シンリョクのターフ   作:ちー助

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第13話「新緑の夢」

 病室には窓もなく、ポツンとベッドが一台置かれているだけの個室。さほど広くもなく窮屈だ。

 時計もなく、手荷物として用意してきたわけでもないので、時間の感覚がどんどん希薄になってゆく。

 たまに届けられる食事だけが外の気配を感じさせるものの、自由に部屋を出ることは許されなかった。

 看護師が検温をしに来たり、点滴を取り換えに来たり……。それでも朝なのか昼なのか、それとも夜なのか。尋ねたら答えてくれそうだが、そんなことを知ったところでどうすることもできなかった。

 見舞いはない。いや、面会が認められていないのだ。

「ケホッ」

 相変わらず咳は止まらない。

 シンリョクメモリーが病院に担ぎ込まれ、診察を受けた結果、病の正体は肺炎との診断。

 風邪をこじらせたのだろう、とのことだったが、一晩眠れば良くなるようなものではなく、可能な限り外部との接触を断って、自然と回復するのを待つしかなかった。

 ウマ娘にとっては、多少の病やケガが命取りとなる場合が多い。肺炎の場合、大した処置もせずトレーニングやレースを続ければ、やがて肺に水が溜まって呼吸が困難になり、地上にいながら溺れた状態となる。

 ところが絶対安静と言われて尚、学園に登校してしまえば走ってしまうのがウマ娘だ。それに、ダートコースも引かれているため、実はかなり土埃も立っている。

 では寮で静養すれば良いかというと、集団で生活する空間であるため、他のウマ娘に病気を移したり、または外部から持ち込まれた病原菌の影響で症状が悪化することも懸念される。

 結局はこうして隔離するのが最善なのだ。

 それにしても、暇だ。

 病室でできることといえば、寝ることだけ。娯楽も何もなく、退院が許されるのを待つのみだった。

 予定では入院日から起算して十日で退院できる、とのことだが、時間の感覚を失ったシンリョクにとって、今は何日目であるのかもよく分からない。

 電灯の明かりだけが日中であることを告げる病室で、彼女は布団を剥いで自分の脚を眺めていた。

 細い。背の割にはひょろっとしている。以前から姿見で確認すると、キュウリに割り箸を刺したような体格だ、と自分でも感じていた。

 それでも、トレーニングでは悪くない成果を上げてきたつもりだ。

 ぐい、と脚を伸ばす。

 たった数日、安静にしていただけでかなり筋肉が衰えているような気がした。

 また咳き込むと、学園のことが気になってくる。

 クラスメイトたちはデビューが決まっただろうか、今度は誰が勝つのだろうか、またライズエンペラーが陰口を囁かれていないだろうか、ダイモンジは相変わらずクラスを引っ張っているだろうか、モノノフキッドは自分の走りを見つけられただろうか……。

 そういえば。

 何のためにトレセン学園にやってきたのだったっけ。

 ダービーを勝ちたいウマ娘、頂点に立ちたいウマ娘、それぞれに成し遂げたいものがあり、彼女らは学園へやってきた。

 では、自分は?

 何を求めて、トレセンの門をくぐったのだったっけ。

 

「シンちゃんすごいね!」

「あぁ、きっと八大競争も夢じゃないぞ!」

 草原を駆け巡る幼いウマ娘の姿に、一組の夫婦が目を細めていた。

 陽光の照らす芝は輝き、その照り返しが眩しく景色を白く映している。

 さっと一陣の風が吹くと、ウマ娘は立ち止まってキョロキョロと周囲を見回した。

「おーい、こっちだ! 早くおいで」

 呼ばれて、ウマ娘は父の元へと駆けてゆく。

 その中で、彼女はぐんぐんと背を伸ばしていった。草原の両親に辿りついたと思った時、気づけばいつの間にか懐かしき実家の居間に場面が切り替わっている。

 畳六畳の部屋にちゃぶ台。両親とウマ娘、三人分の座布団が敷かれ、それぞれが自分の位置を決めて座っていた。

 ウマ娘の前には山のように盛られたお米、そしてにんにく味噌、デザートに半分に切られたリンゴ。あとはいくらかおかずが並べられていた。

「シンちゃんも、いつの間にか背が伸びたね」

「あぁ、きっと八大競争も夢じゃないぞ!」

 先ほどと同じような会話があった。

 ウマ娘はそれを聞いているのかいないのか、貪るように食事を進めていく。

「アナタが応援してるウマ娘、ほら、何て言ったかしら」

「ははっ、あの子かい? 確かに応援しているよ。でも、俺の目に狂いがなければ、シンはあの子以上の素質があるさ!」

「もう、親ばかね」

 声が、徐々に遠くなってゆく。

 気づけば、場面はまた変わって、駅。

 電車に乗り込む時、ホームには送り出してくれる人がたくさんいた。

 両親に、近所の人たち。何人かの友人と、それまで普通の人間と一緒に過ごした学校の人たち。

 ドアが閉まる。出発の時だ。

 その瞬間、集まった人たちが幾重にも折りたたまれた横断幕を一気に広げた。

 

思い出の草原(シンリョクメモリー)に八大競争の夢を!】

 

 そうだ。

 そういえば……。

 

「あぁ、そうだった。ゲホッ、みんな、ごめ――ゥッ、ガハッ」

 夢だったのだろうか。

 古い記憶が一気に蘇ってきた。思い返せば、自分の意思でトレセン学園を訪れたわけではなかった。

 周囲に期待され、彼らが描く夢を押し付けられ、学園の入学も勝手に決められたのだ。

 だけど。

 悪い気はしなかった。

 故郷の抱いた希望を乗せて駆け出すのは、嫌ではなかった。

 八大競争の優勝レイを持って、故郷に凱旋したい。それを見て喜ぶ両親を見たい。

 そのためのはずだったのに。

「シンリョクメモリーさん、どうしましたか!」

 異変を察知した看護師が二人駆け込んできた。

 ベッドをシワクチャにし、胸を押さえてもがきながら、血の混じる咳がシンリョクを襲う。

 容体は悪化の一途を辿っていた。

 

「えっ、シンの入院が延長!?」

「今は落ち着いてるがな。あたしも会ったワケじゃねェけど、酸欠で意識を失う寸前だったらしいゼ」

 一方、モノノフキッドはいわゆる大部屋に入院していた。最大六人が収まる病室だが、現在は四隅のベッドに一人ずつ、つまりキッドを含めて四人のウマ娘が横たわっている。

 この日、見舞いに訪れたのはライズエンペラーだった。というのも、個室に隔離されているシンリョクメモリーの着替えを受け取りにきたついでである。持ち帰って洗濯し、新しい下着を届ける。

 ウマ娘はトレーニングで汗をかく機会の多いわけで、私服はともかく肌着の替えは多く持っているものだ。

 シンリョクに直接会うことはできないが、担当の看護師から近況を聞くことはできるので、この日も彼女の様子を伺ったのだ。

 前日の夕刻だった。突然激しく咳き込み、呼吸困難に陥って、縋るものを求めて手に触れるもの全てを掴んで引っ張り、点滴スタンドを倒したり、看護師に組み付いたり。落ち着かせるのにかなり苦労したそうだ。

 改めて検査をしたところ、肺の炎症が広がっており、薬の種類を変えたりと手を打って、入院期間も長くするとのことだった。

「無事に退院できるといいね」

「アンタもな」

 しかしキッドも数度に渡る乱針手術を受ける身。しかも無事に問題を解決して学園に戻ることができるかも怪しい。

 既に一度目の施術は終えたようで、今は安静にして針に開けられた傷が塞がるのを待っているようだった。

 寝る姿勢はうつ伏せ。枕を抱くような形だ。というのも。

「モノノフキッドさん、ガーゼ取り替えますよ」

 看護師が病室に入ってきた。運んできたガーゼは、ハンドタオルほどのサイズがある。

 布団を捲り、キッドは肘と膝で踏ん張って胴体を浮かせた。その下に看護師が手際よく紙でできたシートを敷く。

 その様子を眺めていたライズに、キッドは、

「見ない方がいい」

 と言った。

 看護師が入院着を捲って腰を露わにする。分厚いガーゼが貼り付けられていたが、サージカルテープと同時に剝がされると、そこには塞がりかけの傷が、リンパ液と血液が混ざったような液体が乾ききらない様子で、免疫のない者からすると少々グロテスクに思える。

 ウ、とうめき声をもらしてライズは顔を背けた。

 染みますよ、と一声かけた看護師は、消毒液で患部を拭いてゆく。

 堪らなく痛いだろうに、キッドは枕を抱く腕に力を込めるのみで、声も漏らさず耐えていた。

 ガーゼの取り換えが終わると幾分かキッドの表情も和らぎ、だらりと全身の力を抜いて頭を枕に沈める。これを一日に何度もやるというのだから、入院も楽ではなさそうだ。

「なぁ、その手術って、何度もやるのか?」

 おずおず、といった様子でライズが尋ねる。

 一瞬だけ目にした傷口は想像していたよりも大きく、痛々しかった。正直その手術とやらは、一度だって受けたくはない。

 答える方のキッドはあっけらかんとしていて。

「もちろん。状態が良くなるまで、何度だってやるよ」

 痛みに耐え、万全の状態で走ることができないキッドを思うと、大きなトラブルもなくデビューに漕ぎつけたライズの何と幸運なことか。

 勝ち負けのことでとやかく言われても、走ることができない事情を抱えることに比べたら、いくらでも我慢できる。

「でもよ、もし腰の具合が良くなったとして、そこからリハビリもあンだろ」

「そうだね。体の調子を整えて、それからレースに向けて仕上げていくことになるかな」

 入院中に衰えた筋肉を鍛えることも考えると、治療が終わってからも長い期間をかけてレースに向き合うこととなる。

 翌年から始まるクラシックレースに間に合うかどうかも怪しい。J-1クラスでもトップクラスの実力を持つと評判の彼女ですら、ゼロから再出発することのハンデは重くのしかかってくるだろう。

 それは、シンリョクにも言えることだ。

「後は自分次第。こんな体の歪みに負けてちゃ、天を掴むなんてできないから」

「前々から気になってンだけど、その“天”って何さ」

 初めて出会った日から、キッドはその夢を口にしていた。

 問われて彼女はニコリと笑って返す。

「ライズにだけは教えないよ」

 

 秋を迎え、トレセン学園は慌ただしい雰囲気に包まれていた。

 というのも、八大競争に数えられる菊花賞や天皇賞が近付いてきたからである。J組のウマ娘には縁のないレースではあるものの、やはり世間からの注目度も高いレースであることに間違いない。夏の間に鍛えてきたウマ娘がこの大舞台に向けて各々の調整をするためグラウンドは大賑わいだ。

 自分のトレーニングメニューをこなすために場所の取り合いでケンカするウマ娘もちらほらと見える。基本的には、いわば格が高いとされるレースに出走する予定のウマ娘が優先される傾向にあるようだが、そうは言っても丁度J組のウマ娘が次々にデビューしてゆく時期でもあるため、場所取り競争に敗れたウマ娘は学園の外周を走るなど各々工夫しているようだ。

「なんや、アンタも外周かいな」

「たまたま今日のトレーニングメニューで外周を選んだだけさ。デビュー戦は基本的に短距離だからね。長い距離も走れるように、スタミナをつけておかないとならないのさ」

 体操服姿でランニングするダイモンジを見つけたジュブナイルポールは少しペースを上げて追いつき、声をかける。

 寮ではルームメイトの二人。共に過ごす時間自体は長いものの、クラスが別なのでトレーニングが被る機会はさほど多くないのだ。

 学園の外周にはウッドチップが敷かれているため、アスファルトの上を走るよりは足の負担が少ない。故に長く走ることが可能で、長距離レースを見据えたトレーニングには打ってつけである。

 菊花賞は三〇〇〇メートル、天皇賞は三二〇〇メートルであるため、ここでスタミナをつけようというウマ娘もちらほらといるようだ。それでも、機材が豊富な学園敷地内でのトレーニングがどうしても人気を集ているので、八大競争に出走する予定のウマ娘は外周には見られなかった。

「ウチもスタミナは課題でなぁ。せっかくや、一緒に走らせてもらうで」

 チップを蹴り上げて進むのは、ちょうど裏門のあたり。

 特に返事もなかったので、勝手についていくことにした。

「クラスメイトの二人は大変やなぁ。一方で、たった一回走っただけであのレースぶり。来年の主役はアンタに決まったようなもんやな」

「さぁ、どうだろうね」

 一定のペースをキープして走るダイモンジは、どこか遠くを見ているようだった。

 彼女のデビューは、それは鮮烈なものであった。あの時の走りを続けていれば、皐月賞も、ダービーも、もしかしたら菊花賞だって狙えるかもしれないと思わせるものがある。

 もちろん、クラシックレースが開催されるまでの間にグングンと力をつけるウマ娘もいるわけで、一概にそうとは言い切れない。

 それに。実力はあるものの、未だデビューできずに体調を整えている段階のウマ娘だって。

 まだターフを駆ける姿を見ていないが、彼女らが万全の状態で出てきたらもしかしたら……。




シンリョクメモリーの出身地は青森県だったりします。
特に想定している町はにんにくが特産品。
昔は、馬の夏バテ予防ににんにく味噌にリンゴ酢、蜂蜜などを加えて食べさせていたそう。
そういった情報を元に、シンリョクメモリーの好物はにんにくとリンゴがいいかな、なんて考えてみた次第です。

ちなみに、この時代の天皇賞(秋)は三二〇〇メートル。
現在の距離体形に整えられるのは数年後になるため、長距離レースとして扱っております。
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