首魁の男・ノッシュにアヴリルを奪われたディーンであったが、彼女を守るという決意を胸に辛くも敵に勝利し少女を救出する。そこへバーソロミューを含めてレベッカとグレッグも駆けつけた。
5人が安心したのもつかの間、レベッカがなにものかに通信妨害を受けていることに気がついた。一方でアヴリルは、すべての元凶たる≪黒いミーディアム≫の行方がいまだわからないことに不安を感じていた。黒いミーディアムという言葉にグレッグが以前かかわった事件を思い出したとき、事態は急変する。大きな地鳴りが起きると、彼らのミーディアムが怯えるように”震えて”いたのだ。ディーンは一人先行しその反応に向けて駆け出した。
時は、ディーンたちが合流した時点よりほんの少しだけ遡る。
青い外套に身を包んだ男がひとり、孤児院の中を足早に駆けていた。男の名はスタンブリン。ベルーニの武器商人である。ベルーニながら人間のテロ組織への支援を行っていたが、それも私欲があってこそ。端から大義など毛ほどもなかった。武装蜂起前に政府が絡んできた段階で彼はこの組織に見切りをつけたのだ。
「おい、何をしている!」
スタンブリンが自身の痕跡を消すために施設中を駆け回っていると、後ろから男の声がかかった。様子からすると組織の若い衆だろう。彼はすかさず振り返ると懐から出した拳銃で鰾膠もなく男を撃った。そうして後方が静かになったことを確認すると、すぐに作業に戻ったのだった。この部屋だけではない、自分へつながりそうなものは今のうちに処分しなければならないのだ。地上で大立ち回りを演じている元ジョニーアップルシードを避けながら、彼は手掛かりになりそうなものをなんとかかき集め処理をしていく。そして、この場ではどうにもならないものを革のトランクに詰めるとようやっと逃走を開始した。
非合法なARMの支給から異端技術の提供まで微に入り細に入りそれなりに支援したが、それもおおかた無駄になるかもしれない。回収できたわずかばかりの利益と差し引きで損失はいかほどか。そんなことを勘案しながらスタンブリンは「まぁいいか」と考えをまとめる。
「これさえあれば、またいくらでもやり直せるわ」
そうつぶやくと彼は懐を覗き、そこに忍ばせた自身の黒く輝くミーディアムを大事そうに撫でた。あと少しで裏庭にでる。隠してある逃走用の車に乗り込めばひとまずは安心だ。そんな彼にまたも唐突に声がかけられた。今度は女の声だった。
「うまくいけばと泳がせていましたが、不運にも手を出した相手が悪かったですね」
「――誰だ!?」
ベルーニの男は咄嗟に銃を構えた。見れば目指す裏庭への出口に女がひとり立っていた。恰好から元中立派の研究者と思われたが、その独特な黒いローブと口元のヴェールからは異質な雰囲気も感じられた。彼女が何者かやや気にはなったが、仔細には構わず男はその引き金を無慈悲に引いた。しかしどうしたことか彼のARMはなんの反応も示さずに沈黙を貫く。それを見て、目の前の女がかすかに笑った……様な気がした。それでも彼は武器商人。懐から別の銃を取り出すと、再度その銃口を向け銃爪を引いた。カチンという金属のぶつかる音だけが静寂な部屋にむなしく響き渡る。そこで女が口を開いた。
「あら、ARMの不具合ですか? 武器商人ともあろうものが手落ちですね」
クスクスと笑う目の前の女が何か細工をしたのはもはや明白だった。加えて組織にも隠していた自分の正体を知っていることに薄気味悪さを男は感じた。だが、彼は冷静さを保つと次善の策に打って出る。スタンブリンは己がARMを封じて優位に立ったつもりの女を御すため彼女に走りより、その勢いのまま女の服を掴み取る。そしてベルーニ由来のフィジカルを利用して、腕の力で一気にその体を地面に叩きつけた。叩きつけた……ハズだった。しかし次の瞬間、天井を見ていたのは彼のほうだった。背中を強打した痛みが、ようやく遅れて頭に届く。そんな男の視界を女の顔が覗きこんだ。
「相手が女であれば勝てるとお思いでしたか?」
そう言って笑う彼女の口元で、その素顔を隠していたヴェールがハラリとはずれた。先ほどのどさくさで指か何かが引っ掛かったのだろう。その外れたヴェールの向こうから、フードに隠されていた銀髪がひとすじ零れた。
「その顔……オマエ……なぜここに……?」
女はその問いかけには答えず、眉を上げ少しだけ驚いた表情を見せるのみ。そして流麗な動きでその銀糸とヴェールを元に戻すと妖しげに笑った。
「見られてしまいましたか……それでは頑張ったあなたに一つご褒美を」
女はそういって男の近くに膝まづくと彼の服の上から何かをコツりとつついた。それは男のミーディアムであった。目深にかぶったフードから覗くその氷のような冷たい瞳に、スタンブリンは思わず背筋が粟だった。
「このミーディアム本来の力、開放して差し上げましょう」
すると次の瞬間、男のミーディアムから黒い光があふれ出す。加速度的に強さを増したそれは大地と大気を同時に鳴動させた。しかしそれも束の間。一瞬だけ臨界に達した黒い光はミーディアムへと収束し、それを包む黒いモヤへと変化した。驚愕の表情でスタンブリンは尋ねた。
「一体……何を……」
「あなたのようなヒトにピッタリの憎悪の力。伝承の魔王のように存分に振るってくださいね」
「魔王の力……?」
「使えばミーディアムが教えてくれるでしょう」
そういって女は目を細めて笑った。しかしすぐに彼女は何かに気づいたように笑顔を消すと、男から目線を外し建物の中へと視線を向けた。男もそれにならい元来た道を注視する。その視線の先から駆ける足音が聞こえてきた。
「どうやら役者も揃ったようです。魔王が倒されるだけのつまらない脚本にはしないでくださいね」
そういうと彼女はゆったりとした足取りで裏口から姿を消した。そしてそれと入れ替わりに現れたのは青髪の少年、ディーンであった。彼は入れ違いになった人物の後ろ姿に気づくと、困惑するようにつぶやいた。
「アトラ……?」
しかし彼の思考を遮るように、目の前に青い外套をまとった男が立ちはだかる。ディーンは男に問いかけた。
「彼女はオマエたちの仲間なのか?」
「さてな。少なくともアンタの味方ではないようだ」
そんなバカな、とディーンは手を振り払い否定する。彼女のおかげで仲間を救うことができたのだ。少年は男の言葉を鵜呑みにすることはできなかった。しかし、男はしたり顔で懐から何かを取り出すとそれをディーンに見せつける。男が持ったソレに、少年は目を見張った。
「黒いミーディアムッ!」
「アンタの味方がワシにこんな力をくれるものかね」
男はミーディアムに意識を集中する。そのミーディアムが輝くと男の掌にどこからともなく水があつまっていく。それはすぐに20センチほどの球体を形作った。男はなるほどといった表情でその透明な球体を眺めていたが、続けて無造作に手を振り払う。すると水の球は投げつけられたかのようにディーンめがけて飛んできた。
初めて見る攻撃ではあったが、ディーンは落ち着いてそれを回避する。しかし水塊は彼を通り越すと、急激にその方向を変え再び彼に襲い掛かる。そして不意をうったディーンの頭部にまとわりついたのだった。薄い水の膜によって顔を覆われ、呼吸を止められたディーン。剥がそうにも相手は液体。もがく少年の指先はことごとくその水面をすり抜けてしまうのだった。
「ヒトを殺すに刃物はいらぬ、ほんの少しの水でいい」
歌うようにそういって男は口角を歪に吊り上げた。その目の前で苦しそうにもがくディーン。彼は倒れるようにうずくまりながらも腰からツインフェンリルを引き抜いた。そして自らの頭部に銃口を突き付け、躊躇いなくその銃爪を引く。放たれたのは氷結弾。極低温の光線は彼の頭部に絡んだ水を一瞬で凍らせた。ディーンはすかさず銃把で薄氷をたたき割ると、肺に大きく酸素を取り込む。
「なるほど、この程度でコントロールを失うか」
検分するように男がつぶやく。
「今のは魔法……なのかッ!?」
ディーンは戸惑いながらも息を整えた。そして氷の粒をはらうように首を振ると手のひらを前に突き出し、言い聞かせるように男に言った。
「待ってくれ、オレたちが戦う必要なんてないんだ。ファルガイアの問題はオレがなんとかしてみせる、だからこれ以上は――」
少年の言葉に、男は不快そうに顔を歪めた。
「なんとかされては困るんだよ」
「どういうことだ?」
不可解な男の言動に、当然ディーンは疑問を浮かべた。そこへバーソロミューとグレッグが遅れて到着する。彼らは拘束した解放戦線の首領ふたりを連れてきていた。ディーンはこの場にアヴリルが現れなかったことを確認すると、少しだけ胸をなでおろし表情を緩めた。それから再び気を引き締めると黒いミーディアムを持つ男に向き直る。その隣でグレッグが怪訝そうに男に尋ねた。
「てめぇ、まさかベル―二か?」
「ベル―二!? そんな、どうして?」
予想外のグレッグの質問にディーンは驚いた。それも当然だ。ベルーニを滅ぼそうとしていた人間の組織にベルーニ自身が与するなど考えられなかったからだ。しかし、当の本人は小さく首肯すると、こともなげにこう言い放った。
「憎かったからさ、人間が。ワシらの特権を奪っていった人間どもが!」
彼は徐々に口調を強めながらそう言った。男の感情に反応するかのように彼のミーディアムから黒いオーラがあふれ始めた。続けて男は語って聞かせる。
「ベルーニへの武装蜂起など十中八九失敗すると踏んでいたのさ。そうして愚かな人間どもが勝手に馬脚をあらわせば、我々が再び実権を握るは世の道理。まぁ、まかり間違って成功したらそのときだ。新政権との繋がりをもって私だけでも好きにやらせてもらう。どちらに転んでもよかった」
「人間もベル―二も自分の食い物にしようってのか」
グレッグが怒ったように睨みつける。ディーンはその隣で悲しみをにじませた表情になると「そんなことのために同じベルーニまで傷つけたのか」とつぶやいた。そんな二人の横で、バーソロミューは呆れたように男に言った。
「だがよ、そりゃちと無理な話だ。お前さんの悪事はバレてんだ。ここが林檎酒の納め時だぜ」
「いいや。まだここから逃げればチャンスはある」
「逃げてどうする。ミーディアムの効果が切れたら再活性にはどこかで人間の介入が不可欠だ」
そうなればいずれ尻尾を出すことになる、と彼はつづけた。しかし、目の前の男は焦るでも怯えるでもなくその話を黙って聞くと、クツクツと笑うように肩を震わせた。バーソロミューは眉をひそめた。
「なにがおかしい」
「Ub成分など、黒いミーディアムさえあれば畏れるに足りん」
男の言葉にグレッグがハタと気づく。そもそもベルーニが魔法を使えるのだ。それはベルーニは黒いミーディアムを使いこなせるほど親和性が高いということ。今までその点を突き詰めて考えなかったことを悔やんだ。
「まさか、ベルーニが使い続けても失活しないのかッ!?」
男は答えず、代わりにニヤリと笑って返した。そうしている間に徐々に男の纏っていた黒いオーラが密度を増していく。
「それに……目撃者は今からいなくなる」
「ッ!? やるってのか!」
その時、スタンブリンの持つ黒いミーディアムがひときわ大きく輝いた。その輝きは質量を伴って、彼の体を覆っていく。
「この現象は……ッ!」
グレッグはすかさずARMを手にすると、黒い霧の塊のようになった男に向けて発砲する。しかし、その繭のような物体は上下に細長く伸びたかと思うと、建物の天井を破壊しながら彗星の如く尾を引いて裏庭へと移動していった。ディーンたちは慌ててそのあとを追った。施設の裏手は開けた荒野になっていた。いつのまにか空の日は傾きはじめ、あたりはまもなく夕暮れになろうとしている。
グレッグから逃れた黒い霧はなおも濃く膨らんでいく。そして横幅で8メートルほどになろうかというところで肥大化は止まった。同時に、それを形作っていた黒い霧はこの世界に物質化し、まるで鎧のような質感へと変わっていく。すると、山のような黒い塊の周囲から大きな頭部と太い四本の脚が現れた。それはまるで巨大な黒き亀のような様相を呈していた。顕現したその獣はディーンたちに向かって、産声をあげるかのように咆哮した。
怪音に耳をふさぎながら、大亀を目の当たりにしたディーンが叫んだ。
「この感覚……ッ!」
「気づいたか、ディーン! そう、黒い獣から感じる気配は一年前のあの時と同じ。やはり黒いミーディアムは奴が――」
「そんなハズない……ッ」
グレッグの言葉を咄嗟に少年は否定した。彼らの脳裏には一人の男の姿が浮かんでいた。人間とベルーニの架け橋となるはずだった一人の男。夢破れ怨念に取りつかれ、道を違えたその先に、数多の悲劇を生んだ男。その男、ヴォルスングは1年前の事件の終わりに、少年と和解しファルガイアのために手を取り合ったはずだった。ベルーニと人間がついに対等になったときに彼が見せた穏やかな表情をディーンは想い返した。その笑顔を信じたいと思った。
そんな少年の逡巡を尻目に、目の前の大亀はその甲羅をわずかに上下に開くとそこから二本の触手を繰り出した。黒いパイプのような二本の太い長腕は、ぐんぐんと伸びてディーン達に向かっていく。その直線的な攻撃を少年たちは左右に避けてさばいていく。
しかし触手が狙っていたのはもとより彼らではなかった。触手はそのまま伸びつづけると、彼らの後方に残されていた解放戦線の男ふたりを絡めとる。
「しまったッ!」
ディーンが気づいたときにはすでに彼らは触手にからめとられ大亀の近くまで運ばれてしまった。そして地面に降ろされた二人の男は黒いオーラに包まれると、爬虫類のような鱗に覆われた黒い魔物へと変わっていったのだった。二体の魔物は筋肉を肥大化させて、拘束していた縄を引きちぎった。
「洗脳なんて生易しいもんじゃない。人間を……作り替えたのかッ」
グレッグが吐き捨てるように言った。するとそのとき、大亀の中から恍惚そうな声が響いた。
『……素晴らしいじゃないか。まさに魔王の力だ』
その言葉にディーンは思わず疑問符を顔に浮かべた。
「アルゴス……?」
「ディーン、考えるのはあとだ。とにかくヤツを倒すぞ」
いうが早いかバーソロミューは駆け出した。襲い掛かる目の前の魔物たちを掌底で軽くあしらい左右に吹き飛ばすと、危険な触手をひらりと躱し目の前の大岩のような敵に肉薄する。そして先刻施設の壁をブチぬいたときのさらに倍の威力でもって、その正拳を敵に見舞った。
巨大な獣同士がぶつかり合ったような重低音があたりに響いた。こぶしを突き出したバーソロミューの顔が、苦虫を噛んだようにわずかに歪む。敵の大亀は彼の攻撃をうまく甲羅で受けていたのだ。
「想像以上に硬ぇじゃねぇか、クソ」
悪態をつきながら彼は右手を引いた。そのこぶしからは血がにじむ。バーソロミューはすぐにバックステップを踏み、追撃してきた触手をかわし距離をとる。敵がバーソロミューにかかずらっている間にディーンが魔力を練り上げた。
「これならどうだ。大風衝ッ!」
先ほど敵から接収した≪天≫のミーディアムによる魔力攻撃だった。大気の霊気が魔力によって編み上げられ、現れた多数の風の刃が敵に迫る。それは敵の繰り出した触手を微塵に切ると、その甲羅にも爪を立てた。先ほどの物理攻撃とは違って、研ぎ澄まされた風の魔力は堅牢な甲羅にうっすらと切れ込みを入れた。しかしそのわずかなダメージも大亀が纏う黒い霧がすぐさま修復してしまう。同じく再生した触手が周囲にカウンターを見舞ってくる。それをよけながらディーンは歯噛みした。
「ちっくしょー!」
「任せろ、ディーンッ!」
そう声をかけたのはグレッグだ。彼は少年とスイッチするように前に出ると、高めていた闘気をミーディアムに注いでいく。ミーディアムが極限まで輝きを増すと、彼は一気にその力を開放した。
「――剣の守護獣ッ!」
グレッグが高めた闘気が放たれ具現化する。それは金甲冑の巨大な女性の姿を現し、手にした剣を敵に振るった。星命力の光をまとった巨大な剣が、巨大な亀に叩きつけられる。まばゆい光の奔流にディーンたちは一瞬目がくらんでしまう。
少年が再び目を開けると、テンガロンをかぶったグレッグの背中が見えた。そしてその先に大きく切り裂かれた黒い塊が鎮座していた。
「やったか……のか?」
しかし、少年の声に目の前の男は首を横に振った。そうしている間にも切り裂かれたハズの甲羅がゆっくりと再生していった。
「――ダメだな。加減をしなけりゃブった切れると思うが、それじゃぁ中の男も助からない」
現状、ベルーニの男は重要参考人。そうでなかったとしても、軽率に命を奪うことは避けたかった。あるいは今の攻撃を連発できれば勝機はあるのかもしれない。しかし、大量に体力も気力も消費する具現化を連発するなど現実的ではないと思われた。悩むグレッグを見て、ならばと魔物を相手取りながらバーソロミューがディーンに尋ねた。
「アースガルズはどうだ?」
たしかに鋼の巨人であればこの状況もなんとかなるかもしれなかった。しかし、その言葉にディーンも首を振る。
「さっきっから呼びかけてるけど、全然応答がないんだ」
「くそッ、さっきの通信阻害かッ!」
再びバーソロミューは悪態をついた。ままならない状況に、グレッグが悔しそうにつぶやいた。
「あの時の黄金の剣さえ使えれば……ッ」
彼は以前黒いミーディアムと対峙したときのことを想い出していた。とある鉱山で出会ったソレは、やはり炎の鳥になっていた。あの時も同じ。窮地に立たされた中で、掴み取った一粒の奇跡。それはミーディアムに秘められた守護獣の力を自身のARMに乗せた一撃であった。しかし、あの事件以降その業を再現しようと何度挑戦しても、ついにそれは叶わなかったのである。
そのとき、口惜しそうにする彼の背に声をかける者が現れた。
「その力……私なら引き出せるかもしれません」
驚き振り返ったディーンとグレッグの視線の先に、レベッカとアヴリルの姿があった。責めるようにディーンが叫んだ。
「レベッカッ!? どうして連れてきたんだッ!」
「ディーン、あのね――」
レベッカが返答しようとするのを、アヴリル本人が手で制した。彼女は一瞬だけ表情を曇らせたものの、眉に力を入れなおし毅然とした口調で静かに告げた。
「私に出来ることをするために。そのために皆さんには少しのあいだ時間を稼いていただきたいのです」
そういうと彼女はグレッグのもとへと近づいて行く。一方のレベッカはバーソロミューに近寄ると、彼の手を回復魔法で癒しながら補足した。
「ここに来る前にグレッグから黒いミーディアムについて話を聞いていたのよ。それでアヴリルは、倒すにはグレッグが言ってたミーディアムの力が必要だとすぐに考えたんだけど――」
「私がレベッカのミーディアムを調べた限りではそのような機能は存在しませんでした。しかしあるいはファルガイアの≪剣≫たるミーディアムだけに設けられた機能なのでは……そう思ったのです」
そういうと彼女はグレッグにミーディアムを見せるように頼んだ。そのとき敵の声が響いた。
『みすみす好きにさせると思うか』
敵のスタンブリンは配下となった魔物と触手、さらに水の魔法を織り交ぜてグレッグとアヴリルを攻め立てた。それをディーンたちは打ち据え、切り捨て、撃ちぬいて、さらには凍結の効果も併せて防いでいく。
皆が時間を稼いでくれているなか、アヴリルは必死の形相でミーディアムに精神を接続する。そしてブラックボックスだった中身を一つずつ精査していった。彼女の額に玉の汗が浮かんでいく。しかし――。
「そんな……存在しない!?」
それでも、彼女はグレッグのいうような隠された機能を見つけることができなかった。「そんなハズはありません」と焦るアヴリルだったが、そこでふと一つの案を思いついた。そして彼女はいま一度感応触媒と向き合うと言葉を紡いだ。
「私の名は【氷の女王】。ミーディアムよ、もう一度その中身を見せてください」
『……該当名および生体波形照合完了。限定管理者権限で起動します』
彼女の声にミーディアムが答えた。やはりとアヴリルは確信する。【名前】を鍵のひとつにしていたのだ。自分のもう一つの呼び名も試すべきであった。これならばと、再び彼女はミーディアムの隠されたファイル、そのすべてをシラミ潰しに探していった。
しばらくした後に、しかし、アヴリルは膝から崩れ落ちた。
「どうして……!」
呆然とするアヴリル。それもそのはず。リリティアの名で調べてみても、やはり目的の機能は見つからなかったのだ。憔悴した様子のアヴリルに、近くで戦っていたグレッグが声をかけてきた。
「大丈夫か? 少し休んだらどうだ」
アヴリルの額には今やじっとりと油汗が広がっていた。ミーディアムに接続するたび、軋むように体が痛んだ。先ほど少年を助けた時もそうだった。なぜかはわからないがミーディアムから≪拒絶≫されている。そう本能的にアヴリルは感じとっていた。しかし彼女は首を振ると、そのことを悟らせまいと気丈にも笑ってみせた。
「ありがとうございます。ですが、あまり猶予は残されていないようです」
彼女は少しだけ周りを見た。数を増した触手の群れを躱して打倒し、敵の魔法の隙をついては果敢にもその巨体に銃弾や魔法を放っていく。強大な敵を前にディーンたちが善戦していた。それでも戦いの趨勢は防戦へと傾いており、みなに疲労の色が見え始めている。小さなほころびから戦線が瓦解する未来も遠くはなかった。逆転できるリミットは刻々と迫ってきているのだ。
しかし、本当にミーディアムに逆転できる手は残されているのか。そんな猜疑心にとらわれそうになりながら、アヴリルは焦る気持ちを抑えて思考を続ける。諦めるわけにはいかなかった。まだ手掛かりはある。それは【名前】だ。氷の女王は限定管理者だった。ならばもう一段上、最高管理者のアカウントがあるハズなのだ。しかし、その起動コマンドとはいったい――。
アヴリルが思索を深めようとしたその時、誰かの戸惑うような声が耳に入った。
「なんだ……アレは?」
その声につられて彼女もふと顔を上げる。アヴリルから少し離れた前方、ディーンたちがいる主戦場のあたりに数メートルはあるかという巨大な水球が漂っていた。誰に当たるでもなくその水の塊は中空に浮かびながら急速にその体積を減らし子供のゴムボールほどに小さくなっていく。突然の出来事に、はじめアヴリルは漠然とそれを見ていた。
(……大量の水の蒸発? いや、違う、これは――)
しかしその正体を看破すると途端にその顔を青ざめさせる。目の前の小さな水球を通してみえる極度に歪んだ風景。異常な高屈折率。それは超々高密度に圧縮された水であることを意味していた。アヴリルが叫ぶ。
「いけない! 皆さん離れて……ッ!」
瞬間、その水が爆ぜた。超常の力で物理限界を超えて圧縮された流体が、まるで水風船を割られたかのようにその保持力を失った。水風船と違うのはその規模だ。言ってみれば熱圧力弾 ならぬ水圧力弾。たかだか水、されど爆発的に体積を膨張させたソレは、さながら爆弾のように衝撃波を伴って周囲のものをすべて吹き飛ばしていく。
爆発の直前、グレッグは咄嗟にアヴリルに駆け寄ると得意の大岩砕で大岩を出現させていた。しかしそれでも迫る爆風、その全てを遮ることはかなわず、脆くも岩の盾は崩れ去っていく。そうして遮るものがなくなった衝撃波がアヴリルを直に襲った。
…………。
アヴリルが次に目を開けたとき、彼女は皆の遥か後方、孤児院の建物内にいた。まだ不明瞭な思考のなかで、よくこれだけの距離を吹き飛ばされて無事だったものだと他人事のように感心した。そのまま立ち上がろうとすると、体の半分ほどに何かがのしかかっていることに気が付いた。薄暗い部屋のなか、瓦礫のようなそれをどかそうと彼女は手を伸ばす。その手のひらにぬるりとした感触があった。彼女におおい被さっていたそれは、背中をひどく怪我したディーンだった。彼女は目を見開いた。意識が鮮明になると同時に、先ほど彼女を襲った死の気配が実感を伴って、ぞくりと背中を粟立てた。
「ディーンッ!?」
「言ったろ……必ず無事に連れて帰るって」
彼女と同じく気が付いた少年は、そういって力なく笑った。
「だからって、どうしてそこまで傷つく必要があるのですか……!」
少年は彼女の上から転がるように退くと、痛みも無視して仰向けになり大きく息を吐いた。それから彼は、懐かしむような手つきで胸元のミーディアムに触れると口を開いた。
「どうして……かな。多分、『託されたから』なんだと思う。この星の未来とそこに生きる人たちを」
そういって彼は体の機能を確かめるようにゆっくりと上体を起こし、そのまま手足に力をいれて立ち上がる。彼はアヴリルに向き直って言葉をつづけた。
「でも、いま頑張れてるのはそんな大層な理由じゃなくってさ。ちいさな……ホントにちいさなキッカケなんだ」
「キッカケ……?」
アヴリルも慎重に立ち上がりながら、先を促すように彼の顔を覗き込んだ。少年はやや気恥ずかしそうに少女から視線を逸らし、体の向きも視線に合わせた。そうして彼は横顔を向けたままポツリポツリと話し始めたのだった。
「オレ、総統とかそういうの全然向いてないんだ。託されたのに、うまくいってなんかいないんだ。空回りばっかりで。この間も少し落ち込んでてさ。そんなとき出会ったんだ、山道で、ちいさな花に」
「花……ですか?」
「あぁ、ぼつんと白い花が咲いてたんだ。この寒い時期にさ。萎れかけてて。それであわててオレ、店長のところへ駆け込んだんだ」
彼の話を聞きながら、アヴリルはバーソロミューの花屋でみた一輪の白百合を想い出した。
「かわいそうな花を、救ったのですね」
アヴリルは記憶の中のそのみすぼらしい花に自分を重ね、目を伏せた。すると隣でディーンが力強くそれを否定する。
「いいや、違うぜ。オレ、スゲーかっこいいと思ったんだ」
その言葉に、うつむいていたアヴリルは目を丸くして驚いた。隣のディーンをみるとお世辞とは思えない表情で、まるい瞳をキラキラと輝かせながら言葉を紡いでいた。
「誰に見せるわけでもないし、周りに仲間もいなくて。きっと咲くのだって大変だったハズなんだ。でもそんなこと言い訳しないで、その花は一生懸命咲いてたんだ。それを見た時、なんだか、ふと――」
――キミを想い出したんだ。
彼はそういってアヴリルを見ると、少しだけ恥ずかしそうに頭をかいた。その時アヴリルの中でみすぼらしかったはずの一輪の花が、活き活きとした輝きを放ちはじめた。その宝物のような輝きに彼女はさらに目を丸くすると、頬を赤らめた少年の横顔をじっと見つめた。
「オカシイかな? でも救われたのはオレなんだ。いまオレが頑張れる理由はきっとそれなんだ。その花に、笑われないようにって」
彼は腰のポーチからヒールベリーを取り出すと、無造作に口に放り込み、数度咀嚼し、飲み込んだ。そして、話を切り上げるようにゆっくり前へと歩き出す。仲間の待つ、戦場に向かって。
「一生懸命を守るためにオレは一生懸命になるんだ。この世界の人たちが、ずっと笑って暮らせるように」
ディーンはまるで誓うように再び≪山≫の象徴に触れた。そんな彼を引き留めようとアヴリルは少年のコートの裾に手をかけた。
「それでも、このままでは勝ち目なんてありません。アレはきっと守護獣と同質の力。ミーディアムの……アヴリルの力がなければダメなんですッ! なのに……私はッ!!」
泣き出しそうな彼女の声にディーンは振り返ると、静かに首を振って優しく言葉をかけた。
「無理にアヴリルになる必要なんてないぜ。キミはキミのまま、自分のために生きていいんだ」
そういうと彼はつかまれたままのコートを脱いで、震える彼女にそっと掛けた。アヴリルは揺れる瞳で少年をみた。その時、施設の裏手から大きな爆発音が彼らの耳に届いた。そして苦戦する仲間たちの声もまた。
ディーンは瞬時に表情を険しくすると、また一歩、死地へ歩を進める。アヴリルは再びその背に手を伸ばそうとした。しかしその手が届く前にディーンはくるりと彼女に振り返る。そして、いつも通りのアッケラカンとした口調で言った。
「心配すんなよ。オレは負けないから。グレッグもレベッカも店長も、みんな守ってみせるから」
鼻をこすりながらそう言葉を残すと、彼はそれ以上は振り返らずに駆け足でその場を後にした。アヴリルは行き場を失った右手を宙に漂わせながら、悲しげに独り言ちた。
「その守るべきものに、アナタ自身は入っているのですか?」
いまのアナタは彼女と一緒ではないですか。アヴリルは心の中でほんの少し毒づいた。彼を止めたかった。でもそうしたところで事態が好転しないこともわかっていた。
「あなたは私をみてくれていた。そんなあなたを助けたいのに、結局私には何もできない……アヴリルのように、共に戦うことですら――」
どうしていいかわからない。彼女の顔が悲しみに歪んだ。そうして思考が袋小路に迷い込みそうになったその時、先ほどの少年の言葉が胸の中でこだました。
『無理にアヴリルになる必要なんてない』
その言葉がいま一度、彼女の中にじわりと沁み込んでいく。そうして、心の奥深くで何かに触れた。それは小さな光のような――。
そして彼女はハタと気が付いた。
「……私は、【私】でいい……?」
そうか、そうだったのだ。ミーディアムのパスワード。その答えがわかった気がした。
正しい根拠なんてひとつもない。でも間違いないと心が叫んでいた。ならば、あとはそれを実行すればいい。しかし、そこまで考えてアヴリルの思考の勢いは衰える。そのためにはもう一度あの戦場に赴くことになるのだ。あの恐ろしい死と隣り合わせの戦場に。頭では動かそうとする彼女の足が震えて竦む。駆け出せばすぐにたどり着けるのに、それとは反対に彼女の脚はわずかに後ずさる。
その時、ふたたびあの爆発音がこだました。それに伴い、あたりが今まで以上に大きく揺れた。よろめいたアヴリルは、後ろにあった机に強かに体をぶつけてしまった。その拍子に、机上のケースが床へと転がり落ちた。ケースは床にぶつかるとパカリと開いて中身を吐いた。出てきたそれは再び床と当たると高い金属音を響かせた。その澄んだ音色が彼女の心をいくばくか落ち着けたようだった。音につられて少女は足元に視線を落とす。それは敵に奪われていたアヴリルの短剣であった。
その清麗な刃をじっと見つめる。ほんの少しの間そうしていた彼女は、肩に掛けられた少年のコートをギュッとつかむと、それを脱いで丁寧に机に置いた。そうして短剣を手に取るとそれをじっと見つめ、願うようにつぶやいたのだ。
「アナタの強さ、ほんの少し私にください」
アヴリルの瞳に火が灯る。彼女は短剣を握りしめると一直線に駆け出した。
**********
ディーンが戻っても戦況は変わらず、むしろ悪化の一途をたどっていた。敵は力の使い方になれたのか、その攻め手の数も精度も格段に向上していっていた。対するこちらは有効打がみつからず、防戦一方となっている。その状況にたまらずグレッグが提案した。
「ディーン、このままじゃマズい。ひとまず一旦ライラベルへ戻って体勢を立て直そう」
しかし、その提案にディーンは首を横に振る。
「もしこいつが追って来たら、街に被害がでちゃうだろ。オレたちを追って来なかったとしても、どこかで別の誰かが傷つくハズだ」
だから、こいつはここで倒さなければならないと彼は言う。それでもバーソロミューを含めた三人は承服しかねた。そんな三人の気持ちも理解してディーンはグレッグに言った。
「でも、街に戻って応援を呼ぶのは大賛成だぜ」
「どういうことだ?」
グレッグがその真意を尋ねた。
「オレがこの場を引き受けるから、その間にみんなは戻ってくれ」
「一人でどうにかするつもりか」
「大丈夫。オレの≪山≫のミーディアムは守りに特化してるんだぜ。オレ一人なら異相防壁でしばらくの間は持ちこたえられる」
決意のまなざしのディーンに、グレッグは表情をわずかに曇らせた。そしてレベッカも彼の提案に不安を抱いていた。
「アタシも残る」
彼女がそうディーンに告げた時、敵が話に割り込んだ。
『誰が見逃すと思っているのだ』
敵が触手を繰り出した。本体は鈍重なれど、この触手の動きは鋭敏であった。加えていまやその数は増加し10にも達していると思われた。ディーンたち全員をターゲットに触手が襲い掛かった。各々その攻撃をさばいたものの、最も手数を集中されたレベッカが、さばききれずに捕まってしまった。頼みのグレッグも具現化を行使するだけの集中を妨害されている。
咄嗟に動いたのはディーンだった。彼はレベッカが捕まった触手を駆け上り、彼女の元へとたどり着く。そして触手に体を巻き付かれた彼女の胸元に豪快に手を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっとッ!」
「痛かったらゴメンな」
そういうとディーンは突っ込んだ手に力を籠める。するとギチギチと音を立て手にしていたARMの刃が展開した。ディーンのARMがつっかえ棒となり、レベッカの拘束をわずかに緩める。その瞬間、少年は急いで彼女を引き抜いた。しかし、彼は代わりに触手に捕まることとなってしまった。
「ディーンッ!!」
赤毛の幼馴染が悲痛に叫んだ。ディーンはそのまま敵の本体の近くまで連れ去られてしまった。
「ダイジョウブ。元々オレだけ残るつもりだったんだ」
しかし、ディーンはそう豪語した。そして実際彼の守りの技能・異相防壁は敵の締め付けもうまく無効化しているようだった。敵はすこしだけ残念そうにディーンに言った。
『確かにその力、厄介なものだ。だが忘れてはいないか。こちらには洗脳の力もあるのだよ』
そういうとスタンブリンは触手から黒いオーラを生み出し、それでディーンを包み込んでいく。
『ようやく一人。キサマも魔王の尖兵となるがいい』
敵は嗤うようにそう言った。物理的な攻撃ではないからか、防御のスキルも効果を発揮していないようだった。体中を針金が突き刺さり侵食していくような苦痛に、さすがのディーンも耐え切れず小さく呻き声をあげた。そんな彼の姿に居ても立っても居られずレベッカが駆け寄ろうとする。
「ディーン!」
しかしその時、彼女の目に光が映った。それはディーンのミーディアムから放たれた光だった。その金色の輝きは、黒いミーディアムの力を押しのけるようにゆっくりとディーンの体を包んでいった。
『なぜ侵食できない!?』
「ミーディアムが……守ってくれているのか?! 丁度いいぜ、それなら――」
ディーンは攻め手の緩んだ今を好機と捉えた。そして魔力を練り上げ、補助魔法を紡いでいく。彼を中心に地面から六枚の光の壁が立ち上ると、それは術者もろとも敵の巨体をすっぽりと取り囲んだ。その壁にはばまれて、敵は動くことも触腕を伸ばすこともできなくなる。グレッグが声を上げた。
「≪封壁八陣≫で押さえるつもりか。だがそれじゃ、お前まで……」
「オレならダイジョウブ。だから、みんなは一旦ライラベルに」
拘束されながらディーンは心配させまいと力強くそう告げた。その時、忌々し気に敵は触手の力を強める。途端、ディーンから苦しそうな声がもれた。
『さすがの英雄殿も、同時にスキルは使えないようですな』
無敵の解けていたディーンの肉体を、執拗に締め付けながら敵は言った。それでも少年は歯を食いしばり、仲間に大丈夫だと頷きを返す。そんな彼の姿を見て、レベッカが泣き出しそうな声で叫んだ。
「ダメよ、ディーン! そんなの――」
だが、彼女は出かけた言葉を飲み込むと口をつぐんだ。その先は言えなかった。そんなのアヴリルと一緒だと、どうして口にできようか。一年前に彼を引き止め、彼女 ひとりを犠牲にさせたのは他ならぬ自分自身だというのに。そんな自分に彼を否定する資格はないとレベッカは悔やみ、その悲しみに顔を歪めた。そうしている間にも彼の状況を暗示するかのように、彼女の目の前でシャットアウトの光の壁がボロボロとヒビ割れ崩れていく。
ディーンを救う術はないのかと少女が諦めかけたその時、彼女の背後から凛とした声が響いた。
「あなたは間違っています、ディーン」
レベッカが咄嗟に振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。彼女の長い銀髪が、荒野の風にたなびいていた。銀髪の少女アヴリルは、瞳に力を入れると声を張り上げた。
「諦めない限りあなたが負けることはないのかも知れません。ですが、その選択は間違っているのです」
彼女の突然の登場にレベッカと同じく皆が驚いていた。その中でもひときわ動揺していたのはディーンだ。彼が叫んだ。
「どうして戻ってきたんだッ!」
どこか悲痛な色を孕んだその声が響く。しかし、アヴリルはその声を否定するように瞳を閉じながら首を横に振った。そして目を見開くと、わずかに震える手を握りしめ意を決したように彼女は叫んだ。
「……あなたは何もわかってない。私のことなんて、やっぱりわかってないのです!」
怒ったような口調でそういうと、彼女はディーンに向かって駆け出した。少年はいま一度、来るなと叫んだ。しかし彼女の決意は変わらなかった。
そして彼女の登場をきっかけに敵も次の行動を開始する。大亀は、先ほどまでディーン達に向けていたすべての触手をアヴリルへと向けて一斉に放った。行動を開始したのは敵だけではない。グレッグはその動きに先んじてARMから光剣を引き抜くと、横を通り過ぎようとするそれら触手を2つ3つと斬り捨てていく。そのまま彼はディーンの意思を汲み、アヴリルを安全な場所へ避難させようと動き出す。しかし、そんなグレッグの前を駆ける者がいた。レベッカだ。彼女は任せろとでもいうかのように細腕で彼に合図すると、ほどなくしてアヴリルの元へとたどり着いた。眼前に現れたレベッカの出迎えに、アヴリルは悲しむように眉を下げた。
「レベッカ、私は……ッ!」
「勘違いしないで。多分アタシも……同じ気持ちだから」
レベッカがウインクをしながらそんなことをいうものだから、てっきり連れ戻されると思ったアヴリルは少しだけ驚いた。そして自分と並走しだしたその赤毛の友人に微笑み、小さくうなずきを返したのだった。突然の裏切りに困惑したのはディーンだ。
「レベッカッ!?」
「きっとこれが正しい選択だってアタシは信じる」
そうして駆ける二人の少女に、敵の触手が襲い掛かった。そうはさせまいとグレッグは引き続き近くにあったその横腹をいくつか光剣で斬りつける。それでも敵の魔手のほとんどは二人の元へと向かっていった。縦横無尽に攻め立ててくるそれを、レベッカはひとつふたつと次々に愛銃で的確に撃ち、迫る勢いを削いでいく。走りながらという悪条件ながら、アヴリルを守るというただ一つの強い想いが彼女の集中力を極限まで高めていた。その横で、銀髪の少女は懸命に足を動かしながらも、己を鼓舞するように言葉を紡いだ。
「あなたは言った。私は私だと。誰かのためじゃなく、自分のために生きろと」
レベッカのサポートを受けて、アヴリルはなんとか敵の攻撃を避けながら駆け続けた。息もあがる寸前で苦しいはずのアヴリルだったが、それでも口から言葉が零れるのを止めることができなかった。彼女はその視線の先のディーンを真っすぐに見つめつづけていた。
「ですが私は、そんなに立派な人間ではありません。いつだって自分のことばかりで。つらいと嘆いて生きていました」
アヴリルは体力を絞り出し、足に力を籠めて懸命に進んでいく。敵に近づいたことで、その妨害も次第に苛烈になっていった。ディーンまであともう少しなのに、その距離が果てしないものにも感じられた。そしてついに敵の魔の手が彼女を捉えた。彼女の肩をかすめた触手は、そのまま巻きとるようにその細腕に絡みつく。咄嗟にレベッカが反対の腕をつかみその拘束からアヴリルを引き抜いた。間一髪、危機を乗り越えたものの、しかしその代償に今度はレベッカ自身が敵に足を取られてしまう。足をつかまれ逆さづりにされた彼女を、心配そうにアヴリルが振り返る。レベッカはそんな状況でも先を急げと視線で彼女に告げたのだった。アヴリルはその決意に応えるように再び単独で歩を進めていく。
敵の大亀は二人を引きはなすように無造作にレベッカを上空へとつかみ上げる。しかし彼女は空中を振り回されながらも冷静にARMを再装填し、アヴリルを妨害せんとする敵の攻撃に引き続き銃弾を見舞っていく。
そんな彼女が急激な重力の変化を感じる。いらだったように敵は彼女を地面に叩きつけようと、少女の体ごとその触腕を振り下ろしたのだ。
「舐めないで!」
レベッカは地面に落ちていくあいだもさらに連続速射でアヴリルの周囲の触手を次々に撃ちぬいていく。乾いた大地がレベッカの眼前に迫る。もはや激突まであとわずかというところで、彼女の元へと駆けつける影があった。グレッグだ。彼はARMから再び光剣を引き抜くと、少女を捕えていた触腕を一刀のもとに切り伏せた。本体から切り離された黒い長腕は力を失い、文字通り霧散していった。レベッカは拘束が解けると同時にくるりと身をひねり、華麗に地面に着地する。彼女はグレッグに向けて感謝の笑顔を向けると小さく左手を上げた。それを男が軽くはたく。響く軽快な音を合図に、グレッグはすぐさま踵を返して走り出す。≪剣≫のミーディアムによる縮地によって、ほどなくしてアヴリルの元へ駆けつけた彼は、仲間に代わって彼女の護衛を引き継いだ。
アヴリルは、グレッグに気づいているのかいないのか、もはや無我夢中といった体で足を動かしていた。それでも彼女はディーンへ語り掛けるように声を絞り出した。
「みんなに協力したのも求められたから。空っぽの自分の生に価値があると思えたから! でもそんなの、ただ死んでいないだけでした」
アヴリルが駆けるその道をグレッグが切り拓いていく。四方から迫る触手を撃って、いなして、退ける。その背中に守られながら、アヴリルは少年にその想いを伝え続けていた。
「私は何者でもありませんでした。これからも、もしかしたら誰からも必要とされないのかもしれない。でも、それでも――」
そのとき、アヴリルの脚が止まった。ついに敵が彼女を捉えたのだ。レベッカの銃と違い連射性に優れていないグレッグのARMは相手の手数に徐々に押されていたのだった。回り込んでいた敵の触手は、彼女の長く美しい髪を無遠慮につかみ上げる。そしてそのまま体を宙へと吊り下げた。痛みに少女の顔が歪んだ。前を往くグレッグは慌てて転進すると、射程を捨てて獲物を光剣に切り替える。しかし、敵は動揺した彼の隙を見逃さずにその手元を触手で強打した。衝撃で男がARMを取り落とす。彼の顔に焦りの色が浮かんだ。敵は間髪入れずに、数本の触手を束ねた剛腕によって、グレッグを薙ぎ払ってしまうのだった。
急転直下の状況に、レベッカがアヴリルの名を叫んだ。その心配そうな視線の先で、敵の侵蝕能力がミーディアムを持たぬ少女の銀髪を徐々に黒く染め上げていく。彼女は自らを奮い立たせるように言葉を絞り出す。
「こんな私でも、ほんの少しでいい、誰かの心を支えられるというのなら」
アヴリルは眉間にシワを寄せながらも呼吸を整えると、務めて冷静に腰のあたりに手を伸ばす。そしてそこから何かを引き抜いた。それは先ほど手にしたアヴリルのARMだった。その銀色の刀身が、沈み始めた陽光を映しオレンジに煌めく。彼女はすかさず左手で自らの髪をつかむと、右の刃をあてがってそれを一気に真横に引いた。鋭利な短刀が彼女の髪を無機質に両断する。支えを失った体はとたんに地面へ落下した。その弾みで彼女の手からARMが零れる。アヴリルはそれを尻目に見ながら残った気力を振り絞り、軋む体を再び動かす。目指すべきディーンの元へと。
彼はもう目と鼻の先だった。しかし、目の前の少年は突如として目を見開いたかと思うとアヴリルに叫んだ。
「来ちゃダメだッ!」
ディーンは周囲から迫り来る敵の追撃に気が付いた。そしてそれら数本の触手たちがあの水塊を生成し始めていることを。彼の視線でアヴリルもそれに気づく。しかし彼女はそんな状況でも、彼を安心させるように小さく笑ってみせた。
「ディーン、あなたを助けたいのです。今度は私が」
彼女は最後の力を振り絞り、少年に向かって駆けていく。周囲では数個の巨大な水塊が撃鉄を起こすかのように、急速にその体積を収縮させ始めた。もう時間は残されていない。アヴリルは眼前に迫ったディーンに向けてひと際強く踏み込むと、最後の一歩を跳躍した。少女は精一杯手を伸ばす。その姿に共鳴するかのように目の前の少年も彼女に手を伸ばしていた。その時、水圧力弾の収縮が止まる。祈るように少女は叫んだ。
「私はなりたい、白く輝くあの花のようにッ!」
取り囲んでいた水塊が一斉に起爆し、その衝撃波が二人に迫る。
しかし、爆発が彼らを襲うその直前。伸ばす手と手が繋がった。
≪――――該当名照合完了。最高管理者権限で起動します≫
そして、あたりを爆風と閃光が覆った。
**********
「ディーン! アヴリルッ!」
離れた場所にいたレベッカは、突如生まれた閃光に目を瞑った。遅れて来た叩きつける爆風にあおられて彼女は尻餅をつく。それでも腕で顔を守りながら、彼女はなんとか二人の安否を確認しようと前方に視線を向ける。土埃が舞っていた。衝撃波に巻き上げられたその黄土色の壁は、みるみるうちに広がり彼女の目の前まで迫ってきた。とっさに顔をそむけたレベッカだったが、そのとき彼女はふと違和感を感じた。風が吹いていたのだ。いつの間にか爆風は止んでおり、反対に爆心地へ吸い込まれるように風が吹いていたのだ。
恐る恐る彼女が目を開けると、先ほどまで広がっていた砂埃はそこにはなかった。代わりに目の前では、土埃とともに四方八方から集まった榛色の風が渦を巻き、半球状の気流を形成していた。すさまじい勢いで吹き荒れるその嵐の中心部から、ほどなくして上空に何かが飛び出した。するととたんに風のドームは霧散して、何事もなかったかのように荒野は静けさを取り戻した。
中から抜け出たのは人影だった。それは朱く染まり始めた空に弧を描くと、レベッカたちから少し離れた位置に着地した。赤毛の少女は、沈みかけた太陽に向かって目を凝らす。彼女の頬を、砂塵をはらんだ西風が叩いた。融けるような夕陽を背に、その人影は着地した体勢からゆっくりと背を起こす。
「その、姿……」
彼女の視線の先にいたのは、まさしく幼馴染の少年だった。しかし、その様相は彼女の知る普段のそれとは大きく異なっていた。その両手には巨大な篭手、頭には双角をあしらったようなヘッドギア。そして頭髪は、燃えるように蒼く揺らめいていた。その姿はまるで山の守護獣を彷彿とさせた。異形の拵えを纏った少年は、しかしいつも通りの人懐っこい顔でその両腕で抱きかかえていた少女を優しく見つめた。
「キミの名前、ミーディアム越しに聞こえたぜ。少し変わってるけど、――いい名前だと思う」
そう言って彼はニッカリと笑う。腕の中で銀髪の少女も柔らかく微笑んだ。そうして地面に静かに下ろされた彼女は、少しだけ緩んだ顔を引き締めるとディーンに振り返る。
「名前とはそのモノを定義する大切なもの。……ならば教えましょう、その姿の名を。それは 聖者の戦装束 。守護獣を解き放つのではなくその身に鎧う、ミーディアムにおけるもう一つの決戦機能。またの名を――
そう一息に説明すると、少し気が抜けたのか彼女の足元がふらついた。ディーンは咄嗟に腕を出し彼女の体を再び支える。心配そうに見つめるその青い瞳に、少女は首を横に小さく振ると答えた。
「行ってください、ディーン。私はもう、独りではありませんから」
少年は一瞬だけ瞠目したが、すぐに破顔すると白い歯をのぞかせながら「ああッ!」と言って駆け出した。
彼は駆けた。その戦場で誰よりも速くあろうと駆けた。彼の目に、傷つき倒れた仲間が映った。少年は怒りをぶつけるように大地を踏みしめる。すると、足裏の地面が瞬間的に山のように隆起した。その勢いがカタパルトのように足を押し出し、彼の体を加速させる。グレッグの縮地に匹敵しそうなその速さに皆が驚くなか、ディーンは黒き大亀に肉薄すると自身の拳を振り上げその巨大な篭手で敵を殴りつけた。
あたりに重低音が鳴り響いた。皆が固唾をのんでそれを見守る。
『山のミーディアムだったことが災いしたな』
スタンブリンが嘲るようにそう言った。黒い巨体がわずかに後退したものの、その外殻はいまだ健在。しかしディーンはそんな嘲笑に叫んで返した。
「山ってんならッ!」
敵の触手による反撃をかわしながらディーンは後方に距離をとる。そして彼は片腕を空に掲げると、そこに意識を集中させた。彼の中のイメージに沿って、片手の篭手がその形を変えていく。それはまるで鎗のように円錐状に尖り、その表面には螺旋の溝ができていく。
「山といったら……ドリルだぜッ!!」
「そりゃアンタだけでしょうがッ!」
ディーンの素頓狂な物言いに、常識人のレベッカがさすがにツッコむ。しかしその指摘もむなしく、ディーンの篭手は回転を始めた。その音はすぐさま甲高くなり、トップスピードに入ったことを伝えてくる。彼は迷いなくそれを敵の甲羅へと突き入れた。
ゴリゴリと掘削する鈍い音と共に、接触面からは鮮やかなレイエネルギーの放出が虹色の火花のように広がった。間を置かず硬い外殻にドリルの先端が突き刺さる。
「先ッチョが穿孔ったぜ! このまま一気に――」
『いかせるものか!』
予想外の攻略に敵は慌てて触手を伸ばす。しかし、それはディーンに当たる前にバラバラとあたりに落ちていった。いつの間にかそばに来ていたグレッグが手にした光刃を納刀する。その間にも、ディーンのドリルは甲羅を進攻していった。焦った敵はついにその奥の手を披露する。
突如、敵はその巨大な外殻の内側にすべての触手と手足をひっこめた。かと思えば、四肢のあったその孔から大量の水を放出し始める。
『認めん、認めんぞ。人間ごときに遅れをとるなど!』
「な、なんだッ? 水攻めかッ!?」
驚くディーンの視線が揺らいだ。黒き亀の巨体が、指向性を持たせた放水の反動でゆっくりと回転を始めたのだ。その回転は次第に速度を増し、生み出された水流と衝撃波にグレッグは再び離されてしまう。
「ディーン!」
レベッカが叫んだ。少年は遠心力で足をぶらつかせながらも、どうにか片手で甲羅に捕まりなおも片腕のドリルをネジこもうと試みる。
「回転対決、やってやるぜ!」
しかし次の瞬間、彼の体を不思議な感覚が襲う。高速回転をしていた大亀が、なんとその巨体を空中に浮かせたのだ。
『落ちろッ!』
「落ちるかぁ!」
我慢比べのように二人が言い合う。黒き大亀は空中を高速で、そして不規則に移動する。そうやって、体についた寄生虫を振り落とそうと必死にもがいた。対する少年も必死で食らいつく。そうしてしばらくの間しがみついていたディーンであったが、奮闘むなしくついには振り落とされ皆の遥か後方の地面へと墜落してしまう。
あざ笑うかのようにさらに高度を上げた敵は回転を続けながら、大量の小さな水圧力弾を地上に放つ。威力は抑えられていたが絨毯爆撃のようなその攻撃を、地上ではグレッグとレベッカが慌てて避けていく。その時、それまで魔物化した男二人を一人で引き留めていたバーソロミューが動いた。彼は二体の敵を強打し遠くに吹き飛ばすと、後方にいるディーンに叫ぶ。
「ディーン、アレやるぞ!」
「アレってなんだよ!?」
突然の声に、さすがの少年も疑問符を浮かべる。しかし、男は強引に話を進める。
「オマエの好きなアレだッ! いいからとっとと走ってこいッ!」
なんだかわからないけどやってやる、と意気込んでディーンはすぐさま駆け出した。彼は一直線にバーソロミューに向かって疾走する。そしてディーンが男の目前に迫った時、バーソロミューが叫んだ。
「いまだ、跳べッ!」
その言葉を合図に思い切り跳躍したディーンは男の頭上に差し掛かる。バーソロミューは少年の足の裏を見上げると、それを下から拳でかち上げた。少年は申し合わせたようにその男の拳を踏み込むと、さらに高くへ跳躍する。ディーンはみるみるその高度を上げ、飛行する大亀の頭上10メートルほどに躍り出た。敵の姿を眼下に捉えると、少年は右腕を天に掲げて吼える。
「そのテッペンにィッ!」
ディーンはさらに空中で一回転し体勢を整えると、自身の右手を前方へと突き出した。拳の先のドリルが再び回転を始める。彼の体が落下をはじめ、重力がその勢いを加速させる。しかし敵は冷静に彼に返した。
『バカが。そんなもの当たらなければ……な、なんだ!?』
逃げようとした巨大な亀を透明な何かが包んでいた。それは大きな水の塊。否、レベッカの具現化した海の守護獣だった。海竜の巨大な口から体内に取り込まれた大亀は、その身動きを封じられたのだ。そこへ一直線にディーンが突撃する。
「メテオドラァァイブッ!!!!!」
ディーンのインパクトの瞬間、レベッカは具現化を解きその黒い装甲を露わにさせる。
上空からの落下と攻撃の勢いにより、巨大な亀の体躯が空から墜ちて大地へ沈む。甲羅の真芯を捕えたディーンのドリルがその分厚い装甲を掘削していった。篭手から噴出するレイエネルギーの奔流が、再びディーンの後方へ虹色の帯をなびかせる。そしてついに、回転を続けていた彼の篭手が、敵の外殻を貫いた。勢いそのままにディーンは敵の巨体に穿孔する。わずかに柔らかくなった層を掻きわけ進むと、さらに内部は予想以上に広い空間となっていた。光も届かないはずだったが視界は良好。
「これは……、ヨトゥンヘイムと同じ――」
濃密な黒い霧があたりに充満し、まるで水の中のようにディーンの体を浮かせていた。彼は注意深くあたりを探る。そしてほどなく、彼は黒いミーディアム放つ禍々しい気配に気がついた。ドリルの回転を利用して、掘り進むようにその方向へと進んでいく。果たしてその先にベルーニの男とミーディアムが在った。
この力の代償か、黒いミーディアムは男の体と半ば融合していた。ねじれた筋組織や脈打つ血管が2つをつないでいたのである。その姿にディーンはわずかに眉間にしわを寄せると、引導を渡すようにその手のドリルを大きく振りかぶった。その時、目の前の男が震える声で少年に言った。
「たのむ殺さないでくれぇ!」
怯える男に向けてディーンは心配するなというように力強く笑いかける。
「あぁモチロン。だってはコイツは――」
守りの象徴だからな、という言葉とともに彼はドリルを突き入れた。その攻撃は男の体をすり抜けて黒いミーディアムだけに深く突き刺さっていた。穿たれた黒いミーディアムがひび割れ、霧散していく。と同時に周囲の黒い空間も崩壊を始めた。
**********
グレッグたち3人は黒い獣の巨体が地に沈む光景をみて、外からディーンの勝ちを確信した。すでに敵の攻撃は止み、魔獣化した男たちも敵の支配からは解放されていた。レベッカは片手を腰に当てながら、安心したようにディーンの帰りを待っていた。
「これで一件落着かしら? ところであの巨体はどうなるの、グレッグ」
「オレの時と同じなら、黒いミーディアムを壊せば霧散して消えてなくなるハズだ」
レベッカは「ふーん、そっか」と隣のグレッグに相槌を打った。このあと治安部隊に面倒な仕事がないならいいものだ。しかしそこに口をはさんだ男がいた。バーソロミューだ。
「オイ、ちょっとマズそうだぞアレ」
彼が指をさす方向を見ると、視線の先で亀の巨体が謎の光芒を内部から放ち始めていた。敵の体からの光はどんどん多く強くなり、ついには巨体そのものも輝きだした。そうして間もなく――それはド派手に爆発四散した。
「確かに消えてなくなったが、こりゃ……」
「いや、こんなハズでは……」
男二人が唖然とするなか、目の前にはポッカリと大きなクレーターができていた。それでもディーンなら平気だろうと思ったが、爆心地には蟻の子一匹確認できなかった。
「ちょっと、ディーンは? ディーンは無事なの!?」
レベッカは半ば涙目でグレッグの胸倉をつかんで揺すった。さすがの大人も、この状況には困惑の色を隠せない。彼女は揺すっていた手を離すと、力なく膝から崩れ落ちた。
「あんたが居なくなったら……アタシどうしたらいいのよ」
彼女は声を震わせて言った。
「まだ伝えてない気持ちだって……たくさん……」
彼女のつぶった目に涙がにじんだ。と、ここでふと彼女は目の前の地面に異様な気配を感じた。手で顔を拭って目を開ける。するとそこに……ディーンの生首があった。
「うわっ!」
「あ、やっと気づいた」
朗らかに生首がしゃべった。否、それは彼の生首ではなかった。首から下が地面に埋まった少年だった。
「とりあえず聞くけど……なんでそこにいるの?」
「なんかヤバそうなカンジになったから、地面を掘って逃げたんだけど、途中でドリルが折れちゃってさ。引っ張りあげて欲しいナァって」
にこやかに喋るディーン。少女は立ち上がり腕を組むと質問を続けた。
「いつから……いたの?」
「え? うーんとレベッカが『アタシどうしたらいいのよ』っていってたあたり……かな?」
半目で聞いていたレベッカが目をつぶる。みるみるうちに、その顔が赤く染まった。
「じゃぁ! なんで! 声掛けないのよッ!」
拳を震わせそう叫ぶと、彼女はディーンの首めがけ蜻蛉返りをお見舞いした。顎から伝わるその衝撃で少年の体が地面から飛び出す。ディーンの視界に逆さに台地が映る。そしてすぐに感じる背中への強い衝撃。地面に落ちた影響か、ディーンの変身はそこで解けた。彼は手を前に突き出して彼女に言った。
「メンゴ、メンゴ、オニメンゴ! なんか真剣な話をしてるから邪魔しちゃ悪いなって。よくわかんないけどオニメンゴ」
「ホントに、全然、ちーっとも理解ってなーい!」
休戦を申し立てる少年に、かまわずレベッカは馬乗りになるとその胸元をポカポカ叩いた。痴話喧嘩に大人二人も知らぬ顔である。しばらくそうした後に、彼女の手が止まった。
「心配したんだから、今度から気をつけなさいよ」
そういって彼女は少年の胸に拳を当てた。
「ごめん、レベッカ。次は心配させないように気を付ける。約束するぜ」
本当にわかってるんだかいないんだか、目の前の少年は白い歯を見せて笑っている。その言葉に渋々納得し、レベッカはディーンの上から立ちあがった。そうして寝転ぶ彼に手を伸ばとぶっきらぼうにこう言った。
「おかえり」
「おう。ただいま」
レベッカはディーンの手をつかむと、引っ張って立ち上がらせた。
そんな和やかな光景を、彼らから離れた場所で見つめる者がいた。その人物は切り立った台地の上から彼らを見下ろしている。黒衣に包まれたその人物は彼らの戦い、その一部始終を確認し終えると満足げに微笑んだ。
「どうなることかと思いましたが、これで次の一手を進められそうです。あともう少しで願いが叶う。過去をやり直せるのですよ、ディーン」
そうつぶやくと、黒衣の女はその姿を宵闇の中へ溶かしていった。
皆と無事を確かめていたディーンはふと誰かの視線を感じて振り返る。しかし、その先には紫紺に色づいた荒野と崖があるばかりで何者をも見つけることはできなかった。気のせいかと視線を動かしたところで、数歩先に何かが落ちていることに気が付いた。それはアヴリルの短剣であった。彼はそれを拾い上げると、後ろから自分にゆっくりと近づいてきていた人物に気づき、振り返ってそれを手渡した。少し髪が短くなったその少女は短剣を受け取ると、ディーンに優しく語りかけた。
「ディーン、あなたは諦めない限り負けはしないかもしれません。ですが、みんながいれば勝てるのです。そのことを、忘れないでくださいね」
彼女の言葉に少年は静かに頷いた。
「あぁ、おかげで助かったぜ。ありがとう。えっと――」
ディーンが少し迷いながら目の前の少女に確認するように視線を投げる。彼女は手にしたARMに目を落とすと、それを丁寧に腰にしまった。それから少年へ向き直ると柔らかな表情でこう告げた。
「はい。このときより私の名前はリリィ。果ての地に、凛々しく咲くを夢に見て――」
彼女は自らの心に語り掛けるように胸に手を当て、ほんの一瞬、瞳を閉じた。再び目を開けた彼女はその空色の瞳で目の前の少年をまっすぐに見つめて伝えた。
「これからもよろしくお願いします、ディーン。それからみなさん」
「あぁ、よろしくな。リリィ」
そう言って左手で鼻をこすりながらディーンは右手を差し出した。二人の手がゆっくりと近づき握手を交わそうとしたその時、突如彼女の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。間一髪、その華奢な体躯を両手と体でディーンが受け止める。腕の中の彼女をよくみればその表情は苦しそうに歪み額には脂汗がじっとりと滲んできていた。
「リリィッ?! どうしたんだッ!?」
その時、心配するディーンの耳元で通信機がけたたましくなった。そしてそこから切迫したような声が響いた。
「やっとつながりました!」
声は仲間の少女のものだった。ディーンはこちらの状況を伝えるためにその声に答えた。
「キャロル、大変なんだリリィが――」
「すみません、そちらの話はあとでお聞きします。それよりも大至急戻ってきてください。こちらもいま大変なんです。敵の襲撃を受けていてチャックさん達だけではどうしようも……」
キャロルからの突然の報告に、その場の全員が顔を見合わせた。
「襲撃!? まさか、ファルガイア解放戦線が?!」
「え、ファル……? 多分、違うと思います。襲ってきたのは彼です。行方不明だった、ヴォルスングさんです!」
その名前をきいてディーンは目を見張った。話を聞いていた他の者もきっと同じ顔をしているだろう。やはり彼なのか……と。
あの日、確かに繋いだはずの絆が静かに失われていく感覚。握ったはずの手のひらを振り解かれたかのような喪失感と、困惑と、それに伴う一抹の寂しさが彼の胸に去来する。
「嘘だと言ってくれ……ヴォルスング……」
愕然としたディーンの腕の中で、眠りに落ちていた少女が苦しそうに顔を歪める。
あたりを夜の闇が覆い始めていた。
【一章終了】
これにて1章終了です。一度幕間を挟んで2章がはじまります。
感想などいただけると励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。