ディープインパクト。現在その名を知らないものは居ないといっていい伝説のウマ娘。現役時の成績は14戦12勝。皇帝シンボリルドルフさん以来史上2人目となる無敗でのクラシック3冠達成の他、天皇賞春・宝塚記念ジャパンカップ有馬記念を制し歴代最多タイとなるG17勝の輝かしい戦績を残した。スタートで躓き出遅れようが道中ゴールの位置を間違えて仕掛けどころを誤ろうがその圧倒的な末脚で後方から全てを抜き去っていく。人々はその走りに熱狂し、その強さに夢を抱き、その姿を見て彼女を英雄と呼んだ。
多くのウマ娘がそうだったように、私もかつてテレビで目にした彼女に魅了されトゥインクルシリーズで走ることを志した。そんな憧れであり雲の上の存在が今、目の前にいる。
「あっごめんね驚かせちゃって・・・。もう少ししたらベルも落ち着くと思うから・・・。」
「い、いえいえ!そんな・・・!」
「それまでの間ちょっとお話しない?」
「え・・・あ、はい!」
「飲み物はコーヒーでいいかな?」
そう言って私を近くのソファに座るよう促し、スーツの男性に飲み物を買ってくるよう指示する。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私はディープインパクト。よろしくね。知ってると思うけどベルは私の教え子なんだ。」
「も、もちろん存じ上げております・・・!」
気さくな態度で接してくれているがまとっているオーラが違う。怪我した教え子のお見舞いにくることは不思議ではないのだが、勢いで行動して全く想定していなかった私は半ばパニックになっていた。
「いつもベルがお世話になってるみたいだね。聞いてるよ、いい同室の子に恵まれたって。」
「そんな、私の方こそ・・・。」
そう、私の方こそだ。ベルちゃんが居なければここまで走ってこれなかった。デビューすることができたかどうかさえ怪しい。ベルちゃんは大丈夫なのだろうか・・・。
「あの・・・」
「うん、分かってるよ。彼女の容態が気になるんでしょ?当然だよね。」
「はい・・・!ベルちゃんは大丈夫なんですか!?私、ネットの記事を見て・・・!」
「・・・ 右足の屈腱炎。それも重度のもので全治は不明。レースを走るのは不可能・・・というのが主治医の診断。・・・私もそれに従うべきだと思う。」
「!!・・・そんな・・・。」
「痛みが強くて歩くことも難しい状態じゃ仕方ない。まずは痛みを感じず歩くことができるようになることを目指さなければ・・・。」
「・・・なんとかできないんですか?本格化してオープンも勝って、重賞好走してタイトルも見えてきて・・・これからって時なのにこんなのって・・・!」
「・・・ごめんね・ ・・。私もずっと見てきたんだ、 気持ちは分かるよ・・・本当に残念だけど・・・・。」
「・・・っ!!」
うつむくディープさん、握られた手が震えている。その姿を見て私はもう何も言えなくなってしまった。
「・・・・・。」
お互い無言になる。引退・・・。報じられた内容は正しかった。かなり重度の屈腱炎・・・ベルちゃんはもう走れない。お互いレースの結果を報告し合うことも、反省点を二人で洗い出して改善していく自主トレも、もうできない。
事実を実感し、虚無感と無力感に襲われる。足元に大きく真っ暗な穴が開いたような感覚に陥った。
「・・・現役の頃はただ走るのが楽しくて、それを子供たちにも伝えられたらって教室を始めたんだけどなぁ・・・。」
「・・・!」
「みんな自分らしく楽しんで走ってくれるだけでいいのに・・・。みんな・・・みんな私の成績を追いかけて、 結果を出そうとして・・・。」
そんな私を横にディープさんが話し始める。
「ウマ娘それぞれに物語があるはずなのに。なのに英雄の弟子に相応しい結果を、なんて言って英雄の物語の続きを見ようとしてる。・・・そんなものないのに大人たちは期待して、それにあの子たちも応えようとして・・・。」
「・・・・。」
『先生に相応しい結果を』
ベルちゃんをはじめ、ドンナさんやブリランテさんたち門下生がよく言っていた言葉だ。彼女たちはそれを義務のように捉えて己を鍛え上げていた。今のディープさんの言葉を聞くと、てっきり教室の方針だと思っていたが違うのか・・・。いや、教室の方針はそうだがそれはディープさんが望んだものではない・・・という方が正しいか。
門下生から結果を出すウマ娘を多く輩出できればより多くの生徒獲得に繋がる。 1期生や2期生の活躍は今後の発展のために是非とも必要だったはずだ。本来走ることを楽しむことを目的としてスタートしたが、おそらく事業として運営していくうちに結果を求めるようになったのだろう。教室の経営に関しては関係者に任せている部分も大きいだろうし、世間からの注目もある。生徒たちに結果を求めるような空気が出来上がっても不思議ではない。たとえそれがディープさんの思い描いていた教室のあり方と違ったとしても・・・。
いわゆる大人の事情というやつか・・・。ディープさんも本意ではないだろうが、中々現実はうまくいかない。あの無敵の英雄も理想と現実の間でもがいているのか・・・。
「・・・今彼女のトレーナーが学園に報告に行っているけど、おそらくベルは近いうちに学園を去ることになると思う。」
「!!」
「その後どういう道に進もうともできるだけ力になってあげるつもりだけど・・・気持ちが前を向けるかどうか・・・。」
「・・・そうですよね・・・。」
走れなくなりレースから身を引いたウマ娘は一部の例外を除いて学園に留まることは出来ない。トレセン学園への入学希望者はたくさんいる。そのウマ娘たちの枠をもうレースを走らないウマ娘がつぶしてしまうのは避けるべきだ・・・。理屈は分かっている、だけどもうそこの話になるのは厳しいと感じてしまう。
「・・・何も残せなかった、なんて言って欲しくなかったなぁ・・・。」
「・・・え?」
「重賞も獲れずに引退なんて私やみんなに顔向けできないって・・・そんなのどうだっていいのに。」
「・・・ベルちゃんが、そんなことを・・・?」
「うん・ ・・。なんとか元気づけてあげたいんだけど、私だとどうしてもそんなことを意識させてしまうみたいで・・・。」
「・・・そんな訳ない。そんな訳ないですよ・・・!」
「・・・!」
「何も残せてないなんて・・・そんなはずないじゃないですか・・・!」
今までベルちゃんにどれだけ支えられてきたか・・・。トレセン学園に入学して3年、彼女がいなければここまで走ってこられなかった。ベルちゃんはまだ未熟ながらも確かな才能を秘め、完成度で先を行く周りの天才たちに追いつこうと必死に努力していた。 少し天然で危なっかしいところもあるけど、誰よりも優しくて私が勝ったときなんか私よりも喜んでくれた。私の一番の親友であり、一番近い憧れの存在。最近ではオープンのレースも勝ったし、負けちゃったけど阪神大賞典では覚悟の強さを感じさせる走りをしていた。 そんな彼女がこの3年間で何も残せなかったなんて、たとえ本人が言ったとしてもそんなことがあるはずなかった。
しかしこれは本人の気持ちの問題・・・。本人が残してきたものに気づいていないのだ。
「・・・ディープさん、ベルちゃんに会わせてもらえますか?」
「!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
流石は都内有数の大病院、 病室の中は広かった。病院らしく清潔感のある配色の中、ベッドにベルちゃんが横たわっていた。 右足には痛々しく包帯が巻かれていて吊られてはいないが、ベッドの脇には車いすが置かれている。
「ベルちゃん・・・。」
目が腫れている。それにやはりやつれてしまっていて、つい先日レース場で見せた姿とは全く別人だ。
「あ・・・」
私の姿を認め、何か言おうと口を開いた彼女を抱きしめる。
「私・・・私もう・・・走れないって・・・」
「うん・・・大丈夫、大丈夫だから・・・」
「・・・・。」
もういっぱい泣いたのだろう、彼女の顔がそれを物語っている。
「・・・ベルちゃん、次のレース見てて。」
「え?」
「ベルちゃんが学園に居るうちに走るから。中継でもなんでもいいから見て。」
「?もちろんそれは構わないけど・・・。」
「・・・約束だよ?」
「・・・う、うん。」
ベルちゃんが怪訝な顔をしている。まあそれも無理もないか・・・でも、こうするのが一番いいのだ。こうするのが・・・
「・・・じゃあ、私もう行くね。ごめんね押しかけちゃって・・・。」
「・・・ううん、そんなことないよ。」
「・・・・。」
こちらへ向けてくれる笑顔もぎこちない。
「・・・ ベルちゃん。」
「!」
「ベルちゃんはこの3年間でいろんなものを残してきたよ。・・・私がそれを見せてあげるから。」
「・・・!」
そう言い残して病室から出る。彼女は自分が残してきたものに気が付いていない。ならば気が付かせてあげればいい。彼女の残したものを見せてあげるのだ。ディープさんはウマ娘それぞれに物語があると言っていた。ベルちゃんのレースを走るウマ娘としての物語は終わろうとしている。それを何も残せなかったと思ったまま終わらせるわけにはいかない。彼女の物語の意味を示すために走る。それが私の役目であり・・・彼女に支えられて走ってきた、私の物語だ。