シンリョクのターフ   作:ちー助

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第20話「皐月賞前哨戦」

『二番手から先頭を伺うディアナ、最終コーナーを大きく膨らんで外につけました。ここから坂を駆けのぼって、伸びる伸びる! 前走の敗戦もなんのその、これは文句なしの一着です! やはり今年のティアラ戦線主役は間違いなくこのウマ娘でしょう』

 

『後方から上がってきたのはやはりこのウマ娘、その名の通り坂を昇ってくる、ライズエンペラーだ! 居並ぶ者を次々抜き去って先頭、ブライブエンブレムに襲い掛かる! 粘るがしかしエンブレムここまでか、ライズエンペラー抜き出てゴール版に飛び込みました! 朝日杯の雪辱をここで晴らし、皐月賞への切符を手にしました!』

 

『直線を向いて内からスルスルっと上がっていきますシンリョクメモリー、土煙を上げて先頭へ迫ります。ダートへ切り替えての未勝利戦、坂で苦しくなったか、いいやまだ脚が残っている! 並んでこれは抜き去ったか、シンリョクメモリー念願の初勝利です!』

 

 二月の末から三月中ごろまで、ジュニア級に属する多くの実力派ウマ娘たちが次々と勝利を挙げていた。

 中でもティアラ路線へ進むディアナ、クラシックへ進むライズエンペラーの勝利はその積み上げてきた実力を見せつける結果となり、競バファンがこの年の八大競走は大いに盛り上がるであろうと予感するには十分であった。

 一方でシンリョクメモリーはというと、芝コースで敗戦を二度繰り返した後、ダートレースを選んでようやく勝利を掴んだところ。とても皐月賞には間に合わず、次第に世間からも学園からも注目されなくなっていった。

 年内最初の八大競走は桜花賞から。前哨戦に敗北すれば出走を取りやめる覚悟でクイーンカップに臨んだディアナは誰の目にも文句のつけようがない快勝。やはり最優秀新入賞は伊達ではなく、早くもティアラ路線のトップに名乗りを上げた。

 三月も下旬に差し掛かる頃である。

 中山レース場では圧倒的な一番人気を背負ってターフを駆けるウマ娘の姿があった。

 彼女は一八〇〇メートルの旅路を終始先頭で駆け続け、気が付けば最終コーナー。後続が一気に差を詰めてきた。

 

『間もなく直線を向きます。短いラストスパートにはしかし、心臓破りの坂がそびえています。ハナを切って回ってきたのはやはりこのウマ娘――』

 

「キッドー!!」

 スタンドで誰よりも声を張り上げて声援を飛ばすチーラヒメは、一番手を譲らず懸命に走るモノノフキッドに釘付けだ。

 周囲に連れ合いの姿はなく、彼女一人で応援に来たようである。

 デビュー戦を終えてからというもの、ヒメの態度はすっかり元通りになっていた。今では何かにつけてキッドの世話を焼きたがる幼馴染である。

 ヒメにはヒメなりの考えがあってのことだった。体質を克服してのデビューとなったキッドが、どこまで通用するのか目の前で確認したかった。そして、彼女自身、キッドの幼馴染として恥ずかしくない走りをするには、あらゆる未練や私情を捨てて走らなくてはならないと自覚していたからである。

 しかし、生涯で唯一であろうキッドと共に走るレースは終わった。目の前でキッドの強い走りを見ることもできた。

 だから、今は、一番身近なファンでいられる。彼女にとってこれ以上望むものは何もなかったのだ。

 

 キッドにとって、無敗の三連勝が見えてきた。

 この急坂を昇り切れば、皐月賞が待っている。

 天を掴むという夢のためには、こんなところで躓いてなどいられない。

 背後からは悍ましいほどのプレッシャーが突き刺さる。

 クラシックの舞台を賭け、勝ち上がりを賭け、一生に一度だけの舞台に立とうという渇望が、足音を通じて這い寄ってくるのだ。

 あぁ。ここで負けてしまえば、よほどの奇跡が起きない限り表舞台に立つことはできないのだろう。

 涙を呑んで学園を去る者だってあるだろう。

 かわいそうだとは、思う。

 しかし。生き残りを賭けたレースに臨んでいるのは、このターフを駆ける誰もが同じこと。

「悪いね、みんな」

 坂も中盤。キッドの呟きは届いたのだろうか。

「私の方が速いんだ!」

 

『なんとモノノフキッドここから伸びる! 一度は迫った後続をここから引き離して、ちぎれました、これは強い、三バ身、四バ身、なんという脚、これは圧勝です!!』

 

 ゴール板を駆け抜けたキッドは、息を乱した様子もなくスタンドへと手を振る。

 スタンドの歓声は割れんばかり。というのも、人気投票ではキッドへの投票が集中しすぎたといっても過言ではなく、二番人気と比べても十倍以上の差がついていたのだ。

 決まり切った結末、といえばそうだった。

 キッドとしては、負けるはずのないレースだった。

 しかし逆に、他のウマ娘にとっては、負けられないレースでもあったのだ。

「モノノフキッド!」

 背後から呼ぶ声がする。

 客席に向けて手を挙げたままキッドが振り返ると、まだゼッケンをつけたままのウマ娘が一人、噛みつかんばかりの形相で睨みつけていた。

 今日のレースを一緒に走った相手である。

「あ、えっと……。レース、お疲れ様。私に何か?」

 尋ねると、相手はゼェゼェと息を切らしながら詰め寄ってきた。

 そして視界を埋め尽くすほどグイと顔を寄せ、ツバを飛ばさんばかりの勢いでまくしたてる。

「アタシのこと覚えてる? 覚えてないでしょうね、今じゃスーパースターですもんね、まずは無敗の三連勝おめでとう。素直にすごいわ褒めてあげる。だけどアンタが強いから、強すぎるから、そのせいでアタシは、いいやアンタと走った誰もが、どれだけ惨めな思いをしていると思っているの。どうせ走ったって勝てやしない、一緒に走れば恥じを晒す。そんなことは分かってたけど今日こそはって思いでアタシは……。覚えてないでしょ、アタシのことなんて、どうせ覚えてないんでしょ!」

 あまりにもいきり立って詰め寄るものだから、キッドは呆気にとられて何も言い返せなかった。

 一方的に怒られている。しかもそれは、このレースに負けたから、いやキッドに勝てなかったからという逆恨みに近いものだ。

 他の出走者がこれは危険だと判断してか、食って掛かってきたウマ娘を取り押さえ、振りほどこうとする腕を締め上げるようにしながら退場口へと引きずってゆく。

「あの子……。そうか、見覚えがあると思ったら、あの時の!」

 まだ恨めしそうに睨んでくる彼女の顔。

 どこかで会っただろうかと必死に記憶を手繰り寄せ、気が付いた。

 あのウマ娘は、同じデビュー戦を走った子だ。

 シンリョクメモリー、何よりチーラヒメが出走してきたことにばかり意識を取られ、他の出走者のことはすっかり忘れていた。

 そもそも十八人も走っていたあのデビュー戦で、全員のことを覚えている方が難しい。負けた方が優勝者のことを覚えていても、勝った方が負かした相手、それも着外に沈んだウマ娘のことまで覚えているわけもない。思い出すことができただけでも奇跡みたいなものだ。

 それでも、このレースに出てきた。あの後、なんとか未勝利戦を勝ち抜き、一発逆転を狙って雪辱を晴らしに来たのだろう。

 どれだけ血の滲むトレーニングをしてきたのかは分からない。それでも、全く手も足も出ず、今回も着外に沈んでしまった彼女。

 きっと、二度とキッドに挑む機会はないだろう。

 それが悔しくて、認めたくなくて、あんな風に感情を爆発させたのだろう。

 哀れだ、とは思う。しかし。

「這い上がってみせなよ。そこから。せめてあと一回。先頭を切ってゴールしてみなよ。悔しいと思うなら、私が憎いと思うなら」

 危ないからと周囲が止めるのも聞かず、退場口へ引かれていくそのウマ娘へと歩み寄る。

 彼女はまだ、怒りに身を任せてなおも暴れようとしていた。

 しかしキッドは構わず。

「それだけの思いと覚悟があるのなら、表彰台の真ん中に立ってみなよ。私に挑んできたのは、こんなに凄いウマ娘だったんだって、見返してみなよ!」

 ここまで言われて、ぐぬぬと奥歯を噛みながら退場してゆく彼女。

 皐月賞への道は閉ざされ、ダービーへの出走も絶望的。

 彼女が表舞台で活躍するには、夏に勝ち上がって結果を出し続けるしかない。

 それが茨の道であることは間違いない。

 そして、勝てなかったのは己の実力不足である以外の何物でもないのだが、こうしてキッドのせいにでもしないと自我を保てないのかもしれない。

 ふぅ、とキッドは息を吐いてまたスタンドへと手を振った。

 

 後に。

 キッドに食って掛かったウマ娘は、ケガで一時期レースに出走できなくなったものの、年が明けてから不調を押して生涯最後のレースに臨み、アタマ差決着の劇的な勝利をもぎ取って引退することになる。

 この様子はもちろんキッドも観戦していたのだが、それはまた別の話。

 

「キッドは、あれだけの成績を出したんだから皐月賞に出てくるだろうね」

 週を置いて。

 今度はダイモンジが中山のターフに立っていた。

 オープン戦、スプリングステークス。一八〇〇メートルの攻防。

 スタンドにはどうやら、シンリョクメモリーやモノノフキッド、ライズエンペラーらも観戦に来ているらしい。

 なにしろこのレースは無傷の五連勝がかかったレース。年明けからデビューしたキッドと違い、前年から負けなしでクラシックの前哨戦に挑むのは嫌でも注目を集める。

 特に同じレースを走ったライズ、同じく負けなしで皐月賞に挑むキッドは、ダイモンジの走りを研究しようと必死だろう。

 呟いたダイモンジは、軽くストレッチを済ませてゲートへと収まった。

 六人立て。前回、ライズと競ったレースもそうだった。

 少人数でのレースは、周囲がダイモンジを恐れて回避していることの現れである。

 曇った空に、稍重のバ場。少し力のいるレースになるだろう。

 しかし、そんなことは問題にもならない。

 

『スタートを切りました。良いスタートです。ダイモンジ良いダッシュです。まずダイモンジが先頭へ立とうという感じ』

 

 スタートと同時に一気に先頭へ躍り出る。すぐに第一コーナーへ差し掛かる。

 これを内ラチに沿って走る。

 その外、五番のウマ娘がすっと伸びて先頭を奪っていく。

 ダイモンジは少し下げた形となった。

 バックストレッチを向いて、ギュッと詰まった隊列。

 中間地点を過ぎたところで、他のウマ娘がどんどん伸びて、気づけばダイモンジが三番手、四番手と下がってゆく。

 

「どうしたっていうんだ、ダイモンジらしくない……」

「いや、違ェな。アイツは、アタシとキッドに見せつけてンだよ。こんな状況からでも勝ってやるぞ、ってな」

 観客席ではシンリョクメモリーが呟く。

 隣で観戦するライズは眉を寄せて吐き捨てた。

 第三コーナーへ差し掛かったところ、再びダイモンジが前へ出た。

 六人のウマ娘がほぼ横並びで曲がってゆく。

 客席は大熱狂の声援が飛び交う。

 シンリョクがライズの表情を伺うと、「気に食わねェ」と言いたげな心情がダダ漏れである。

 クラシックを競う相手が、わざと難しい状況に身を置いて、そこからでも勝利を掴み取る様を見せようというのだ。常に全力勝負のライズからしたら、それは趣味の合わない走り方だろう。

 

「ねぇ、本当に負けちゃうんじゃ……」

「確かに、ダイモンジの位置取りは、ここからずるずると後退していくのはお決まりだね」

 少し離れたところでレースを見ていたチーラヒメは、心配そうに声を漏らした。

 腕を組んでターフの様子を伺うキッド。彼女もまたライズと同じように、ダイモンジの走りにどこか余裕を感じ取ったのかもしれない。

 通常、逃げを選ぶウマ娘は、後半になるとスタミナを使い果たしていて、どんどん後退していくのが定石である。

「それが、並のウマ娘なら」

 

『先頭は何か、先頭は何か、ダイモンジまだ先頭ではない。最後に、やや坂があります。懸命に足を伸ばしました。ダイモンジ苦しい、ダイモンジ苦しい、ダイモンジ苦しい、ダイモンジ苦しい、ダイモンジ苦しい、さぁ苦しい苦しい苦しい苦しい! ちょっと出ている、ちょっと出ている!! ほんの僅か!』

 

 実況では、スタミナを使い果たしたダイモンジが辛勝したと伝えられた。

 客席でこれを見ていた者の心境は様々。

 本当に苦しい中手にした勝利か、それとも余裕を見せつけた勝利か。

「ちょっと用ができちまった。シンちゃん、先に帰っててくれよな」

 結果を見届けたライズは、何か思い立ったようにして立ち去ってゆく。

 残されたシンリョクは頭に疑問符を浮かべたものの、きっと皐月賞のことをについて思うことがあるのだろうと放っておくことにした。

 しかし。

「あれが、無敗五連勝の走り、か」

 ようやく一勝を手にしただけのシンリョクメモリーにとって、ダイモンジの走りというのは今は全く次元の違うものに映ったことだろう。

 

「確かだった。大した観察力だな」

 中山レース場の施設内には違いないが、全く人気のない一角へと入ったライズは、そこで待ち合わせた者と何やら相談をしているようだった。

 相手の顔は、影に入ってしまってよく見えない。

「いや、まだだ。焦ってしかけちゃいけねェ」

 静かに首を振ったライズ。

 その背後を、数人の男たちがバタバタと駆けて行った。彼らの会話の内容まではよく聞こえなかったが、何やら相当苛立っている様子で、見送った背からこの中山レース場の職員たちであることが分かる。

 いったい何があったのだろう。

 肩を竦めて、改めて相談相手に向き直ると。

「何を笑ってんだよ。……え? いや、アタシは構わねェけどよ」

 クスクスと笑みを漏らした相手に少し呆れた様子のライズ。

 これが、翌月に迫った皐月賞に波乱を呼ぶ前兆であるとは、まだ彼女は思い至っていなかったのである。

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