リンゴの種が芽吹く頃   作:アランスミ氏

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最後の部分をPixiv投稿時のものから製本時の展開に修正しました。@4/18


【2章3節】明日へと残した道標 後編

 リリィの決死の攻撃虚しく、氷の結界から怨念が解き放たれた。その姿は所々が灼けただれ、損壊し、まさに消滅寸前という姿ではあった。だがしかし、手負いの獣ほど恐ろしいものはない。

 怨念は自身に向けられた犠牲魔導(サクリファイス)の照準から逃れるように右へ左へと軌道を変えながら、その術者であるリリィへと突進を開始する。リリィは攻撃の手を緩めることはなかったが、照準から発動までの遅延時間(タイムラグ)を怨念の加速がわずかに上回っていた。徐々に爆撃の範囲に敵を捉えられなくなっていく。

 怨念は障害物があり、より有利な図書館の床面(フロア)すれすれに移動すると、這うような動きでさらにリリィへと迫った。その姿は黒く大きな地竜(トカゲ)のようで、実際、どう進化したのか怨念は新たに手に入れた大きな口を開けて丸呑みにせんと威嚇する。

 リリィは覚悟を決め、自身の回復を続けるレベッカに告げた。

 

「いまを逃せば勝機はありません。刺し違えても、(わたくし)が! ですがレベッカは――」

 

 しかし、彼女はすぐさま否定する。

 

冗談(ジョーダン)! リリィが諦めないなら、アタシだって。ううん、アタシたち(・・)だって諦めない。そうでしょッ!!」

 

 そういって彼女は叫ぶ。すると、どこからともなく少年の声が応えた。

 

「当たり前さァッ!!」

 

 リリィはハッとして声のしたほうへ目線を動かす。それは怨念の頭上。ビルのように背の高い本棚に囲まれて青髪の少年の姿があった。彼はアンカーフックを近くの書架から外すと、もう片方のアンカーのワイヤーを巻き取り加速していく。彼は空中を高速移動しながら、銃撃形態(シューティングモード)のARMを怨念に向けた。トリガーと同時に銃身(バレル)が回転し、弾が乱射される。無数の弾丸の雨が魔法から逃れていた怨念の体に突き刺さる。敵の勢いがわずかに緩んだ。

 その隙を逃さず、少年は得物を斬撃形態(スラッシュモード)へ切り替える。銃把(グリップ)から現れた鋼色の刃に、青白いエネルギーの光が灯った。少年は体をひねって力を溜めると、それを射程に入った怨念の顎門(あぎと)に叩きつけた。

 激しい衝撃を受けた怨念は、軌道をガクンと変えそのまま床に激突する。敵はすぐにディーンへ噛みつこうと反撃を試みたが、彼は攻撃の反動を利用し既に大きく距離を取っていた。少年は空中で上体を捻ると、掌を怨念へと向けた。

 

「そこで待ってな、《封壁八陣(シャットアウト)》ッ!」

 

 光の壁に取り囲まれて身動きの取れなくなった怨念に、リリィの魔法(サクリファイス)が追い付き、炸裂した。声にならない叫びを上げる怨念。

 ディーンは空中を弧を描きながら落下すると、リリィとレベッカの目の前にひらりと着地する。ARMの構えを崩さずに、後ろの二人に声をかけた。

 

「最後にイッパツ、でかいの頼むぜ!」

 

 その声と共に、リリィの体に湧き上がる力。見ればディーンが後ろ手に付き出した掌から生命の輝きがあふれでていた。それは《山のミーディアム》による《完全回復(クリティカルヒール)》だった。《(いのち)》と《(まもり)》2つのミーディアムによる相乗効果で、リリィの体力がみるみるうちに回復する。

 持ち直したリリィは、さらに術式にありったけの魔力と溢れんばかりの生命力を注ぎ込んだ。彼女から放たれたエネルギーの奔流が、怨念の元へと収束し臨界に達する。先ほどとは比べ物にならぬほどの超大規模な爆発が起き、その衝撃はシャットアウトの障壁諸共に敵を破壊し尽くした。

 爆風は留まるところを知らず、ディーン達にも襲いかかった。慌てて防御の姿勢を取る少年たち。しかし、彼らに衝撃があたる直前、本棚から無数の本が飛び出すと、それらはディーン達の前に分厚い壁を形作った。

 

 ディーンたちが恐る恐る目を開けると、目の前にはバラバラと崩れ落ちる本たちの姿があった。先ほどまで怨念のいた虚空は、空間が歪み陽炎のように揺らめいていた。

 リリィはふぅ、と額の汗をぬぐった。何とか最悪の事態は避けられたようだ。しかし、とリリィは思った。やはりこの戦いは仮想空間に負荷をかけ過ぎた。彼女があたりを見回すと、図書館内はところどころ壁や柱、本棚と言った構成物(オブジェクト)がボロボロと崩れ始めていた。

 そして、彼女は視線をディーンのARMに移した。さきほどの一戦。通常のARMとは異なる挙動を示したそのARMに彼女は何か引っかかるものを感じていた。

 リリィはアヴリル謹製のツインフェンリルを見ながら、一冊の本を喚び出した。それは日記の類というよりも、何か研究資料のようなバインダーである。みなが集まったところで、彼女は言った。

 

「ディーン、あなたはARMについて知る必要があるかもしれません」

 

 リリィの言葉とともに、三度光に包まれて、彼らが訪れたのは洞窟のような場所だった。足元には貨車用のレールが敷かれ、傍らには採掘道具。状況を見るに鉱山の一角といったところだろうか。リリィが口を開く。

 

「この場所は、鉱山の一角です」

「もしかして、ゴーレムとか採掘(ほれ)ちゃったり!?」

 

 いつになく目を輝かせながらディーンが尋ねた。突然のことに、リリィは少し困ったように慌てて返す。

 

「あぅぅ……先史文明期の鉱山なので……」

 

 その言葉に露骨にがっかりと肩を落とす少年。先史文明期が崩壊してゴーレムも埋まり地下資源へ……となったのだから、先史文明の記憶なら埋まってないのが道理であった。気を取り直して、リリィは続ける。

 

「ゴーレムやARMは出てきませんが、別の貴重なものが採れるんですよ」

 

 ほら、この通りと彼女は言って岩壁を指さした。すると岩壁は、まるで何度かツルハシを打ちつけたかのように亀裂が走り、すぐに一部が崩れた。崩れた壁の奥から何やら青い鉱石が顔を覗かせていた。「あ、これ……」とキャロルが声を漏らした。リリィはその反応を認めると、みなに説明した。

 

「これはARMのコア材料。特殊な環境で生まれる霊脈鉱物(レイライト)のひとつ、《感応石(かんのうせき)》と呼ばれるものです」

「へぇ、初めてみたけど綺麗ね」とレベッカが言った。

「そうかもしれませんね。現代では、ARMに使える純度のものは採掘できませんから。……ところで、みなさんはARMの正式名称をご存知ですか?」

 

 そう言ってリリィは皆の顔を眺めた。

 

「あぁ、知ってるぜ。《|思いあがりの腐った威厳《Assumptive Rotten Majesty》》……だろ?」

「それは人間側の俗称さ。たしか公式には《|偉人が残した栄華の墓場《Ancestor’s Renowned Mausoleum》》と呼んでいたはずだよ」

「いえ、元々先史文明期では《|未来を切り開く正義の鉄槌《Aspirant’s Rightful Mercilessness》》という意味を表していたのです、はい」

 

 彼女の問いかけにグレッグたちが口々にいった。しかし、リリィはそれに首を振るとこう明かす。

 

「どれも正解です。そしてある意味で間違いでもあるのです」

 

 意外な答えに目を丸くするグレッグとチャック。キャロルは少し悲しそうに口を開いた。

 

「わたし、知識なら負けない自信があったのですけど。うぅ……」

「仕方ありません。ARMの開発コード(ほんとうのなまえ)は先史文明期でも知る者はごくわずかですから」

 

 リリィは少女をなぐさめるようにそう言うと、そのまま話を続けた。

 

「元々ARMとは、感応石により人と人とをつなげるための技術の名称でした。本来は《感情共鳴媒体(Affective Resonance Medium)》を表すものです。しかし、後の兵器転用により、開発者の願いと共にその名は歴史に埋もれてしまったのです」

 

 彼女の説明にディーン達は驚き、感心する。その中で、レベッカがポツリと感想を漏らした。

 

「共鳴とか媒体とか……なんかARMってミーディアムと似てるのね」

「似ている、というよりそもそも同じなんです。ARMもミーディアムも、基本動作は何かに繋ぐこと。その相手が機械構造(メカニクス)惑星構造(ファルガイア)かの違いでしかありません。ARMの基礎理論をアヴリルはオリジナルミーディアムの開発に利用したのです」

「同じ……ってことはもしかして、それって、アタシのARMでも頑張れば具現化(マテリアライズ)ができたりしちゃうってこと!?」

 

 そういって彼女は自身の愛銃をまじまじと見た。リリィは首を横に振ると、少し愛おしそうに笑った。

 

「いいえ、レベッカ。似てはいますがARMとミーディアムには性能(スペック)に差があります。コア材料の違いと言ってもいいでしょう。ただの感応石にミーディアムほどの力はないのです」

 そう彼女はいいながら「それでも……」と付け加えた。

「使いこなせれば魔術くらいは使えるかもしれませんね。たとえばベルーニはその強い精神力でARMと深く同調し、素材となった魔獣や鉱物の力を物理魔導(インダストリアルソーサー)として引き出していますから」

「あぁ、そっか。そういうところに影響してたんだ」

「それにベルーニほどではありませんが、人間でも似た様なことはありますよ? ARMと相性がよかったり熟達するとARMの特性として強力な効果(チカラ)が得られることもよくあることです。レベッカもそうですよね?」

 

 リリィに話を振られたレベッカは慌てて答えた。

 

「えっ! そ、そうなの!?……アタシ、そんなこと考えずに感覚で使ってた……」

 

 パタパタと顔を扇ぎながら苦笑いするレベッカ。そして男性陣も「右に同じく」と言わんばっかりの反応だった。アヴリルとキャロルは既視感(デジャヴ)を感じて苦笑した。

 さて、とリリィは気を取り直し本題に入る。

 

「だからこそ、先ほどのツインフェンリルの働きは奇妙なのです。ディーン、ARMを少し貸していただけますか?」

 

 その言葉に応じて少年はARMを片方リリィに渡した。彼女はそれを鍵としてさらなるアヴリルの記憶を再生する。

 

 気付けは一行は、再び実験室のような場所に立っていた。目の前には大きなテーブル。その金属でできた実験台には、両手でギリギリ持ち上げられるかどうかといったほどの大きく透き通った青色の結晶が鎮座していた。それはまるで淡碧玉(ブルーサファイア)藍玉(アクアマリン)の原石のようである。

「やはり……」とリリィは確信したように声を出した。

 

「これがツインフェンリルのコア材料。そして驚くべきことに、オリジナルミーディアムのコアに使われた素材と全く同じもののようです」

「さすが先史文明期ですね。これほどの高品質な感応素材が手に入るなんて……」

 

 キャロルが興味深げに原石をまじまじとみた。それにリリィは(かぶり)を振る。

 

「いいえ。先史文明期でも、この(・・)霊脈結晶(レイクリスタル)は貴重なものでした……」

 

 どこか悲しそうな表情で彼女は言った。みながどうしたことかと心配するなか、唐突に疑問がぶつけられた。

 

「で、この状況でわざわざディーンのARMを調べた狙いはなんだい? すごくいいものだってことはわかったけど」

 

 チャックだった。彼は顎に手を当てその真意を考えていた。少女はわずかな感傷を拭い、顔を引き締めるとその質問に答えた。

 

「アヴリルがただの酔狂でディーンのARMに貴重な素材を使ったのか。それを(わたくし)は考えていました。先ほど、ディーンのARMが怨念に対して有効打を与えられたことを(わたくし)は驚きました。しかし、よくよく考えれば既にそのようなARMの存在を見知っていたことを想い出したのです」

「ARM? 一体なんの話だい?」

「それは一年前。TFシステムの暴走の折に現れた怨念を屠った一振りのARMでした」

「TFシステム……!? って、まさか、グラムザンバーかッ!」

「そうです。かの《魔槍》もまた、精神体への干渉を可能としていました。怨念の宿るミーディアムが現れ、時を同じくしてグラムザンバーが盗み出されたという点は、なんだか(わたくし)には関連があるように思われてなりません。そしてこのツインフェンリル――アヴリルにもし先見の明があるのであれば、これはその何か(・・)に対抗するための安全装置(フェイルセーフ)に思えて仕方がありません」

「なるほどね。キミの考えはわかったよ。この件は引き続きこっちでも調査しよう。魔槍(アレ)を奪われた責任の一端はボクにもあるからね」

 

 彼女は頷くと、記憶の再生を終えた。直ぐに景色が図書館に戻る。リリィはふぅと大きく息をついた。その額に玉のような汗が光った。その横顔を心配そうにレベッカが見つめた。

 彼女の疲労に呼応してか、その逆か。先ほどまでよりも、領域全体の揺れが激しくなってきたことを全員が感じていた。タイムリミットは近いようだ。皆の頭に「脱出」の二文字がよぎった。

 

「ここまで、かな? ディーン」

「あぁ、わかった」

 

 再びのアイコンタクトを交わすふたり。そこへ異を唱えるようにキャロルが口をはさんだ。「あ、あのっ!」と周りの顔色をうかがいながら彼女はリリィへおずおずとお願いする。

 

「最後にもうひとつだけ。想い出を……アヴリルさんのループの最初(・・)の想い出をみつけられませんか……ッ?!」

 

 ディーンやチャックたちが怪訝に思う中、リリィは真剣にその真意を量っていた。そしてキャロルに訊ねた。

 

「なるほど。鳩の巣原理……ですか」

「そ、そうです。アヴリルさんが時間論理矛盾(タイムパラドックス)を気にしていたからには、彼女のループには平行世界仮説が成り立つはずです」

 

 首をひねるグレッグたちにもわかるようにキャロルは持っていた手帳に図を描いていく。アミダクジのように並行に線を引く。その一部をそれぞれジグザグの線で繋いでいった。

 

「この縦線がそれぞれの平行世界。そしてジグザグがアヴリルさんの意識の流れです。もし意識の交換が、1対1対応であるならば、たとえ万回ループしようとも、その最後は最初(はじまり)のループに戻ってくるか、そのまま最後(みらい)に繋がるかの二択です。それは、この世界ではないかもしれませんが――ですが、いずれにせよループの始まりの記憶は、彼女の旅を終わらせる大きな手掛かりになるはずなんです。ですから――」

 

 キャロルは熱弁を終えると、傍らにいる青髪の少年をチラリとみた。

 リリィはその気持ちは察しつつ、冷静に図書館全体を見渡した。既に多くの書架がぼろぼろと崩れ始めていた。そこに収められている無尽蔵のように見える本たち。そこからたった一冊をみつけるのは、砂漠で一粒の砂金をみつけるようなものに感じられた。

 ですが…と彼女の口から小さくこぼれる。リリィもまた、ディーンを見つめる。

 

「……時間に限りはありますが、試してみましょう」

 

 そうしてリリィは先ほどと同じように手を前に出して(きおく)を調べ始めた。

 すると直後、大きな地鳴りがした。封印図書館全体の床がゆれ、否、波のようにそれがうねりだした。当然、床の上の本棚は本格的に崩壊し、その中から無数の本があふれ出す。それらは洪水の濁流ように、はたまた嵐の疾風(はやて)のように彼らの周りを吹き荒れた。チャックが叫んだ。

 

「本格的にマズそうだぞ!」

 

 ディーンは急いでポケットから帰還の輝石(エスケープゲート)を取り出すと、まだ地面が安定している場所へ向かってそれを投げつける。床に当たったところで輝石が起動し、石と同じ緑色の(ゲート)が現れた。

 

「リリィ、脱出だッ!」

 

 ディーンが声をかけた、その時だ。

 

「見つけた!」

 

 彼女はそういうと洪水のような本の中へと手を伸ばし、そこから一冊の本を取り出した。彼女は、その本をみて驚愕する。

 

「凍って……いえこれは、封印されている……ッ?!」

 

 みなが彼女を振り返り、手にした本に注意を注いだ。その本の全体を青白く厚い氷が覆っていた。とても中は読めそうにない。

 

「ねぇ。これ……なにかしら」

 

 レベッカが本の上端を指差した。そこに栞のように何かが挟まっている。それだけは、うまくすれば引き抜けそうであった。

 ズキリと頭の奥にリリィは痛みを感じた。彼女はわずかに不安を覚えながらも、恐る恐るそれを引き抜く。予想以上にすんなり取れたそれは、一葉の写真だった。

 先史文明期の立体写真(ホログラムシート)から、幾人かのヒトの姿が映写(うつしだ)された。所々不鮮明(おぼろげ)で欠落がある映像だ。それでも、何かのお祝いをしている幸せそうな記念写真のようであることがみてとれた。並んで映るヒトのうち、中心に近い所に幼いころのリリィが笑顔で映っている。彼女の隣には、さらにそれよりも幾分か小さな子供が映っていた。顔はぼやけていて判別できないが、服装から男の子のようだった。

 

「こ、これって……」

 

 リリィと共に近くで写真を覗き込んでいたレベッカが、驚いたようにその男の子の胸元を指さす。そこに金色に輝く何かがあった。ネックレスのように鎖を通され首にかけられた機械片。それは、彼女たちにも見覚えがあるものだ。

 リリィが驚愕の声を上げる。

 

「どうして、《神への誓願(テウルギア)》がッ!?」

 

 写真(ホログラム)の中に【金色のタングラム】が存在していた。それを認めた瞬間、途端に激しい頭痛がリリィを(さいな)んだ。彼女は頭を抱えてうずくまる。頭の中に(なつか)しい母の声が響いた。

 

『世界のために、どうか正しい判断を――』

 

 その言葉に、彼女は何か大事なことを想い出しかける。しかし、それに気を取られて彼女は持っていた本を落としてしまった。「あっ――」と思った時には既に遅く、本はするりと手を逃れそのまま床へ落下した。するとどうしたことか、当たった場所の床から氷がどんどん広がっていく。あっという間に一面が氷の世界に変わってしまった。先ほどまで明るかった世界は翳り、あたりは不穏な空気に包まれる。間もなく吹雪が吹き荒れ始めた。

 さきほどまで飛び交っていた本たちは、空間ごと凍り付いてしまったかのようにピタりとその動きを止めていた。しばらくそうしていた本も、吹雪に煽られて再び散らばると壁に床にとぶつかって砕け散っていく。床がひび割れ、そこかしこから崩れ落ちていった。壊れた床の先には何もない(・・・・)空間が広がっている。黒く、深いその空間へ、床も本棚も、頭上の(そら)さえもが崩れて落ちていく。

 本が雨あられのようにディーン達の側を通り過ぎる。乱雑に開かれた本から様々な光景が無作為に広がっていった。それはまるで熱に浮かされた悪夢のようにディーン達にアヴリルの記憶を見せていく。

 リンゴ酒の大きな樽が表れたと思えば、それはすぐに巨大なゴーレムに変わり、情報局(ライラベル)のスタジオセットが表れたと思ったら、空中を機械の箱が飛びかう見たこともない街並みへと変わる。そこにいる人々も、次の瞬間には異形の姿(モンスター)に変わっていった。

 リリィが不安げにつぶやいた。

 

「想い出が混濁している……」

 

 そうして本たちは役目を終えたかのように、次々と暗黒の中へと力なく吸い込まれていくのだった。

 

「こっちだ! みんな、急げ!」

 

 一番に到着したチャックが腕を大きく振りゲートの前でみんなを誘導する。ディーンは殿(しんがり)を務め、みんなをゲートへと急がせていた。歩みが遅れていたのはリリィだ。具合の悪そうな彼女の手を引き、崩壊する床を避けるように少年もゲートへと向かっていった。

 そのとき、ディーンの耳に声が聞こえた。

 

『…ィーン……』

 

 途端、彼の足が止まった。驚きから、先ほどまで少女を引く手も不意に外れる。

 突然の彼の行動に(いぶか)しむリリィ。彼女を余所に、少年はひとり来た道を振り返ると、何かを探すように頭上を見上げる。その口から、嘆きのような祈りのような言葉が零れた。

 

「アヴ……リル……」

 

 ディーンのつぶやきにリリィも空を見上げる。彼らの視線の先。崩壊する本棚に囲まれた空間。そこに、銀髪の少女がいた。

 その少女は重力を感じさないふわりとした動きで、頭からゆっくりと落下していた。リリィとは異なる存在としての銀髪の少女。波乱の状況の中、そのどこか神々しい姿にリリィ自身も目を奪われた。

 

 うっすらと開かれた空色の瞳が、真っすぐに少年を見つめる。その薄い唇が、わずかに動いた気がした。

 

 ディーン達が見惚れていたのも束の間、すぐにその姿は光と消えてしまった。しかし、同じ場所になにやら煌めくものが残っていた。それは、落下する一通の手紙だった。少年にはそれに見覚えがあった。それは一年前に離別の地(TFシステム)で、彼が受け取ったアヴリルの手紙にそっくりだった。

 

「アヴリルが呼んでる……」

 

 熱に浮かされるように無意識に右手を伸ばすディーン。しかし、彼の左腕を誰かが掴んだ。驚いて振り返る。

 

「ダメ、ディーンッ! 行っちゃダメッ!」

 

 彼を止めたのはレベッカであった。心配そうに少年を見つめる少女。ディーンは彼女にぎこちなく微笑むと、どこか自分に言い聞かせるように答えた。

 

「そう、だよな。そんなことアヴリルは――」

 

『望んでない』とレベッカは言った。今ではない。一年前に彼に向かって。大切な人を失いたくなくて、その人が本当にやりたかったことを諦めさせた。

 その苦い記憶(おもいで)が少女の心にフラッシュバックする。いまだにあのときの自分の選択が正しかったのかわからない。誰かの心を代弁するなど、端から烏滸(おこ)がましかったのかもしれない。

 目の前の少年の、無理した笑顔が少女の心を再び苛んだ。

 

「ア、アタシは……」

 

 レベッカは思わず後退り、掴んだその手を離した。離してしまった。

 そのとき運悪く、ディーンの足元の床に亀裂が入り大きく床が崩れ落ちる。

 

「ディーンッ!!」

「ダメです、レベッカッ!!」

 

 崖から身を乗り出さんとする赤毛の少女をリリィが止めた。しかし彼女自身、いまにも飛び出したい気持ちではある。床が崩れたことで、何もない空間が足元に広がっていた。

当のディーンは、崩落から飛びのくとアンカーフックを使って近くの本棚にぶら下がっていた。しかしいまだ残っていたその本棚も、すぐに脆く崩れ去る。少年はすぐさま次の棚や柱に取りついて、落下の危機を乗り越えていく。彼はそうして書架の間を飛び交いながらレベッカ達の元へ戻ろうとした。だが、ことごとく足場の棚が崩れ、進路を本が舞い、彼の帰路を邪魔していく。まるで彼をこの崩壊の中へ閉じ込めようとするように。

 リリィは見守るしかないその状況に歯噛みする。彼女は悩み小さくつぶやいた。

 

「世界のために、正しい選択を――」

「……リリィ?」

 

 レベッカは怪訝そうに彼女を見た。

 そしてすぐにその時は訪れる。彼女たちの目の前で、ビルのように巨大な本棚が大きく崩れ、それが津波のようにディーンに襲い掛かったのだ。覆い被さるような瓦礫の群れに、もはや少年にはどこにも逃げ場がなかった。

 リリィは決意すると、ミーディアムを掴み精神(こころ)を繋ぐ。危険を承知で具現化(マテリアライズ)を断行する。

 

「空を駆け、暗雲払え《天の守(ソラス・エ)――」

「待って、リリィ! あれをッ!」

 

 レベッカの指差す先で、ディーンはまだ諦めていなかった。彼はポーチから風の魔宝石(ジェム)を取り出すと、《効果拡張(ミスティック)》でその効果範囲を拡大する。少年の手元から暴風が噴き出した。そして、反動で彼の体が急加速する。彼が目指したのは無数の本が散らばり落ちるだけの何もない場所だった。しかし、少年のその行動には何か目的があるように思われた。

 リリィとレベッカは、彼が何かを目指しているのかその視線の先を注意深くみた。

 そしてすぐにそれ(・・)に気が付いた。その場所には一通の封筒があったのだ。それは先ほど落下していたアヴリルの手紙である。巨大な本棚が倒れ込む直前、ディーンがその封筒に触れた。するとひとりでに封が解け、中から文字の粒子が光と共にあふれだした。

 次の瞬間、少年は光と共に消え去ってしまった。少女たちの視線を遮るように無数の本と瓦礫が雪崩のように奈落へと落ちていった。

 

「ディーンッ!!!」

「そんな! 単身で想い出の中へッ!?」

「マズいのッ!?」

 

 訊ねたレベッカにリリィは答えなかった。いや、答えを持ち合わせていなかった。

彼女はレベッカに言った。

 

「ひとまずここはもう危険です。ディーンのことは(わたくし)が必ず」

 

 リリィは彼女を説得して出口(ゲート)へと向かわせる。

 現実への扉が閉まる前、レベッカはいま一度、不安げな顔でリリィを見つめた。少女はその顔に『大丈夫』と言うように力強く頷き返す。

 ゲートが無事消えたのを確認すると、リリィは意を決したように振り返る。

 その眼前に、黒々とした闇が広がっていた。

 

 

【つづく】

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