シンリョクのターフ   作:ちー助

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第4話「北方の幸運娘」

 札幌レース場――。

 天気は晴れとの発表であるものの、やや暗い雲が見え隠れする。予報によれば、午後からは雨が降るかもしれないとのこと。

 どうにもすっきりしない。

 ダートコースしか整備されていない札幌では、数日前の天気ですらバ場状態に大きな影響を及ぼす。良と発表されたコースだが、数日前から降ったり止んだりを繰り返していた関係で少なくとも土煙が立つようには見えない。

「ったく、このライズサマがデビューするってのに、随分と客席がまばらじゃねェか。……ま、今日は重賞もねェし、こんなモンってか?」

 ついにデビューの日を迎えたライズエンペラーは、真新しい体操服に九と書かれた桃色のゼッケン。八人のウマ娘と競い合う大外枠。

 第二コーナー出口からスタートして一ハロン程度の直線。大きく緩やかなカーブの後、一ハロン半程度の直線を走った先にゴールがある。この札幌レース場の特徴は、まず高低差がほとんどない平坦なコースであること。そして、今回の条件に限れば、二回に渡る直線の距離とコーナーの距離がほぼ同じであること。

 小手先の策や奇をてらった戦術はほぼ意味をなさない。地力の強さがモノを言うだろう。

 ただ、この大きな曲線。最も外の枠に入ることがどう結果を左右するか。

 係員の誘導が始まる。

 一人、また一人とゲートへ収まってゆくウマ娘たち。

(いよいよこの時が来たンだ。散々バカにしてくれたクラスメイト連中のハナを明かしてやる)

 静かに闘志を燃やし、グッと拳を握ったライズは、静かに歩を進めた。

 

『さぁ間もなく、今年レースの世界へ足を踏み出す若駒たちが出走します。注目はやはり一番人気のサンコーファンでしょうか』

『トレーニング時の情報にはなりますが、前を行こうとする姿勢は、札幌との相性も良いので期待したいですね。一方で四番人気となりましたライズエンペラーですが、前情報と異なって随分と落ち着いていますね』

 学園ではちょうど昼休みに差し掛かった頃。

 J-1教室内には、電池式の携帯ラジオを机に置き、じっとそこから流れる中継に聞き入るウマ娘の姿があった。

 シンリョクメモリー。今頃北の地でスタートの瞬間を待っているであろうライズエンペラーから一方的に気に入られ、何かと絡まれることの多いウマ娘だ。

 普段から口数も少なめで、無意味なお喋りを好まない彼女も、クラスメイトのデビューはやはり気になるようだ。

 この時間は食堂へ向かうウマ娘が多く、教室にはほんの数人しか残っていない。それも、ライズのデビューを気にしている様子の生徒はいなかった。

 クラス初のメイクデビューに不満を持つ彼女らなのだから、それも当然だろうか。レースそのものは気にかけていても、応援しようというウマ娘は見当たらない。

「やっぱり、キミは聞いているだろうと思ったよ。隣、失礼しても?」

 そんな時、声をかけてきたのはダイモンジだ。いつもは親衛隊と化したクラスメイトにつきまとわれている彼女が、一人でいる。珍しいこともあるものだ。

「構わない。ちょっと待って」

 隣の席にダイモンジが腰掛けるのを横目に、ラジオのボリュームを上げる。

 自分だけに聞こえる音量だったので、彼女を気遣ってのことだ。

「取り巻きは?」

「ああ、今は外してもらっているのさ。悪いとは思うけれど、今日のコレだけは譲れない。昼休みに入ったと同時に、シンクンがラジオを出したのが見えたからね、きっとこのレースを聞くのだろうと思って。ちょうどよかったよ」

 きっと、誰よりも、このクラスで最初にデビューしたかったであろうダイモンジ。

 J-1のメイクデビューが気になってしまうのも無理のない話だ。

「ところで、シンクン。……勝てると思うかい?」

 声のトーンを落として、問いかける。

 時に、たった一つのレースが、ウマ娘のその後を大きく左右することだってある。

 ここを勝てるかどうかでライズエンペラーの、あるいはこのクラスそのものの未来が変わるかもしれない。

 しかしシンリョクの答えは。

「どっちでもいい」

 意外な答えに、ダイモンジが目を丸くする。

 ラジオからはゲートに収まり、と声が聞こえていた。

「それはどういう――」

「しっ、始まるから」

 真意は、スタートの合図に隠された。

 

 ゲートを飛び出し、砂の上を駆ける九人のウマ娘たち。

 先手を取ったのはホッポウセブンという三番人気。少し間を空けて、一番人気のサンコーファンが追走。この辺りに他三名のウマ娘が固まって番手争い。二バ身ほど開いてパップフラグメントでこちらは二番人気。ライズエンペラーはこれを見るような位置。さらに後方からは二人のウマ娘が追いかける。

 やはり土煙は立たず、視界は開けている。電撃一〇〇〇メートルの勝負は、仕掛けどころを誤ればあっという間に抜け出せなくなってしまうだろう。

 まだスタートを切ったばかりだというのに、先頭のウマ娘が早速コーナーに差し掛かる。

「今じゃねェ、タイミングを掴み損ねるなよ、あたし」

 第三コーナーから第四コーナーへ。番手争いをしていたウマ娘が、垂れ始める。

「何だ、スプリントだからって最初から飛ばしすぎたのか? もうバテ――じゃねェ!!」

 違う。垂れたのではない。先頭を走るホッポウセブンが早々とスパートをかけたのだ。これについていけているのは、二番手のサンコーファンだけ。

 慌ててライズが踏み込みに力を込める。

 置いて行かれてたまるものか。

 

『ここでホッポウセブンがリードを開き、後ろからサンコーファン、サンコーファンが必死の追走! あーっとここでライズ来たライズ来た、ライズエンペラー、三、四コーナーの中間からパップフラグメントを抜き去り五番手、四番手! 第四コーナー回ってセブン逃げる!」

「まだだ、ライズクンの末脚ならここから……!」

 レースの実況に興奮したダイモンジが思わず立ち上がる。

 何だかんだ、クラスメイトのことを応援しているのだろうか。いや、きっとそれは素直な気持ちではあるまい。自分を差し置いてデビューしたのだから、J-1の顔として、ここを負けることはダイモンジ自身の尊厳にかかわるのだろう。

 そんな彼女ほど露わではないが。

「行け……!」

 シンリョクは小さく呟いて拳を震わせた。

 

「チッ、ジャマだ!」

 最終コーナー。

 進撃を開始したライズの目の前には、スパートの遅れたウマ娘たち。

 彼女らをかわすには、外へ持ち出すしかない。この短距離ではほんの少しのロスが命取りになるが、群を抜け出すには確実な方法だ。

「開いたな。ヨォーッシ、ライズエンペラーサマのお通りだァッ!!」

 直線を向いた。気づけばライズは三番手。

 先頭を走るのは相変わらずホッポウセブン。内にはサンコーファン。パップフラグメントの追い上げる音も響くが、感覚としては遥か後方。

 末脚にかけては引けを取るつもりなどない。ここから一気に全力のスパートをかけて追い上げにかかる。

 ……が。

 

『セブンだ、セブンだ! ぐんぐんと差を広げてサンコーファンは追いつけそうにない。ライズエンペラーもやってくるがこれはどうか。ゴール版を駆け抜けてホッポウセブン! ホッポウセブン、見事メイクデビューを勝利で飾りました。二着争いは接戦』

 ラジオから流れる実況は、クラスメイトの敗北を告げていた。

 その様子から、少なくとも三着までには入っていることだろう。

 隣のクラスから歓声が聞こえる。あのホッポウセブンというウマ娘は、どうやらJ-2組の所属らしい。

 一つため息を吐いたシンリョクメモリーは、ラジオのボリュームを絞ろうと手を伸ばす。決着はついたのだから、これ以上聞くこともないと考えたのだろうか。

 制止したのは、ダイモンジだった。伸ばしたシンリョクの手を掴み、じっとラジオに視線を向けたまま。

「どっちでもいい、と言ったね。ボクは、そうは思えないよ」

 手が震えていた。

 いつも何かを演じているかのような彼女が、その手に感情を乗せている。

 これは、怒りか、悲しみか。

「ライズクンには、勝ってほしかった。いや、勝ってくれなきゃ、困るんだ。勝つべきだったんだよ。でも……そうだ、これは、何かの間違いだ。きっとライズクンは、レース中に不利を受けたりして」

「いい加減にしろ」

 手を振り払ったシンリョクは、相変わらずホッポウセブンの圧勝を伝えるラジオの電源を落とした。

 クラスメイトの敗北を受け入れられないダイモンジは、呆然として何か言いたげな表情のまま固まってしまう。

「そういうトコ、治した方がいい。何の仮面を被ってるのか知らないけれど、そういう道を選ぶなら、これくらいのことで仮面が脱げないように気持ちを鍛えるべき」

 シンリョクの見たダイモンジの表情は、今までに誰にも見せたことがないものだった。

 絶望、と形容できるだろうか。美貌の面影はそこになく、幼い迷子のような、まるで全く違うウマ娘のような、悲しくも情けない姿。

 言われてハッとしたのか、胸のポケットからハンカチを取り出して彼女は顔を覆ってしまった。今頃必死に己の心と戦い、表情を作っているのだろう。取り巻きを遠ざけたのも、他のクラスメイトがこのレースに関心を向けていなかったのも、ダイモンジにとっては幸運だったことだろう。

「自分が負けたわけでもないんだから。大げさなのは元々の性格ってわけか。……それより」

 ラジオをしまいながらシンリョクが呟くように、ダイモンジにだけ聞こえるような声で言う。

「少なくともライズにとっては、強くなって帰ってくるよ」

 

 控室に戻ったライズエンペラーは、用意された折り畳み式のパイプ椅子にどっかりと腰を下ろして俯いていた。

 めでたいはずのデビュー戦は、出走が決まった時からクラスメイトに非難され、見返してやるために走ったレースでは勝ち切ることができなかった。

 何がいけなかった? 末脚に頼って後方に控えたことか。いや、そうじゃない。確かに先行策が有利な条件ではあったが、己のスタイルを考慮すると腑に落ちない。作戦自体は間違っていなかったはずだ。

 では実力不足? それも、違う。一着でゴールしたホッポウセブンというウマ娘の走りを目の前で見ていたが、決して追いつけない脚ではないと感じられる。

 だとしたら。

「……そうか」

 あの最終コーナー。

 前を走るウマ娘を追い抜くため、外側へ持ち出した。

 このコース取りを加速しながら選ぶと体が振られ、必要以上に膨らんでしまう。だから、無意識に速度を押さえたコーナリングだった。

 さらには、距離のロス。

 何とか内を通ることができれば多少脚に負担はかかるものの、有利に走れるだろう。スパートも早くなる。

 つまり。

「仕掛けるタイミング、間違えちまったな」

 その場に応じた判断は重要だ。

 しかし、数秒先の状況をイメージしながら走ることがこれほど結果を左右するとは。

「あっ、ここだー! ライ、ライ……ズエンペラーさん? いますかー!」

 一人反省会を終えた頃、控室の扉がノックされた。

 少し気の抜けたような、舌足らずな喋り方。恐らく扉に貼られたネームプレートを読み上げたのだろうが、ライズの名を呼ぶイントネーションに自信がなさそうだ。

 こんな、今日デビューしたばかりで、勝利したわけでもないウマ娘に、誰がなんの用だろうか。ライズはだるそうに立ち上がって扉を開いた。

「やった、いたいた。えーっと、今日のレース、お、お疲れ様でした! あ、その、わたし、ホッポウセブンっていいます!!」

 ペコリと頭を下げる、鹿毛のおさげが少々幼く見えるウマ娘。

 その姿に見覚えが、名前に聞き覚えがある。いや、それどころじゃない。彼女こそ、デビュー戦を一着で駆け抜けたウマ娘だ。

「あー、何だよ。アンタに勝てなかったあたしを笑いにきたか?」

「そんなんじゃ、ないです! わたし、今日のレース、すっごく楽しくて! 走り出したらみんなに追いつく自信がなくて、先頭に出たんだけど。でも、うしろからドドドドって追いかけてくる音が聞こえて、ゾクゾクして、それから、もっと速く走りたくなって……と、とにかく、ありがとうございました!!」

 レースでの興奮を上手く言語化できなくとも、とにかく勝てた喜びよりも楽しんで走ることができた嬉しさが勝っているのだろうと理解できる。

 そんなことをわざわざ報告に来るのだから、本来なら嫌味だと捉えるべきなのだろう。

 しかしこのホッポウセブンなるウマ娘は、あまりにも屈託のない笑顔を浮かべている。ライズと同い年なはずなのにペコペコと頭を下げるその姿は、愛らしさすらあった。

「おい」

 ライズはセブンのおさげを掴んで顔を寄せた。

 ちょっと緊張した顔が目の前にある。本当に同い年とは思えぬほど、幼い。よくもこれで早期のデビューが認められたものだ。

「次はあたしが勝つ。楽しんでる余裕なんざねェくらい、全力で追ってやる。わかったら、さっさと行け」

 パッと手を放し、ライズはバタンと音を立てて扉を閉めてしまった。

 まるで追い払われたかのような形になったセブンは、その態度に何を感じただろうか。

「……ちゃんと、挨拶できた、よね? うん、大丈夫、大丈夫。えっと、次はパ、パップフ、ラグ、メントさんだっけ。って、あー! 急がなきゃウィニングライブ始まっちゃう! 全員に挨拶間に合うかなぁ。急げ急げー!」

 慌ただしく次の目的地へ駆け出すホッポウセブン。

 勝者でありながら、共に走ったウマ娘全員に声をかけるつもりのようだ。もちろんその声は、扉を隔てた彼女の耳にも届いていて。

「もしもし」

 部屋に備え付けられた電話を取り、ダイヤルを回す。

 一つの決意が、ライズエンペラーの中に宿ろうとしていた。

 

「いくら何でも急すぎます! 確かにスケジュールに問題自体はありませんが、あまりにも負担が大きすぎるかと。本当に認めるんですか?」

 数刻後。

 生徒会室に駆け込んだイルミステンドは、テーブルに向かって資料に目を通している会長に抗議していた。

 学園に届いた連絡。それは、つい先刻デビュー戦を走ったばかりのライズエンペラーがそのまま札幌に残り、中一週で次のレースに出走したいという申請だった。

 ウマ娘にとってのレースはかなり消耗が激しい。場合によっては、一度走ったら数か月単位の休養が必要となるケースすらある。それを、このタイトなスケジュールで走ろうというのは、無謀とも言える。

 会長のハレルヤは目線を上げることもなく。

「認める」

 そう呟くのみ。

 しかし、イルミは納得がいかない。

「会長……いえ、ハレルヤ。私は、この学園にはあなたより長くいるけれど、何人も見てきたの。無茶をして、二度と走れなくなったウマ娘を。それでも」

「祝福だよ」

 言葉を遮るハレルヤ。彼女の口癖は、不思議と向けられた疑問をその一言で解決してしまうような力がある。

「ライズエンペラーが走りたいというんだ。それ自体がウマ娘の本能。誰にも咎めることはできない。私は彼女を祝福するよ」

「では、もしも。万が一のことが起こったら?」

 すっと顔を上げるハレルヤ。

 少し思案するように顎に手を当て、やがて立ち上がる。

 棚からスケジュール表を取り出し、パラパラと遥か数年先のページまで捲って目を細めた。

「私が祝福する以上、そんなことは起こらないさ。今は、ね」




ライズエンペラーのモデルとなった競走馬は、資料が少なく性格やレーススタイルもいくつかの記録から想像で補っている部分が強いです。
今回描いたデビュー戦も、映像やレース展開の記録が残っていないので、当時の天候や着差、レース場の特徴などから、ほぼすべて推測で描いています。
当時のレースがどのような展開だったのか……。モデルさんは追い込みにかける走りでタイトルを手にしていますが、もしかしたらデビューの頃には逃げを打ったり番手につけたりしていたかもしれませんね。
しかし、色々と考えた末、「彼女の性格なら極端なスタイル変更はせずに、自分の走りをつきつめていくだろう」と結論付けてこのような展開となりました。
史実をご存じの方には申し訳なく存じます。
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