シンリョクのターフ   作:ちー助

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第7話「妖狐幻術」

 八月。

 ここ数日は雨がパラつくもこの日は止んで、バ場は乾いて良との発表。

 北海道のレース場では今も人がまばら。いわば本州で行われるレースが休止中とも言える夏の時期、北海道や九州の競バファンにとっては生でウマ娘が走る姿を見るチャンスが増えるわけだが。

 日付としてはお盆休み前であり、賑わいを見せるには少し早い。

 この日、札幌の地を踏むのは、ライズエンペラー。一度はトレセン学園へ帰ったものの、ほぼとんぼ返りのような形で札幌へ戻ったことには、もちろん彼女なりの理由がある。

 クラスメイト期待の星、ダイモンジのデビューだ。

 メイクデビューを勝ったとはいえ、ライズはまだ一勝。J-1組の期待を一身に背負うダイモンジが評判通りの実力を発揮すれば、あっという間に先を行かれてしまうだろう。だから、多少無茶でも連続で出走して、勝利を重ねなくてはならない。

 何故ならば。ダービーだけは絶対に譲れないからだ。

「すみませー--ん!」

 もう三度目のパドック。マントを羽織って歩く地下道で、背後からパタパタと走る足音が聞こえる。

 胸の内に闘志を燃やしていたライズが振り向くと、そこには見知った顔があった。

「あ、あの、パドックって、こっちでいいんですよね? えーっと、私、道を覚えるのが得意じゃなくて、えへへ……って、あれ?」

 小柄で幼い印象。鹿毛でおさげ。口を開くと夢中になって喋り、そのくせあまり言葉がまとまっていない様子。

 この少女と出会ったのは、もう一月以上前になるだろうか。

「あ、その。ちょっと、待ってくださいね。たしか、たしか……ら、ライズエンペラーさん!」

「おゥ、よく覚えてたな、おさげ娘」

 名は、ホッポウセブン。

 初のデビュー戦で逃げ切り勝ちを収め、その後出走者全員の控室を回って挨拶していたウマ娘だ。

 ライズはそのおさげを掴んでニヤニヤ。一方でセブンは「やーん痛いですー」と抗議。

 どうにも掴んでみたくなる髪型のようだ。

 こんなに早く再戦することになるとは、お互いに思ってもいなかったに違いない。前回の、「次はあたしが勝つ」という宣言を果たす機会だ。

 何だかんだ、予期せぬ再会にセブンも喜んでいる様子で、おさげを掴まれてもまんざらでもなさそうだ。もしかしたら、普段から色んな人に掴まれているのかもしれない。

 

 カラン。

 ……コロン。

 

 やり取りをする内。小気味の良い駒下駄の音が響いてきた。

 自然と二人の言葉が失せ、音の方へ目を向ける。

「ほっほ。仲がえぇんもよろしいが、レースで勝敗を争う敵同士。じゃれ合うんもほどほどにせぇ」

 膝裏まで伸びる長い鹿毛が美しく、ウマ娘特有の耳はやや幅広。シュッと締まったような顔のつくり、マントの下は体操服であることは想像できるが、何故駒下駄なのだろうか。

 いずれにせよ、ここにいるということは、これからレースに出走するウマ娘に違いない。

 ライズはおさげを引き寄せるようにして、小さく耳打ちする。

「なぁ、あいつ、誰?」

「サトリコンコさんですよ。今日の一番人気、ですって」

「なんだァ? ウマ娘なのかキツネ娘なのかハッキリしねーな」

 名前からキツネを連想したのか。言われてみれば、彼女の特徴的な耳は、まさしくソレに見えてくる。

 そんな話が聞こえているのかいないのか。サトリコンコなるウマ娘は静かな笑みを浮かべてカラコロと音を立てながらパドックの方へ消えていった。

 

「ちょっと! 何でキッドがいないのよ。どこ行っちゃったのよ。何か知ってるんでしょ? 素直に白状しなさいよ! ねぇキッドは!?」

 トレセン学園では、朝早くから走り込みのトレーニングをしていたシンリョクメモリーにチーラヒメが食って掛かっていた。

 曰く、朝起きたらルームメイトのモノノフキッドが姿を消しており、どこを探しても見当たらない。書置きもなかったとのこと。

 この頃は携帯電話なども誕生していないために、相手がどこにいるかが分からないと連絡も取れない。

 そうとなれば、事情を知っていそうなキッドのクラスメイトに聞いて回るしかない。

 寮を飛び出したヒメが、学園で最初に出くわしたキッドのクラスメイトがシンリョクだったのだ。

「教えてもいい。けど、ちょっとうるさい」

「うるさいって何よ!」

 金切声を聞きながらタオルで汗を拭くと、一つため息を吐いてまた走りに行ってしまう。

 慌ててヒメが追いかける。

 上は体操服、下はジャージという姿で走るシンリョクに対し、ヒメは制服にローファー。登校途中だったので鞄も持っている。どんどんヒメは遅れ始めた。

「分かった、ちょっと、分かったから……。うるさかったのは、謝るから、お願い、キッドのこと」

 ゼェハァと息を乱して降参するヒメの声聞いて、シンリョクは足を止めた。

 彼女とキッドは幼馴染であることは聞いている。その上でルームメイトなのだから、四六時中一緒にいるようなものだ。

 たまには離れていたいと思ったりしないのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ、シンリョクは。

「キッドなら、今頃ダイモンジと一緒」

「もしかして、トレーニング? どこで? 私も、すぐ行かなきゃ」

「似たようなものだけど。そんなにキッドに会いたい?」

 一言、キッドの行方を言ってしまえば済む話。

 だが、言ったところで面倒なことになりそうだ。行先を事前に伝えなかったことを責められそうでもある。

 まずは色々と予防線を張ってからにしなくては。

「もちろんよ。キッドはね、私がいなきゃダメなの。確かに走るのは早いし、夢を追う姿はかっこいいわ。でも、でもね? 誰かが支えてあげなきゃちょっと凹んじゃったり、焦って行動して失敗しちゃったりするから、そこは幼馴染のこの私がキッドの一番必要としているところを慰めたり励ましたり――」

 失敗だ!

 その感情や行動理念は、常軌を逸しているとまでは言わないが、まるでキッドのために生きているかのような考え方。

 逆に。キッドがいなくなったら生きていけなくなるのかもしれない。

 これでは予防線も何もあったものではない。こうなれば。

「……キッドの行先、北海道だから」

「時には私にもちゃんと甘えてくれたり――今、何て?」

「ちゃんと答えたから!」

 これ以上構っていたら一日中キッド語りをされかねない。

 シンリョクは小声かつ早口で回答すると、走り去ってしまった。

 

「しかし、キミがついてくるとはね。良かったのかい?」

「ライズの走りが気になるのと……それから、君のデビューも近いんだからね。この目で見ておきたいんだ」

 札幌レース場の観客席には、二人のウマ娘の姿があった。

 二週間後、函館でのデビューが決まったダイモンジ。隣にいるのはモノノフキッドだ。

 クラスメイトの走りは、未だラジオでしか聞いたことがない。実際にどんな走りをするのか、見学しておいて損はないだろう。

 もちろん、レースに出るダイモンジはともかく、キッドにはトレセン学園でのトレーニングや学業のこともある。あまり遠方まで数週間単位で出かけることは好ましくないのだが、それ以上に学べることがあると考えたのだろう。

 だが。ダイモンジが尋ねた言葉には別の意味があってのことだった。

「いやいや、そうではなくて。黙って出てきたんだろう?」

「あはは、うん。ほら、言っちゃうと……ね? でも、後のことは頼んできたから」

 そうは言うものの、本当に問題なかったのだろうか。キッドのためならトイレにまでついていきそうなチーラヒメの宥め役を、シンリョクメモリーに任せてしまって。

 だが、こうするしかなかった。他のウマ娘のレースを観戦していたら、彼女がどんな反応をするか分かったものではないから。

 先日、食堂でライズにレースの様子を尋ねていた時も、ヒメは終始ふくれっ面だった。寮に戻ってからもずっと不機嫌だった。もう少し依存を抑えるか、ウマ娘としてレースを走ることへの考え方が変わらない限り、共に観戦することはできないだろう。

「あ、ほら、出てきた。ライズー! 頑張れー!」

 パドックには一枠一番に指定されたライズエンペラーが出てきていた。

 もう三度目のレースということもあり、随分と落ち着いた様子。これまでのレースで汚れ切っていたはずの体操服は、まるで新品のように真っ白だ。

 今回のレース、ライラック賞はダートの一二〇〇メートル。五人立てだ。

 少人数。というのも、ライラック賞は基本的に未勝利のままでは出走できない。八月のこの時期にはまだデビューすらしていないウマ娘も多く、この人数もやむなしといったところだろう。

「四番人気、だそうだね」

「他の子たちは一走目で勝利してきたから……でもこの人数なら関係ないと思う。それに、勝ってほしいでしょう?」

「もちろんだとも。今のところ、彼女がJ-1の顔だからね」

 ダイモンジの視線が鋭くなる。

 そこには、ただ勝利を祈るものとは何か違う意味が込められているようにも見えるが、キッドはそれに気づけたのだろうか。

 

『スタートしました。第二コーナーを曲がりながら、中から抜き出てやはりハナを切りますホッポウセブン。一番人気サトリコンコは後方二番手から。最後方ではライズエンペラーが追走してバックストレッチを向きました』

 

 前回より少しだけ距離が伸びた今回のレース。後方から追走してチャンスを伺う走りは、やはりライズにとってしっくりくるものだった。

 とはいえ、最後尾を走るのは今回が初めて。離され過ぎては手遅れになる。距離感には気を配らなくてはならない。

 それに。

(あいつ、本気で走ってンのか? 読めねェな)

 目の前。やや外側を走るサトリギツネは、パドック前で出会った時のように、駒下駄で走っている。どう見ても全力で走れるようには思えないが、八大競争などの格の高いレースではブーツで走るウマ娘もいるわけで、案外ウマ娘によって走りやすい靴というのは違うのだろう。

 流石にこの砂の上ではあのカラコロとした音は鳴らないが。

 向こう正面を向いてから、先頭の様子が少し見えた。

 ホッポウセブンが先頭。一バ身か二バ身空いて二人のウマ娘が並んで走っている。そこからサトリコンコまでは三バ身以上の開きがあった。

(おいおい、一番人気サンよォ、この距離でその開き方はマズイんじゃねェか。マジで何を考えてやがる)

 隊列は変わらず第三コーナーが見えてきた。前回はここでまだ我慢。第四コーナーから仕掛けたが。

 後方に位置するということは、レースの状況がよく見えるということだ。タイミングを図る上でのアドバンテージがある。

(……ッ! こ、こいつ!!」)

 ライズが気が付いた時、サトリの背は笑っているように見えた。

 そう、走れば走るほど、先頭集団からの距離が開いてきている。要は、徐々に速度を落としているのだ。

 前方の状況を把握しようとするあまり、その走りに巻き込まれてライズもかなり離されている。これでは仕掛けが間に合わない。

 そうだ、初めから狙いはこれだったのだ。

 後方のペースが落ちるよう仕向けて、スパートを遅らせる気だ。

 

『さぁ隊列が長くなりました。先頭から殿まで七から八バ身ほどでしょうか。これはホッポウセブンの独壇場か。あぁっと第三コーナー前、ライズエンペラー動いた! 後方からぐいぐいと上がって現在四番手!』

 

「まずい、ダメだライズクン、落ち着くんだ!」

 観客席。

 展開を見ていたダイモンジは悲鳴にも似た声で叫んだ。

 それをキッドは不思議そうに聞いていた。

 双方、考え方が違うのだ。このタイミングの仕掛けを吉と見るか凶と見るか。

 しかしこの悲鳴の意味は、直後目の当たりにすることとなる。

 

「キツネに化かされてる場合じゃねェんだよ、オラオラどけどけェ!」

 右にカーブ。前の二人をかわせば、以前競い合ったホッポウセブンの背が見える。

 スパートは間に合った、はずだ。しかし。

(な、やべェ!)

 前の二人はほぼ横並びで走っている。間を縫っていくことは不可能だ。

 それに、スパートをかけて加速中。遠心力で体が振られて、インを突くこともできない。

 となれば外を回るしかないが、これが仕掛けのタイミングと被ったことで、彼女自身が想像していたよりもはるかに大きく……逸走にも近い形で大きく膨らんでしまっていた。

 何とか進行方向を修正しようとインコースへ目を向ける。

 そこには、いつの間にか最低限の力で緩やかな加速をしていたらしいサトリが、内ラチ沿いにするすると上がって二番手になっている。

「ち、きしょォッ!」

 弾き飛ばされるように外へ膨らんでいくライズは、軽く跳ねて地に強く踏み込み、まるで壁を蹴る要領で強引に体を内側へ向けた。

 こんな走り方、失敗すれば大怪我しかねない。それでも、術中にはまって惨めに負ける方が、耐えられなかったのだろう。

 本当の狙いはこれだ。仕掛けのタイミングを狂わせて、後方のペースを乱すことが、サトリの策だったのだ。

「今更焦っても遅いわ。ほれほれそこのおさげさん、先を譲ってもらおうかのぅ」

 無我夢中で先頭を走るホッポウセブンをサトリが捉える。第四コーナーを曲がり切って直線を向いた頃には最早勝敗が決したかに見えた。

 

『先頭はサトリコンコ、サトリコンコ! ホッポウセブン必死に粘るがこれはちょっと差し返せないか。ライズエンペラーは大逸走で脱落――な、こ、これは!!』

 

「待てやゴラァッ!!」

 濛々と土煙を上げ、とんでもない追い上げを見せるライズ。

 大外。目の前を邪魔する者は誰もいない。

 正直、状況は最悪だ。ゴールまではあと一〇〇メートル程度しかない。

 現在は四番手。届くかどうかは、正直分からない。

 だから。ライズにできることは、持てる力を振り絞って走ることだけだ。

「な、なんじゃ、モノノケかいな」

 轟音とも形容できる足音に振り返ったサトリが驚愕の表情を浮かべる。

 いっぱいいっぱいになりながらも必死で足を動かすホッポウセブンの後方。

 鬼の形相で追い上げてくるライズエンペラーの姿があった。

 その勢いからサトリが覚えた感情は、恐怖。

 ぶるりと身の芯が震え、蛇に睨まれた蛙のように、全身が硬直してゆく感覚。

 策にかかって沈んだはずのライズエンペラーが、まさか。こんなこと、計算にない。

 

『凄い足! 勝利への執念かライズエンペラー! 並ぶ間もなくホッポウセブン抜き去って迫る、迫る、迫る、迫る、並んだ、抜けた抜けた! サトリコンコをかわしてライズエンペラー堂々のゴール……まさかまさか、あの大逸走からの勝利だけでなく、掲示板にはレコードの赤い文字です!』

 

 ゴール版を駆け抜けたライズが客席に向かって手を振る。

 その後ろで、サトリコンコは苦々し気な視線をライズに向けていた。




今回のレースも、資料がなかったため想像で作り上げたものになります。
一応、サトリコンコのモデルとなったお馬さんはレース映像が残っていたので、そこから脚質を想像して展開を構築していきました。
ただ、大逸走からの勝利って、ちょっと無理があったかもしれません。
この辺り、いわゆる大外一気と捉えていただければ……。

この作品には、チームの概念が出てきていませんが、この世代でチームを組んでしまうととてもややこしいので敢えてオミットしています。
トレーナーも存在していませんが、これもわざと外しています。というか、話が煩雑になりすぎてしまうので……。

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