白い蓮華の花   作:山田甲八

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十五 寿命

 その時、お釈迦様はすべての菩薩におっしゃられた。

「私を信じなさい。真実の言葉を語っている如来であるこの私を信じるのだ」

 しかし、菩薩達は無反応であり、お釈迦様はもう一度おっしゃられた。

「私を信じなさい。真実の言葉を語っている如来を信じなさい」

 しかし、やはり菩薩達は無反応であり、お釈迦様はさらにもう一度おっしゃられた。

「私を信じなさい。真実の言葉を語っている如来であるこの私を信じなさい」

 すると菩薩の大集団は弥勒菩薩を一番前に立てて、手を合わせ、お釈迦様に次のように申し上げた。

「お釈迦様、どうかこの意味をお話しください。お釈迦様がお話しくだされば、私達はお釈迦様の語られたことを信じるでしょう」

 しかし、今度はお釈迦様が黙ったままでおられたので、菩薩の大集団はもう一度お釈迦様に申し上げた。

「お釈迦様、どうかこの意味をお話しください。お釈迦様がお話しくだされば、私達はお釈迦様の語られたことを信じるでしょう」

 しかし、やはりお釈迦様は黙ったままでおられたので、菩薩の大集団はさらにもう一度、お釈迦様に申し上げた。

「お釈迦様、どうかこの意味をお話しください。お釈迦様がお話しくだされば、私達はお釈迦様の語られたことを信じるでしょう」

 お釈迦様は菩薩達が三回も懇願するのを聞き、ようやく菩薩達に語りかけられた。

「良いだろう。それならばあなた達はここで私が神がかり的な力を持っていることを知るが良い。神々に伴われている世間の人々は私のことを次のように理解している。『師であり、釈迦族出身の聖者である釈迦如来は、釈迦族の高貴な家から出家し、ガヤーにある大きな城の中の最も優れた悟りの椅子に座ったことによって、正しく完全な悟りを得られたのだ』と。それは事実としては正しいのだけれども、そのように考えられるべきではない。そうではなく、私が正しく完全な悟りに至ってから実はとてつもなく長い時間が経過しているのである。例えばこの世界はごく小さな原子の粒から成り立っているが、ある人が、その原子を一粒ずつ東の方向に向かって下に置いていき、その原子の粒がすべてなくなる状態にするとしよう。あなた達はこのことをどう考える?そういう世界を誰かが考えることや、あるいは数えたり、計ったり、あるいは観察したりすることが可能だろうか?」

 お釈迦様からこのように言われて、弥勒菩薩を先頭にした菩薩の大集団はお釈迦様に次のように申し上げた。

「お釈迦様、そういう世界は計算することもできず、数えることもできず、思考の範囲を超えています。また、すべての声聞や独覚でさえ、その聖なる知恵によって考えることも、数えることも、計ることも、あるいは観察することもできません。菩薩の私達にとっても、思考できる範囲がその世界に及ぶことはないでしょう。お釈迦様、そのような世界はそれほどまでに計り知ることができないでしょう」

 菩薩の大集団からこのように言われ、お釈迦様は次のようにおっしゃられた。

「みんな聞いて欲しい。その人が原子の粒を下に置いた世界、あるいは置かなかった世界、それらすべての世界における原子の粒は、私が正しく完全な悟りを得た後の膨大なものの数に比べるとそれほど多くはないのだ。正しく完全な悟りを得て以来、私はこの人間界、あるいは他の世界においても、衆生に法を説いている。法を説いている間、私が語ってきた燃燈如来をはじめとする、正しく完全な悟りに至った尊敬されるべき如来の帰天は、私が巧みなる方便によって法を教授するために作り出したものなのだ。また、如来は絶えずやって来る衆生の知恵に差があることや、精進を開始してからの経験の違いを頭に入れ、それぞれの世界で如来としての自分の名前をそれぞれに名乗るのだ。そしてそれぞれの世界で、自分の完全な安らぎについて述べ、種々の法門によって、それぞれのやり方で衆生を納得させる。そこで善行が乏しく、多くの煩悩を持ち、信仰が定まらない衆生に対して、如来は次にように語るのだ。『私は産まれて後、歳若くして出家した。私が正しく完全な悟りを得たのはそれほど昔のことではないのだ』と。ところがはるかな昔に悟りに達していても、このように、『私が悟ったのはそれほど昔のことではないのだ』と語るのは、衆生を成熟させ、悟りに至らしめるためなのだ。如来はすべての法門を、衆生を教化するために説かれる。如来が自分のことを明瞭に示すことによって、あるいは自分を拠り所として、あるいは他人を拠り所として、如来の語る言葉が何であれ、衆生を教化するために語る言葉、それらのすべての法門は、如来によって語られた真実の法門であり、ここにおいて如来の言葉に嘘はない。それは、如来は衆生が輪廻する迷いの世界をあるがままに見るからである。如来は間違った見方で衆生の迷いの世界を見ることはない。如来はその迷いの世界をハッキリと見るのであり、見誤ることもない。如来がいかなる言葉を語るとしても、それはすべて真実であり、嘘ではない。衆生は様々な行いをなし、様々な願望を持ち、誤った考えや妄想に基づいて行動する。如来は衆生に善行を積ませるために、種々の法門を様々な拠り所によって説く。要するに如来はなすべきことをなすのである。如来ははるか昔に悟りに達し、計ることのできない寿命の長さを持ち、常にこの人間界に存在し続けている。如来は長い旅に出ることはないが、衆生を教化するために、長い旅に出ることを示してみせるだけなのである」

「おっしゃることの意味がよく分かりません」と弥勒菩薩。

「そうだろうね。だから私は最初にシャリープトラに言ったではないか。『如来の深い意味が込められた言葉は理解が難しい。なぜかというと、不思議というより、思議を越えているからだ』と」

「確かにそうおっしゃっていました。確かに理解が難しいですが、なぜ理解が難しいかはお釈迦様もお分かりのはずです。現実問題としてお釈迦様もいずれは長い旅に出発されてしまわれるのですよね?いくら計ることのできないような長さの寿命を持つといっても、死は自然現象なのですから、たとえお釈迦様でもそれを避けることはできないのではないですか?それとも私が何か考え違いをしているのでしょうか?もし、何か考え違いをしているのであれば、正しい道にお導きいただきたいのですが」

「やっぱり理解が難しいかな?理解が難しいからこの法門は分からない人から非難されてしまう。あなたの言うとおり、事実としては私もいずれ長い旅に出発するだろう。長い旅に出発し、私のこの身体も火葬されるか、土葬されるか、水葬されるか、風葬されるか、鳥葬されるかして、この世界からなくなってしまうのだろうね」

「そうですよね。そうであれば果てしないほど長い時間、法門を説き、衆生を教化するというのは不可能なのではないのですか?私はもちろんこうして直接、お釈迦様の教えを聴いているわけですから、完成された如来に嘘はないということを受け止めることもできますけれど、お釈迦様が長い旅に出発された後、何百年、何千年と時が経過した後の世界では、衆生達にそれを受け止めろと言っても難しいのではないでしょうか?あり得ない話ですから。もちろん、お釈迦様は修行に修行を重ねていて、神力を具えていらっしゃるのかもしれません。しかし、お釈迦様は神ではありません。あくまでも人間です。人間である以上、死という自然現象に抗うことはできないのではないでしょうか?」

「弥勒菩薩、あなたほどの知者であればいかに理解が難しくても私の言うことを理解できると思うのだがどうだろう?もっとも、理解というのはできるかできないかではなくて、したいかしたくないかなのだけどね」

「もちろん、私はお釈迦様の言葉を理解したいと思っています。ここにいる四衆の人々もみんな同じ気持ちです」

 弥勒菩薩はうなるように言った。

「弥勒菩薩、理解してもらいたい。もちろん私は神ではない。人間だ。人間である以上、死という自然現象を超えることはできない。それはあなたの言うとおりだ。私はいずれ長い旅に出発するし、長い旅に出発した後には、私の身体は火葬されるか、土葬されるか、水葬されるか、風葬されるか、鳥葬されるかして、この世から姿を消すことだろう。しかし、私があなたに教えたいことは、あなたに理解してほしいことは、そういうことではない。私が長い旅に出発するのは、それは仮の姿だということなのだ」

「はっ?仮の姿ですか?」

 弥勒菩薩は首をひねった。

「そうだ。それは仮の姿なのだ。あなたの言うように死は自然現象であり、避けることはできないが、そっちの方が仮の姿であり、方便なのだよ。真実の私は、如来としての私は永遠に存在し続けるのだ。この法門を書写して、その写本を持ち歩く人は、如来を持ち歩いているのであるとさっき薬王菩薩に話したのをあなたも聴いていただろう?弥勒菩薩、あなたに尋ねたい。長い旅に出発し、埋葬されてしまった私と、過去において、現在において、そして未来において、あらゆる時代に、あらゆる世界に生まれ変わり衆生を教化する私とどちらが本物でどちらが仮の姿だとあなたは考える?」

「…それは、…もちろん長い旅に出発された方が仮の姿だということを認めざるを得ません」

「そうだね。そのとおりだ」とお釈迦様。弥勒菩薩が続けた。

「…、しかし、お釈迦様が長い旅に出発されてしまったらもうお釈迦様はこの世にいらっしゃらないではありませんか?」

「しかし過去においても、現在においても、そして未来においても法門はあり続け、なくなってしまうことはないのだよ」

 弥勒菩薩はまだ首をひねっていたが、さっきよりは理解が進んだようだった。

「なるほど、事実としての死の方が仮の姿であり、方便であると。それではたとえ方便であったとしても、なぜ、如来は長い旅に出発するだろうということをおっしゃるのですか?自身は永遠だとおっしゃっていればそれで良いのではないですか?」

「私は過去における菩薩としての修行をまだ完成させていないし、寿命の長さもまだ十分にある。その寿命が終わりを告げるのはまだまだはるか先のことだ。だから、今、私は長い旅に出ることはないのだが、それでも長い旅に出るだろうということを告げるのは、私があまりにも長く、この世に存在し続けると、衆生が安心してしまい、善行を積まず、福徳を欠き、困窮し、貪欲で、誤った見解に囚われてしまうからだ。好ましいのは、衆生は『如来は常にこの世に存在し続けている』と考えて、如来を求める思いが鈍ったり、如来と出会うことは難しいことなのだという気持ちが消えてしまわないように、また、衆生が『我々は如来の傍にいる』と考えて、迷いの世界から脱出するための努力精進を怠ったりすることのないように、あるいは如来の方でなかなか会えないという思いを抱かなかったりすることがないようにすることだ。だから、如来は巧みなる方便によってそれらの衆生に『如来がこの世に出現することは非常に稀なことなのだ』という言葉を述べるのである。それは衆生にとって、どんなに長い時間待ってみても、如来に出会うことができるかどうかは分からないからである。私はその時、以上のことを拠り所として、次のように告げるのだ。『如来がこの世に出現することは非常に稀なことなのだ』と。すると衆生は如来がこの世に出現することは稀であることを理解し、残念な気持ちになり、一方、正しく完全に悟った如来に会うことを強く望むようになる。そして如来の拠り所をよく考えることによって、衆生が積む善行は、長い期間に渡ってそれらの衆生を利益(りやく)と善と安らぎに導くのだ。この道理を考えて、如来は、実際は長い旅に出ることがないのに、衆生を教化するという目的のために、如来は長い旅に出るだろうと告げるのである。このように言うことがこの法門なのであり、そこには如来の虚言はないのである」

 お釈迦様はそうおっしゃられたが、弥勒菩薩をはじめとする菩薩の集団がまだ分かったような、分からないような表情をしていたのでお釈迦様はさらに続けられた。

「理解が難しいようなので一つ例え話をしてみよう。ある医学に熟達した医師がいて、その人は賢くて、明晰で、あらゆる病気を治すことができるとしよう。そして、その医師には十人、あるいは二十人、あるいは三十人、あるいは四十人、あるいは五十人、あるいは百人の子ども達がいるとする。その医師は他の国に出掛けていて留守であったが、その間に、子ども達は何らかの毒にあたってしまい、苦しんでいるとする。その時、父であるその医師が帰国する。ある子どもは意識がハッキリしているが、ある子どもは毒の作用で意識が朦朧としているものの、父を見て喜び、助けを求める。そしてその医師は、子ども達が苦しみ、のたうち回っているのを見て、色も、香りも、味さえも素晴らしい薬草を集め、石臼で引いて粉にし、子ども達に与えて次のように言う。『あなた達は色も、香りも、味さえも具えた、この素晴らしい薬を飲むと良い。この薬を飲めば、たちどころに解毒され、健康を取り戻すだろう』と。そこで、意識のハッキリしている子ども達はその処方された薬を口にし、解毒され、苦痛からことごとく解放される。一方、意識朦朧としている子ども達は、父の帰国を歓迎はしたが、与えられた薬を飲もうとはしない。意識が朦朧としていて、色も、香りも、味も気に入らないからだ。その時、医師である父は次のように考える。『この子ども達は、毒の作用で正しい判断ができなくなってしまっている。だからこの薬を飲もうとはしないが、私の帰国を歓迎している。今、私は子ども達に巧みなる方便を用いて、この薬を飲ませることにしよう』と。そして、その医師は、巧みなる方便によって薬を飲ませるため、次のように言う。『私はもう歳を取ってしまい、死期が迫っている。しかし、悲しんではならないし、落胆してもいけない。私はあなた達のために、この素晴らしい薬を処方した。もし望むならば、その薬を飲むと良い』と。その医師は子ども達にこのような巧みなる方便を用いて教え、導き、また他の国へと出掛けていった。そしてそこから、その意識朦朧としている子ども達に自分が死んだことを伝えたのだ。それを知った子ども達は大いに悲しみ、泣いた。自分達の実の父親であり、保護者であり、同情者であり、心の拠り所を失ってしまったと。子ども達は心の拠り所を失ってしまった自分と向き合い、悲しみに暮れていたが、悲しみに暮れていることで朦朧とした意識が正常になり、その薬が色も、香りも、味も素晴らしいものであることに気付いた。そして、その薬を口にすることにより、解毒され、その苦悩から解放されたとしよう。その時、その医師はそれらの子ども達が苦悩から解放されたことを知って、再び子ども達の前に姿を現した。さて、このことをあなた達はどのように考える?その医師が巧みなる方便をなした後に、嘘をついたことを理由として、誰かその医師を責めることができるだろうか?」

 菩薩達が言った。

「責めることはできません」

 お釈迦様がおっしゃった。

「まさに同じように、この私もまた計ることもできない、数えることもできないはるかな昔において、正しく完全な悟りを得たのだ。しかし、私は衆生を教化するために、このような種々の巧みなる方便を示すのだ。しかし、この意味において、私は嘘をついているのではないのである」

 お釈迦様はそうおっしゃると、今までおっしゃられたことを重ねて示しながら、詩を吟じてみせられた。

 

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