シンリョクのターフ   作:ちー助

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第10話「誰がために」

「おや、どこかで見た顔かと思えば。この間はすごかったなぁ。鬼が追ってきたんかと思うたわぁ」

 函館レース場には薄く雲が広がるものの、夏の終わりを告げる風はターフをよく乾かして爽やかな芝の香りを運んでいた。

 八月末にもなると、お盆の時期ほどの活気は収まりつつある。それでも北海道でのURA主催レースは間もなく一区切りということもあり、客入りは上々。

 相変わらず駒下駄でターフに姿を見せたサトリコンコは知った顔を見つけて声をかけた。

「ゲッ、あン時のキツネじゃねぇか。なんだよ、アンタも出るのか」

「こんにちは、今日も、えっと、よろしくお願いします!」

 露骨に不機嫌そうな顔をするライズエンペラーと、律儀にぺこぺこと頭を下げるホッポウセブン。

 この三人はそろってライラック賞を競った間柄。今日の函館三歳ステークスでもまた顔を合わせることになるとは、随分と縁があるらしい。

「おさげさんもこんにちは。今日も仲がよろしいなぁ。敵同士とはいえ、普段はわっちも間に入れてもらいたいわぁ」

「フン、好きにすりゃいいだろ」

 クスクスと笑うサトリをあしらうように、ライズはさっさとゲートへ入っていってしまった。

 嫌われたやろか、と呟く声を聞きながら、セブンは不安そうにライズの背を視線で追っていた。

 

『本日のメインレースは二つ。みなみ北海道ステークに先立ちまして、函館三歳ステークスの枠入りが進んでいます。ホッポウセブンとライズエンペラー、四度目の対決にも注目が集まってそれぞれ一、二番人気に推されています』

 

 ゲートに収まった各ウマ娘は、精神を研ぎ澄ましてその時を待つ。

 今回は十人立て。芝の一二〇〇メートル。前半はずっと直線が続き、折り返し地点から第三コーナーに差し掛かる。コースとしてはシンプルだが、その分お互いの動きを絶えず気にして仕掛けどころを誤らぬようにしなくてはならない。

 どのような策を思い浮かべているか、それにどう対処していくか。

 勝負勘を養う良い機会ではあるが。

 

『スタートしました!』

 

 開いたゲートから一斉にウマ娘たちが飛び出してゆく。

 やはりというべきか、真っ先に先頭に立ったのはホッポウセブン――いや。

「今回はわっちも行かせてもらおうかの」

 競りかけていったのはサトリコンコだ。

 前回は後方からのレースとなった彼女だが、今度は果敢に前へ前へ。

「チッ、何を考えてやがる。させるかよ!」

 釣られてライズや他数名のウマ娘も先団につけた。

 すると途端に。

「やーめた」

 逃げたと思われたサトリは一気に速度を落として順位を下げる。

 単独の先頭はセブン。ほとんど差はなく二人のウマ娘。ライズは現在四番手付近。

 前半六〇〇メートルの直線。スタート直後からごちゃついてポジション争いが収まる気配がない。

 一度前目につけたところから後方へ。この動きを一二〇〇メートルの短距離でするにはリスクが高すぎる。

(いつもとは違う位置……。あのキツネがどこにいンのか知らねェが、この位置ならコーナーも問題ねェはずだ)

 一方でライズは、これまでの後方から一気に追い上げる走り方を捨てる形になった。

 後ろからのプレッシャーを感じながら走る。どうにも違和感がある。今までは追う側であって、追われる側ではなかった。何せ、今後方にいるのはサトリだ。どんな策を打ってくるか分からない。

 今度は、何を企んでいるのだろう。

 

『さぁ間もなく第三コーナー。先頭は変わらずホッポウセブンだがリードはそれほど開いておりません。続くウマ娘が距離を詰め、いえ、動かない、隊列動かず六〇〇標識を通過!』

 

 ようやくポジションが決まったかと思えばコーナーが目の前。今仕掛けるのはリスキーだ。

 先頭までの差もそれほどない。後は仕掛けるタイミングだけだ。

(第四コーナー。あたしの全力はそこからだ。キツネもおさげも、見てやがれ)

 虎視眈々と機を伺うライズ。その脳内には、仕掛けと同時に走り抜けるルート、どこで何番手に上がるかといったビジョンが浮かんでいた。

 最終直線は約三〇〇メートル。第四コーナーの下りを利用して加速しながら突き抜ければ、多少外へ膨らんでも抜き切ることができるだろう。

 ラスト一〇〇メートルで先頭に立ち、そこで後方をちぎってゴールだ。

 

『これから最終コーナーに差し掛かるところで動いた動いたサトリコンコ! ほぼ最後方から最内通ってグングンと前へ! ハナを切るホッポウセブンも粘って、二番人気ライズエンペラーは来ないのか、まだ動かない、ライズ動かない!』

 

 どこに控えていたのか。

 ライズが仕掛けようとしたタイミングで、すっと上がってきたサトリ。

 滑るような走りは、まるで内ラチをレールのようにして最もロスのないルートを駆けてライズに並びかけてきた。

「ほれほれ、早よせんと間に合わんぇ」

「うるせェ、言われなくたって!」

 挑発するようにニタニタと笑みを見せるサトリに苛立ったライズが、ここと決めたところで芝生を強く踏み込んだ。

 だが。

「――!」

 足が、前へ行かない。

 下りに差し掛かって、スピードに乗って前へ出る算段だったはずだ。

 だが思うような加速が得られない。いつものキレがない。

「む、無理ぃ」

 一人、前を走っていたウマ娘がバテバテになって垂れてきた。

 これをかわそうとしてライズが外へヨレる。

 その隙に、サトリはするりと前へ抜けていった。

 こんな短い距離で、そこまで体力を消費することがあるのか?

 

『最後の直線、ライズエンペラーようやく追ってくるが距離が縮まらない。先頭はホッポウセブンとサトリコンコの一騎打ち! サトリ迫る、迫る、迫る、ホッポウセブンの逃げ、並んだ!』

 

 残りは一〇〇メートル程度。

 このままの速度差ならば勝敗は決したも同然だ。

「おさげさん? お友達はアカンなぁ。この間はマグレ、わっちがちょいと本気になれば大したことないわぁ」

 並んだところでサトリはそう語りかける。勝ち誇ったような、ニタニタとした笑みと共に。

 いつも全力で前を走り続けるセブンは、ゼェゼェと息を切らせながら、チラリと声の方に視線を向けた。

「……で」

「ほん?」

「ライズさんを、バカにしないで」

 どこか頼りないような、おどおどとした態度が妙に庇護欲をくすぐる彼女。

 楽しいからレースを走っている、楽しいから先頭を走っている、そんな彼女。

 だがこの時は違った。

 真剣なまなざしで再びゴールの方に向き直したセブンは、ほんの少しの怒りを込めた声色だった。

「ライズさんはすごいウマ娘なんです。きっと私より速いウマ娘(・・・・・・・・)なんです。だから……」

 もうゴールは目の前。そこでセブンは思い切り前へと踏み込んだ。

 グンと姿勢を下げて、一度捕らえられたところから再び差し返しにかかる。

「私は、ライズさんの前で、待ってなきゃいけないんです!」

 こんなに真剣に走る姿を、彼女は見せたことがなかった。

 もしかしたら、今のセブンにとって、走る理由はそこにあるのかもしれない。

 そうだとしても。

「おさげさんは、そうなんかもなぁ」

 サトリは呟く。

 誰よりも前へ行きたいというのは、レースを走るウマ娘の本能みたいなものだ。

 しかし時として、それ以上の望みを持って走る者もいる。それをサトリは、理解したいとは思わない。

「わっちは違う。わっちは、ライズはんを超えたいんよ!」

 踏み込みを感じさせない滑るような走りが特徴のサトリは、まるで地を這うかのようにフォームを変えた。

 獣が獲物を狙うかのように。一瞬で捕らえにかかる時のように。

 

『お互い譲らない! 全く並んでの攻防! ゴール版目の前でホッポウセブンがとにかく粘る!!』

 

 二人の競り合いを、ほんの少しだけ後ろからライズは見ていた。

 二人の会話も、聞こえていた。

 情けないと思った。悔しいと感じた。

 こんなに自分が彼女らに影響を与えているというのに、自分はこの体たらく。

 走っても走っても、前に追いつけない。

 チクショウ、と呟いた。

 

『ゴールイン! サトリコンコがやや体勢有利に見えますが、確定までお待ちください』

 

 函館三歳ステークスは、ほんの僅かな差でサトリコンコ一着。二着に入線したのがホッポウセブン。

 ライズエンペラーはそこから三バ身離された四着に留まった。

 走り切ったサトリは徐々に速度を落とし、スタンドの方へ手を振る。

 間違いなく勝ったという自信があった。多少は応援してくれる人もいただろう。

 そうした、観客への感謝を右手に宿して。

「応援ありがとさん。ありがとさん。そっちのお客はんも……っと、なんしたん?」

 グイ、と体操服の裾を引く者がある。

 振り向くと、その正体はセブンだった。うつむきがちに裾を掴む姿は悲しそうにも見える。

 肩で息をしながら、小さく震える唇で、何か呟いているようだが。

 何度か聞き返し、少しずつ拾った言葉を繋げ合わせると。

「ライズさんは、すごいんです」

「ライズさんは、私の憧れなんです」

 そのようなことを、何度も何度も。

 レース中にからかったことが、よほど気に障ったようだ。

 こういったタイプは、自分がバカにされるよりも、信頼している人を傷つけられた方が苦しむ傾向にある。

 ゲート前で見た時には、そこまで依存しているようには感じられなかったが。

「よォ。どんな魔法使ったンだよ。ちっとも足が動かなくなっちまうし――」

「ラ゛イ゛ス゛さ゛ー゛ん゛!゛」

 レースを終えたライズが近寄ってくる。

 その声に反応したセブンは掴んでいた裾を放し、涙声を上げてライズの懐へ飛び込んだ。

 ワケが分からず、とりあえず頭を撫でながら視線でサトリに説明を求める。しかし彼女も軽く肩を竦めるのみだった。

 それよりも。

「タネは明かさんよ? 少しは頭を使うとえぇわ。例えば、そやなぁ……敵の嫌がる走り方、とか」

「嫌がる走り方、だって?」

「少々、ヒントを言い過ぎたなぁ。ほんなら、また一緒に走ってな。おさげさんも、もっと仲良くしよな」

 手で口を押えるように薄く笑うと、コンコは“はなみち”の方へ去っていってしまった。

 他のウマ娘たちもぞろぞろとターフを後にしてゆく。残されたのはライズと、未だに顔を埋めたまま泣きじゃくっているセブン。当然、観客もどよめきながら注目しているわけで。

「いつまで泣いてンだよ。おい、帰るぞ」

 声をかけても揺すってもセブンは離れようとしなかった。

 仕方なく抱え上げ、肩に担ぐような形でターフを後にする。

 ライズの背中を掴むようにしてぐずぐずと涙を流すセブンは、何かしきりに謝っているようだ。しかし。

「悪かったな、追いつけなくてよ。あたしの代わりに戦ってくれたンだよな」

 それは自分に言い聞かせているかのようだった。

 泣かなくて良い、と伝えたいのだが。彼女の涙があるから、自分のふがいなさを責めずに済んでいるような気がするのだ。

「もう、あのキツネにゃ負けねェよ。策だか何だか知らねェけど、そンなモンが通用しねェくらい、あたしは強くなる。だからよ」

 そこまで言って、負けた悔しさが込み上げてきた。

 今までに二度の敗北を味わっているが、その時とは違う。

 いつの間にか、このおさげのウマ娘を負かすことがライズの目標になっていたように思う。いつだかスタンドで会話したあの時、ライズの心は決まったのだ。

 だというのに、セブンはライズの走りを背負おうとしていた。後ろから見ていても、ライズにはそれが分かる。

 その気持ちを表現する言葉を、彼女は持ち合わせていない。

 だから震えた声で囁くことしかできなかった。

「今度も先頭で、待っててくれよ」




函館三歳ステークスも、やはり結果はデータとして残っていますが、展開までは資料を見つけられず……。
少しウマ娘たちの内面を深堀することにしました。

今回サトリコンコが用いた戦術については、次回以降に本編で語ることにします。
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