リンゴの種が芽吹く頃   作:アランスミ氏

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【2章】嘆きが大地を渡り往く
【2章1節】獅子身中のメシ・前編


 コトリ、コトリ、コトリ。

 首都(ライラベル)のとある会議室の中に硬質な音が淡々と響く。

 部屋の中央には円形のテーブルが(しつら)えられており、いまその上にやや大ぶりの平皿が次々と並べられていた。白を基調とした陶磁の皿の上には、一口大に炒められた人参(キャロット)甘藍(キャベツ)、それに豚バラ肉が乗っている。強火でうまみを閉じ込めた素材たちは、テラテラとした油の輝きを返していた。それらはゆるくウェーブのかかった(パスタ)と絡み、白くきめ細かい湯気を立ち上らせている。その蒸気にのって甘じょっぱく香ばしいソースの香りが部屋全体に広がってきた。その料理――つまるところヤキソバ――が現在進行形で会議室に並べられている。

 その場に集まった11人の男女のうち、その光景をじっと見つめていた妙齢の女性が口を開いた。

 

「ランチミーティングって聞いたんだけど。これ、どういうことかしら」

 

 彼女は胸を寄せ上げるように腕組みをすると、ヘビのような赤い瞳で近くにいた少女をねめつけた。運悪くカエル役となってしまった小柄な少女・キャロルは少し困った顔をしながらそれに答える。

 

「今回の会議、主催は先駆者(ヴァンガード)であるディーンさんなわけで……。つまりご飯の注文をしたのも……ディーンさんなわけで――」

 

 そういいながら小動物のように縮こまった彼女は、助けを求めるように視線を主催者のほうへと投げた。しかし当の少年はどこ吹く顔で、にこやかに皿を並べ続けている。その様子をみて苦言を呈した女性・ペルセフォネは嘆息をもらした。

 

「で、ヤキソバばっかりなのね。呆れた」

「……? カレーもあるぞ?」

 

 会話が聞こえていたのか、昼食の準備を進めていた青髪の少年が振り向き答える。彼は言うが早いか岡持ち(フードキャリア)から別の深皿を取り出した。先ほどからうっすらと漂っていた香辛料の薫りが強くなる。

 

「それが別案なの?」

「喰わないのか?」

「いただくわよ」

 

 紫の髪を振りながら怒ったようにカレー皿を受け取ると、彼女はしぶしぶといった表情で自席に着いた。集まっていた他のメンバーもこれをきっかけに、みな好きな料理を手に取って着席した。最後に自分の分を取ろうとしたディーンは、料理が予定よりあまっていることに気が付いた。怪訝な表情で会議室を見渡すとその理由がすぐにわかった。

 

「ジーさんは食べないのか?」

「この歳になると脂っこいものはちとなぁ……」

 

 ディーンの質問に申し訳なさそうにお腹に手を当てて老ベルーニが答えた。キャロルと共に技術局から参加しているジウスドラ博士が、まだランチを受け取っていなかったのだ。人間と違って長命であるベルーニ、それも普段からなんでもできると豪語する天才研究者の彼でも、寄る年波には勝てないということか。ディーンはこれを渡りに船といわんばっかりに彼の分もヤキソバを確保すると自分も席に着いたのだった。

「いただきます」の声と共に皆が食事を食べ始める。政府のランチミーティングにはやや不似合いながら、できたてのヤキソバとカレーライスはなかなかに味がよいものらしく、皆にも好意的に受け入れられているようだ。会議と言っても集まったのはほとんどが1年前から見知った顔。すなわちディーンの仲間とベル―二の元四天王(かつてのライバル)たちである。そこに政府樹立後から加わった副総統のジョルジュと技術局員のジウスドラの新顔2名が追加された格好だ。必然場の雰囲気も悪いものではなかった。「足りなかったら言ってくれよな」と青髪の少年が声をかけた。

 和やかな雰囲気の中でキャロルはヤキソバを頬張ると、ついほほを緩めた。

 

「こうしてみなさんと食べてると【うさぎ追いし亭】を想い出しますね」

 

 誰にでもなくつぶやいた彼女だったが、たまたま隣にいた人物がそれに反応する。

 

「あぁ、故郷(ハニーズディ)でボクがみんなと会った頃か。ボクは食べてないけど」

 

 金髪の青年・チャックがカレーをすくいながら相槌を打った。打ったというより会話を叩き折った。キャロルは軽く頬を膨らませるが、相手はキョトンとした表情でこちらを見ながらスプーンを口に運んでいる。これもいつものことである。彼に悪気はないのだ。許してあげよう。そう大人の対応を心に決めて軽く溜息をつくと、7つ年下の少女はヤキソバを飲み込んだ。

 それから飲み物を飲み一息つくと、彼女は時計をみた。時間も頃合いである。キャロルは円卓を見渡し皆が場の雰囲気に馴染んだことを確認すると、そのまま視線をディーンへと向ける。既に一皿目を食べ終え二皿目のヤキソバに手を付けようとしていた少年が少女の視線に気づき、にっこりと親指を立てた。キャロルは頷くと口を開く。

 

「では、そろそろ本日の話し合いを始めましょうか。進行は私、キャロル・アンダーソンが務めさせていただきます。ですが基本的にはざっくばらんにお話をしていただければと思います。はい」

 

 全員の注意が向いたところで彼女は座りながら話を進めていく。

 

「今日みなさんに集まっていただいたのは直近に起きた問題の共有と意見交換が目的です。まずは起きた問題を確認しましょうか――」

 

「えぇと」と言いながら彼女は手元に置いていた数枚の資料に目を通す。

 

「話したい問題は大きく3つあります」

 

 そういってキャロルはまず右手の人差し指を立てた。

 

「ひとつは黒いミーディアム。そして次にその中で明らかになった惑星全球凍結(スノーボールファルガイア)。最後は政府を襲撃したヴォルスングさんに関してです。どれも2週間ほど前に起きたことですから記憶に新しいかと思います」

 

 彼女は話題を上げながら、指を一本ずつ増やしていく。最終的に彼女の右手には3本の指が立った形になる。

 

「それでは、まずはどのお話からにしましょうか……」

 

 どれも対応が難しそうなものばかりで、話の切り出しにキャロルは少しだけ逡巡した。そこへ隣の席から声がかかる。

 

「じゃぁまずはボクから話そうか」

「あ、それではお願いします」

 

 空気を読まない金髪の優男は、こういう時には切り込み役として頼りになる。そんなことを思いながら、少女はその茶色い瞳で彼をみつめた。

 

「三つ目の襲撃事件の彼に長く対応したのはボクだからね。その時の状況をまとめて話してもいいかな?」

 

 念のため青年は保安局(シェリフ)のファリドゥーンに確認を取った。視線の先でベルーニの男が寡黙にちいさく頷く。

 

「詳細はレポートを読んでもらうとして……事件が起きたのは2週間ほど前、ディーンたちが丁度(・・)出払っていた夕刻ごろ。その日、キャロルたちのいる技術局はアヴリルが(さら)われた影響で少しあわただしくてね。その隙をついて彼が現れたんだ」

 

 チャックは身振り手振りを加えながら話していく。

 

「最初に気づいたのが誰かはわからないけど、そんなことは関係なかった。なぜなら彼は局の入口を爆破して強行突入してきたからさ」

「それはまた……派手な登場ね?」

 

 少し考え込むようにペルセフォネが口をはさんだ。

 

「あぁ、すぐに警報が鳴って局内は警戒態勢に入った。その時、どうもヴォルスング(てき)の狙いは2つあったみたいなんだ。ひとつは技術局で保管していた先史文明期のとある試料、そしてもう一つが≪グラムザンバー≫さ」

 

 チャックの言に、みなが一様にあるARMを思い浮かべた。それは1年前のベルーニ強硬派によるクーデターの際に現れ、多数の同胞を屠ったARM。ヴォルスングが振るった魔槍だった。その後、強硬派が鎮圧されディーンたちによる独立運動が成功した際に、そのARMはヴォルスングからはく奪され政府の管理下に置かれていた。

 

「たしかにアレはすっごいARMだとは思うけど……」

「武装するだけならそこらのARMでも使えばいいんじゃないか?」

 

 その場にいたレベッカとグレッグが口々にコメントした。確かに彼がARMのためにわざわざ危険(リスク)を冒す必要はないはずだった。その意見に口を開いたのはファリドゥーンだ。

 

「ですが、ヴォルスング様が無暗にグラムザンバーを強奪したとも思えないのが自分の所感であります。何か事情があるのではと……」

 

 そういうと彼は再び重苦しい表情となった。ヴォルスングを幼少の頃から支え、知っているファリドゥーンはいまだ此度の襲撃に心中穏やかではないようである。そんな男の発言に皆が一定の重きを置いた。彼の言葉を踏まえてグレッグが顎に手を当て推測を述べる。

 

「とすればあのARMには何かある(・・)――と考えるのが妥当か」

 

 数人が彼の言に頷いた。場が収まるのを待ってチャックが話を再開する。

 

「とにもかくにも彼は来た。突然の襲撃ではあったけれど、そこにいるジウスドラ博士がいち早く彼の狙いに気づいてね。狙われた研究試料に関しては保管庫から取り出して、さらに安全な場所へと持ち出そうとしてくれたんだ」

「しかしのぉ、それもうまくいかなんだ」

「博士が悪いわけじゃないさ。相手が一枚上手だったのさ。どうやったのか先回りをされて試料を奪われてしまったんだ」

 

 チャックのフォローに、グレッグたちも仕方ないといったふうに小さく首を振る。

 

「命があったのは不幸中の幸いか」

「枯れ行く老木の命なんぞ、どうなろうとも良かったんじゃが……」

 

 面目次第もないと肩を落とした白髪のベルーニに、チャックはなだめるように手を振ると話をつづけた。

 

「それでも博士が稼いでくれた時間でボクとファリドゥーンがなんとか間に合ってね。ヴォルスングとの交戦が始まった」

 

 チャックの説明に、当のファリドゥーンは少しだけ困惑した表情を浮かべる。

 

「いや……自分は……」

「ちょっと驚いちゃったのよね」

 

 ペルセフォネが(なぐさ)めるようにいった。フォローされた男は、当時のことを脳裏に思い浮かべる。現場に到着した彼は、襲撃者がヴォルスングとわかるとほんの一瞬動揺した。そしてその虚を敵に突かれて早々に戦線を離脱してしまったのだ。その失態を恥じ入るように武官の男は目を伏せた。「話を続けるよ」と空気を入れ替えるようにチャックが言った。

 

「その銃撃戦の終盤、脚を撃たれてしまってね。敵はその隙に逃走しようとしたんだ。そこでボクは最後の手段として、返す一手で敵が奪った試料――≪金色のタングラム≫を破壊した。あとは始末書の通りさ」

 

 チャックが肩をすくめた。一連の報告に食いついたのはグレッグだった。

 

「ちょっと待て、《金色のタングラム》だとッ!? ヤツは確かにそれを狙ったのか?」

 

 今回狙われたタングラムは、以前グレッグが鉱山で敵に襲われた事件で手に入れたものである。驚くグレッグにチャックは首肯する。

 

「そうだね。他にもいろいろ重要な資料はあったハズだけど彼が手にしたのはそれだけさ」

 

 考え込むグレッグを尻目に、次はレベッカが手をあげる。

 

「ねぇ待って。撃たれたってことは、ヴォルスングはグラムザンバー(やり)で戦ったんじゃないってこと?」

「うん、ボクが見た時は拳銃型のARMを使っていたね。グラムザンバーを強奪したのはそのあと……なんじゃないかな?」

「歯切れが悪いわね」

 

 腕を組むレベッカの指摘に青年はかすかに苦笑いをした。

 

「実はそっちは要領を得ないんだ。近くの監視カメラの映像や当日の職員から聞き込みをしても【いつの間にか消えていた】っていうのがわかっただけ」

「実はヴォルスングは陽動で、彼以外にも協力者がいたってことかしら?」

「本命がグラムザンバーだったのかどうか。そのあたりも現時点では詳細は不明。ただし、少なくとも彼以外に不審者は発見されてないよ。とにもかくにも銃撃戦のあとに一斉点検をしてグラムザンバーの紛失がわかったって状況なのさ」

 

 チャックからの報告を聞き終わってから、ディーンが念を押すように尋ねた。

 

「ホントウに……ヴォルスングで間違いないんだよな?」

 

 少年もまたヴォルスングの襲撃に表情を暗くしている一人だ。その質問には分析に立ち会ったキャロルが答えた。

 

「交戦時の映像、現場に残されていた頭髪や血液サンプル、他、職員からの証言多数。これらを総合して99.89%以上の確率で犯人はヴォルスングさんと断定できます。……残念ながら」

 

 彼女の結論に少年は悔しそうに再び奥歯を噛んだ。その様子に少女は眉尻を下げると誰に伝えるでもなくつぶやいた。

 

「ヴォルスングさん、どうしてこんなことをしてしまったのでしょうか……」

 

 他の者たちも複雑な表情を浮かべている。皆それぞれに彼への期待や信頼があったことが伺えた。悲しみのベールがその場を包んだ。しかしそれも束の間。一人の男がその静寂を破ったのだ。会議室に皮肉めいた声が響いた。

 

「どうしてもこうしても、彼の性情が“そう”だから、としか言えませんね」

 

 吐き捨てるように言ったのは、これまで沈黙していた副総統のジョルジュだった。金髪を後ろに撫でつけたベルーニの青年は、親の仇を見るような目つきで襲撃事件の資料を眺めていた。いや、実際、彼の両親は先のクーデターで命を落としている。男がヴォルスングを目の敵とするのも仕方のないことではあった。それでもディーンはやや反抗的に口をはさんだ。

 

「どういうことだよ」

「保安局長殿が示唆する《やむを得ぬ事情》とやらがあったとして、それが正当なものであれば然るべき手段を踏めば済むことです。それをせずにいきなりの横紙破りとは……。1年前に起こした武力政変(クーデター)と本質が同じではないのですか? 先駆者(ヴァンガード)によって彼が改心したという話も、ことここに至れば眉唾としか思えませんね」

 

 彼の正論とも思える言動に、眉を顰めるディーン。すかさず、事実確認のようにグレッグがキャロルに尋ねた。

 

「これまでのヤツの素行はどうだったんだ? 足取りは掴んでたんだろ?」

「あ、はい、クーデターの首謀者であるヴォルスングさんは重要人物です。ですから確かに、行動制限に加え彼への監視は常に付けていました。その監視記録によれば、保釈後のヴォルスングさんは政府の援助が届きづらい地域の復興や、ご自分と同じハーフの子供たちへの支援や協力などを行って世界中(ファルガイア)を放浪していました。ただ……状況が変わったのは半年ほど前。突如としてヴォルスングさんが政府からの監視の目を振り切って行方不明になったのです」

 

 キャロルの報告にファリドゥーンが続けた。

 

「担当したのは保安局(うち)の者たちです。報告では現在のヴォルスング様は神出鬼没で、別の街で再度発見できたとしても文字通り【霧のように消える】と言った事象が相次いでいます」

「霧のように……?」

 

 グレッグが困惑する。しかし一方で副総統の男は鼻で笑うように言い返す。

 

「古い知己だからといって手を緩めていたのではないですか? 現にいまだに局長殿は彼を敬っていらっしゃるようですが」

 

 ジョルジュの物言いに、「自分は……ッ!」とファリドゥーンはやや感情的に声を出した。しかし隣にいたペルセフォネが身を乗り出さんとした彼を手で制す。そのまま彼女はテーブルの上に乗っていた男の手を二度ほど軽く叩くと彼の目を見て首をわずかに横に振った。「らしくない」そう言っているようだった。ハッとした表情になると男は小さく息を吐いた。

 

「自分は……、公私は分けているつもりです」

 

 そういって少しムスっとした表情で、彼は浮きかけた腰を椅子に落ち着けた。空気の悪くなった室内を「まぁまぁ」ととりなしたのは、いつも飄々としている老博士であった。

 

「ワシも新参者じゃ。ヴォルスング君とは直接は会っていないから大したことは言えんじゃろう。しかし、この場では事実を事実と認めるほかあるまいて。改心したのも真であり、襲撃したこともまた真であるならば、再び悪に染まったか何らかの口外できぬ事情を抱えていると考えるべきじゃろうな。もしくは敢えて政府と反目しているところを見せる狂言(パフォーマンス)か……」

「パフォーマンス?」

 

 ディーンが繰り返した。口が滑ったとでも言いたげに彼はまつげをしばたたかせ、白んだ髭を手で(しご)くと「おっと、憶測で語るべきではないな」と言って再び黙ってしまった。ジョルジュは消化不良そうな表情ながら、それ以上のヴォルスングへの非難の言葉を飲み込むと、今回特別参考人として参加していたアヴリル――いまは彼女の希望でリリィが通称である――に声をかけた。

 

氷の女王(クイーン)……ではなかった、≪白百合の君(ミス・リリィ)≫も容疑者とは面識がありません。中立(ニュートラル)なご意見があるかと思いますが、いかがでしょうか?」

 

 飾ったような笑顔を向けられた少女は、顎に手を当てて真剣な表情で何事かを考えているようだった。これまでの話を頭で反芻しながらも、彼女は(おもむろ)に口を開いた。

 

(わたくし)は――」

 

 返答しながら、彼女は今朝の出来事を想い出していた。

 

 

 

 今朝、彼女は僻邑(へきゆう)であるハニーズディへと赴いていた。件の襲撃事件で政府研究機関が一時閉鎖になったこともあり、政府への研究協力も中断。そこでリリィは空いた時間を活用するように知り合い(バーソロミュー)の花屋でアルバイトを始めたのだ。その関係で今日訪れたのがここ、この都会から遠く離れた農村だった。主にこの村で扱っている花の種やたい肥の仕入れが目的ではあったのだが、今日は土に直接植える花の苗も見繕う予定であった。それはとある街に新しく出来た孤児院に向けたものだ。

 ディーンと共に助けた子供たちを預けたその孤児院に、彼女はささやかながら花壇を作るつもりだったのだ。彼女の提案にバーソロミューは感心し店の備品を快く貸してくれたり、こうした買い付けの機会を与えてくれたのだった。

 

 仕入れ先の少女との打合せも終わり、次の予定までリリィは少し時間を持て余した。彼女はキラキラと輝く水面を眺めながらハニーズディにある湖畔に沿って散策をしていた。その時だ、わずかな違和感に気がついた。それはこの牧歌的な村に不釣り合いな《臭い》だった。

 干した牧草。鉱山から帰ってきた男たちの汗と機械油。子供たちの笑い声と、駆けたあとに立ち上がった砂埃。並べられた洗濯物の石鹸の香りに、乾き始めた太陽の匂い。そして村の中央にある食堂から漂う、なんとも言えない香ばしい薫りと音。それらに混ざっていたのは《血の臭い》。

 ドクンと心臓が脈打った気がした。彼女の感じたその臭気は、近くの小さな納屋からしているようだった。既に牛馬も出払っており、人気はない。村の誰も気づいていないのか、それともそれが自然(ふつう)なのか。そこに注目するヒトがいないことに戸惑いながらリリィはあたりを見回した。

 

「――誰にも気づかれませんように」そう誰かが耳元で囁いた。

 

 ハッとなって彼女は振り返る。しかしそこには誰もいなかった。いまだ声が張り付いたような耳をさすりながら、リリィは納屋に向かう決意をした。前回の失敗(ミス)を踏まえて周囲に気を配りながら慎重に臭いの元へと近づいていく。

 どうやら目指す場所は納屋のそのさらに裏手のようだ。建物の横を過ぎたあたりから、微かにくぐもった息遣いが聞こえてきた。リリィは腰に下げた短剣(ARM)に片手を添えると、思い切って角を曲がった。そのとき目に飛び込んできたものは彼女の予期せぬものであった。

 

 そこに、長い金髪(ブロンド)を後ろで束ねた美丈夫――ヴォルスングの姿があった。

 

 

【後編へつづく】

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