白い蓮華の花   作:山田甲八

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二 方便

 その時、お釈迦様はもう瞑想から覚めていて、しっかりと立ち上がり、十大弟子の一人であり、お釈迦様の教えをよく理解したことから知恵第一と呼ばれるシャリープトラに話しかけられた。

「シャリープトラ、正しく完全な悟りに至った如来の知恵は思慮深く、知り難いものであって、すべての声聞、すなわち師について、弟子となって学ぶ修行者や独覚、すなわち師につかず、自ら悟りを開こうとする修行者によっても理解し難いものである。なぜなら、正しく完全な悟りに至った如来というものはとても長い時間、とても多くの悟りを開いた如来、すなわち師である別の如来の下で修業に修業を重ねていて、この上ない完全な悟りのために、とても長い時間精進し、法を会得し、法を備えており、さらにその理解し難い法を教えているから、すなわち、如来の知恵は長期間の修行の結果であるから、他の人にとっては理解が難しいのだ。たとえその人が修行者であったとしてもね。そしてまた、如来達が意味深く語る言葉も理解が難しい。なぜなら、如来達は巧みなる方便を用いて、物事に執着する衆生を開放するため、自らが信じる法を解き明かすからなのだよ」

「巧みなる方便の方便とは、『嘘も方便』の方便のことですか?」とシャリープトラ。お釈迦様が続けられた。

「そのとおり。正しく完全な悟りに至った如来は、卓越した巧みなる方便と知恵により、完成されているのだ。如来達は、執着することがなく、知恵はもちろん、その他の驚くべき特質を具えておられ、種々の教えを説かれるのである。完全な悟りを得た如来こそが、この世の真理、仮にそれを法と呼んでも良いのだが、その法を知っていて、説き示すことができるのだ」

 その時、その集会が開かれている場所には、四衆の者、すなわち僧、尼、男性の在家信者、そして女性の在家信者がいたのだが、僧や尼といった出家信者の中にも師について修行する「声聞」や悟りの一歩手前にまで至った「阿羅漢」と呼ばれる人々、あるいは師につくことなく修行する「独覚」の立場にいる人などが混じっていて、そこにいたすべての人々に、出家信者、在家信者を問わず、次のような疑問が生じた。

 

(「お釈迦様が、如来の巧みなる方便について、こんなにも繰り返し説明されるというのは果たしてその理由は何なのであろうか?またお釈迦様は『私が悟ったこの法は深遠である』と説明される。また『すべての声聞や独覚達にもそれは理解が難しい』と説明される。お釈迦様が『最終的な解脱はただ一つ』と言明されるように、我々もまた、法の獲得者であり安らぎに達しているはずだ。それなのにお釈迦様が説かれたこの意味を、我々は理解できないでいる」)

 

 シャリープトラはそのような四衆の疑問を察知し、自身も同様の疑問を抱いていたので、お釈迦様に次のように申し上げた。

「お釈迦様。お釈迦様が如来達の巧みなる方便や知恵、あるいは法の説示について、このように繰り返し説明されるのはなぜなのでしょうか?しかもお釈迦様は『私は深遠な法を完全に悟った』とおっしゃられます。また『深い意味を込めて語られたことは理解が難しい』と繰り返し説明されます。私はこのような法を今までにお釈迦様の前で聴いたことがありません。また四衆の人々も出家信者、在家信者を問わず、私と同じ疑問を抱いています。お釈迦様が如来の法を繰り返し説明される意味は一体どこにあるのでしょうか?」

 シャリープトラにそのように言われ、お釈迦様は少し残念そうな表情を見せ、次のようにおっしゃられた。

「シャリープトラ、やめようよ。そんな意味が語られても何の役にも立たないよ。それに、この本当の意味が語られたら、世間の人は驚き、おののいてしまうよ」

 それを聞いて、シャリープトラはもう一度お釈迦様にお願いした。

「お釈迦様。お話しください。この意味をお話しください。お釈迦様。ここにいる聴衆の中で、かつて完全に悟りを開いた如来に会ったことがあり、知恵を具えている人は、お釈迦様のお話を信じるでありましょうし、受け入れ、自分のものとすると思います」

 シャリープトラは言ったがお釈迦様の表情は変わらなかった。

「シャリープトラ、この意味が説かれて何になるのだ。この意味が説かれれば、世間の人は驚いてしまうよ。それに傲慢な僧達は大きな落とし穴に陥ってしまう」

 シャリープトラは諦めず、もう一度お釈迦様にお願いした。

「お釈迦様。お話しください。この意味をお話しください。この集会には私と同じ、多くの命あるものが参加しています。それらの人々は、お釈迦様の説かれたことを信じ、信頼し、自分のものとすることでしょう。それは、その人々の幸福のためになると思います」

 シャリープトラにそう言われ、お釈迦様の表情が少し柔らかくなったように見えた。

「シャリープトラ、あなたは今、三回もこの私にお願いしたのだから、さすがに三回もお願いされたら私も話さないわけにはいかないね。良いだろう。その意味を説くことにしよう。聴くが良い。そして正しく、深く考えてみると良いだろう。私はあなたのために法を説くことにしよう」

 ところが、お釈迦様がそうおっしゃった瞬間、その集会に参加していた四衆のうち、傲慢な人々が五千人ほど立ち上がり、お釈迦様に向かって一礼すると、その場から立ち去ってしまった。

 それらの慢心している人々は良くない行為よって、未だ完成していないのに既に完成しているという思いを抱いており、自分達が欠点のある存在だということに気が付いていなかった。

 お釈迦様はそれらの人々が出て行くことを黙認され、出て行ったことを見届けるとシャリープトラにおっしゃられた。

「シャリープトラ、この集会は価値のない人々がいなくなって、清く正しいものとなった。慢心している人々がいなくなったのは良いことであった。私はこの法の意味を説くことにしよう」

「それは良かったです」

 シャリープトラはそう言って、お釈迦様の言葉に耳を傾けた。

「如来はいつかある時、このように法を授けるということを宣言するのだ。シャリープトラ、私を信じるのだ。私は真実を、あるがままに、迷うことなく説く。如来の深い意味が込められた言葉は理解が難しい。なぜかというと、不思議というより、思議を越えているからだ。正しく完全な悟りに至った如来がこの世に現れるのはただ一つの仕事をするためだ。では、そのたった一つの大きな仕事、大きななすべきこととは一体何か?それは衆生を如来の知恵によって教え、導くということだ。衆生に如来の知恵を開示し、悟らせ、その道に入らせるというたった一つの目的のために如来はこの世に現れるのだ。そして、私は悟りに至るためのただ一つの乗り物について衆生に法を説く」

「乗り物ですか?」

 シャリープトラが怪訝そうに聞き返すと、お釈迦様は黙って頷かれ、続けられた。

「乗り物はもちろん比喩なのだけれど、そんなに難しいものではないよ。乗り物って何だと思う?」

 突然の問いかけにシャリープトラはさらに首をひねった。お釈迦様が続けられた。

「もちろん人や物を乗せて運ぶものが乗り物なわけだけれども、ここで重要なことは、人や物を乗せるということよりも、乗り物には必ず目的地があるということだ。そして、私が言いたいのは、乗り物はただ一つであり、その他に何か、第二、第三の乗り物があるわけではないということだ」

「既に難しいですね」

「そうだろうけど、ここは我慢してついてきてほしい」

「乗り物が一つだということは、目的地もただ一つだと、そういうことでしょうか?」

「そうだね。この世には法を法たらしめる根本の法というものがあるが、それはこのこと、すなわち、完全な悟りに至るための乗り物は一つしかないということだ。過去に数えきれないほどの如来がこの世に出現してきたが、それはこの世の人の憐みのために出現したのだ。師と呼ばれる如来は、衆生が様々な信仰や素質や考えを持っていることを承知している」

「それは理解できます。この世には色々な信仰がありますし、信仰心を持たない人もいます。同じ信仰を持っているとしても出家信者も在家信者もいますし、敬虔な信者もいますし、そうでない人もいます」

「だからそのような衆生の傾向を理解して、如来は様々な方法を用いて法を説いてきた。これが巧みなる方便というものだ。そしてそれらの師と呼ばれる如来もただ一つの乗り物について説いてきた。言い換えると、如来は、その知恵を衆生に開示し、悟らせ、その道に入らせるために法を説いてきたのだ。そして、その如来達の傍で、その正しい法を聴いた衆生もまた、完全な悟りを得てきた。将来も数えきれないほどの多くの如来達が人々の安寧、幸福のために出現し、巧みなる方便によって法を説くだろう。そこで師と呼ばれる如来達もまた、衆生にただ一つの乗り物について説くだろう。そして、それらの衆生もまた、完全な悟りの獲得者となるだろう。ところでシャリープトラ。時代の濁り、あるいは衆生の濁り、あるいは煩悩、見解の濁り、あるいは寿命とか、そういう清らかでないものがこの世には存在するため、衆生の多くは貪欲であり、立派な行いができない。だから、如来達は巧みなる方便として別の乗り物を教示することによってただ一つの乗り物を説かれる。その場合、ただ一つの完全な悟りに至る乗り物について説く如来の行為について聴くことも理解することもない声聞、あるいは菩薩の一歩手前である阿羅漢、あるいは独覚達は傲慢な存在である。男性であれ女性であれ、阿羅漢の地位にあると思い込んで、その地位に留まり、完全な悟りに向けての思いを抱くことなく、『私は完全な悟りに至る乗り物から捨てられている』とか、『私の最終的な到達点はこの程度だ』と言う出家者がいれば、その出家者は決して控えめで、謙遜の美徳を持っているのではなく、あるいは自分自身を客観視しているのでもなく、とても傲慢な存在だと思った方が良い」

「傲慢ですか?私もどんなに修行を重ねても、私の実力では完全な悟りには到達できないのではないかと考えたりすることもあるのですが、間違っていますでしょうか?」

「間違っているというよりも、その考えは傲慢だということだ。如来の言うことを信じないのだからね。如来が目の前にいるとき、これまでこの法を聴くことのなかった阿羅漢の出家者がこの法を聴いて信じないということは道理に適わず、あり得ない話だ。ただ目の前の如来が長い旅に出発してしまった後はまた話が違ってくる。如来が帰天した後は、その時、その場所においては、如来はもはやそこにはいないので、説法者を失った声聞や阿羅漢達が法を受け止めたり、説法者となったりすることは、普通はないからだ。しかし、他の完全な悟りに至った如来の下で、すなわち新しい師を見つけることにより、それらの声聞や阿羅漢達は完全な悟りに至り、法を受け止め、説法者となることはできる。シャリープトラ、あなたはこの法を信じ、私を信じなさい。乗り物はこの一つだけ。完全な悟りへと至る乗り物だけなのだ。声聞だろうと阿羅漢だろうと独覚だろうと、出家信者だろうと在家信者だろうと、男性だろうと女性だろうと、誰でも完全な悟りに至ることができるのだ」

 お釈迦様はそこまでおっしゃられると、これまで述べてきたことを繰り返すように、同じ内容の詩を吟じてみせられた。

 

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