鳥の囀りと母親が朝食を作る音で目が覚める。
今の時刻は7時30分、とても気持ちいい朝である。
母親はまだ料理中なのか呼びに来ないので、もう少しゆっくりしていても構わないだろう。
3ヶ月後には小学校に入学を控えているので、なるべく早起きには慣れておくべきだ。
昨夜のことが嘘のように穏やかな日射しを受けていると、まさしくあれは夢幻だったのだろうとウェイトリーは確信する。
「おはようございます、創造主よ」
前言撤回。目の前で新聞を読みながら椅子を揺らす、人を越えた美貌を持つ神父を見て、全て現実だったと宣告される。
「……あぁ、おはよう
Nyarlathotep
ウェイトリーの前世の盟友が夢にて遭遇し、協力してアイデアを出しあい神格とした存在。
万物の主たる魔王の使徒にして同等の力を持つ者。
千の貌を持ち、この世界全てを嘲り嗤う冒涜者。
外なる神最強の一柱。
「目覚めは如何か、我らが主よ」
「ありがとう
「当然のこと」
いつの間に隣に居たのか、横から声をかけられる。
塵一つの黒も許さぬ純白の髪に、碧色の瞳を時折狂いそうな玉虫色に光らせる、これまた純白の神官のような服を着た人外の美貌の男。
Yog-Sothoth
ウェイトリーもアイデアを出し、ウェイトリー自身も、盟友との共同制作の中で傑作と思っている神格。
全にして一、一にして全。万物の原型にして窮極なる雛型。
この世界も彼の一部であり、あらゆる存在もまた彼。
外なる神の副王にして外神最強と呼ばれる者。
例えどんなことが起きようと辺境な惑星一つに同時に顕現していい存在ではない。ではなぜ、このような事態が起きているのか。
「しかし君たちが来た理由が私の守護だなんて……我が子同然の君たちに守られるとは、なんだかこう親心というのかな? 前世も今世の母も、こういう気持ちなのだろうね……」
「子供どころか女性との交際経験すらなかったのに分かるのですか?」
「はいうるさいぞそこの這い寄る混沌。……しかしたかが
彼らの目的は、自分より遥かに劣る神々のそのまた遥かに低次元の劣等種の守護。
彼らを知るものが聞けば泡を吹いて倒れ、そのまま夢の中でヒュプノスに連れていかれるレベルの事実を、子供が成人したぐらいのしみじみとした気持ちで感動しているウェイトリー。
しかし彼も知らぬ内に、精神に異常を来していた。
恐ろしく自然と《人間風情》と思考しているのに彼は気付いていないのだ。
本来人間なら見ただけ、気配を感じただけで発狂し死ぬであろう外なる神々の真体を直視し、あまつさえ美しいと抜かす彼でも流石に無明の房室のど真ん中にて魔王を見続けたら脳が持たず、狂気に晒された。
その結果──
ウェイトリーから見る全てが……無価値となった。
だってそうだろう。自身も、人も、国も、文明も、魔法も、科学も、星も、全て彼ら異形の神々の気紛れで簡単に滅びる。
この世界での強者といえば……魔法師? 例えその魔法師を何万束ねて歯向かおうと、外神どころか遥か格下の旧支配者にすら敵わない。
そしてその強大な神々も全てヨグ=ソトースに過ぎず、そのヨグ=ソトース、つまりは世界も渾沌世界の中心にて眠る魔王のいつしか泡のように消え去る夢でしかない。
世界の姿を知り、理解し、ウェイトリーの見ていた景色は一変した。
期待と希望で彩られた色鮮やかな世界は、変え難き現実と真実によって色褪せた。
だがそれがウェイトリーにとっての不幸であったのかと問われれば、彼は否と答えるだろう。
たとえこの世界が如何に脆く、儚いものだとしても、そこには愛すべき
「フフッ、フフフ」
「おや、どうされたのですか? そんな気色の悪い笑みを浮かべて」
「君やっぱり遠慮ないね? ……まあ気色悪かったのは認めよう。だがね、今日だけは許してくれたまえ! 何故なら……」
自身の昂ぶりの理由を高々に説明しようとしていると、ノックの音がした。
「ウェイト、ご飯ができたから食べましょう」
そう言いながら入ってきたときには、二人の姿は影も形もなくなっていた。
「分かったよ……ママ」
そう返事をしてベッドを出る。ちなみに少し言いよどんだのは、精神年齢が六十を見据える彼は、ふとした瞬間「この年でママ……」となってしまうからである。だが母親の前では努めて無垢な少年でいようとする彼には、こうするしかなかった。
そうして朝食を母親と食べるウェイトリー。今世の彼には父親はいない。正確には彼が生まれて間もなく事故でこの世を去っている。そんな中ウェイトリーを女手一つで育ててきたのが、正面の席で同じ料理を食べている、フレン・アルハズラットである。
彼女はまさに“絶世„の、という言葉が相応しい美女だ。きめ細かな、柔らかに光る肩まで伸びた金色の髪。色素の薄い、白く瑞々しさを感じる肌。長い睫毛に、天然の美しい二重のまぶた、吸い込まれるような深い碧色の瞳。ふっくらとした唇。その全てが完璧な比率で配置された顔。
その豊満な肢体には、未亡人特有の何処か儚げで、魅惑的だが上品さを損なわない色気を携えている。
前世ならば町中で見かければ迷わず声をかけていただろう。
APPは驚異の18、人類最高峰の美貌である。まあ
さらにフレンは優秀な魔術師……この世界で言うところの魔法師だ。祖国ではなにやら大層な二つ名で呼ばれていたらしいが、諸々の都合があってここ日本に移住したらしい。
つまりどういうことか。それは自身にもその才覚が受け継がれている可能性があるということだ。
十分な才覚に、優秀な魔法の師。この二つが揃っているであろう今世ならば、憧れの魔法師も夢ではない。なんならそこらの木っ端より遥かに優秀な魔法師にだってなれるかもしれない。
「じゃあご飯を食べ終わって着替えたら、今日は地下室に行きましょう。あなたがどんな魔法を使えるか調べましょうね」
「うん!」
そして今日は、フレンにウェイトリーが初めて魔法の手解きを受ける日だ。だから朝から上機嫌だったのだ。
ちなみに優秀な魔法師は、大抵幼少期から魔法を学び、己の手足同然に扱えるようにする。ならばウェイトリーもその第一歩を踏み出すというわけだ。
……しかし一つ懸念点がある。
「うっ、ゲホッ、ゲホっ!」
「大丈夫?」
「えぇ、ごめんなさい……大丈夫よ、さっき薬を飲んだからね」
それはフレンの体調だ。今まで女手一人での仕事と育児の無茶が祟ったのか、彼女は病を患っている。そんな体では魔法どころか、命も心配だ。
……だからこそ、ウェイトリーは優秀な魔法師を志しているのだ。育ててもらった恩返しとして、前世では親不孝者だったこともあり、立派になった姿をもう長くないであろう彼女に見せておきたい。……という気持ちも少しある。
そんな未だに燃え続ける魔法への情熱と期待、そして思いを胸に、朝食を食べ進めるウェイトリーとフレンの姿を、人間の知覚できる領域外から覗く二つの存在がいた。
「……副王、どういたします?
「否、まだ必要ない。だが近いうちにお伝えることになるだろう」
「かしこまりました。……さて、地母神よ。もう少しお待ちください」
ナイアーラトテップが慌てたように話しかけるその先には、一柱の邪神の姿があった。
──それは、泡立ち爛れた雲のような肉塊で、のたうつ黒い触手、黒い蹄を持つ短い足、粘液を滴らす巨大な口を持っていた。
滴る粘液からは、この世ならざる不快な匂いが立ち込め、触れたら死か、即人外化するだろうと思わせる酷く冒涜的な魔力を感じさせる。
【■■■■■】
「えぇ、大丈夫です。もうじきにあなたも主の下へ参ずるときが来ますので、それまでお待ちを」
「……そういうことだ。今はまだ干渉は控えよ」
【……■■■■■】
常人なら聞いただけで発狂死するであろう言語らしき音を発した後、その姿は消え去った。
「……あれにも困ったものだな」
「相も変わらず夫婦仲がよろしいようで」
皮肉と嘲笑を込めた言葉に一瞥をくれてやると、それに肩を竦めて返す。
そしてこの会話の中でも、世界と混沌の目はウェイトリーに向けられ続けていた。