その時、お釈迦様の十大弟子で、お釈迦様の空の教えを誰よりも理解していることから解空第一と呼ばれるスブーティ、お釈迦様の教えを分かりやすく説いたことから論議第一あるいは広説第一と呼ばれるカーティヤーヤナ、衣食住への執着を払う頭陀行を実践し続けたことから頭陀第一と呼ばれるマハーカーシャパ、そして神通力に長けていたことから神通第一と呼ばれるマウドガリヤーヤナの四人は今までに聴いたことがないような説法をお釈迦様の傍で直接聴いて、また、シャリープトラが完全な悟りに至るだろうとの予言を聞いて、不思議な思いにとらわれると共に、とてもうれしくなり、立ち上がってお釈迦様の傍に寄り、上衣の右側の肩だけを露わにして、右の膝をつき、お釈迦様に手を合わせて一礼した後、お釈迦様を見上げながら身体を曲げ、身体全体で敬意を表した。そして四人のうちの一人が次のように述べた。
「お釈迦様。私達は歳を取り過ぎており、この僧の集団の中では長老とみなされています。歳を取って弱ってきて、それでもう安らぎに達したのだと考えていて、怠け心もあり、完全な悟りに対する心構えもなく、精進もしていませんでした。お釈迦様が法を説かれているときも、座っておられるときも、また私達がその教授の場に臨んでいるときも、私達は長い時間お釈迦様の傍に座っていたので身体の節々が痛んでいます。身体の節々が痛くなるくらいお釈迦様の傍でお釈迦様の説法を聴いていたので、お釈迦様が説かれる『あらゆるものには固定的な実体がなく、自我がなく、欲望から離れている』ということを私達は十分に理解しております。しかし、私達はこれらの法に対しても、これらの法が支配する世界に対しても、菩薩の振る舞いに対しても、如来の振る舞いに対しても、強い願望を抱くことはありませんでした。私達は迷いのあるこの世界から既に抜け出し、安らぎを得たと思っていましたし、歳を取り過ぎてもうろくしているからです。実際、私達は正しく完全な悟りに導くために他の菩薩達に教えたり、知恵を授けたりしていたのです。しかし、その一方で、私達自身は、一度もその完全な悟りを強く求めることはありませんでした。お釈迦様。私達は完全な悟りに至るという予言が、私達のような声聞にもあり得るということを、今、お釈迦様の傍で聴いて、驚いています。そしてそれは私達にとって大きな収穫だったと思っています。完全な悟りに至ることはないと考えていましたから。私達は求めることもなく、探すことも、考えることも、望むこともなく、このような大きな宝物を得たのです。私達はこのように理解できました。例えば、誰かある男が家出をしたとしましょう。その男が家出をしてからその男の父親は他の国のある所で、二十年、三十年、四十年、あるいは五十年もの長い間、暮らしていました。その家出をした男は大人になりましたが、貧しく、仕事を探し求め、あちこちさまよいながらある国のある所にたどり着きました。男の父親は貸金や農業、あるいは貿易などによって成功を収め、莫大な富を持っているとします。そして家出をした男がたどり着いた街こそが、その父親が住んでいる街だったとしましょう。貧しいその男の父親は、その街に住みながら五十年もの間、行方不明となったその息子のことを常に思い続けていました。そして常に思い続けてはいたものの、そのことを他の誰かに語ることは決してありませんでした。父親は次のように考えていました。『私は歳を取り過ぎてしまった。私には莫大な財産があるが、子どもはいない。悲しいことだ』と。そして、父親は息子のことを何度も思い出します。『もし、息子が私の財産を相続してくれるなら、私は安心できるのに』と。その時、その貧しい男は、衣食を求めながら、その資産家の家の傍まで来ていました。父親は自分の豪邸の前で、身分も職業も様々な多くの人々に囲まれ、豪華な椅子に座っていて、確かな威厳が感じられます。貧しい男はその資産家を見ます。そして恐怖を感じ、次のように考えました。『考えもせず、この俺は、この国の王様のような人の家の前に来てしまった。ここは危険だ。貧民街なら、俺のような者の食べ物や着る物も手に入るかもしれないが、こんなところで人に見つかったら、捕らえられて、奴隷のようにこき使われるかもしれない。そんなことはご免だ』と。そして、その貧しい男は逃げ出そうとしましたが、座っていた資産家はその男のことが目に入り、何年も会っていないのに一目で自分の息子であると直感しました。そしてうれしくなり、気持ちが高ぶると同時に、次のように考えました。『ようやく相続人が見つかった。不思議なことだ。これまで私は何度も息子のことを考え続けてきたのに、この歳になってようやく息子が見つかったのだ』と。そして資産家は配下の者に、その男を捕まえてくるように命じ、その男は捕らえられました。貧しい男は『何も悪いことはしていない』と訴えましたが、配下の者達は力づくでその貧しい男を引きずったため、貧しい男は恐怖におののき、死を覚悟し、気を失ってしまいました。一部始終を見ていたその資産家は配下の者をたしなめましたが、それ以上、話しかけることはありませんでした。それからその資産家はある配下の者に次のように命じました。『あの貧しい男に、お前は解放された。どこでも好きな所に行けば良いと言いなさい』と。そう命じられた配下の者はそのようにその貧しい男に言いました。そこで、その貧しい男は立ち上がり、衣食を求めて、貧民街へと行きました。資産家は顔色が悪く、弱々しい配下の者二人を呼び、こう言いました。『お前たちは先ほどの貧しい男のところに行き、自分の言葉で今までの二倍の給料で雇い、ここに連れて来なさい。そして、どのような仕事をするのか?と尋ねられたら、一緒に肥溜めの掃除をするのだと言いなさい』と。すると、言いつけられた二人の者は、その貧しい男を見つけ出し、資産家の豪邸の近くに三人で住み込んで、資産家のお城のような豪邸の肥溜めの掃除をします。すると、資産家も豪邸から出てきて、きれいに着飾った服を脱ぎ、汚れた服に着替えて、右手に入れ物を持ち、泥で自分の身体を汚し、遠くから声を掛けながら息子であるその貧しい男のところまで来ました。『さあさあ、仕事をするんだ。怠けていては駄目だ。働け』と話しかけ、さらに次のように言いました。『お前はもうどこにも行くな。ここで仕事をしろ。その代わり、お前には特別の報酬を与えよう。食べる物でも着る物でも、必要なものは何でも求めるが良い。怖がることは何もない。お前は私を父親のように考えれば良いのだ。お前は若いし、私は歳を取っている。お前はここで肥溜めを掃除しながら私のために色々なことをしてくれた。しかも、お前はここで嘘をついたり、正直でなかったり、自慢したり、人を軽蔑したりしたことはない。私には配下の者が多数いるが、他の者は正しくないことをしたり、言ったりする。しかし、お前はそんなことはしない。私にとって、お前は本当の息子のようなものなのだ』と。そこで、その資産家はその貧しい男に『息子』という名前をつけるとします。そして、その貧しい男は、その資産家の傍にいて父親という思いを抱きました。その資産家は息子に対する愛情に飢えていて、二十年間、このように肥溜めの掃除をさせます。こうして二十年が経ち、その貧しい男は、資産家の豪邸に、自然に出入りするようになりますが、なお、豪邸の近くのボロ家に住んでいました。ところが、体力が衰え、死期が近付いていることを知ると、その資産家は、その貧しい男に次のように言いました。『ボロ家を出て、こっちに来なさい。私には莫大な金銀財宝があるし、豪華な家もある。私は死期が近付いてきていて、この財産をどのようにするか悩んでいる。お前には私の莫大な財産のすべてを知っておいて欲しい。私はこの財産の所有者ではあるが、お前もまた、同じようなものだからだ。だから、私のためにこれらの財産を管理して欲しい』と。このように言われたその貧しい男は、その資産家の財産を逐一調べ上げ、完全に把握しました。しかし、自分自身はそれらの財産について無欲であり、その中からほんのわずかの報酬も要求しませんでした。そして自分自身は貧しいのだという思いを抱きながら、相変わらず、近くのボロ家で暮らしていました。一方、その資産家は「息子」と呼んだその貧しい男が有能な財産管理人に成長していることを知ります。同時にその資産家は、息子の心が、研ぎ澄まされてはいるものの、かつての貧しい心が抜けきれておらず、恐怖心を抱いたり、恥ずかしいと思ったり、自己嫌悪に陥ったりしていることを知っていました。その資産家は死期が近付くと、その貧しい男を枕元に連れてきて、親戚縁者や、地元の有力者、あるいは近所の人々を前にして宣言しました。『皆さん、このみすぼらしい男は実は私の息子なのです。この息子は昔、私のところから家出をし、名前を変え、諸国を放浪していました。私も、名前を変え、息子を探し求めながら諸国を放浪し、ここにやって来ました。私は、私の莫大な全財産をこの男に相続させます。私のすべての財産を完全に把握しているのはこの息子だけなのです』と。その男は、資産家の突然の言葉を聞いて、不思議な思いにとらわれながらも、次のように考えるでしょう。『私は金銀財宝やさらには豪邸までも、特に考えもせずに手に入れたのだ』と。まさに、同じように、私達も似たようなものであり、如来はその資産家のように、私達に『お前達は私の子ども達である』とおっしゃられます。また、私達は三つの苦しみ、すなわち、好ましくないものによって受ける苦しみ、世の中が絶え間なく変化することによって受ける苦しみ、さらに好ましいものが変化し、壊れていくことによって受ける苦しみに苦しめられていました。さらに、六道輪廻するこの世の中で、すべての者が正しく完全な悟りに至るわけではないという劣った教えを信じる気持ちを持っていました。それゆえにお釈迦様は、私達に肥溜めの掃除ような、より一層劣った教えについて考えさせ、私達はその教えに専念しました。その貧しい男が一日の稼ぎを求めていたように、私達は努力し、精進し、安らぎのみを求めて探し回りました。私達はその安らぎを得たと思って満足していました。お釈迦様の傍で、お釈迦様の教えに専念し、努力し、精進したので、多くのものを得ることができたのだと考えていました。しかし、お釈迦様は、私達に劣った教えを信じる気持ちがあることを見抜いておられ、だからこそ、お釈迦様は私達を放置し、私達に『如来が持っている知識の宝庫がお前達のものになるだろう』とおっしゃることはありませんでした。ただ、私達はお釈迦様の巧みなる方便により、この如来の知恵の管理人となり、他の人に説法するまでになりました。しかし、私達はその如来の知恵そのものに対しては無関心であり、次のように考えていました。『貧しい男が肥溜めを掃除して一日の稼ぎを得るのと同じように、私達が如来の傍で安らぎを得ること、これこそが私達にとって非常にありがたいことなのだ』と。お釈迦様。私達は既に偉大な存在である菩薩の域に達した人々に如来の知恵について説法をなし、如来の知恵を示し、説き明かしてきました。しかし、私達自身はそれらの如来の知恵に対しては無関心であり、傲慢でした。如来は私達の信仰心をご存知でしたが、私達は自分がお釈迦様の真の子どもであること、あるいはお釈迦様が今、語られたことすら知ることもなく、理解することもなかったからです。それでもお釈迦様は、私達のために、私達が如来の知恵の相続人であることを思い出させようとしておられます。それは私達が、今なお、劣った教えを信じる気持ちを持っているからです。お釈迦様は私達が最初から信仰心を持っていることを見出されていたのならば、私達のことを『声聞』ではなく、『菩薩』と呼んだことでしょう。さらにお釈迦様は二つのことをなさいました。菩薩達の目の前で、私達のことを劣った教えを信じる気持ちを持つ者と言われ、また、その私達を正しく完全な悟りへと向かうように励まして下さったのです。そして、今、お釈迦様は私達に信仰心があることを理解され、この教えを説かれました。私達は次のように申し上げます。『私達は、如来の知恵というものに無関心でしたが、あたかも如来の子ども達が知恵という宝を得たのと同じように、私達も何も望まず、求めず、考えもせず、欲しいとも思わなかったのに、完全な悟りに至り、知恵という宝を思いがけず手に入れることができました』と。私達は、本当は素晴らしいものを持っていることに気付かされたのです」
すると、そこでマハーカーシャパは同じ意味のことを詩にして、吟じてみせた。