インド半島の北に霊鷲山(りょうじゅせん)という名のそれ程背の高くない山がある。
その形が鷲の頭に似ていることから霊鷲山と名付けられたその山の中で、その昔、お釈迦様(釈迦如来)は千二百人もの僧(男性出家信者)と共に生活しておられた。僧達は全員が完成された人格を持つ、立派な僧であった。
お釈迦様は四衆の人々、すなわち僧、尼(女性出家信者)、男性の在家信者、女性の在家信者達に囲まれ、慕われ、尊敬されていた。
お釈迦様はそこで「偉大なる教説」という名前の説教を始められたのだが、始めるとすぐにこれを中断され、座禅を組み、瞑想に入られた。
お釈迦様が瞑想に入られると、良いことが起こる前兆であるいくつかの瑞相が現れた。花の雨が降ってきたり、地響きがしたりした。
その時、その場所には四衆の他にも多くの信者ではない普通の人々あるいは人間以外のものも集まって来ていて、一緒に座っていたのだが、すべての人がお釈迦様を見上げ、そのような瑞相が現れたことに驚いた。
すると次の瞬間、お釈迦様の額から光が放たれ、東の方向にある世界を照らしたように見えた。その光は、その世界で生活しているすべての人々、そしてそれらの人々に教えを説く人々を照らし、その説かれている法の内容もすべても聞こえるようであった。さらに菩薩、すなわち悟りを得ることが約束された人々が巧みなる方便によって菩薩としての修行をしていることも見ることができるようであった。
またその世界で多くの悟りを得た人々、すなわち如来が既に長い旅に出発されてしまい、もうこの世にはいないことも分かり、そのお亡くなりになった、天へとお帰りになった如来達の遺骨を安置した宝石造りの墓碑も見ることができた。
その時、その集会の場には弥勒菩薩もいたのだが、そのような瑞相を目の前にし、弥勒菩薩は次のようなことを考えていた。
(「今、お釈迦様は立派な瑞相を現わされたけれども、お釈迦様はなぜ、このような立派な瑞相を現わされたのだろうか?お釈迦様は瞑想に入られ、そしてこのような不思議な、奇跡のような瑞相が見られた。この意味について私は誰に聞いたら良いだろうか?誰だったら分かるだろう?」)
続けて弥勒菩薩の心の中に次の思いが生じた。
(「文殊菩薩は長年に渡って悟りを開いた多くの如来達の下で精励し、善行を積み重ね、如来達を尊敬してきた。だから文殊菩薩は今までにこのような瑞相を見たことがあるに違いない。また、文殊菩薩は大いなる法の講義を今までに受けたこともあるだろう。だからこの意味を文殊菩薩に尋ねてみよう。文殊菩薩ならば分かるはずだし、三人そろえば文殊の知恵とはよく言ったものだ」)
このような瑞相を見て四衆やその他の人々あるいは人間以外のもの達も弥勒菩薩と同じような思いを抱いていて、それを感じ取った弥勒菩薩はそんな人々の思いも汲み取って文殊菩薩に次のように尋ねた。
「文殊菩薩、あなたにお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「何だろう?」と文殊菩薩。弥勒菩薩が続けた。
「今、お釈迦様はこのような、奇跡のような光明を作り出され、東の方向にある世界のことが手に取るように分かります。お釈迦様はなぜ、このような光明を作り出されたでしょうか?」
それを聞いた文殊菩薩は弥勒菩薩の方に身体を向け、弥勒菩薩と彼を取り囲む群衆全体に語りかけた。
「お釈迦様の願いはただ一つ、大いなる法についての講説をなすことだよ。あるいは教説と言っても良い。私が思い出す限り、私はその昔、正しく完全な悟りに至った如来達のこのような瑞相を、如来達が光明の放出という瑞相を表されるのを見たことがあるよ。そして私は、このような瑞相を現わされたからには、お釈迦様は大いなる法についての講説をなすことを望んでおられるのだと考えている。お釈迦様は世界中の人々に、信じられないような法門を説いて聞かせようとしておられるのだよ」
文殊菩薩はそこまで一気に言うと、一つ大きく深呼吸をし、そして続けた。
「私は思い出すよ。はるか大昔のこと、日月燈明という名前の、正しく完全な悟りに至った如来がおられた。日月燈明如来は完璧な法を説かれ、清く正しい行いを説き示された。すなわち生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと、その他の聖なる真理を説かれた。さらにまたその日月燈明という名の如来の後に続いて、まったく同じ日月燈明という名の完全な悟りに至った如来がこの世に現れたんだ。それから現在に至るまで、名前はもちろん、家系も氏もまったく同じ二万人もの日月燈明如来がこの世に現れた」
「二万人ですか?それはいくらなんでも盛り過ぎでは?」
弥勒菩薩が少し失笑したが、文殊菩薩はまったく意に返さず、そのまま続けた。あるいはただ単に耳が遠くて、弥勒菩薩の言ったことが聞こえなかっただけなのかもしれない。
「その二万人もの日月燈明如来は全員が尊敬されている如来で、完璧な法、そして清く正しい行いを説き示されるのだけれど、大元の日月燈明如来がまだ出家する前、その如来は在家の王だった。そして、八人の息子がいたんだ」
「随分と子だくさんですねえ。全員、男の子というのもすごいですけど」と弥勒菩薩。文殊菩薩が続けた。
「その八人の息子一人ひとりは四つの大陸を領土として統治していた。王子達は父が出家したことを知り、また完全な悟りを開いたことを聞いて、自身も国を捨て、父である師の後を追って出家したんだ。そして自らも完全な悟りに向け、説法師となり、常に清く正しい行いに努め、多くの師の下で多くの善行を積んだ。ところで弥勒菩薩。その時、師である日月燈明如来は『大いなる教説』という名の法門を説いたのだが、その時、今まさに我々が目にしているように、師は椅子の上で座禅を組み、身体も心も動くことなく、瞑想に入られた。それから花の雨が降ったり、地響きがしたり、集まっていた四衆やその他のもの達が歓喜したり、師の眉間から光明が放たれたりしたんだ」
「今、我々が目にしているのと同じような瑞相が現れたということですね?」
「そうだね。その時にも、その席には多くの悟りを開こうとする菩薩、あるいは既に悟りを開いた如来がいたのだが、その中に『最も優れた輝きを持つもの』を意味する妙光菩薩がいた。日月燈明如来は瞑想から覚めると、その妙光菩薩に『白蓮華のように最も優れた正しい教え』という名前の法門、すなわち『法華経』を説かれたのだよ。師である如来はとても長い時間に渡り、身体も心も不動のまま『法華経』を説かれた。また、妙光菩薩だけでなく、その席にいた他の参加者達も長い時間に渡り、動くことなく、師の傍で『法華経』を聴いていた。それはとても長い時間だったけれども、参加者の誰もが身体の疲れも心の疲れも感じることはなかった。それから師である日月燈明如来は、参加者の面前で長い旅に出ることを告げたのだよ」
「長い旅に出るとは、あちらの世界に行ってしまうということですよね?」
「そうだね。長い旅に出るということは俗っぽく言うと死ぬということだ。まあ亡くなるという言葉でも良いのだけど、あまり綺麗な言葉ではないので天に帰るとか、帰天すると言ったりもするね。それで、日月燈明如来は『幸運をはらむもの』を意味する徳蔵菩薩に対し、『あなたは正しく完全な悟りに至るだろう』と解脱することを予言し、その場にいたすべての人々に語りかけた。『徳蔵菩薩は私が帰天した後、直ちに正しく完全な悟りを開いて、汚れのない眼を持つものを意味する浄眼如来となるであろう』と。そこで師である日月燈明如来はまさにその夜、長い旅へと出発し、妙光菩薩はその『白蓮華のように最も優れた正しい教え』という法門、すなわち『法華経』を受け継ぎ、とてつもなく長い時間に渡って、師の教えを説き示した。師である日月燈明如来の八人の息子達は妙光菩薩の弟子となり、妙光菩薩はその八人の息子達が正しく完全な悟りに至るよう育て、その後、その息子達は数多くの悟りを開いた多くの如来達と出会い、如来達を敬い、最終的には自分達も正しく完全な悟りに至ることができたのだよ」
文殊菩薩はそこまで言うと、もう一度、弥勒菩薩に視線を合わせて少し笑みを浮かべながら続けた。
「妙光菩薩には八百人の弟子がいたのだけれど、その中に利益を重んじて、賞賛されること、人々に知れ渡ることばかりを気にして、名声を求める菩薩がいたんだよね。そのためにその菩薩は繰り返し言われたことも忘れてしまって、覚えることも少なかったのだが、その菩薩はまさに『名声を求めるもの』を意味する求名菩薩と呼ばれていた。その求名菩薩も、善行を重ね、立派な行いによって数多くの悟りを開いた如来達に出会った。そして、出会ってから、その求名菩薩はそれらの如来達を尊敬し、崇拝した。ところで弥勒菩薩。あなたは今、ある疑念に駆られているかもしれない。その妙光菩薩という名の説法者は一体誰だったのかと。ひょっとしたら自分の知っている人なのではないのかとね」
文殊菩薩はそう言われて弥勒菩薩がキョトンとしているのを見ながら続けた。
「あるいは考え違いをしていると思っているのかもしれないが、それは考え違いではないよ。なぜなら、今あなたが考えているのと同じように、この私こそが、その時、その場所で説法をしていた妙光菩薩だったのだからね。そして、弥勒菩薩。あなたこそが、その時、その場所で怠けものであった求名菩薩その人だったのだよ。少し話がそれてしまったね。この瑞相の意味するものは何か?という質問だったね。今まで話してきたように、今までにもこのような瑞相は何度も繰り返されてきたのであり、お釈迦様もまた、広大な、悟りを開く人のための教えである、『白蓮華のように最も優れた正しい教え』という名前の法門、すなわち『法華経』を説くことを望まれているのだと、私はこのように考えている」
文殊菩薩はそこまで言うと、今まで述べてきたことを詩の形にして、弥勒菩薩の他、そこにいる四衆の人々にも聞こえるよう、吟じてみせた。