シンリョクのターフ   作:ちー助

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今回は後編。
一月末の攻防、シンリョクメモリー、モノノフキッド、チーラヒメと三人がそろったデビュー戦。
その第三コーナーからとなります。


第17話「三人のデビュー(後編)」

 スタンドから見て、走るウマ娘たちが大欅の向こうに消えた瞬間というのは、東京レース場の第三コーナーに差し掛かったことを意味する。

 一四〇〇メートルのレースではまだ中盤、勝敗を決するのは中央のレース場でも屈指の距離を誇る最終直線での差し合い、粘り合いだ。とはいえ、万全の形で勝負に挑むため、コーナリングでの位置取りは重要な意味を持つ。

 最も外のゲートからスタートしたモノノフキッドにとって、これは大きな不利である。無理にインコースを走ろうとすれば、脚への負担が大きくなる。だからこそ、余裕を持ったコーナリングで、最終直線に向けて徐々に内へ切り込んでいこう、というのが彼女の作戦だったのだ。

 しかし。

 

『勝負所のコーナー、何と五番人気チーラヒメ、先頭に並んだ! インを突いて一気に先頭へ躍り出ようというところであります。モノノフキッド少し外へヨレました。後続も追いすがる中、いやしかしこれは凄い気迫! ヒメが、チーラヒメがぐんぐん差を開いて行きます!』

 

「な……、くっ!」

 スタンドがどよめく。

 今回のレースでいえば、欅の向こうというのはまだ三分の一程度の距離しか走っていない。いかに短距離とはいえ、このタイミングで仕掛けるのは分の悪い賭けと言って過言ではなかろう。

 誰よりも驚いたのはキッドだった。

 少しずつ内ラチへ身体を寄せていったところ、その僅かな隙間をこじ開けるようにして、チーラヒメが飛び込んできたのだから。

 コースを外されたような、足元を掬われたような形で外へ膨らむ。

 この機を逃すまいとヒメは一気に強く踏み込んでさらに加速、あっという間に三バ身ほどの開きが生まれた。

(何を考えてる、チーラヒメ。無謀だけど……いや、まさか!)

 二人から後方。中団に控えていたシンリョクメモリーは、このタイミングで仕掛けたヒメの動きを考察。

 努めて冷静に。自分のペースを守って走ることに徹していたシンリョクは、周囲の動きも含めて、このコーナーに大きな罠が仕掛けられていたことに気が付いた。

 中団から一人、また一人とペースを上げてゆく。

 コーナリングの途中で加速するというのは、それなりに負担がかかるもの。負荷に負ければ身体が大きく揺さぶられて外へ外へと揺すられてしまう。

 そんなリスクを冒してまでペースアップする理由は、ただ一つ。

「何が一番人気だ!」

「クラシックへの切符は渡さないんだから!」

 このレース、最も注目を集めるのはキッド。最優秀新入賞を獲得したダイモンジに匹敵するトレーニング成績を叩き出しているだけあって、学園に在籍する者ならば彼女に注目するのも無理はない。

 当然、出走者はマークする。

 仕掛けるタイミングを計り、出し抜く好機を探し出す。

 それが、今なのだ。

 チーラヒメが思わぬ奇襲を仕掛けたことでペースを乱されたキッド。

 追いつき、追い抜くならばここしかないと考えたウマ娘は多かった。

 ところが。

「ちょ、邪魔!」

「アンタこそ、あぶ、危ないって!」

 初めて本番のレースを迎えた彼女らは、いかにトレーニングを重ねたとはいえ、経験に乏しい。加速しながらロスなく内へ切り込むことが上手くできずに外へ外へと膨らんでゆく。

 中団は団子状態になっていたこともあり、最内にいたウマ娘がヨレたことで他のウマ娘もその煽りを食らう。

 シンリョクもこの波に飲まれて外へ持ち出さざるを得なかった。

 

『さぁ横に広がって最終コーナー、これは大波乱! チーラヒメ先頭、しかし、モノノフキッドが懸命に追う形になりました』

 

 内ラチを頼りに駆けるヒメ。後続を振り払うように、この後の直線など捨てたかのように、全身全霊を以てカーブを左手へ。

 やや外、体勢を立て直したキッドは後方の混乱をよそに、必死で食らいついていく。

「ヒメ、何が君をそこまで駆り立てるんだ。全然ヒメらしくない、本当に、どうしたんだ」

 背に追いすがり、キッドは問いかける。

 ずっと疑問に思っていた。

 彼女は、ウマ娘にしては珍しい感性を持っている。

 誰よりも速く駆け抜けたい、走り続けたい本能よりも。幼い頃より共に過ごしてきたキッドの世話を焼くことに執心する。

 それが、彼女の生きがいを放り出してトレーニングに励み、今、こうして捨て身の全力疾走に己の全てを賭けている。

 彼女が、今、見据えているものは。

 

 ――。

 

 ねぇ、キッド。すごいね、おほしさまがいっぱいだね!

『ほんとだ! きょうのことは、パパとママにはないしょだよ』

 もちろん! あ、ほらあそこ、ちいさなおほしさまがあつまって、しろくなってるよ!

『あれはね、あまのがわっていうんだって』

 あまのがわ……?

『うん。天の川、とかいて、あまのがわ。えほんにかいてあったんだ』

 えー、まだえほんなんてよんでるの?

『いけない?』

 そんなことないよ。

『そっか、よかった』

 いつか、めのまえでみてみたいね、あまのがわ。ほしでいっぱいのかわなんて、きっととてもきれいよ。

『じゃあ、さ。みにいこうよ。いつか、あまのがわまでおおきなはし(・・)がかかったら、ふたりではしっていこう』

 いいけど、わたし、キッドみたいにはやくはしれないよ。それに、あんなにとおいところ、はしっていけないよ。

『だいじょうぶ! もしもヒメがはしれなくなったら、わたしがせおってあげるから!』

 

 ――。

 

 それで、具合はどうなのでしょう?

『経過は良好ですよ。問題だったところも、徐々に改善する様子を見せています』

 だったらこのままいけば!

『ええ。私の目から見ても、生まれ持った素質を感じさせますし、きっと素晴らしい活躍ができると思いますよ』

 ふふ、ありがとうございます、先生。

『ただし』

 ……。

  ……?

   ……!

 

 ――。

 

「キッド。私たちが、同じレースを走るのは、きっとこれが最初で最後ね」

 ヒメは、すぐ背後にいるであろう幼馴染へと語りかけた。

 その胸の内は、その表情は、キッドに見て取ることはできない。

 コーナーを曲がりながら。静かに、彼女の言葉へ耳を傾ける。

 これは久しぶりに聞いた彼女の声。そこに含まれたのは、深い悲しみと、堅い覚悟と、微かな希望。

「あなたはこれから、クラシックを走る。きっと世の中をアッと言わせる、時代の中心になるんだわ。ずっと見てきた私には分かるの。でも」

 言い淀む。

 その先の言葉を詰まらせながら、しかし、前を向いて。

「いつか、キッドの脚が、天に届いた時。モノノフキッドを追い詰めたのは、誰よりも最初にキッドの隣に並んだのは、最強の幼馴染だったって、私は言われたい。いえ、違うわ。私は、あなたとずっと……!」

 

『これから直線コースを向こうというところであります。この辺でモノノフキッドが先頭に立ちました。モノノフキッドが抜け出ました。四〇〇の標識を切って、モノノフキッドが抜け出ました。チーラヒメが二番手、いっぱいの感じであります』

 

 最終直線。

 気づけば、再びキッドがハナを取り返していた。

 ヒメはゼェゼェと息を切らしながら後退。

 他のウマ娘たちを置き去りに、ヒメとの差はあっという間に五バ身ほどにまで開く。 後続のウマ娘たちがコーナーを曲がりきる頃、キッドに追いつくのは絶望とすら思える。

「やっぱり凄い。皆がマークするのも分かる。けれど、勝負はこれから!」

 

『シンリョクメモリーが外から上がってまいりました。モノノフキッドが先頭であります。強い、これは強い!』

 

 大きく広がる一団を抜き去って、シンリョクが残した脚に全てを賭ける。

 やや長いストライドで走っていたところに、踏み込む力を加えて、ターフに突き刺すように。

 きっと、届くはずだ。弱点を克服するために生み出した走りを、土壇場で自分のモノにできれば、あるいは。

(これだ、この走り。きっと追いつけ……、ッ!?)

 確かな手応え。

 先頭までの距離は長い。だがどこか確信めいたものがあった。

 キッドに届く。そんな予感が。

 しかしそれは、大きな身震いと共に崩れ去った。

 脚がこれ以上前へ出ない。

 とてつもないプレッシャー。その正体を探して視線を走らせると、やはりというべきか。

 三番手、四番手と垂れてきたチーラヒメ。追い抜こうとするウマ娘をまるで射貫くような目で睨みつけている。

 口にせずとも分かる。キッドを追い抜いたらタダじゃおかないぞ、という、強烈な威嚇。

 それは、多少なりとも親交のあるシンリョクに対しても例外ではなかった。

 視線に射貫かれた瞬間に生じる違和感。蹄鉄が芝に刺さる感触が失せる。どこか空回りするようで、もつれて、つんのめるかのように。

「こんなことで、自分は!」

 

「なぁ、あのおヒメさん、ようやりおったな」

「勝つ気のある走りとは思えねェ。キッドのために、他の全員を道連れにしやがった」

 直線。最早勝敗は決したと見えて、スタンドのジュブナイルポールはチーラヒメに視線を送る。

 一方でライズエンペラーは腕を組み、少し不機嫌に呟いた。

 残り二〇〇メートル。必死にシンリョクらが追い上げるも、これは到底届かないだろう。以前ライズが起こした奇跡のような末脚というのは、そうそう目にかかれるものではないのだ。

 そして、このレース展開にはどこか覚えがあった。

 まるで狐につままれたかのような、キッド以外の全出走者が展開を惑わされて仕掛け方を誤ったこのレース。

 仮に、自分が出走していたらと思うと、ゾッとする。そして、傍観者だからこそ、ホッとしていた。

 そんな様子を、ポールは見透かしていたようで。

「シンリョクメモリーの皐月賞はお預けやろな。どや、安心したやろ」

 何故か嬉しそうに問いかける。

 フン、と鼻を鳴らしながらライズはそっぽを向いて。

「どっちみち、キッドに追いつけねェようじゃ大して怖かねーよ」

 と呟いてみせたが。

 二人とも、ちゃんと理解していた。

 このレース、勝敗はともかく、全てチーラヒメの掌で転がされていたのだと。

 

『モノノフキッドが先頭であります! シンリョクメモリーも追い上げますが届きそうにありません。モノノフキッド一着でゴールイン! 勝ち時計は――』

 

 キッドから離されることおよそ十バ身。

 シンリョクの着順は四位。完敗だ。

 展開を読む力、仕掛けるタイミング。精神面の問題か、それとも距離の問題か。全力を出したつもりではいたのだが、どうにもスピードに乗り切れなかったような感覚が残った。

 ただし、結果は結果だ。勝てなかったのは、己の未熟に違いない。

「見事な直線だった。キッド、次に走る時は――」

「ヒメ!」

 負けたら素直に勝者を称えるべし。

 キッドと握手の一つでも、と歩み寄る。が、その脇をすり抜けるようにして、彼女は幼馴染の方へと駆けていってしまう。

 そういえば、レース中、二人は何か言葉を交わしていたようだった。

 そこで、どんなやり取りがあったのかは分からない。

 二人の間でしか通じ合わない、何かがあったのだろうとは思われる。

 息も絶え絶えなチーラヒメに肩を貸すキッドを遠目に。シンリョクは、頭では理解しつつもどこか後ろ暗い感情が胸に湧くのを抑えるのに必死だった。

 

「やれやれ、結局まともにレースを見れなかったよ。ポールにも困ったものだね。後で様子を聞いておかなきゃいけないな」

 レース中、クラスメイトに追い回されていたダイモンジ。

 呟いている通り、どうやら観戦どころではなく、結局クラスメイトに囲まれている内に見るべきレースは終わってしまったようだ。

 ようやく解放された時にはこの日のウィニングライブの時間が迫っているため、彼女は速足に歩く。今日のデビューを駆けたクラスメイトを労おうという考えである。

 が。

「もう満足したでしょう。これで、思い残すことはないわね」

「……はい」

「本当に、これで良かったのね」

「……はい」

「じゃあ、後は私の提案した通りに」

「でも、それじゃあ!」

 声が聞こえてくる。片方はどこかで聞いたような。

 控室に誰かが訪れているだなんて珍しい。ファンが押し掛ける、なんてことは稀にあるものの、どうもそうではないようだ。

 何か、他人に聞かせてはならないような、相談事をしているように聞こえる。

 ふとそれが気になったダイモンジは、今度は足音を立てないようにそっと声を辿る。行きついたのは一つの控室。チーラヒメのところであった。

「天を獲るウマ娘の幼馴染として、恥ずかしくない成績を残したいんじゃないのかしら」

「それは、そうです。だけど私、キッドとは競うんじゃなくて、その……」

 扉に耳をピトっとつけ、中の会話を伺うダイモンジ。彼女のファンが見たら卒倒しそうな光景である。

 会話している片方はチーラヒメだろう。もう一人は、少し大人びたような、少なくとも自分たちよりも年上の女性が話しているようだ。

 その女性が、深くため息を吐いたのが分かった。

「残念ね。あなたがそのつもりなら、構わないわ。好きにしなさい。でも、もし。気が変わったら、今度はあなたの方から私を訪ねてきなさい」

 話を切り上げた女性の足音。

 扉に近づいてきている。退室する気だ。

 キッドは慌てて柱の陰へ駆け込み、身を隠す。

 出てきたのは、長い栗毛が美しい、細見のウマ娘だ。声の雰囲気から察していた通り、どうやら上級生らしい。

 コツ、コツ、と靴が床を叩く音と共に、彼女が柱を通り過ぎる。

 どうやら盗み聞きはバレなかったらしい、と安堵したダイモンジが、ついつい止めていた息をふぅと吐き出すと。

「あら、緊張したのね。あまり気を張るのも良くないわよ。はい、金平糖。甘いものを食べると、落ち着くわよ」

「はは、そうだね。それじゃあ折角だから一粒……」

 声をかけられ、手を差し出す。

 ハッとした。

 目の前にいたのは、たった今通り過ぎていったとばかり思っていた、先ほどのウマ娘だったのだから。

 彼女はニコニコと笑みを浮かべ、缶ケースから金平糖を一粒取り出すと、ダイモンジの手に乗せる。

 そしてそのまま、今度こそ去っていってしまった。

 いったい、ヒメと何の話をしていたのか。何故ここにいるのか。

 勝負服でも体操服でもない、私服であるところを見ると、レースに出るわけでもなさそうだというのに。

 それに、聞かれては困る会話ではなかったとでもいうのだろうか。

 掌の金平糖に視線を落とすと、何故だか、ここで見聞きしたことを他人に喋ってはならない、そんな気がした。

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