シンリョクのターフ   作:ちー助

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第19話「妖精の追憶と流星の記憶」

 お母様。

 私は、お母様の子として生まれたことを悔やんでなどおりません。

 むしろ、この母の下に生まれたからこそ、今の私があるのです。

 例えあなたが、私を子として認めなくとも。

 走り続けてさえいれば、私を認めてくださるかしら。

 いつか、我が子としてその腕に抱いてくださるかしら。

 ……いいえ、こんな気持ちではいけないわね。

 あなたが私の母でなくなったのではなく、私があなたの子でなくなったのですから。

 だから、お母様。私は八大競走を勝ちます。お母様が走ることの叶わなかった大舞台で名乗りを上げ、ティアラを持ち帰ります。

 その時に。たった一度で良い。

 私の名を呼んで、あなたの手で私にティアラを被せてください。

 そしてもう一度、あなたをお母様と呼ばせてください。

 

「もうすぐクイーンカップね。あなたなら桜花賞への出走は間違いないけれど、それでもこのレースを選んだのには、何か理由があるのかしら」

 学園の中庭でベンチに腰掛ける。ちょうど昼休みのこの時間、多くのウマ娘は食堂で昼食を掻き込んでいる頃だ。

 ディアナのランチはというと、ハムサンドと牛乳。購買で買ったものだった。

 彼女の隣に座るのはメーベル。近頃、ティアラ路線へ進むウマ娘数人によく声をかけている姿が見られていた。

 中でもディアナは彼女のお気に入りのようで、授業中以外は二人で過ごす時間が長い。

「前回のレース、出遅れが響いて負けてしまいました。この課題をクリアするため、桜花賞前に一つ叩いておきたくて」

「じゃあ、私が一つ条件をつけてあげる。もしもクイーンカップで負けたら、桜花賞への出走はナシよ」

 ティアラ部門の最優秀新入賞を獲得した彼女にも、明確な弱点があった。もちろんそれは、彼女自身がよく実感していることであり、これを克服するにはやはり本番で感覚を掴むことが第一であろうとの考えである。

 これを聞いたメーベルは口角を吊り上げて人差し指を突き付ける。

 少し気圧されたかのようにたじろぐディアナだが、すぐに息を入れなおすと不敵な笑みを浮かべて。

「条件にもなりませんわ。次のレース、私に負けはなくてよ」

 ハッキリとそう告げ、左手に牛乳パックを持ちながら右手の指に髪を巻く。

 メーベルは少し目を細める。

 この仕草はディアナのクセであるが、この意味するところを恐らく彼女自身は気づいていないのだ。

 しかし、しばらく接してみれば分かる。

 髪を指に巻く時、どのように感情が動いているのかなど。

「無事、次に勝ったとして、桜花賞だけど。あの子は出てこないわよ」

「あの子、というのは?」

「忘れちゃったのかしら。ほら、以前あなたを連れ出して、走ってる様子を見せたでしょう、あの門限ギリギリの時間に」

 指がピタリと止まる。

 記憶を辿り、あの日の夜に見た光景を呼び寄せていく。確か、昨年の暮れだった。当時はまだデビューしておらず、トレーニングに励む姿。ペース配分に苦労して、なかなか思ったような走りができていない様子だった彼女。

 一月の末に初出走を終え、結局勝利を掴めなかったそうだが。

 何故この話に、彼女が出てくるのだろうか。

 指を髪から抜いて、言葉の先を促す。

「デビュー戦で、すっかり目標をなくしちゃってね。その気になればティアラ戦線であなたと良いライバルになれると思ったのに。はぁ、残念だわ……私は、ね」

 そんな話はどうでも良い、と思った。

 ライバルになったかもしれない存在。そんなものを意識した覚えはないのだ。

 話を半分聞き流しながら、ハムサンドを齧る。

 そんな様子を見たからなのか。メーベルはグッと耳元へ顔を寄せる。

「どう、ライバルが減って安心した?」

「なっ、冗談はよしてくださる!?」

 急に囁かれたからなのか、それとも言われた言葉が心外だったからなのか。

 ディアナは顔を真っ赤にして思わず立ち上がる。弾みで左手に持っていた牛乳パックを潰してしまい、ストローから飲みかけだった中身が噴き出る。

 これをまともに靴下へ被ったものだから、言葉にならない悲鳴と共にディアナは半分目を回したかのようなパニックに陥っていた。

 静かに笑ったメーベルはそのまま立ち上がると、ポケットからハンカチを取り出して差し出す。

 これをディアナが受け取ったのを見て、そのまま彼女は立ち去ってしまった。

 あとに残されたディアナは慌ててこぼした牛乳を拭き、一息つく。咄嗟に使ったとはいえ、借りたハンカチに牛乳が染み込んでしまった。すこし鼻を寄せると、やはり臭う。

 しっかり洗って返さなくてはならない。

 その時にふと思った。

「あんな、バテバテで走っていたウマ娘が私のライバル候補? 冗談じゃないわ!」

 

「本当に行ってしまうの?」

 うん、だってボクは、そのために生まれてきたんだから!

「だけどあなたは……私の母から続く家系に生まれてきたのよ。お願い、ここで私と一緒に静かに暮らしましょう」

 ダメだよママ。そうじゃないんだ。ずっとここにいたんじゃ、この血は呪われたままなんだ。

「それだっていいじゃない。私は、あなたが心配なの。世間様にあなたが、この家の子だって知れたら、どんな風に周りから言われるか分からないのよ」

 そんなの、とっくに覚悟してるよ。

 ボクは走らなきゃいけないんだ。

 走って、走って……ママや、おばあちゃんが、運命にだって負けなかったってことを、証明するんだ。

「そこまであなたが、決意をしたのなら。一つだけ。私のワガママを聞いてちょうだい。あなたが引退するその日まで、この家の出身であることは、隠しておいて」

 隠すわけがないじゃないか!

 大っぴらに言うつもりはないよ、でも気づいた人が、そこに注目してくれたらいいんだ。

 もしそれで、陰口を言われることがあっても。

 病気の家系(・・・・・)と言われても。

 ボクはそれを乗り越えて、八大競争を制覇してみせる!

 この時代の頂点に立ってみせる!

 だから、ママ。

 新聞を、楽しみにしていて。

「新聞?」

 そう。ボクの名前が大きな見出しになるよ。

 皐月賞も、ダービーも、菊花賞も。天皇賞も有馬記念も!

 みんな勝って、この時代で誰よりも強いウマ娘だって、新聞に載るんだ。

「本当に、そんなに勝てるものなの?」

 勝てるさ!

 だってボクは、大きな文字で栄光を称えられるんだ。

 最強のウマ娘、ダイモンジ、って。

「だけどトレセン学園には……」

 もちろん強いウマ娘がたくさんいる。

 でも大丈夫。ボクは誰よりも速くなる。流星のようにターフを走る。

 そして表彰台の上で宣言するんだ。

 ママと、おばあちゃんの子が、こんなに強くなったんだ、って。

 

 いつの間にか、ダイモンジの名は学園中が知るものになっていた。

 競バファンも一目置く存在になっている。

 クラシック部門最優秀新入賞。無敗のまま四連勝。

 同世代で、勝ち負けを繰り返しながらものし上がってきたライズエンペラーにも勝利した。

 この年のクラシックレースは、ダイモンジを中心に動くだろうと誰もが信じて疑わない。

 彼女の胸に、あの日の記憶が沸き上がってくる。

 母に誓った約束。

 きっと、実現不可能なものではないはずだ。

「流石ダイモンジ様、また特集されてる!」

「本当だ! すごい、表紙だよ表紙!」

 クラスメイトたちが雑誌を手に集まっている。

 ダイモンジの周囲にも多くのウマ娘が輪を作り、黄色い声を上げながら口々に話しかけてきている。

 正直、全員の言葉に返事をすることは難しい。

 聞き取れた言葉に、ありがとうとか、無難に応える。それだけでも彼女らは満足するようだった。

「おっと、もうこんな時間だ。そろそろ行かないと、お昼を食べ損ねてしまう。食堂へ行くけど、キミたちも来るかい?」

「もちろんです!」

「あの、私、ダイモンジ様のためにお弁当を……」

「うっそ、ズルい!」

 ちょっと移動するだけでこの反応だ。

 食事をするのも大騒ぎである。

 このように、お弁当など、ダイモンジに何か食べさせようと用意してくるクラスメイトやファンは必ず一人はいる。

 しかし毎回ダイモンジはこれを断っていた。

 というのも。複数人が作ってきたのであれば食べきれないし、仮に一人のお弁当を受け取ってしまえば、これまでに断ってきたファンが僻むことなど目に見えている。

 せっかく早起きして用意したのだろうが、気持ちだけ受け取ることにしているのだ。

 席を立って廊下に出れば、ダイモンジの後ろをファンがぞろぞろとついてくる。この日は七人ほどが続いてきていて、少し異様な光景だ。

 一部の生徒は、この様子をダイモン行列と名付けているのだとか。

 食堂へと向かう途中。

 ダイモンジも話しかけてきた声にいくらか返答をして歩いていると、一人のウマ娘とすれ違った。

 先頭にいたダイモンジはさっと身をかわしたものの、背後の続いていたファンは会話に夢中で避けることも忘れ、正面から歩いてきたウマ娘と肩がぶつかった。

「ちょっと、どこ見て歩いてるのよ! もしもダイモンジ様にぶつかってたらどうしてくれるの!」

 ファンのウマ娘は、尻もちをついたウマ娘にくってかかる。まるで自分が悪かったという意識はないらしい。

 が、ダイモンジ自身はそうではなかったようで。

「こら、キミだって前を見ていなかったじゃないか」

 と諫めてから。

「すまなかったね。立てるかい? 手を貸そう。ほら、掴まって」

 ウェーブ髪のウマ娘は差し出された手に目をやり、お言葉に甘えてと自分の手を伸ばした。

 が、直後にハッとした表情を浮かべると。

「あなた……ダイモンジね?」

「あぁ、いかにもボクはダイモンジさ。嬉しいね、知ってくれているなんて」

 今や学園でダイモンジを知らぬ者はいない。

 だがこうして名前を呼ばれた時には素直に喜んで、にこりと微笑みを返すのが礼儀。

 この時もそうしようとしたのだが。

 尻もちをついているウマ娘には、見覚えがあった。

 この髪型、それに美しく整った、少し神秘的な雰囲気すら纏う顔つきは、どこか上品ながらも勝気な気質を感じさせる。

 いったい、いつ会ったのだったか。

 同じレースを走った、というわけではない。

 かといって、日ごろ取り囲んでくるファンの一人というわけでもない。

 誰だっただろうかと考えていると。

「ディアナだ! ティアラ部門最優秀新入賞の、妖精女王だわ!」

「えっ、あ、本当だ。ごめんなさい、私そんなに凄いウマ娘だったなんて知らなくて、つい失礼なことを――」

 そうだ。

 名前を聞いて思い出した。

 昨年の最優秀新入賞をそろって受賞したウマ娘。表彰式の時、隣に並んでいたのだ。

 すっかり忘れていた。のだが、ダイモンジはまさに今思い出しましたという顔だけはしないように努めて、笑みを浮かべる。

「やっぱりそうだったんだね。はは、覚えてもらっているワケだよ。彼女たちには、ボクがもっと気を付けるように言っておくから、さぁ手を伸ばして」

「っ!」

 ディアナは、差し出された手をパシリと払った。

 自分で起き上がり、スカートを手で払ってさっさと行ってしまう。

 呼び止めようにも、振り返りすらしない。

 ファンたちが口々に、何よあの態度、などと愚痴を言い合っている。

 ぶつかってしまったことがよほど気に食わなかったのだろうか。次に会った時にはしっかり謝らねば、とダイモンジが考えていると。

「おや?」

 廊下に、何かが落ちていることに気が付いた。

 Mの字が刺繍されたハンカチだ。しかも湿っている。

 さっきのディアナが落としたものだろうか。それにしては、この字が縫い付けられているのもおかしな話だが。

 謝りながら、今度返してあげよう。と、ダイモンジが拾うと。

「ん、これは……」

 どういうわけだか、牛乳の臭いが染みついていた。

 

 何よ。

 何よ何よ、あんなにお供を引き連れちゃって。

 確かに貴公子様とか呼ばれているだけあって、レースの成績は申し分ないわ。

 だからって周囲にチヤホヤされて、気に入らない。

 ちょっと強いからって、ちょっと顔が良いからって、ウマ娘の本領はこれからなのよ。

 クラシックとティアラを走り抜けて、シニア級になっても活躍し続けなきゃいけないの。

 競バを芸能活動か何かと勘違いしているんじゃないかしら。

 どうせあのダイモンジとかいうウマ娘も、親から可愛がられてきたんだわ。

 何不自由なく育って、お決まりのエリートコースを進んで。

 冗談じゃないわよ。私には、あんなのに構っている暇なんてないわ。

 意地でも結果を出して、それで、お母様に誇れる私になるんだから。

 そのために、メーベル先輩に師事したのよ。これから結果をどんどん出して……。

「あら?」

 ない。

 嘘でしょ、さっきまでポケットに入れていたはず。

 メーベル先輩から預かったハンカチが、ない!

 そうだわ、さっきぶつかった時に落としたんだわ。

 あぁ、どうか、誰にも拾われていませんように!

 

 その夜。

「なんやダイモンジ、随分かわいらしいハンカチやな。そんなもんにまでアイロンをかけるんかいな」

 寮の部屋でダイモンジは丁寧に拾い物を洗っていた。

 臭いが取れたことを確認し、ある程度乾かしてからシワがつかないようにアイロンがけ。謝りながら返すのだから、とにかくキレイに整えることが礼儀だと考えたのだ。

「ボクのものじゃないんだよ。あぁ、そうだポール、ちょっと聞きたいことがあるのだけど」

 ルームメイトのジュブナイルポールはベッドに転がりながらダイモンジに目を向け、先を促す。

「おいしい牛乳を売っている店を知らないかな」

「はぁ?」

 その質問は、まさかダイモンジの口から出てくるものとは思えなかったのだった。

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