの知識を思い出す。そうか、そういえばこの世界には■という単語がないから、自分で考えるにしても、認識はできても言葉の形に出来ないのだ。そう理解しようとしつつ、好きなウマに、思いを馳せた。
「これでも、結構逃げウマが好きなんですよ。今のスズカは先行ですが、きっと大きく逃げてくれる。まぁ、元々好きになった原因が、トキノミノルって言う幻の……」
「そ、そうなんですね! あの、頑張ってください!!」
だが、語ろうとしたところで遮られる。なにやら帽子を深く被って、顔を見せないようだから困ったものだ。男は、仕方なしに首を傾げつつも、"そろそろ時間だな。"と、確認するように時計を目にしようとした時に、カツ、カツ。と足音が聞こえた。
「すいません、お待たせ致しました」
「構わない。今来たところだよ」
まるでデートのような常套句。やってきたスズカに優しく微笑む。
「行こうか」
「はい」
たづなに会釈すると、日が落ちてしまった帳に歩き出す。目的の地は、先に調べておいたのだ。環境音を除けば、靴の音のみが世界に響く。見えてきたのは、桜並木。
「あの、色々お聞きしたいのですが、その前に。今、どこに向かっているのですか?」
「秘密。まぁ、よく知っている場所かもしれないけどね」
地図は、必死で暗記した。最低限のカッコつけだ。上手くいきたいという想いを込めると、桃色が漫画のように吹き荒れる。
出会いの季節の桜吹雪は、新たな願いを受け取って、天へと運んでいくように舞う。見上げながらも進んでいけば、視界の端に、小高い丘が見えてきた。その頃には、空に星が浮かんでいる。まだ完全に、日が沈んでいないせいだろうか。まだまだ星々の数は少なく、とても綺麗に見えなかった。
階段を上ると、誰もいない公園が姿を現す。当然、二人程が座る事のできるベンチも、休む人の影すら見えない。
「さて、とりあえずだけど、座ろうか」
「はぁ」
生返事のスズカを尻目に、ベンチに座る。彼女が座る場所にはハンカチを敷いた。わけが分からないと言った様子だが、空を見る。十分ほどだった頃だろうか、服の裾を引っ張って、アピールをするスズカがそこにいた。
「あなたは私でいいの?」
勿論、結論を急ぐウマ娘が隣にいることは、彼も分かっている。敬語が思わず外れてしまったことすら、スズカは気づいていないだろう。彼女の真剣な眼差しを受け、男はクスリと笑い、空を指さした。いつの間にか、日も沈んだのだろう。辺りは暗くなって、星の海ができている。
「星は、好きか?」
彼が問いかけた瞬間、世界の時は止まってしまった。
「え?」
間の抜けた声が響く。些細なことですら、彼女の声は美しい。まるで、天に祝福されていると錯覚さえしてしまう程に。
可憐すぎるその声に、時を再び動かしたくなってしまった。心の昂りを無視することなんて、憧れを前にした男にはできやしない。天に浮かぶひとつの星は、その指先にある。無言で見るように促すと、心の底に浮かんだ言葉を吐き出した。
「真珠星。あれは、乙女座の中で一番綺麗に見える星なんだ。スピカの方が一般的かな」
「スピカ……学園のチームの中にも、ある名前ですね」
「チーム、か。そういうのもあるんだな」
「新人さんでしたから、知りませんでした?」
「まあ、な」
この世界は、やはりチームがちゃんと存在しているのか。そういう感想は一度隅っこに追いやって、彼女の言葉に首を縦に振る。スズカの姿を、共に見つめる星と重ねた時には、さらに言葉が頭に浮かんできた。照れくさいものではあるが、それをさらけ出していく事にした。それが、正解な気がして。
「それで、そのスピカの意味は、抜群のセンスと直感力って意味を持つ」
「直感力と、センス……」
復唱する彼女は、言葉に飲まれかけていた。自信を無くしていることは、明白だ。最近、失敗続きだったのは知っている。
「俺は、君にこそふさわしいと思ってる。あの輝く一番星に、君はなれると思っている」
「トレーナー、さん……」
だから、本音でぶつかる。それしかない。男は、ここで初めてスズカの瞳を見つめる。正解を探す彼女に、自分はその正解になりたいという意思を伝えるために。
「俺の、スピカに。担当ウマ娘になってくれないか?」
再び、世界の時間が止まった。静寂は、いつまで続くか。体感は、既に数時間経ったと感じられるほど。いつまでたっても無言が続く、この間が重くて辛い。それでも、やがて答えは出る。スズカは深呼吸を行い、息を大きく吸った後、頭を下げた。
「お願い致します。私を、あなたの愛バにしてください」
その言葉を聞いた瞬間に、思わず飛び跳ねそうになる。でも、ここでは自制。それと同時に、名前をなくしたことで、彼女にまだ名を名乗っていなかったと気づいてしまった。
どうするか。と悩んでしまったが、ひとつだけアテがあった。ゲームのウマ娘プレイをする時に、缶に星の着いた麦酒を飲んでいたことからつけたトレーナーネーム。何故か、それだけは覚えていた。適当すぎる名前を、ここで名乗っていいのか。ちょっとした罪悪感が、胸に小さくしこりを残す。それでも、あえて名乗ることにすると、顔を上げた彼女を見据えた。目と目が合う。彼女が好きだと気づくのは、もっと先だろう。
「改めて、俺は麦星。トレーナーの麦星だ。よろしく」
びしっと決めたつもりで、男……麦星は手を差し出した。スズカもそれを握り返す。やわらかさが、麦星の手のひらに伝わる。赤面しそうになるのを、咄嗟にこらえた。
「サイレンススズカです。私のことは、スズカとお呼びください。こちらこそ、よろしくお願いします」
だが、握手をしたまま笑う彼女は、やはり女神と見紛うほど美しい。結局、その後すぐに、赤面をしてしまうのであった。