シンリョクのターフ   作:ちー助

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第3話「並び駆ける者あり」

 ライズエンペラーのデビューが決まってからの日々はあっという間に過ぎていった。が、J-1組ではちょっとした騒動が頻発するようになってしまった。

 というのも、クラスメイトからもファンの多いダイモンジを先にデビューさせるべきという声が度々起こったのである。第一、ダイモンジ自身が真っ先に抗議したのだから、取り巻きが騒ぐのも無理のない話。

 

「ダイモンジ様のデビューを!」

「「「ダイモンジ様のデビューを!!」」」

 六月も下旬に入った頃。ライズエンペラーのデビュー戦を数日後に控えたその日、複数のウマ娘が教員に抗議していた。

 夕刻も近くなり、これから終業のホームルームを開こうというタイミング。

 彼女らが必死になるのにも理由があってのこと。

 ライズエンペラーのデビューは、そのままJ-1組のデビュー戦でもある。要は、このクラスそのものがどういったクラスなのかを外部の目に晒すことを意味するのだ。レースぶりはもちろん、パドックでの様子や振る舞いがJ-1組の顔になることを思えば、確かに……少々大仰な言動ではあるものの、容姿端麗、品行方正のダイモンジが真っ先にデビューすべきというのも筋が通っている。

 しかしながら、幾度声を上げたところで最早スケジュールの変更などできるわけもない。己の予定ならばともかく、一介の生徒に、他のウマ娘の出走予定を変更するような権限などないのだ。

 それに。

「ダイモンジのデビューはまだ先だ。心配しなくても、いずれその機会は来る」

「そうじゃなくて、ライズエンペラーさんより先に!」

 教員とて、J-1の顔にするのならばやはりダイモンジが適任だと認識している様子。彼女でないとしたら、モノノフキッドだろうか。少なくとも、ライズでは外部からの印象が良くなるとはとても思えない。

 一方で、先陣切ってのデビューは相応しくないと暗に言われ続けるライズ自身はというと。

「お坊ちゃんよォ、ファンのしつけがなってねーンじゃねェのか? この期に及んでおーじょーぎわが悪いって」

 余裕の態度でニヤニヤとした笑みすら浮かべている。

 最初の内こそクラスメイトに食って掛かるような素振りも見せていた彼女だが、もう慣れたものといったところか。

 言われたダイモンジはというと、やれやれとため息を吐いて静かに席から立ち上がった。

「キミたち。その件は、ボク自身もう納得したことだ。そうやってボクを推してくれるのはとても嬉しいけれど、あまり諦めが悪い行いはキミたちの品位を落としてしまう。時には不本意に思えることも、甘んじて受け入れてこそウマ娘の美学。そう思わないかい?」

 水を打ったように鎮まる教室内。

 ダイモンジ自身がそのように言ってしまえば、外野が口出しすることはできない。これでようやくホームルームを進めることができるというものだ。

 そして。

「ったく。……こっちの気も知らねェでよ」

 不満を持っているのはライズ自身も同様であった。いや、デビューが決まった時の喜びようから、誰よりも先にレースを走ることができるというのは彼女としても歓迎すべきこと。

 しかし問題は、レースの条件にあった。

 ライズは改めて、教員に渡された資料を取り出して目を落とす。

 札幌レース場、ダート、一〇〇〇メートル。

 入学式の日。確かに宣言した。ダービーだけは絶対に譲らないと。

 正式には東京優駿。東京レース場、芝、二四〇〇メートル。

 一応、かつてのダービーウマ娘のデビューを辿ると、ダートが初戦だった例はある。それこそこの年にダービーを制したホイッスルアローが好例だ。

 それでも。

(この学園は、あたしを選ばないってのか。あたしなんかじゃクラシックは役者不足だってのか?)

 資料の紙は既にボロボロ。何度も何度も、同じ思考を繰り返し、同じ結論に至ったからだ。

 ぐしゃりと音が鳴るほど強く紙を握り、奥歯を嚙みながらギロリと空をにらむ。

(面白ェ。あたしの力は、あたし自身の走りで証明してやる)

 

「これが本当に会長の指示? イルミステンドさん」

 生徒会室では二人のウマ娘がレースのスケジュール表を広げて何やら相談をしていた。

 背の低いテーブルを挟んで向かい合う。腰掛けるソファは、触れるだけで沈み込みそうにも見えるが、実際にはやや反発があり、それがかえって程よい座り心地。

 副会長であるイルミステンドは、のんびりとした雰囲気ではあるもののシャンと背筋を伸ばして背もたれは使わず。

 対面に座るウマ娘は、姿勢が悪いとまではいわないが背もたれに体重を預けるような座り方だ。

「勿論。といっても、私もちょっと疑問なのだけど」

 視線を落としたスケジュールには、間もなく開催されるレースの出走メンバーがリスト化されている。

 その中のメイクデビュー、ダート、一〇〇〇メートル。九人のウマ娘の中で二人が注目するのは、やはりライズエンペラーだ。

「もっと、クラシックを意識したレースでデビューさせてもいいんじゃないかと私も思う。エラも同じ意見というわけね」

 トレセン学園の生徒会には、副会長が二人いる。

 一人はこのイルミステンド。そして向かいに座る彼女――エラことエラボレートは、つい先日就任したばかりの新任副会長だ。

 問いかけに頷いて、エラはスケジュール表を捲ってゆく。

 七月を飛ばして、まだ出走者欄が空白の八月。ここに貼り付けられた一枚の写真。

「こういう予定というのも、気になる。会長のお気に入りだって聞いたのに、なんで真っ先に走らせないんだろう。……確かに、今デビューさせるには早いよ。でもクラスのことを考えたら、ライズエンペラーのデビューを送らせてでも――」

 エラがそこまで自分の考えを述べたところで、生徒会室の扉が開かれた。

 咄嗟に顔をそちらに向け、飛び上がるように起立する二人。

 目の前に現れたのは、小柄な体躯で、艶のある鹿毛の長髪。半球のついた靴を見れば、誰もがそのウマ娘だと、見間違えるはずもない。

「「会長!」」

 トレセン学園生徒会長、ハレルヤ。

 彼女は無言のまま、自身の机へ向かう。

 靴の飾りは金属製で、歩く度に前後に稼働する。これが靴底の蹄鉄と接触してカン、カンと音が鳴るのだ。

 副会長の二人がハレルヤの存在に入室するまで気づかなかったのは、会長が音の鳴らない歩き方、爪先歩きをしていたことになる。

 その意味するところは、彼女が非常に上機嫌であるということ。

「や。二人ともご苦労」

 グラウンドを見下ろす窓の前。カーテンを勢いよく開くと茜になりかけた陽光が差し込んでくる。

 ここにスケジュール表を持って、エラが詰め寄った。

「あの、今イルミステンドさんとも話してたけれど。J-1組のスケジュールに、疑問の声が寄せられていて。ライズエンペラーより優先してデビューさせるべきウマ娘がいるんじゃないかって。今更、変更なんてできないけれども。そもそもこの予定は、会長が決めたって……いったい、どうして?」

 そう。何を隠そう、このスケジュールを組んだのは会長であるハレルヤだった。

 デビューさえ終えてしまえば、ある程度ウマ娘自身の意思で出走レースを決めることができる。しかし、精神や肉体が成熟するタイミングを見極めねばならないデビュー戦だけは、学園側が予定を組む仕組みになっていた。

 担任だけでなく学年主任や時には理事長らも、デビュー会議に顔を出す。実は生徒会メンバーも会議に参加して意見する権利を有している。それほど、最初のレースがウマ娘に与える影響は大きく、軽い気持ちでスケジュールを組むわけにはいかないのだ。

 とはいえ、生徒会は学園全体のウマ娘たちのことを考え、聖蹄祭などのイベント運営をしていかねばならない。デビュー戦という、個としてのウマ娘の事情にまで構っている余裕はほとんどないために、デビュー会議に生徒会が口を挟むことは極めて稀なことなのだ。

 だからこそ。会長自らが会議に顔を出して発言するということは、大きな影響を持つことになる。

 そこまでして新入生の……ライズエンペラーのデビュー時期に会長が関与したということは、何か大きな狙いがあるはずなのだ。

「エラ。君の時は、どうだったかな。引退するその時までずっと、世間は君だけを見ていたのかもしれない。君のライバルたちは、君の付属品だった。その時、君はどんな気持ちだったかい?」

「そんな」

 窓の方を向いたまま、少し視線を額の方に向け、思い出すように語る会長。

 ちょっと照れたように、エラは頬を掻く。現役だった頃を振り返れば、彼女自身もそんな自覚はあったようで。

「テレビも新聞も、確かにエラのことばっかり取り上げてくれた。だけど、なんていうか……ちょっと、居心地が悪くなった時もあったかな。ダービーの時だって、天皇賞の時だって、有マ記念の時だって。エラが戦ってきたウマ娘たちは、あんなに強かったのに」

「それさ!」

 回顧しながら語るエラの言葉を遮り、ハレルヤが振り返る。

 カーテンがふわりと揺れ、彼女の靴が一際高くカンと鳴った。

「周囲の声に推されて生徒会副会長になったエラボレート。君は、八大競争の内、いくつを制覇したのだっけ?」

「……一つ。皐月賞、だけ」

 エラの表情が翳る。

 これは、彼女が最も気にしていたことだった。

 確かに実力はある。しかし、彼女自身の力よりも、常に人気が上回っていた。レースに負けた時でさえ、いつだって世が注目するのでは勝者ではなく、エラボレートだ。

 実際、エラは人気の割に勝ちきれないことが多かった。いや、それだけ共に走ったライバルたちが強かったのだ。

 彼女と同世代のウマ娘たちを見ても、単純な成績ならばエラ以上に評価されるべきウマ娘も多い。

 そんなことは分かっている。エラ自身、それは痛いほど。

「会長、流石に――」

「変えたいとは思わないか!」

 フォローを入れようと口を開いたイルミステンド。

 これを制して、ハレルヤは両手を大きく広げた。

「ただ一人のウマ娘が注目されるのではなく。ある程度の実力さえ証明できれば、互いに命を燃やして走る多くのウマ娘が、それぞれが物語の主役に立つ時代を作りたいと、そう思わないか!」

 そう古い話ではない。

 エラボレートが現役だった頃。どれだけ力をつけても、どれだけ成績で証明しても。世間の評価はいつもエラボレートが中心だった。彼女が勝った、彼女が負けた、と。

 多くのレースファンは、エラに負けたウマ娘を労うことを忘れ、エラに勝ったウマ娘を称えることを忘れた。

 しかも。それは彼女自身が圧倒的な実力を持っていたからではなく、彼女の出自と世間の様相が嚙み合ったからに過ぎない。

「それは、エラも、そう思う。だけど、今回のデビュー戦に、いったいどんな意味が?」

「祝福だよ」

 返答に、エラとイルミは首を傾げた。

 会長は再び窓の方へ体を向けて、夕日に目を細める。

「私の勘がね、告げているんだ。後世にまで語り継がれる、大きな時代の本流が動き出そうとしているとね。物語のプロットは既に用意されているんだ。ならば、私は精一杯の演出で、歴史の門出を祝福する!」

 そう語る会長に圧倒され、思わず息を呑んで仰け反ったエラとイルミ。そこで、二人はあることに気づいた。

 トレセン学園の矜持を記し、生徒会室に掲示されていた立派な額がなくなっている。

 いや、ここまで聞いてしまえば、それが会長の仕業だと嫌でも気づく。

 唯一抜きん出て並ぶ者なし。即ち「Eclipse first, the rest nowhere」と書かれた標語は今の生徒会にはない。

 そして。彼女は誰に語りかけたのだろうか。

「夢の扉は、君たちの手で開きたまえ!」




本来は、今回がライズエンペラーのデビュー戦を描く予定だったのです。
しかし、その前に挿入しておくべき話が長くなったので次回に持ち越しです。
多分、割とすぐにアップします。
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