白い蓮華の花   作:山田甲八

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十三 安楽

 菩薩達の唱和が終わると、文殊菩薩はお釈迦様に次のように申し上げた。

「お釈迦様、それは難しいことです。ここにいる菩薩達は各々が立派な菩薩ですが、お釈迦様に対する尊敬の念によってお釈迦様が長い旅に出発された後、布教のため果敢に努力することは最も困難なことです。お釈迦様、ここにいる立派な菩薩達は、お釈迦様亡き後の時代、後の世界においてどのようにしてこの法門を説き明かすべきでしょうか?」

 文殊菩薩にこのように尋ねられ、お釈迦様は文殊菩薩に次のようにおっしゃった。

「文殊菩薩、後の時代、後の世界において立派な菩薩達は四つの規範に則って、この法門を説き明かすべきである。ではそれはどういうものか?この法門を説き明かすためには、まず最初に、善い行いをすることと他人との付き合い方に気を付けることが必要となる。良い行いとは、我慢強く、感情を抑え、心を制御し、驚くことも恐れおののくこともなく、怒りを露わにしないこと、さらにいかなるものにも心を奪われることなく、あらゆる物事をあるがままに受け止め、誤解せず、憶測で判断しないことである。次に他人との付き合いに気を付けることとは、菩薩が王や王子、あるいは高官、王の侍者たちと親しくせず、興味も持たず、仕えることもなく、近付くこともなく、また、仏教以外の異教の聖職者やその弟子、あるいは異教徒、書生とも親しくせず、興味も持たず、仕えることもなく、呪術者、肉屋、猟師、屠殺者、役者、舞踏家、剣術家、あるいは格闘家達にも近付くことがなく、その他の快楽や遊興の場所に近付くこともないことである。また、そういう人が近付いてきた場合、随時、法を説くけれども、それ以外にその人々と親しくなることはない。また声聞のための乗り物に乗り、自分は完成できないという誤った教えから脱することができない四衆の人々とも親しくせず、興味も持たず、仕えることもなく、そういう人が近付いてきた場合、随時、法を説くけれども、それ以外に屋外でも、精舎の中であっても、それらの人と会う場所を持たない。これが立派な菩薩の適切な付き合い方である。さらにまた、立派な人格者である菩薩は常に、女性の心を得ようとして法を説くことはないし、女性に会うことを願うことすらもない。また、金持ちの家に近付くこともなく、若い女性、あるいは独身の女性に話しかけるべきではないと常に考えていて、そういう女性に挨拶することもない。また快楽を売ることを生業としている男性に法を説き示すこともなく、親しくなることもなく、挨拶することもない。また、食事を求めるためであっても、心に如来を念じ続けることなしに一人で在家の人々の家の中に入ることはない。もし、女性に法を説き示すことがあるとしても、物事に執着して、ましてや女性に執着して法を説くということがないことは言うまでもない。笑って歯列を見せることすらなく、心の思いを表情に表すこともない。見習いの僧や尼、若い男女に興味を抱くことはなく、親しくなることも、会話することもなく、一人で黙想することを重視し、黙想に専念している。これが第一の適切な付き合い方である。その他、立派な菩薩はあらゆる物事を実体のないものとして観察する。すなわち、あらゆるものはあるがままに、倒錯せずにあり、動くことも動かされることもなく、後退することも、変転することもなく、その本質は虚空であり、語源的な意味を離れていて、生まれることもなく、生まれないこともなく、因縁や業によって生ずることもなく、生じないこともなく、あるものでもなく、ないものでもなく、言葉で表現されることもなく、執着のない状態が実態なのだけれども、意識の倒錯によって表現されていると観察するのである。このように観察している立派な菩薩は適切な付き合い方を実践しており、これが菩薩にとって第二の適切な付き合い方なのである」

 そこまでおっしゃられるとお釈迦様は同じ意味のことを詩にして吟じてみせられ、さらに続けられた。

「次に文殊菩薩。私が長い旅に出発した後の時代、後の世界において、最初の五百年間で正しい教えが衰退しつつあるとき、この法門を説き示そうとしている立派な菩薩は安楽の地に住んでいて、体現されたかあるいは写本された法を説く。また、他の人々に教えを説き示しながら、その菩薩は、度を越して人を難詰することはなく、説法者である他の僧を非難することもなく、誹謗することもなく、中傷することもない。声聞のための乗り物に乗る他の僧達の名前を挙げて誹謗することはなく、他の人に誹謗させることもなく、それらの僧達に敵意を抱くこともない。それはその人が安楽の境地にいるからである。その菩薩は、法を聴くことを求めて次々とやって来る人々のために、快く誰でも受け入れて法を説く。口論をすることもなく、質問されても、声聞のための乗り物という教えによって答えることはないが、その菩薩は質問した人が正しく完全な悟りに至った人の知恵を悟ることができるように答える」

 お釈迦様はそこまでおっしゃられると同じ意味のことを再び詩にして吟じてみせられ、さらに続けられた。

「さらに文殊菩薩。私が長い旅に出た後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この経を受け止めている菩薩は妬むこともなく、偽ることもなく、嘘もない立派な菩薩であって、菩薩のための乗り物に属する他の人々を非難することもなく、罵ることもなく、責めることもないのである。また、声聞のための乗り物に属する人々であれ、独覚のための乗り物に属する人々であれ、菩薩のための乗り物に属する人々であれ、他の僧や尼、あるいは在家信者達を不安な思いにさせることはないのだ。『皆さん、あなた達は正しく完全な悟りから遠く離れたところにいます。だから、あなた達が正しく完全な悟りの中に見出されることはありません。あなた達はあまりにも怠慢に過ごしています。だからあなた達が如来のその知恵を悟ることはないのです』というようなことを言って、菩薩のための乗り物に属する誰であれ、不安な思いにさせるようなことは決してない。また法に関する論争を好むことなく、法に関する論争をなさず、あらゆる衆生に対する慈悲の力を捨て去ることはない。すべての如来に対して父という思いを抱き、すべての菩薩に対して師という思いを抱き、世界中にいる立派な人である菩薩に対して常に高潔な心を持って、尊敬の念を持ち、礼を失することがない。また、平等に対する配慮から、すべての人に過少でもなく、過大でもなく法を説く。また、この法に対する熱意からでさえも、誰であれ特定の一人に対して特別な好意を示すことはない。この第三の規範を備えた立派な菩薩は、私が長い旅に出た後、正しい教えが衰退している時に、快い感触を楽しみ、危害を加えられることなく、この法門を説き明かすのだ。また、菩薩がこの法を唱えると、一緒に唱える同伴者が現れ、さらにこの菩薩から法を聴こうとする人が現れる。それらの人々は、この法門をこの菩薩から聴き、信じ、受け止め、理解し、書写し、書写させ、写本にし、賞賛し、尊重し、敬い、供養するだろう」

 お釈迦様は以上のように話されると、同じ意味のことを別の言葉で話され、さらに続けられた。

「さらに文殊菩薩。私が長い旅に出た後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この法門を受け止めることを望んでいる立派な菩薩がいる。その僧は信者から離れたところで過ごし、慈しみに基づいていて、悟りを目指しているがまだ完成に至っていない衆生に対する指導に熱心であり、次のように考える。『ここにいる衆生は如来の巧みなる方便によって語られる深い意味のある言葉を聴くこともなく、知ることもなく、理解することもなく、疑問に思うこともなく、信じることもなく、従うこともない極めて愚かな性格の人々である。しかし、私は正しく完全な悟りに至った後に、誰がどこに住んでいようと、その人を私の神通力で引き寄せ、信じさせ、悟りに入らせ、成熟させよう』と。この第四の規範を具えた立派な菩薩は私が長い旅に出た後、この法門を説き示しながら、他人に苦痛を与えることなく、四衆の人々によって、あるいは信者ではない王、王子、王に仕える高官、一般市民、聖職者や資産家達によって賞賛され、尊重され、敬われ、供養されるのだ。また、天の神々たちはこの菩薩を信じ、法を聴くためにこの菩薩に付き従い、守るだろう。この人が村の中にいても、精舎の中にいても、法について尋ねる人が昼夜やってきて、その菩薩の話に満足し、心が高ぶり、喜ぶだろう。というのもこの法門はすべての正しく完全な悟りに至った如来達によって守られているからである。過去、現在、そして未来の正しく完全な悟りに至った尊敬されるべき如来達によって、この法門は常に守られているのだ。ところで多くの世界において、この法門が説かれることは滅多にない。それはあたかも軍隊を統率する王が、武力を行使するようなものである。その王が敵対する王達と戦闘状態になるとする。その時、その軍隊を統率する王には仕える様々な戦士がいて、それらの戦士は敵と戦うのだが、その王はそれらの戦士が戦っているのを見て、時に満足し、喜び、戦士達に種々の恩賞を与える。それは土地であったり、衣服であったり、宝飾品であったり、金貨、黄金、宝石、あるいは象や馬、戦車、あるいは歩兵や召使いであったり、はたまた乗り物であったりする。しかしながら、その王は自分の頭のまげの中に隠している宝石を与えることは決してない。なぜなら、その宝石はたった一つしかないからだ。しかし、その王はそのまげの中に隠している宝石でさえも与えるとき、戦士は不思議な思いにかられ、驚くのだ。まさに同じように、法の所有者であり、法の王でもある正しく完全な悟りに至った尊敬されるべき如来もまた、福徳という軍政によって征服した法によって法の王国を支配する。ところが悪魔が侵略してくるのである。そこで、如来の聖なる戦士達もまた悪魔と戦う。その時、聖なる戦士が戦っている時、法の所有者であり、法の王である正しく完全な悟りに至った尊敬されるべき如来もまた、四衆のために数えきれないほどの経を説き、安らぎの城である法の城を与え、安らぎによってそれらの戦士たちを引き寄せるのだけれども、『白蓮華のように最も優れた正しい教え』、すなわち『法華経』を説くことはない。それはあたかも、戦士たちが戦っている時に、その軍隊を統率する王が戦士達の英雄的行為に驚き、喜び、自分の持つ、究極の宝である、まげの中のその宝石を与えるようなものだからだ。その王の頭上の宝石が長い間大切に守られてきたように、法の王で、法によって王国を支配している正しく完全な悟りに至った尊敬されるべき如来もまた同じようにこの法門を説くのだ。如来は声聞達や菩薩達が誘惑や煩悩という悪魔と戦っているのを見たり、さらに、それらの悪魔と戦っている人々が悪魔を撃退する立派な行動をなしたりしたときに、大いに喜び、直ちに、それらの聖なる戦士たちに、この世のすべての人々に受け入れ難く、信じ難く、未だかつて説かれたことも、示されたこともない、このような法門を説かれるのだ。如来はまげの中に大切に隠してきた宝石に似た、あらゆる衆生を知者とする法門を声聞達に与えるのだ。実はこれは如来達の最高の説法であり、最後の法門であり、すべての法門の中で最も深遠なものであり、すべてのこの世の人々によって受け入れ難いものである。その軍隊を統率する王が、長い間、大切にしてきた、まげの中に隠してきた宝石を戦士たちに与えたように、まさに同じように、私もまた長い間、大切に守ってきたあらゆる法門の頂点にあり、ただ如来によってのみ知られるべきこの法華経の秘密を私は今、説き明かしたのだ」

 するとその時、お釈迦様は今、おっしゃったことの意味を重ねて示しつつ、詩を吟じてみせられた。

 

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