善逸と禰豆子が恋人になって、二週間ほど経ったある日の朝。
善逸と伊之助に庭で薪割りをしてもらっている間、禰豆子と二人で居間でお茶を飲んでいると、禰豆子がとんとんと俺の肩を叩いてきた。
「ねぇ、お兄ちゃん。後で街に買い物に行こうと思うんだけど、お兄ちゃんも一緒に行く?」
「んー、そうだなぁ」
最後に炭を売りに行ってから少し日が開いてるし、行きたいところではあるんだけど……。でも、さすがに恋人になったばかりの二人を邪魔するわけにはいかないよな。
「いや、俺はやめておくよ」
「え? 行かないの?」
「うん。家のことは俺に任せて、ゆっくり楽しんでおいで」
そう言うと、禰豆子は残念そうに「そっかぁ」と肩を落としたが、我儘を言うべきじゃないと思ったのか、すぐに「わかった」と了承した。
「じゃあ、善逸さんと伊之助さんと一緒に行ってくるね」
「え!? 伊之助も一緒に行くのか!?」
「そのつもりだけど……。もしかして、伊之助さんに何かお願いしたいことでもあったの?」
「そういうわけじゃないけど……。禰豆子は少し前に善逸と恋人になったばかりだろ? だから、二人の時間を作った方がいいような気がして……」
「あははっ、別にそんな風に気を遣ってくれなくても大丈夫だよ。善逸さんと過ごす時間も大切だけど、それと同じくらい、お兄ちゃんや伊之助さんと過ごす時間も大切だもん」
満面の笑みでそんなことを言う禰豆子。
その瞬間、善逸達がいる方向から敵意のような匂いが漂ってきた。
多分、善逸がまた俺や伊之助に嫉妬してるんだろうな……。善逸の耳なら俺達の会話も聞こえてるだろうし……。恋人になったんだからもっとどっしり構えればいいのになぁ。善逸は良くも悪くも自分の気持ちに素直過ぎると思う。
「でも、そういうことなら俺も一緒に行こうかな」
「え? いいの?」
「うん。ちょうど炭を売りに行こうと思ってたところだから」
「あ、そうなんだ。私も手伝おうか?」
「ううん、いつも通り俺と伊之助で売ってくるから大丈夫だよ。禰豆子は善逸と二人で必要な物を買ってきてくれると助かる」
そう言うと、禰豆子は目をぱちくりと瞬かせた後、照れ臭そうにはにかんだ。
「もうっ、気を遣わなくていいって言ってるのに」
「別に気を遣ってるわけじゃないよ。俺がそうしたいからしてるだけ」
「それならいいけど……。お兄ちゃんが私の幸せを願ってくれてるように、私だってお兄ちゃんの幸せを願ってるんだから、私のために我慢したりしなくていいんだからね?」
「うん、分かってる。ありがとな、禰豆子」
「うん。私の方こそありがとね、お兄ちゃん」
そう言って、幸せそうに微笑む禰豆子。
会話が一段落したところで、俺は右手で湯飲みを手に取り、お茶を一口飲んだ。
幸せだな……。
ふと、そう思う。家族と過ごすだけの何の変哲もない日常。
きっと、世の中の多くの人はこんな時間を退屈だと思うんだろうけど、俺はこういう時間が当たり前じゃないことを知っているから、この何気ない時間がたまらなく愛おしく思える。
こんな日々がいつまでも続いてくれたらいいのにな……。
そんな、叶わないと分かっていることを願いながら再びお茶を口にしたところで、禰豆子が俺の顔を覗き込んできた。
「そういえば、お兄ちゃんは誰かと恋人になろうとは思わないの?」
「……っ!」
突然の質問に、お茶を吹き出しそうになるのを必死に堪える。しかし、堪えた結果、今度は気管にお茶が入り込んでしまった。
「げほっ、ごほっ!」
「お、お兄ちゃん!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫……。びっくりして、お茶が変なところに入っちゃっただけだから……」
「それならいいけど……。いくら何でも慌てすぎじゃない?」
「ごめんごめん、あまりにも唐突だったから……」
そう返事しながら呼吸を整えていると、禰豆子が心配そうに背中をさすってくれた。
「それで? 実際のところ、どうなの?」
なおも興味深そうに問いかけてくる禰豆子。
てっきり今の事故でこの話は流れたものかと思ってたんだけど……。まぁ、禰豆子も年頃の女の子だし、そういうことに興味を持って当然か。
「正直に言うと、そういう気持ちはあるよ」
「あ、そうなんだ! 相手はやっぱりカナヲちゃん?」
「……っ!? な、何でカナヲの名前が!?」
「え? だって、お兄ちゃん、年上の方が好きでしょ?」
「え? いや、そんなことは……」
ない、と言おうとして、口ごもる。
今まではあまり意識してなかったけど、確かにそういうところはあったかもしれない。しのぶさんや甘露寺さんと話す時は、顔が火照るような感覚があったし……。長男の性なのか、年下の子はどうも『妹』って認識になっちゃうんだよなぁ。
「それに、お兄ちゃん、自分じゃ気付いてないと思うけど、カナヲちゃんと話す時は頬が赤くなってるから」
「え!? そうなのか!?」
「うん。アオイちゃんもそう言ってたから、気付いてる人は気付いてると思うよ」
「そっかぁ……。二人が気付いてるってことは、カナヲも気付いてるんだろうなぁ……」
「多分ね。でも、お兄ちゃんだって、カナヲちゃんの気持ちは匂いで分かってるんでしょ?」
「まぁ、うん……」
昔から匂いで色々なことを判別できたけど、あの戦いの日々を通して、より正確に嗅ぎ分けることができるようになったからなぁ。だから、カナヲが俺に好意を持ってくれていることにも気が付いている。
「実際のところ、カナヲちゃんはお兄ちゃんのことをどう思ってるの? 少なくとも、嫌われてはいないよね?」
「うん。っていうか、普通に好かれてると思うよ」
「あ、やっぱりそうなんだ! いつ告白するの?」
「いや、告白はしないよ」
「え? 両想いなのに?」
何で? と不思議そうに首を傾げる禰豆子。
禰豆子が疑問に思うのも当然だと思う。
あの戦いが終わってからもうかなりの月日が経過しているけど、俺はいまだに痣の寿命のことを禰豆子に説明していないから。
幸せそうに暮らしている禰豆子に暗い話をするべきじゃないと思って、今まではその話には触れないようにしてたけど、どうせいつかは言わないといけなくなるんだし、良い機会だと思って話しておいた方がいいかもしれないな。
俺はそう腹を括った後、居住まいを正し、禰豆子と正面から向き合った。
「あのさ、禰豆子。良い機会だから、俺の体のことについて話しておこうと思うんだ」
「お兄ちゃんの体のこと?」
「うん。俺の額の痣、昔と比べて濃くなってるだろ? これは自分の限界以上の力を引き出す度に濃くなっていったんだけど……。輝利哉くんに聞いてみたら、その力は寿命を前借りして出してた力らしいんだ」
「寿命を、前借り?」
「うん。過去の記録だと、縁壱さん以外の痣を出した人は二十五歳になる前にみんな亡くなっちゃってるんだって」
「縁壱さん?」
誰、その人? とでも言うように首を傾げる禰豆子。
あ、そっか。縁壱さんのことは先祖の記憶で見ただけだから禰豆子は知らないんだ。輝利哉くんにも調べてもらったけど、縁壱さんについて書かれていることは剣の腕と強さのことばかりで、縁壱さんの人となりについての記録はほとんどなかったからなぁ。先祖の記憶だけとはいえ、俺は縁壱さんのことを知っている数少ない人物なわけだし、俺が知っていることだけでも記録として残した方がいいのかもしれない。
そんな風に縁壱さんのことを考えていると、禰豆子が心配そうに俺の袖を摘まんできた。
「お兄ちゃんがその、縁壱さん? みたいに死なない可能性はないの?」
「んー、どうだろう? 縁壱さんと同じ日の呼吸を使えてるとはいえ、日の呼吸と痣の寿命に関しては何の関係もないだろうからなぁ。縁壱さん自身が『私は恐らく鬼舞辻無惨を倒す為に特別強く造られて生まれてきたのだと思う』って言ってたことを考えると、そうじゃない俺は長生きできないと思う」
「そっかぁ……」
「うん。でも、悲しむことじゃないよ。痣を出してなかったら、もっと前に鬼に殺されてただろうし。こうして寿命のことで悩めるだけ、幸せだと思わないと」
嘘でも何でもなく、本心からそう思う。だって、痣を出して戦っていなかったら、無惨を倒すこともできなかっただろうし、禰豆子は無惨に喰われていたかもしれないのだから。こうして鬼のいない世界で禰豆子と一緒に暮らせる未来を手にしたのだから、達成感や満足感こそあれ、後悔なんてあるわけがない。
「でも、それはそれとして、そういう爆弾を抱えていることも考えて生きていかないといけないと思うんだ。結婚して欲しいって言うのは簡単だけど、先が長くないのに結婚するのは、相手のことを思うとあまりにも無責任だと思うし……。それに、子供ができた場合、俺が死んだ後は一人で子育てしないといけなくなっちゃうだろ? そんな苦労を背負わせるくらいなら、もっと良い人と巡り合って幸せになった方がカナヲのためにも良いと思うんだ」
「んー、それは違う気が――」
禰豆子がそこまで口にした瞬間。
「おぉ! 誰かと思ったら、半々羽織じゃねぇか!」
突然、庭の方から伊之助の大きな声が聞こえてきた。
伊之助が半々羽織と呼ぶ人は一人しかいない。
庭の方を覗き込むと、案の定、そこには義勇さんがいた。
「義勇さん! お久しぶりです!」
久しぶりの再会に自然と声が弾む。
慌てて駆け寄っていくと、義勇さんは照れくさそうな笑みを浮かべたが、すぐに表情を切り替えた。
「炭治郎に報告したいことがあってな。少しだけ上がってもいいか?」
「え? あ、はい、分かりました。どうぞ上がってください」
義勇さんの神妙な表情を見て、自然と背筋が伸びる。
大事な話って、いったい何だろう? わざわざ家に来るってことは、手紙じゃ済ませられない用事なんだろうけど……。まさか、痣の寿命のことだろうか?
そう思いながらすんすんっと匂いを嗅ぐと、今までの義勇さんからは考えられないくらい幸せそうな――それこそ、善逸が禰豆子と恋人になった後に漂わせていたような匂いがした。
この匂い……。もしかして、恋人でもできたのかな? それとも、好きな人ができたから相談に乗って欲しいとか、そういう話だろうか? いずれにせよ、義勇さんにそういう相手ができたのだとしたら喜ばしいことだと思う。
正座している義勇さんにお茶を用意した後、義勇さんと向かい合うように正座すると、義勇さんはお茶を一口飲んだ後、俺の目をまっすぐ見つめ、はっきりと言った。
「実は、祝言を挙げることになったんだ」
「……しゅうげん?」
言われた言葉を理解できず、脳内で何度か反芻する。
しゅうげん、しゅうげん、しゅうげん……祝言!?
「え!? 義勇さん、結婚するんですか!?」
「ああ。一月ほど前に、かつて俺が助けた人と再会してな。結婚したいと言ってくれたんだ」
「そうなんですね! おめでとうございます!」
思わず立ち上がりそうになるのを抑え、義勇さんに祝福の言葉を送る。
そっか、義勇さん、結婚するのかぁ。よかった、本当によかった……。
鬼殺隊として戦っていた時の義勇さんを知っているだけに、そう思わずにはいられない。当時の義勇さんはいつも張り詰めていて、見ているこっちが辛くなるような匂いをさせていたから、義勇さんが幸せを掴み取ったという事実が、涙が溢れてきそうになるほど嬉しい。
ただ……。
ふと、さっき禰豆子と話していたことが脳裏を過る。
痣の代償による寿命は二十五歳の頃。つまり、義勇さんはもう五年も生きられないはずだ。義勇さんはそのことについてはどう考えているんだろう? 義勇さんが何も考えずに結婚に踏み切るとは思えないけど……。
「炭治郎? どうかしたのか?」
「……え!?」
呼びかけられ、はっとする。
義勇さんの顔を見ると、凄く心配そうに俺のことを見つめていた。
「あ、す、すみません、随分急な話だったので、驚いてしまって……。確か、先月会った時にはそんな話はしてませんでしたよね?」
「ああ。俺自身、先月まではこんな道を選ぶことになるなんて思いもしてなかった。ただ、妻と一緒に過ごしている内に考えが変わってな。葛藤もあったが、最終的にこういう道を選ぶことにしたんだ」
「……そうですか。本当におめでとうございます」
改めて祝福の言葉を送る。
本当は寿命のこととか、どういう経緯で結婚しようと思い至ったのかとか、他にも聞きたいことはいっぱいあったけど、幸せな匂いで包まれている義勇さんの気持ちに水を差すようなことだけはしたくなかったから言葉を飲み込んだ。
「ちなみに、日取りはいつなんですか?」
「一月後に俺の家で執り行う予定だ。正確な日時は改めて連絡する。場所は分かるな?」
「はい、覚えてます」
「そうか。なら、参加してもらえると助かる」
そう言うや否や、その場からすっと立ち上がる義勇さん。
「え!? もう行かれるんですか!?」
「ああ。俺の妻は鬼に身内を殺されていてな。妻から『お礼が言いたいから、鬼殺隊のみんなを祝言に呼んで欲しい』と頼まれているから、あまりゆっくりできないんだ」
「そうなんですね……。禰豆子達には俺から声をかけておきましょうか?」
「そうしてもらえると助かる。本当は俺が声をかけた方がいいのだろうが、禰豆子達に話せば騒がしくなるのは目に見えてるからな。できることなら避けたい」
「分かりました。そういうことでしたら三人には俺から伝えます」
そう伝えると、義勇さんは「すまないな」と申し訳なさそうに苦笑した。
こんな風に優しく笑いかけてくれるようになったのも、義勇さんの大きな変化だと思う。
義勇さんを見送った後、再び居間に戻ると、禰豆子がてこてこと居間に戻ってきた。
「義勇さん、あっという間に帰っちゃったね」
「うん。鬼殺隊のみんなを祝言に招待するために一人一人声をかけていってるところだから忙しいんだって」
「そっかぁ。ゆっくり話したかったなぁ……って、え? 今、祝言って言った?」
「うん、言った。義勇さん、結婚するんだって」
「そうなの!? そっかぁ、義勇さんが……」
涙ぐみながら感慨深そうに呟く禰豆子。
その様子を黙って見ていると、数秒ほど経ったところで、禰豆子は残念そうに肩を落とした。
「でも、それならなおさらゆっくり話したかったなぁ。直接お祝いしたかったし、相手の人がどんな人なのかとか、馴れ初めとか聞きたかったし……」
「多分、そうなるから俺にしか言わなかったんだと思うよ」
「え? ……あ、そっか。急いでるなら質問攻めされたら困るもんね」
禰豆子は恥じ入るように苦笑した後、考え込むように顎に手を当てるような仕草をした。
「でも、祝言となると色々準備しないといけないね」
「そうだなぁ。そういうお祝い事に着ていく服とか持ってないし……。後で街に行く時に、必要になりそうな物を一通り買っておこうか」
「うん。……あ、でも、待って。お兄ちゃん、そろそろ定期健診の時期だったよね?」
「うん。来週行くつもりだよ」
「それなら、定期健診のついでにカナヲちゃんを買い物に誘ってみたら? 鬼殺隊のみんなを招待するなら、カナヲちゃんもそういう服が必要なはずでしょ?」
「あー、確かに。でも、予定合うかな? カナヲは医者の仕事で忙しいと思うけど……」
「定休日もあるって言ってたから大丈夫だと思うよ。とりあえず、聞くだけ聞いてみたらいいんじゃない? お兄ちゃんもカナヲちゃんと買い物に行くのが嫌なわけじゃないんでしょ?」
「うん、もちろん」
というか、むしろ行ってみたいという気持ちの方が大きいくらいだ。鬼殺隊にいた時もカナヲと任務で一緒になることはなかったし、柱稽古の時もカナヲとは会えなかったからなぁ。蝶屋敷以外でのカナヲがどんな感じなのかは素直に気になる。
「分かった。じゃあ、誘うだけ誘ってみるよ」
「うん! 頑張ってね、お兄ちゃん!」
そう言って、両手で握りこぶしを作る禰豆子。
こうして、俺はカナヲを買い物に誘うことにした。
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