「黒いミーディアムッ!? どうしてここに!!?」
床に落ち、上を向いたミーディアムの中心から、黒い煙が立ち上る。それは勢いを増して吹き出し、さながら漆黒の風のようである。嵐のように吹き荒れて図書館の上空、その開かれた夜空の前で風はひとつにまとまっていった。
初めて黒いミーディアムと対峙したキャロルとチャックが驚いた表情で見上げる。
「あれが、黒いミーディアム!」
「……の
黒いミーディアムから現れたモノは2人の視線の先で虚空に浮かぶ2メートルほどの黒いもやとなっていた。もやの中心に双瞼が開く。その奥には、らんらんと輝く赤い瞳が。
ディーンたちはその姿に見覚えがあった。あれこそは1年前にファルガイアを消滅させんと暗躍した存在。人間とベルーニを憎む世界の敵――。
「やはり《怨念》ッ! 黒いミーディアムには、
「ッ!!!」
リリィの言葉に皆が驚く。直後、黒い煙の塊が慟哭のような叫びをあげる。
世界が震えた。怨念は、その言葉にならない怒りをぶつけるかのように縦横無尽に暴れ始めた。
「来るぞッ!」
ディーンが叫ぶ。暴れる怨念を少年達は咄嗟に避けるが、敵の巨体がぶつかった本棚は破壊され、そこに収められていた蔵書は無残にも散らばっていく。そして、バラバラにほどけたページは力なく虚空に消え去っていった。
「アヴリルさんの残してくれた
振り返りながらキャロルが叫んだ。直後、リリィがうずくまる。彼女は苦しみに耐えるように頭を抱え、歯を食い縛っていた。それに呼応するように世界全体が軋み、揺れ始める。チャックが声を張り上げた。
「データだけの問題じゃない。早くしないと色々とマズいことになりそうだッ!」
「アタシに任せて!」
レベッカが駆け出した。彼女は流れるような所作で腰のホルスターから
狙い
「どういうこと!? 全然効いてない!」
弾丸は敵の体をすり抜けるように彼方へと飛んでいった。驚く彼女を尻目に、何事もなかったようになおも破壊の限りを尽くしていく怨念。続いてグレッグが打って出た。彼は得物をショットガンから
「む?!」とグレッグがわずかに唸る。全くといっていいほど手応えなく光の剣は敵をすり抜け空を斬った。そして次の瞬間、霞のようだった黒いもやは一転して質量を伴った実体としてグレッグの体に襲いかかった。
とっさに片腕を互いの間に挟み込み、衝撃を受ける。みしり、といびつな音がして彼の体は後ろの本棚まで弾き飛ばされた。体勢を崩した男に再び迫り来る黒い影。その時、高らかに少女の声が響いた。
「
練り上げられた魔力が怨念の周りに集まり炸裂する。それは近くの物もろともに敵を爆発に巻き込んだ。
「大丈夫ですか、グレッグ……!」
声をかけたのはリリィだ。彼女は肩で息をしながら男の安否を確認する。
「悪いな。しかし、こいつは一体……どういうことだ」
グレッグは
「怨念とはすなわち、実体の無い
「なるほどな。星の命なんてものに干渉できるミーディアムなら、効果は
「えぇ。ですが――」
その時、再び雄叫びが轟く。その咆哮に、立ち込めていた爆煙が吹き飛ばされた。
声の主である黒いもやは、ダメージを受けてその表面が綿屑のようにポロポロと剥がれ落ちていた。傍目には満身創痍のようにも見える。しかし次の瞬間、怨念の
リリィが口惜し気につぶやいた。
「――やはり、
彼女の言葉にグレッグが続けた。
「
そういうと、彼は
「いけません、グレッグさん! 博士の言葉、忘れちゃったんですか?!」
キャロルが言ったのは、記憶の遺跡に潜る前に伝えられた注意事項だ。男は、あっと思い出すと
”ミーディアムに負荷をかけるな”
いま彼らはミーディアムのほぼ
「くっ……」とグレッグは歯噛みした。しかし、そうは言うものの現状、他の手立てもない。こうしている間にも刻一刻と封印図書館の中は崩壊の一途を辿っているのだ。やはり、
「ここまでだね。脱出しよう」
号令をかけるように、そうチャックが言った。不測の事態があれば撤退せよ。これもまた
「待ってください! それではアヴリルを助けられないッ!」
「なん…で……アヴリルが……ッ?!」
彼女の必死の形相とその言葉に、ディーンは驚き聞き返す。
「ミーディアムとは【繋ぐもの】。アヴリルの想い出が残ったこの《天のミーディアム》は、言わば彼女との《絆》そのもの。次元の彼方へ消えた彼女に繋がる唯一の
話の途中で、突然、リリィは勢いよく横へ跳んだ。次の瞬間、彼女のいたその場所に、黒い巨体が突っ込んで来た。
体を
「なるほど。怨念は
彼女を狙った怨念は、攻撃を避けられ一度離れていったものの、弧を描くように上空に昇ると再び加速し体当たりを仕掛けてきた。そこへタイミングを合わせてカウンターを仕掛ける者がいた。
「
グレッグだ。風のレイエネルギーを利用した魔法は、周囲の空気を緑色の空気の刃と変えて敵を切り刻む。そして回転する気流は再び敵を上空に持ち上げていった。
「牽制くらいはこっちでもできる。……が、そう長くは持たんぞ」
リリィは頷くと、再びディーンに説明を始める。
「おそらく怨念は、
「だからって、みんなを危険に晒すワケには……。きっと……きっと、他にもアヴリルを救う手があるはずだ」
「諦めない限り……ですか? この一年、何も進展がなかったのに?」
「それは……でもッ!」
ディーンは心配そうに、目の前の少女をみた。肩で息をしているリリィの眉間には、その体調を示すようにシワが刻まれていた。彼女はその視線に気づき、少しだけ息を整えると落ち着いた声で諭すように言った。
「では、こう考えてください」
彼女は続ける。
「アヴリルを救うことは、
リリィの説得に、ディーンは険しい表情となり考え込む。しかし、その時間は長くは続かなかった。
「悪い、しくじったッ!」
離れた場所で鈍い音がしたかと思うと、グレッグが空中に吹き飛ばされながら叫んでいた。彼を押しのけた怨念は、勢いそのままに周囲の本棚をなぎ倒し、再びリリィへと突進する。
リリィは手を前に突き出すと、敵を
「くっ……!」
封印図書館の破壊が、そこへリンクした彼女に影響したようだ。リリィの表情が曇った。集中を乱された彼女は、頭を押さえるとうずくまってしまう。
ディーンは咄嗟にポケットにエスケープゲートをねじ込むと、代わりにARMを引き抜いた。怨念が迫る中、少年は
万事休すと思われた次の瞬間、バリバリバリと何かが破壊されるような乾いた音が続いた。それは勢い余った巨体が激しく床にぶつかり、並べられたパネルを壊しながら転がる音だ。白を基調とした図書館の床に、ディーンの手前からあらぬ方向へと一筋の傷跡が作られていく。
「一体、どうしたのッ!?」とレベッカが声をあげる。彼女がよくみると、少年の手には一脚の椅子が握られていた。その一部始終をみていたリリィが驚く。
「同じく
ディーンが後ろに置いた少女に目を配り尋ねた。
「アイツを倒す作戦はあるのか?」
リリィは一瞬目を丸くしたあと、口元に笑みを浮かべて言った。
「えぇ、ディーンが協力してくれるなら!」
「わかった」
少年は残心を崩すと、片手に持ったARMを繰り、アンカーフックでもうひとつ近くの椅子を手繰り寄せた。空中を飛んできた一人掛けの白い椅子を見事その左手にキャッチすると、少年は二脚の椅子を手に見栄を切る。
「なら、ここで尻尾をまいちゃ、オレのオトコがすたるってもんだぜッ!」
少年は「リリィだって
「ってワケだ、チャックもヨロシク!」
「はぁッ!? 勝算は!」
「
そういって笑うディーン。チャックは「ったくッ!」と頭を掻きながら片手にARMを構えた。その彼にキャロルが近づく。そして袖を引っ張るとこう言った。
「チャックさんはARMも
「ぐっ……痛くて痒い所を。……サポートって?」
「皆さんが戦っている間に、少しでも多くの情報を集めておきませんと」
そういって彼女は背中の鞄型ARMから
「了解。キミの
「む?」
若干怪訝な表情になったキャロルを尻目に、チャックは彼女へ邪魔が入らぬように周囲の《
一方、怨念に対しては
「指示を頼む!」
「合図をしたら、ディーンは怨念を空高く打ち上げてくださいッ!」
「あぁ、わかったッ!」
「そして、レベッカにも一つお願いが――」
リリィは彼女の怪我の治療をしていたレベッカに目を向けた。突然のことに少女は驚く。
「ア、アタシ!?」
リリィはコクリとうなずくと、その作戦を説明していった。話を聞いた少女は再び驚き、聞き返す。
「ホントに、そんなことを……!? でも、もし失敗したら――」
「残念ですが、あまり問答の時間はないようです」
不安そうなレベッカにリリィが告げた。彼女は戦うディーンの手にある
「今です、ディーンッ!」
迫る怨念に向かって意識を集中する少年。彼のミーディアムが輝きを放つ。狙うは《
タイミングはバッチリ。その一撃は相手の
「ッ!?」
ミシリとした感触がディーンの手に伝わる。相手の最大級の攻撃に、最後の椅子もついに悲鳴を上げたのだ。右手の椅子は掴んだ背もたれを残してポキリと折れる。南無三。みなが失敗を予期したその刹那。
「だとしてもォッ!!」
ディーンは咄嗟に左手を動かす。そこに握られていたのは
怨念にARMの攻撃が効いたことにリリィは驚き目を丸くした。しかし、この好機を逃すまいと彼女は気持ちを切り替え、全霊をミーディアムに傾ける。空に片手を掲げると、その周囲に青白く
「我が
その
「――
「まだです! レベッカッ!」
「お願い――《
彼女の
グレッグが驚愕するような声をもらした。
「失っていく体力を、無理やり回復させ続けているのかッ!?」
「逃がしませんよ」
リリィはアルカナを続けながら、彼女
退路を断たれた怨念に、リリィはここぞとばかりに追い打ちをかける。さらに生命力をつぎ込む量を増やし、サクリファイスの威力を上げたのだ。氷の牢獄の内部に、いっそう激しい爆発が起こった。氷の結界がわずかに軋む。怨念は、光と熱と衝撃に灼かれていく。輝きを増したその牢獄は、もはや生命を
途端、レベッカが苦しそうに声をもらした。
「ちょっ……リリィ、ダメ、追い付かない……ッ!」
彼女の生命力を削った攻撃は、確実に敵にダメージを与えているはずだ。しかし、その分、術者への負担も甚大だった。レベッカの目の前で、リリィの姿が徐々に希薄になっていく。それは生命力の喪失に連動した精神体の消滅を暗示していた。
リリィは彼女の心配をよそに、上空を見つめ続ける。その視線の先で、今までされるがままであった怨念が、反撃に転じた。それは氷の結界を力強く叩き始めたのだ。ドン、ドンと何度も続くうちにその反抗はより一層激しくなっていく。ついには厚い氷の壁に亀裂が走った。
額に汗を浮かべながらもリリィは気力を振り絞り、
「あと……少し!」
「ダメ、リリィッ!!」
レベッカが悲痛な叫びを上げる。
次の瞬間、怨念を捕えていた氷の結界は、無情にも砕け散っていた。
【つづく】