白い蓮華の花   作:山田甲八

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十九 常不軽菩薩

 お釈迦様は「偉大な勢力を勝ち得たもの」を意味する得大勢(とくだいせい)菩薩に語りかけられた。

「得大勢菩薩、これまでに述べてきたことから、この法門を将来、謗ったり、またこの経を受け止める僧、尼、あるいは在家信者を罵ったり、非難したり、ひどい嘘をついたりする人々には言葉では言い表せないほど好ましくない結果が生じることを承知するべきである。反対に、この経を受け止め、読誦し、教示し、理解し、他の人のために詳細に説き明かす人々は、私がこれまでに説いてきたように望ましい結果が生じるだろう。そして、前に述べたような六つの感覚を研ぎ澄ませるだろう。得大勢菩薩、その昔、数えることもできないほどの昔のさらにずっと昔、『恐ろしく響く音の王』を意味する威音王(いおんのう)如来がこの世に現れた。「享楽を離れた」を意味する「離衰」という時代に、また「偉大なる創成」を意味する「大成」という世界に、博学で、行いも人格も完成され、世間をよく知り、人間として最高で、尊敬されるべき如来がこの世に現れたのだ。その威音王如来はその世界で、神々や神々に伴われた人々の前で法を説いた。すなわち、声聞達のためには真理や因縁のあり方を、菩薩のためには正しく完全な悟りに結び付いた如来の知恵に到達する法を説いた。ところで得大勢菩薩よ、その威音王如来の寿命の長さはとてつもなく長いものであり、その如来が長い旅に出発された後も、長い期間に渡って正しい教えが生き残り、さらにその後も、その正しい教えに準じた教えが生き残った。その「大成」という世界において、師である威音王如来が長い旅に出発された後で、正しい教えに準じた教えも衰退していた頃に、威音王如来という同じ名前の正しく完全に悟った別の如来が現れた。その如来も前の威音王如来同様、完成された人で尊敬されていた。このように、如来が現れ、長い旅に出ては正しい教えが衰退し、正しい教えが衰退するとまた別の如来が現れるということが数限りなく繰り返されていた。そして、何度か繰り返しているうちに、師である何人目かの威音王如来が長い旅に出発され、正しい教えが衰退し、正しい教えに準じた教えも衰退し始め、その教えが傲慢な僧達によって攻撃されている時、そこに常不軽という名の男性の菩薩が現れた。さて、得大勢菩薩。なぜ、その菩薩は常不軽菩薩と呼ばれたのだと思う?」

「分かりません」と得大勢菩薩。

「それは、その菩薩が、僧であれ、尼であれ、在家信者であれ、出会う人には誰にでも近付いていって、『私はあなたを軽蔑しません。あなた方は軽蔑されることはありません。あなた方が菩薩としての修行を行えば、あなた方は正しく完全に悟った尊敬されるべき如来になるでしょうから』と言い回っていたからだ。このように、僧であり、立派な菩薩でもある常不軽菩薩は、他の人に対して説教することもなく、自分自身のために経典の勉強をすることもなく、その一方で、遠くにいる人であっても、誰であれ、出会う人にはとにかく近付いていって、さっきのように言って聞かせるのだ。このように聞かされた四衆の人々は、この菩薩に対して怒りを覚え、危害を加え、嫌悪感を示し、罵り、非難した。『聞かれてもいないのにどうしてこの僧は軽蔑していないと私達に説き示すのだろうか?望んでもいないのに、正しく完全な悟りに至るであろうとの虚偽の予言を私達にするということは、軽蔑しないと言いながら結果的に私達を軽蔑しているじゃないか』と。さて、得大勢菩薩。その立派な菩薩がこのように罵られたり、非難されたりしているうちに多くの歳月が流れ、その間、その菩薩は誰に対しても決して怒ることはなく、憎むこともなかった。また、この菩薩がそのように言って聞かせるとき、この菩薩に石や棒切れを投げつける人々にも、この菩薩は遠くから大きな声で言って聞かせたのだ。『私はあなた方を軽蔑しません』と。常にこのように言って聞かされていたそれらの傲慢な僧や尼、あるいは在家信者達がその菩薩を常不軽菩薩と名付けたのだ。ところで、得大勢菩薩。死期が近付いた時、その常不軽菩薩はこの『白蓮華のように最も優れた正しい教え』、すなわち『法華経』を聴いた。しかも、その法門は師である威音王如来からとてつもなく長い詩でもって説かれたのだ。さらに、その常不軽菩薩は、命の終わりが近付いた時、空からの声を通してこの法門を聴いた。その菩薩は誰も語っていない空からの声を聴き、この法門を受け止め、眼、耳、鼻、舌、身体、意思の六つの清らかさを獲得したのだ。この六つの能力を獲得すると、常不軽菩薩は、死期が近付いていたが、自身に神通力をかけてその寿命を延ばし、とても長い期間に渡って、この『白蓮華のように最も優れた正しい教え』、すなわち『法華経』を説いた。そして、傲慢な衆生で、以前この菩薩から『私はあなた方を軽蔑しません』と言って聞かされ、この菩薩を常不軽菩薩と名付けた僧、尼、そして在家信者達のすべてが、この菩薩の具える優れた神通力や人に理解させる巧みな弁舌、そして知恵の力を見て、その教えを聴くために、その菩薩の弟子となった。そしてこの菩薩は、それらすべての四衆の傲慢な衆生達やその他の多くの生命あるもの達を正しく完全な悟りに向け教化したのだ。さて、得大勢菩薩。その立派な菩薩はその「大成」という世界から長い旅に出発し、後に同じ名前を持つ無数の日月燈明如来達に出会い、そのあらゆる場面において、この法門を説き示した。さらにこの菩薩は、過去から積み重ねてきた善行によって、『太鼓の音の王』を名乗る如来達と順次出会い、そのすべての場面において『法華経』に出会い、四衆の人々にこの法門を説き示した。さらにこの菩薩は、過去からの善行によって、『雲の音の王』を意味する雲自在燈王如来達と順次出会い、そのすべての場面において『法華経』に出会い、四衆の人々にこの法門を説き示した。そしてこの如来はそのすべての場面において、眼、耳、鼻、舌、身体、意思の完全な清らかさを具えていた。常不軽菩薩は数えきれないほど多くの如来達を敬い、崇拝し、供養し、さらに他の正しく完全な悟りに至った如来達を敬い、崇拝し、供養し、その後にあらゆる場面において『法華経』に出会った。出会った後にその菩薩は過去の善行が十分に成熟したことにより、正しく完全な悟りを得たのだ。さて、得大勢菩薩。師である威音王如来の教えの下で、数えきれないほど多くの尊敬されるべき如来に出会ったこの菩薩は、常不軽菩薩と名付けられたこの菩薩は一体誰だったのかという疑問があなたの頭の中に生じているかもしれないが、そのような疑問を感じる必要はない。この私、釈迦如来こそがその時、その場所で常不軽菩薩と名付けられた菩薩だったのだから。私が以前より、この法門を会得することがなく、受け止めていなければ、私はこのように速やかに、正しく完全な悟りを得ることはできなかっただろう。私は過去の正しく完全に悟った尊敬されるべき如来達の傍で、この法門を受け止め、読誦し、説き示した。だから私はこのように速やかに正しく完全な悟りを得たのだ。その師の教えの下で、何百人もの僧達、何百人もの尼達、何百人もの在家信者達に常不軽菩薩はこの法門を説き聞かせたのだ。『私はあなた方を軽蔑しません。あなた方はすべて菩薩としての修行を行いなさい。そうすればあなた方は正しく完全に悟った尊敬されるべき如来になるでしょう』と。もう分かるだろう?ここでは信仰すら重要ではないのだ。大切なのは人間なのであり、人が実践することが重要なのだ。祈ることではなく、他人を軽蔑しないことこそが重要なのだ。この法門に帰依することをどんなにつぶやいてみせたとしても、この法門に帰依することを宣言した紙や板に手を合わせてみたとしても他人を軽蔑していては無意味なのだ。得大勢菩薩、その菩薩に対して憎悪の心を抱いた人々は長い時間に渡って如来を見ることもなく、法という言葉も僧団という言葉も聞くことがなかった。そしてそれらの四衆の人々は長い時間に渡り、この世の地獄において過酷な経験をしたが、その行いに起因する障害から解放されて、まさにこの立派な菩薩によって、正しく完全な悟りに向けて成熟させられたのである。このようにこの大きな利益(りやく)のある法門を受け止め、読誦し、説明することは立派な菩薩に正しく完全な悟りをももたらすものなのだ。だから如来である私が長い旅に出発した後、立派な菩薩は、この法門を途切れることなく、受け止め、説明し、説き示すべきなのだ」

 そこまでおっしゃるとお釈迦様は同じ意味のことを詩にして吟じてみせられた。

 

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