もう少し安定して書いていきたいものです。
久々のレースシーンになります。
ようやく主要メンバーがデビューしきるので、様々な視点から描くために、
今回のレースは前後編に分けさせていただきます。
年が明けた。
お正月ムードはあっという間になりを潜め、どこかのんびりと時間が流れる一月の末。
トゥインクルシリーズも注目度の高いレースは春までお預けとなり、オープン戦への出走権をかけたレースが開催される中。世間の注目は「どのウマ娘がクラシックレースを制するのか」といったところだ。
まだデビューしていない、あるいはさほど勝利を積み重ねていないウマ娘でも、確かな実力が認められれば学園内で注目されたりもする。が、一般のファンから人気を集めるのはクラシック路線でダイモンジ、ティアラ路線でディアナの二人。
鮮烈なデビューから、確かな実力と実績。それぞれクラシック部門最優秀新入賞、ティアラ部門最優秀新入賞に輝いていた。
だから。これから初出走を迎えるウマ娘への注目度というのは低く、この日東京レース場で出番を待つ彼女らを応援する声も決して多くはなかった。
「緊張してる?」
「はは、もちろん。私は、人に見られてこそウマ娘は走れる、と思っているから。本当は、もっとお客さんが入ってくれていたら良いのだけど」
パドックへ向かう地下道。
並んで歩くモノノフキッドに声をかけたのはシンリョクメモリーだった。
出走者としてこの道を歩くのは初めての二人。やや少ない観客数とはいえ、自分の意気込みやトレーニングで鍛えた姿を見せ、走る前からファンの注目を集めるためにパドックはある。
デビューが決まる前にそれぞれ身体面の問題を抱えて入院したからこそ、不安は募る。
それに。クラシックレースを走るのならば、互いに負けるわけにはいかない。
昨日まではクラスメイトであり、友人であった彼女らも、この時ばかりは互いの未来を食らいあう敵同士。
少なくともどちらかは、春シーズンを棒に振ることになるのだから。
このレース、キッドのゼッケンは十八番。パドックに出るのも最後だ。
間もなくシンリョクが係官に呼ばれるだろうというところ。
「あ、ヒメだ。どうだった、パドックは」
「……何とも思わなかったわよ」
もう一人、彼女らに縁の深いウマ娘が同じレースを走ることになっていた。それがキッドの幼馴染、チーラヒメ。
四番と比較的若い番号だったためか、早々とパドックを終えて戻ってきたのだ。
キッドが声をかける。が、ヒメの返事はどうにも素っ気ない。
短い返事だけ残して、ヒメはさっさと本バ場へと向かっていった。
「やっぱり、怒らせるようなことをしたんじゃ?」
「このところずっとあんな調子なんだよ。静かになったのは良いけれど、調子狂うなぁ」
あのヒメが、どうしてこんな態度を取るようになったのか、この二人には到底分からなかった。
授業は受けているようだが、自由時間にどこで何をしているのかも不明。キッドの方から事情を聞き出そうとしても、かわされてしまうばかり。
同じレースで覇を競うことはやぶさかではない。しかし、どこかぎくしゃくとしたまま争うことは、本位ではないのだ。
どうせなら、友として、幼馴染として、わだかまりなく正々堂々とぶつかりたいものだが……。
「あ、自分の番だ。それじゃ、行ってくるよ、キッド。悪いけど、自分も一着を譲るつもりはないから」
呼び出しがあって、シンリョクがパドックの方へと歩いてゆく。
その背を見送るキッドは、どこか心ここにあらずといった表情のままだった。
一月三十一日。天気、晴。バ場状態は良との発表。
本バ場に集まった十八人のウマ娘たちは、ゲート入りの時を待っていた。
客席は、やはり満員といった様子はなく、どこかまばらな印象を受ける。
「で、そのカッコってワケかよ。人気があるってのも辛ェなぁ」
「頼むから、キミもそのサングラスと帽子を外さないでくれたまえよ」
スタンドの中ほど。少々ぶかぶかに思えるコートを着込み、深めに帽子を被って、サングラスを着用した二人の姿があった。
真っ黒なレンズの向こうからは、鋭くターフに集うウマ娘を見つめる瞳が覗く。
一方のやや気取った喋りをするのがダイモンジ。もう一方はライズエンペラーだ。
彼女らがレース場を訪れるにあたってこのような変装をしているのにはちゃんと理由があった。
「ほら来た。少し身を低くして。静かに」
視界の隅に何かを捉えたダイモンジが、周囲の観客に紛れるようにして身を隠す。
つられてライズもその場でしゃがんだ。
数秒の間。
呼吸も止めていたと見えて、ダイモンジが深く息を吐くと体勢を元に戻した。
「行ったみたいだ」
「なんでアタシまでこンなコトに付き合わなきゃなンねェンだよ」
ヨレたコートの裾を払って、面倒くさそうにライズが呟く。
先ほどダイモンジが見つけたのは、このスタンドをあちらこちらと駆け回るクラスメイトたちであった。
というのも。
この日は友人であるモノノフキッドとシンリョクメモリーがそろってデビューするのだ。J-1組の中でも突出した実力を持つと評されるキッドに、これに勝るとも劣らない能力が期待されたシンリョク。
もしかしたら、この年のクラシックで覇を競うことにもなるかもしれない相手だ。友人といえども、本番での走りを研究しておきたいというのがダイモンジの考えである。
しかしながら。
ダイモンジは大変な人気を集めるウマ娘である。彼女の行くところ、必ずファンがついて回る。そうとなれば、落ち着いてレースを観戦する間もない。だからこうして周囲に見つからないよう、変装までしてこの府中まで訪れたというのだ。
付き合わされるライズとしては堪ったものではない。の、だが。
「お、なんやなんやご両人! おもろいカッコして観戦かいな。かーっ! ちょっとレースに勝ったくらいで芸能人気どりっちゅうわけか。ライズエンペラー様もダイモンジ様も大したモンやなぁ!」
「なっ、ポールじゃないか。ちょっと、静かにしたまえ」
彼女らを見つけて声をかけてきた者があった。
ダイモンジのルームメイトでもある、ジュブナイルポールである。どうして変装までしたのに正体を見破ることができたのかは、彼女の洞察力の鋭さによるものだろうか。
無遠慮に肩をバシバシ叩いて挨拶をしてくるポールだが、ダイモンジは迷惑そうだ。
「構へん構へん! ウチも一緒にここで見させてもらうさかい、ちょいとそれ貸してや、二人で楽しもうったってそうはいかへんで!」
その意図が上手く伝わらなかったようで、ケタケタと笑いながらポールはダイモンジのサングラスを奪って、「どや、似合うか?」などとライズに話しかけている。
こうなると展開はあっという間で。
「いた、ダイモンジ様!」
「本当だ、あんなところに!」
先ほどやり過ごしたはずのクラスメイトが戻ってきた。しかも四人ほどいる。
ポールの大声に反応した彼女らはあっという間にダイモンジを見つけ、嬉々として突撃してくるようだ。
普段は彼女らの声援を受けて得意気にしているダイモンジだが、この時ばかりは顔面蒼白。
「きょ、今日は一人にしてくれたまえ!」
「えー! 何故ですダイモンジ様!」
「そうですよ、一緒にレース観戦しましょうよダイモンジ様!」
「そんなことより美味しそうなお店がレース場に入っていて、あ、ダイモンジ様待ってください!!」
脱兎のごとく逃げ出すダイモンジに、追いかけまわすクラスメイト。
あとに残されたのは呆然とするライズと、相変わらずケタケタと笑うポールだった。
何か言いたげな表情のライズに、ポールは。
「さ、これでライズも落ち着いて観戦できるやろ」
「あ?」
もう変装する必要もない。
ライズは帽子とサングラスを外す。
一方のポールは少し得意気に笑みを浮かべて。
「アンタも、ダイモンジも、去年はまぁまぁ成績を残した。だから、このレースを見ておけば、お互いにそれなりの意見が出せるやろ。せやけど、視点が違うんちゃうか」
言われたライズは眉をピクリと動かし、視線を逸らす。
確かに、この度デビューを果たし、クラシックレースでライバルとなるであろうウマ娘の研究をすることで、有意義な意見交換ができたはずだ。
しかし、そんなまっすぐな気持ちを、ライズは持ち合わせていなかったのである。
なんや図星かいな、とポールはまた笑って。
「シンリョクメモリーに負けてほしい。せやろ?」
「テメェ!」
ポールの胸倉を掴むライズ。
周囲が騒然となって距離を取った。
レース観戦に訪れていた人々が、彼女らを見ながらヒソヒソと何かを話している。目の前で急にケンカが発生したのだから、迷惑がっているのだろう。
しかし。ポールは急に笑顔を引っ込めて、ライズの拳に手を添えた。
「分かるで、その気持ち。もしもルームメイトが、自分よりも圧倒的に凄いレースをしよったら。もしもルームメイトが、自分にゃ追いつけない実力を持っとったら。しかも相手は、一番長い時間を一緒に過ごす相手や。こちらの手の内なんか、みーんな知りおるんやから。なぁ、怖いんやろ」
掴む手に力が加わる。
鬼のような形相でポールを睨むライズに、語り掛けるポールは穏やかな表情で。
すっと、伏せた目から、涙が滲む。彼女、ジュブナイルポールは、ライズの目の前に指を三本立てて突き出した。
「何の数字か分かるか。これは、ウチと、ダイモンジが、去年レースに出た回数や」
「それが、何だってンだよ」
必死に怒りが爆発するのを抑えながら、ライズが尋ねる。
続いて出た言葉は、それこそ、彼女の胸に渦巻く感情そのものだった。
「アイツは、ダイモンジは。三回とも勝ちよった。ウチは、たったの一回や。それも、ダイモンジみたいな強い勝ち方やない。必死に追って追って、何とか拾った勝ちや。なぁ、惨めやろ」
何が。
その先の言葉は、それだけは絶対に聞きたくない。
どんなに強がったって、どれだけ自信を膨らませたところで。
心にたった一滴垂れた不安の絵の具は、急速に広がって塗りつぶしてしまいそうだった。
「アタシが、シンちゃんに勝てないとでも……。アタシがそう思っているからシンちゃんが負けることを願ってるとでも言うのか!」
「この手がそう言うとるやろが!」
添えた手に力を籠めて一喝。
やがてライズは力なく手を下ろした。
目元に浮かんだ涙を指で払うと、またポールはニッカリと笑って。
「ホントはな、ダイモンジがアンタを誘ってここへ来るのを見とったんや。でもアンタらは、このレースへの視点が違う。まともな意見交換なんぞでけへんやろと思ってな。不躾やけど、引き離させてもろたで。余計なお節介やろけど」
手をポンポンと叩いて、周囲に「見せもんやないでー」と言って回るポール。
彼女は、時に恐ろしく周囲を観察している、賢いウマ娘だった。他者の心を読むことにかけては、恐らく同世代で随一だろう。
そして。
指摘されてようやく。
ライズは、同室であるシンリョクメモリーを恐れていることを自覚したのだ。
『各ウマ娘、ゲートに収まって、係官が離れます。メイクデビュー東京、芝一四〇〇の船出です!』
十八人のウマ娘がゲートを飛び出した。
大外から先頭へと競りかけてゆくのがモノノフキッド。
この後ろに一バ身離れてチーラヒメ。
シンリョクメモリーは先頭集団から差の開いた八番手あたりの位置を、他のウマ娘と団子になって追走する形だ。
(今、インコースを取るのは危険だ。なるべく体力のロスなく回らないと)
先を走るキッドはレースの展望を頭の中でシミュレーションする。
四〇〇メートルほど走ったところからカーブだ。最初の直線からインに切り込むと、その後のカーブでコースの内側にあたる左足への負担が大きくなる。第三コーナー、第四コーナーで耐えきれず外へ膨らむ可能性が高い。
ならば直線ではこのまままっすぐ進み、コーナーを回りながら徐々に内へ寄って行った方が疲労も少なくなるだろう。
ハナを切って進むということは、レースの展開を自分で作り出せる反面、後方の様子を掴みづらいデメリットもある。
だからこそ、コース取りで後方へ圧力をかけて優位な展開を維持することも作戦と言える。
一方のシンリョクは。
(やはり行ったね、キッド。あまり距離が開くとこちらが不利……仕掛けどころを見失わないようにしないと)
末脚で対抗する腹積もりだ。距離が短いレースでは、前を走る方が有利と言われる。
しかし東京レース場の特徴は、最終直線にある。中央のレース場でも特に最終直線が長く、スパートをかけてから前を追い抜くだけの力を発揮しやすい。
加えて、直線での上り坂もウマ娘のスタミナを奪う。一四〇〇メートルのレースとはいえ、スタート直後にダッシュをつけて体力を消耗していれば、最後に失速することだってありえる。
だからシンリョクは、今は無理せず控えることにしたのだ。
そして。
『大欅に差し掛かって二番手チーラヒメ動いた、先頭のモノノフキッドに襲い掛かる!』
このレース、最も不気味な存在は誰であろう、彼女。チーラヒメだった。