「機嫌がいいようにみえるなら、いい眼科を紹介しましょうか?」
目の前のベルーニの青年はあからさまに不機嫌そうに口を曲げると、言葉を続けた。
「こんなところで油を売っていたとは好都合。さあ、たまった書類を処理してもらいましょうか」
ジョルジュは、捕まえていたディーンの腕を引っ張った。一方の少年は、それにやんわりと抵抗しながら「明日じゃダメか?」と申し訳なさそうに片手を体の前に立てた。それに首を振りノーを突き付ける男。取りつく島のない状況に、見かねた子供たちの援護射撃が加わった。
「ケチ! おねぇちゃんたちはいま大事なデート中なんだからっ」
「ヨコレンボはダメなんだよ」
子供たちからの異口同音の非難に驚くベルーニの青年。彼は半眼でディーンの隣にいる女性をチラリとみた。そしてたちまち、その顔をさらにむすっとさせる。
「まかりなりません。見逃すのは絶対に
青年の剣幕に意気消沈とディーンの眉尻が下がる。そのとき、子供の一人が一人がジョルジュによじ登った。突然の強襲に、「離れなさい」とジョルジュは手を伸ばす。だが片手がゆえかなかなかうまく引きはがせない。頃合いを見て、子供が叫んだ。
「ヒトさらいだー! タスケテ―!」
とても明瞭ないい声だった。声は通りに響き渡り、そこに面したいくつかの家の窓がどうしたことかと開いていった。
「何を莫迦な!」と焦るジョルジュは、なおも子供を引きはがそうと試みる。しかして当の
その隙を逃さず、子供たちは呆気にとられていたディーンとリリィの手を引いた。
「今のうちに、早く!」
二人に大通りへの道を指し示すと、彼らは
「やっべ、追ってくるッ!?」
駆けるディーンは、後方を確認して驚いた。ベルーニの青年は少しずつ少しずつ子供たちをポンポンポンと引きはがすと、徐々にスピードを上げてきているようだ。追われるディーンもリリィの手をとると、そのギアを上げていく。彼に引かれながら少女が尋ねた。
「もしかして、今朝なにかあったのですか?」
彼女の質問に少しバツが悪そうな顔をして「実は……」と言ったところで後ろに迫って来ていたジョルジュがとびかかってきた。ディーンはすぐさま通りから分かれる小道へと曲がりこの渾身のタックルを回避する。小道にいた通行人を右へ左へ交わしながら、二人は細道の出口へ向かっていく。後ろからはさきほどよりも威圧感をました副総統が鬼の形相で再び追ってきていた。
「ディーン、まずいです!」
少女の声に、少年は正面へと向き直る。みれば小道の出口をふさぐように荷馬車が置かれているではないか。スピードを落とせば捕まってしまうだろう。どうする? ディーンは無い知恵を絞る。道端に積み重なる木箱を足場に飛び越すか? いいやダメだ。一人ならなんとかイケるだろう。でもリリィを置いていくことになる。それはなんだかダメな気がする。悩んだディーンが、わずかの後に出した答えは――。
「オレを信じてッ!」
「えっ!?」
手を引いていた彼女をぐいと引っ張ると、少年は一瞬で少女を胸に抱きかかえた。驚く彼女を尻目にディーンは地面を蹴る足に力をいれ、荷馬車に向かってさらにスピードを上げる。そして、あとわずか2,3歩で衝突というところで彼は叫んだ。
「ちょこっと――アクセスッ!」
彼のミーディアムが輝き、爆ぜた光が両腕を覆う。光はとたんに
心臓の鼓動を抑えるように胸に手を当てたリリィ。少年は彼女を地面にそっと下ろすと、再び手を引いて走り出した。
追っ手のベルーニの青年は、歯噛みしながらも荷馬車をよじ登り道へと降りたつ。彼はトゥエールビットの地図を頭に思い浮かべると、彼らとは別方向、坂の上へと駆け出した。
追っ手を再びまいた二人は、後ろを気にしつつやや足早に道を進んでいた。そして、もう安心と思われたところで徐々に歩調を緩めていく。先に口を開いたのはディーンだった。
「今日はさ、仕事で砂漠の新しい遺跡を見に来たんだ。だけど、そこでデッカいモンスターが出ちゃって。みんなを逃がすために戦ったんだけど……ちょっとミスっちゃって」
頭をかく少年。リリィは「そうだったのですか……」と心配そうに眉を下げた。青髪の少年は続ける。
「それで2
苦虫を噛んだように口を曲げる少年。リリィもどう言葉をかけるべきか悩んでいると、突如として頭上から声が響いた。
「遺跡まるごと木っ端微塵にしておいて、反省がまるでない! それから、お説教じゃなくて事後処理ですからねッ!!」
一段高くなっていた道を駆けていたベルーニの青年がこちらに向かって来るのが見えた。
「木っ端みじん……」
リリィは丸い目をパチパチ瞬かせると、頭の中で遺跡が崩壊して砂の中へと再び沈んでいく様を思い浮かべた。
「小言を言われながらだから、似たようなもんだろ!?」
「違いますって!」
言い争いながらも、ディーンは少女の手をとり再び駆け出した。並走していたジョルジュは、上段の通りから跳躍すると、彼らの目の前に着地する。
「今度は逃がしませんよ!」
目の前で待ち構えるベルーニの青年。ディーンは、手前に脇道を認めると勢いを殺さずに急旋回。ほぼ直角に曲がり、すんでのところでジョルジュを回避した。しかし――。
「ディーン、すみません。もう脚が……限界で……」
手を引くリリィが息切れしてきた。それだけではなかった。
「行き止まりッ!?」
運悪く、入った脇道は次の通りには繋がっていなかった。目線の先には水路と民家の壁があるのみ。
「飛び出せば、こちらに曲がると踏みました」
どうやら狙って追い詰められたようだ。ディーンはゆっくりと距離を縮めてくる追跡者に向き直ると両手をあわせて謝った。
「遺跡の件は、メンゴメンゴのオニメンゴ! ほんとにワザとじゃないんだって!」
「ワザとでたまりますかッ! さて、観念してみっちり始末書と反省文と、ついでにその他諸々の決済もしてもらいましょうか」
腕を組んで最後通牒を出すジョルジュ。なんだか、
「ディーン、そういうことでしたら……今日のところは……」
しかし、少年は首を振ると彼女を諭した。
「リリィ、何事も諦めちゃダメだぜ」
「そこは諦めてもいいのでは!?」
さすがにツッコミを入れる少女。こうもワンパクだと、目の前のベルーニの青年に少しばかり同情してしまう。……まぁ、そこがいいところでもあるのだけれど。などと彼女が思考を巡らせていると、目の前の少年がその顔を覗き込んできた。一瞬、心を読まれているのかとドキリとした少女であったが、当のディーンはつゆとも知らずにほほ笑んだ。
「それに、めいっぱい遊ぼうって約束したろ」
そういって少し
「そのまましっかり掴んでてくれッ!」
ディーンはすぐさま片手で腰のARMを引き抜くと、
ジョルジュは驚きながらも水路ギリギリまで駆け寄ると、呆然とした表情で対岸の屋根を見上げた。クリーム色の外壁の上に乗った赤い屋根。その上にディーンとリリィは立っていた。少し肌寒い風に、新調したディーンの白いマフラーがたなびいた。下からの視線に、リリィは慌ててワンピースのスカートをおさえる。咄嗟にジョルジュも視線を外す。彼は赤面しながらディーンを叱った。
「先ほどからぴょんぴょん、ぴょんぴょん飛び回って。ご婦人をもっと丁重に扱ったらどうなんですかッ!」
ディーンからの返事はない。あまりの正論にぐうの音もでないのかとジョルジュは思ったが、まったくの無反応を不審に思いチラリと屋根の上を覗き見た。――当の少年は、既にそこにはなかった。
握った拳をわなわなと震わせ、今日一番の大声で彼は叫んだ。
「始末書は、今日中ですからねーーーッ!!!」
その声は、空しく宙に
「なんだか、後ろのほうで叫ばれているようですが……」
よいのでしょうかと、リリィは屋根の上を歩きながらディーンの背中に訊ねた。
「まぁ、なんとなく言ってることはわかるからダイジョーブ。それよりも、下りるところを探さないとな」
先をいく少年は、割とケロっとした雰囲気であたりをキョロキョロ見回していた。少女も気持ちを切り替えてあたりを眺める。色々な色の屋根が波のように目の前に広がっていた。その海からいくつか抜きんでて高くなっている建物は、名のある商家のものであろうか。さらに遠くには時計塔が静かに時を刻んでいる。
リリィはディーンにもう一度声を掛けた。
「あの、よろしければあちらの屋根の上にいってみませんか?」
彼女が指示したのは、先ほど見かけた背の高い建物のうち最も近くにあるひとつである。青い屋根瓦が敷かれたいかにも高そうな建築だった。ディーンは彼女の提案を不思議に思いつつも、了承して歩きだす。そうして間もなくたどり着いた屋根の上。彼と彼女はそこに立つと、先ほどよりも高い視点から街を一望した。「おぉ~。街がよく見えるぜ」とディーンが言った。
「デッカいなぁ。つまり、ゴーレムみたいにかっこいい!」
町並みへの感想を彼がつぶやく。リリィはそれを聞き、ふむふむと感心したようにうなずいた。それから彼女は別の方向を指さすと少年に向けて尋ねてみる。
「ディーン、あちらはどうですか?」
「うーん、そうだな。そっちは、タラスクの甲羅みたいだから……強そうだ」
そういって親指を立てるディーン。少女は「確かに力強さを感じますね」と柔らかな笑みを浮かべながら、こう続けた。
「区画が整備されているのは新市街。有機的な構造をしているのが旧市街ですね」
そう言われてみれば、先ほど案内された礼拝堂は旧市街のほうに見て取れた。
「40年間この地を開拓してきた人間の文化と、街が完成してから60年で育まれたベルーニとの文化――この街にはふたつの種族が共に歩んできた100年の歴史が詰まっているのです」
「なるほどなぁ」とディーンは頷く。すると、隣に立っていたリリィが何かに期待するように少年の目を覗き込んできた。
「どこかに似ていませんか?」
似ている、似ているとはなんだろうか。とディーンは考える。今日は目抜き通り以外の街をみて、確かにこの光景には
「ん? ……あ。なんとなくライラベルっぽい、かも?」
彼女は満足げに頷いた。成り立ちは逆ではあるが、ベルーニが四角四面に整えた街で人間が活躍を始めた今のライラベルにどこか似た雰囲気が、ここにはあったのだ。
「両種族が交わるこの場所は、100年の歴史の上に立つ街であると同時に、きっと100年後のライラベルでもあるのです」
空を吹き抜けた風が、追い風となって彼女の髪をさらう。同時に
「リリィが言うとなんだかこう、威厳があるなっ!」
鼻の下をこすりながらディーンが言った。しかし、そのなんとはない一言でリリィはハッとした表情になると「そうかもしれませんね」と、とたんにその顔を曇らせた。その様子をいぶかしむ少年。目の前の彼女は街並みを遠く見ながらその理由を答えた。
「記憶が……戻りはじめているのです。氷の女王と呼ばれたころの記憶が……。もしかしたら、こうして
そう言い終わると、彼女はそっと目を伏せた。
「でも安心してください。そうなる前に、なんとか過去へ戻ってみせますから! 諦めない限りどうにかなるものです……よね?」
『いつかは今のアヴリルを過去に送り出すことになる』それはこの1年の間にディーンがアヴリルの救出法を模索していたときに、仲間のキャロルから言われたことだ。
「それでいいのか? だってキミはこんなに――」
「本来あるべきところに還るだけ。それだけですから」
「心配しないで」と言うように、彼女は小さくほほえむと街を望んでいた場所から一段下がった。
「今日こうして、ベルーニと人間が共に
ディーンは、何かを言いかけたものの、言葉を飲み込むと代わりに彼女の手を取った。
「じゃぁさ、次はオレがイイところに案内してやるぜ」
キョトンとした顔のリリィを引っ張って屋根の上をディーンは移動していく。色とりどりの瓦屋根を踏みしめ、家と家の間の
壁の上、人一人分ほどの狭い
「よし、いいぜ」
少年は振り返ると、両手を広げて小塔の上のリリィを促す。それほどでもない段差でも、身長があるぶん高く感じるものである。彼女はちいさく意を決すると、少年の胸へと飛び込んだ。少女を無事キャッチすると、その衝撃をたたらを踏みながら逃がしていく。一歩、二歩後退してバランスをとると、ディーンは落ちるすんでのところでなんとかバランスをとることに成功した。ホッと一安心して二人から笑みがこぼれた。しかしその時、先ほど飛び立った小鳥が一羽、少年の頭上に戻ってきた。
「へ?」
「あら!」
無情にもそれが最後の一押しとなって、二人は壁から真っ逆さまに急降下。近くの植木の枝を折りながら地面へと激突する。
「イテててて……大丈夫か?」
尻もちをついたディーンがリリィに声を掛ける。彼の上になっていた少女は「はい、おかげさまで」と返事をすると、おもむろにそこから立ち上がった。とまれ、彼らは目的地に到着した。そんな彼らに不意に女性の声がかかる。
「不法侵入……ってほどでもないけど、一般公開はまだ先よ?」
声のした方を振り返ると、そこにはメイド服に身を包んだ緑髪の女性が立っていた。
「ルシル! どうしてここに!?」
ディーンが驚き叫ぶ。
「どうして……ってここは一応、RYGS家の私有地なんだけど」
呆れたように彼女が答える。寝耳に水といった雰囲気の少年に彼女は続けて説明する。
「元々この場所はダイアナ様の
「マジか。前にたくさん花が咲いてるいい場所だなって思ってたんだ」
彼女はちいさくため息をつくと状況を理解したように「付いてきて」と二人を引き連れて庭園の中を案内し始めた。
「あれがペチュニア、こっちがゼラニウム。それからガラ・デ・レオンにベゴニアの花壇ね。こっちの一画はダリア、マーガレットにおなじみのルシエル・ブルーの三色の混植。離れた場所には、アネモネと
つらつらと花壇の詳細を教えてくれるルシルにふたりは舌を巻いた。その空気を察してか「私なんてまだまだ。でもダイアナ様は本当にお詳しかったのよ」と彼女は謙遜する。それからルシエル・ブルーが植えられた花壇を屈んで覗き込み、想い出したかのようにぽつりと言った。
「主がいなくても、花はまた次の季節も咲くのよね……」
彼女と共に花壇を覗いていたリリィが振り返ってルシルに訊ねた。
「そういえば、ルシルはまだ
「えぇ。ファリドゥーン様との婚約でなんだか周囲の扱いが変わってしまったけど、任期まではちゃんと自分の仕事に責任持ちたいの」
少しだけ苦笑いのような表情になった彼女に、リリィは頷き微笑んだ。
「そうなのですね。結婚式、楽しみにしています」
「ありがとう。そういえば、ブーケのお花はこの庭園からダイアナ様がお好きだったものをいくつかいただくつもりなの。どうかしら?」
「とても素敵です。見守ってくださると思いますよ」
リリィが嬉しそうにしていると、突然ルシルはニヤリと笑って彼女に近づき小声になる。
「
そういって、後ろでぼぅっと庭園を眺めていた少年のほうをチラリとみた。リリィは目を丸くしたものの「えぇ、もちろん」と本心から答えたのだった。少女たちの視線に気づき、ディーンが振り返る。
「ん? どうかした?」
「なんでもないわ」
「はい、なんでもありません。ただ、次の春が待ち遠しくなっただけです」
そういうとリリィは、先を歩きながら破顔する。彼女は楽しそうに手を広げてくるりと回った。服が風でふわりと開く。その姿をみていたディーンの瞳に一瞬、花が咲き乱れる春の庭園が
『春風に、花開くこと夢に見て――』
「どうかしたの?」
「なんか、さっき落ちた時にゴミがはいっちゃったみたいだ」
ディーンはそう言って袖口で目をこすっていた。
「アナタ、ちょっとおっちょこちょいなところあるわよね」
ルシルは呆れたような口調で言った。彼女は再び前に向き直ると、リリィを追うように進んでいく。
「もうちょっと周りを見たほうがいいというか。そういえば、今朝だって
そうブツブツと言いながら少し不満げに彼女は進む。
「って……えぇと、なんの話だったかしら?」
「困ったことは一人で抱え込むなってハナシ。でもなんか仲間にメーワクかけるかなって思うとさ……」
ディーンが追い付いてきて頭をかいている。ルシルは立ち止まって彼の鼻先に人差し指を向けると、むくれて言った。
「それで今朝みたいにファリドゥーン様の仕事を増していたら世話がないじゃない」
「オ、オニメンゴ……」
ルシルはため息をつくと再び足を動かした。
「案外、頼られるって嬉しいことよ」
ひとり言のようにそう言い残すと、彼女は一足先にリリィと合流して談笑を再開する。それから三人は出口へと向かう間、よもやま話に花を咲かせたのだった。
「すっかりお世話になりました」
「いいのよ、どうせお屋敷のほうに戻るころ合いだったのだから」
通りに出てリリィがあいさつを交わす。「今度は花が咲いている頃にまた来てね」と言い残すと、メイド姿の女性はお屋敷の方向へと去っていった。
「さて、次はどうする?」
ディーンが尋ねる。リリィはふむと考えてから空を見上げた。庭園ですっかり長居してしまった。まだ明るいとはいえ、じきに日も傾き始めるだろう。
「次で最後にしましょうか。場所は、もう決めてあるんです」
そうして彼女が連れてきたのは街の入り口近くの時計塔だった。時計塔と言われてはいるが、塔の下層からは絶えず水が湧き出ている噴水のような場所だ。開拓の際に山間部から引水工事を行った出口の一つがここである。砂漠の近くのこの街で、領主による都市計画成功の象徴の一つでもあった。
「
そんな歴史的な背景はさておいて、少年が俗っぽい感想を口にした。時計台前の広場から泉の水面を覗き込むと、その水底を覆うように硬貨の山があった。
「もったいないよなぁ。なんでこんなことするんだろ」
ディーンが振り返りリリィに尋ねた。彼女は「えぇとたしか本によると……」と予習していたガイド本のページを開く。しかし先に彼の質問に答えたのは別の人物だ。
「この泉で
見ればこの街の喫茶店でよくみる常連さんだった。その元・文学少女のお姉さんは、眼鏡をくいとあげると得意げに解説を始めた。
「投げ込む数によって願いも変わるのよ。1枚投げると旅路の安全を。2枚投げれば大切な人と永遠に一緒にいられる、と言われているわ」
「へぇ、じゃぁ合わせて3枚投げればいいってことか?」
そういってディーンはポケットにねじ込まれていた銀貨を3枚手にとった。それをみたお姉さんは「ところがどっこい」と釘をさす。
「3枚だと恋人や家族と別れられるって意味になるのよね」
「なんで大切な人と別れたいんだ?」
「かつて離婚が罪になったが故の願掛けとかなんとか。まぁ、詳しいことはよく知らないし、興味もない」
少年の疑問に答えつつ、最後はややぞんざいにに彼女は答えた。女性はディーンの横に立つと続けて言った。
「とにかく、ここのご利益なら穏便かつ迅速なのよ。かつてあたしが旦那とそうしたように……ねッ!」
「あっ……!?」
そういうと彼女はディーンの手にした3枚の硬貨をふんだくり、そのまま泉に投げ込んだ。激しい水しぶきをあげ、コインが三枚沈んでいく。
「そして今日は、原稿と利息の取り立てをしてくる皆様ーーーはい、さようなら」
「なにすんだよ!?」
「なにって情報料よ、情報料。お金で買える確かな知識ってやつね」
艶やかに笑う女性に納得できないディーンが反論する。
「いや、いまのって
「あらやだ、違うわよ。こんな美女の赤裸々マル秘情報(離婚経験)なら、かなりの良心価格よ?」
ぐぬぬという表情のディーンと余裕の女性。二人のやりとりがおかしくて、少年の隣で思わずリリィが噴き出してしまう。涙をにじませながら肩を揺らす彼女に毒気が抜かれ、ディーンも頭をかいて苦笑いした。
カシャリと音がしたのはその時だ。何事かと音の先をみると元・文学少女が小型のカメラをこちらに向け楽しそうにしていた。
「今度は、なんだ!?」
「取材用カメラよ。知らないの?」
「そうじゃなくて!」
「あぁ、そっちか。写真はあとで送ってあげるわ。どうもお代をもらい過ぎちゃったみたいだから」
どこか洒脱なその女性は、手を振りながらそのまま颯爽と去っていった。
「言うだけ言って逃げた気がする」
「まぁ、そういうのもよいではないですか」
そういってアヴリルは目尻の涙を拭うと、手のひらにのせた三枚のコインから二枚を取り上げ泉に投げたのだった。
夕焼けの中、トゥエールビットの東の荒野を一台の
「本当に
ハンドルを握るディーンの声が、
「はい。今日はファルガイアの光景をしっかりと見ておきたかったので」
リリィは名残惜しそうに流れていく景色を眺めていた。彼女の返答に「そっか」と相槌をして、少年は再びハンドルを握りなおす。しばらく道なりに進んだ後、なんとはなしに少年がつぶやいた。
「オレ、
少年の言葉に「どうして?」と彼女は尋ねた。
「リリィがいいヤツだからさ。記憶をなくしても、根っこの部分はきっと変わってない気がする。だから
「都合よく考えすぎかな?」と自嘲する少年に、彼女は「いいえ」と首を振った。
「希望のある
少女は自然と微笑んでいた。少し間をおいてから彼女はディーンに言った。
「少し、速度を落としていただけませんか?」
「ゴメン。チョット飛ばしすぎちゃったか」
リリィは再び「いいえ」と首を振る。そして少年の背におでこを当てるとこう言った。
「もう少しだけ、このままでいたいので」
「あぁそっか」と少年はうなずく。
「キレイだもんな、夕焼け」
少女は顔を上げて後ろを振り返る。その瞳に山脈の間に沈んでいく紅い太陽が映った。薄く広がる雲は紫色に染まり、天球のスクリーンはこちらに向かって橙から紺へ変わるグラデーションで彩られていた。
「えぇ、とても。あたたかいですね」
リリィは少年の胴に回していた腕を引き体を抱き寄せると、彼の背に耳をつけた。
そうして二人は
「今日はありがとうございました。
「あぁ、オレも楽しかったぜ。機会があったら今度はみんなで街を回ってみようぜ。リリィの――」
ディーンが別れの挨拶をしていたそのとき、汽車の出発を告げる汽笛が高らかに鳴った。少女は慌てて客車に飛び乗る。間一髪のところで扉が閉まった。ドア越しに彼女が何かを伝えてくる。おそらくは「またライラベルで」と言うことだろう。ディーンは片手を振ってそれに返事をした。それからすぐにもう一度汽笛が鳴ると、汽車は白い蒸気を吐きながらゆっくりと動きはじめた。車体がホームから離れぐんぐんと速度を上げていく。
あわただしかった駅のホームに静けさが戻ってきた。
「みんなにも、もっと知ってもらいたいもんな。キミのいいところ」
小さくなっていく列車が見えなくなるまで目で追いながら、少年はちいさく独り言ちた。
「『みんなで』ですよね……」
客車のデッキに残っていたリリィは消沈ぎみにつぶやくと、気を取り直して割り当てられた客室へと入った。そこまで広くもないが狭くもない部屋に、向い合わせで長椅子が2つ。扉を閉じてその片方へと腰掛けると、車窓を通して闇夜に落ち行く世界が見えた。景色がぐんぐんと遠ざかっていく。乗務員が扉をノックした。先程頼んでいた水を持ってきてくれたようだ。受け取り、グラスに水をそそぐとひとくち喉を潤す。
「ライバルが自分というのは困ったものですね」
彼女がグラスを窓際の小さなテーブルに置くと、ちょうど窓を閉めるようアナウンスが入った。すぐに汽車は山岳部のトンネルへと突入する。暗闇を切り取ったような窓ガラスに少女の姿が映った。
「だからこそ、諦めもつくというものでしょうか」
リリィは上着のポケットに入れていた銀貨を一枚取り出すと、それをまだ水の残るグラスの中に静かに放った。ゆらりと水の中へ沈む三枚目のコインは、すぐに水底へとたどり着き、音を立ててあっけなく倒れた。
闇の中を、ランプを灯した列車はレールに沿って着実に進んでいく。自らが願う願うまいとに関わらず。その終着点は、もう間もなく――。
【つづく】