字のごとく、死した存在の魂魄や霊体の召喚・交信・使役を生業とする者たちの総称だ。死霊術の他、降霊術や霊魂術、その道を極めた者であれば、死者の蘇生など輪廻の理にすら介入し得る禁術を行使できるという。
しかし、世間一般に見れば死霊術師の肩身は狭い。
分類としては黒魔術に属し、眠れる魂魄を再び呼び起こしている訳であるから、倫理や道徳の観点から見れば諸手を挙げて歓迎されることは稀だ。
それでも魔道の道を極めんとする者は確かに居るが、そうした者たちは自然と他者との関わりを断つようになっていく。
向けられる視線と心無い言葉から離れるため、ということがひとつ。
もうひとつは、
いつか訪れる別れを、自らの手で汚さないためだ。
◇◆◇
王国の城下町から少し離れた場所に位置する、手付かずの森。
多くの動植物が生息するこの自然豊かな地に訪れた目的は、とある人物に会うため。付け加えて言うのであれば、その人物は極度の人見知り(かなりマイルドな表現)であるため、片手で数えられるくらいの人しか会うことが適わないのである。
本来交渉を担当する予定であったノエル団長は火急の任務が入ってしまったため、急遽自分に白羽の矢が立ったというのが事の顛末だ。
かくいう自分とて、彼女とは特別親しいという訳では無いのだ。人相や人柄こそ知ってはいるが、それも団長のお付きで訪れた際に見た程度のもの。実際に言葉を交わしたことはないのだから。
果たして、気難しい彼女は今回の訪問を受け入れてくれるのだろうか。
がさり、と茂みを掻き分けて一歩踏み出したその瞬間、空気の質が僅かに変質したのを鎧の下で感じ取った。深い穏やかな森林の香りと静謐な空気が満たしていた空間から、生命の気配が薄れていく。
同時に覚える、冷たい息苦しさ。
彼女の領域に踏み入ったことの証左だ。
余程のことが無ければ、普通の生物はこの異質な空気に呑まれて後戻りをするだろう。だからこそ彼女は、この人里離れた森の奥に住んでいるのだ。不必要な生者との接触を断つために。
後退りしそうになる脚に喝を入れて、再度1歩を踏み出した。
◇◆◇
そのまま歩くこと数分。
唐突に視界が開け、小さな洋館が姿を現した。外壁を蔦に覆われてはいるが、ひび割れや崩れた箇所はなく綺麗に整備されている。うっすらとした乳白色の霧に烟るその姿は、確かに幽世の気配を漂わせていた。
丁寧に剪定された中庭へ入り、石造りの通路を歩いていく。
これだけ美しい外観を持っていながら、およそ生物の気配を感じられない。虫のさざめき、鳥の鳴き声、風の吹く音ひとつさえも。……今更ながら、本当に目的の人物がここに居るのかどうか不安になってきた。
さてどうしたものか、と考えていると、視界に何かが入り込む。
ふわり、と羽ばたいたそれは、1匹の美しい夜光蝶であった。幻想的な青い鱗粉を漂わせながら、まるでボディチェックをするかのように自分の周囲をクルクルと飛び回る。何周かした後、ゆったりと正面玄関と思しき扉の前まで飛んでいく蝶。
もしかして先導してくれているのだろうか。どちらにせよ、このまま足踏みしていても仕方がない。
後を追って扉の前まで歩いていくと、役目は果たしたと言わんばかりにその姿は空気に溶けるように消えていった。
意を決し、扉を押し上げる。見た目に反して滑らかな動作で開いたそれを押し広げると、淡い光の筋が内部を照らし出す。
内部の作りは特別変わった所はない。基本的な構造のエントランスに、踊り場から左右へ伸びる階段。小綺麗なカーペットには埃が積もっている様子はなく、蜘蛛の巣なども見当たらない。館の主が気を配っているのだろう。
後ろ手に扉を閉め、僅かな警戒を忘れないようにしつつ視線を巡らせる。中に入れたはいいが、この洋館を端から端まで手当り次第訪ねるのは中々に骨だ―――
「―――誰なのです?」
よく通るソプラノボイスが、思考を遮った。
ハッとして声のした方向に顔を向けると、そこには先程まで居なかったはずの少女が佇んでいた。
明るいエメラルドの髪を左右の頭頂で纏めた、小柄な少女。警戒するようにこちらを見つめる双眸は血のように赤く、身に纏う装束に施された蝶の意匠は確か、彼女の御家が掲げていたものだったか。
彼女から放たれる濃密な「死」の空気に思わず息が詰まりそうになる。やはり、自分程度ではこうなってしまうか……!
来訪の目的を伝えようとする心とは裏腹に、少女の発する圧に充てられて強張った身体は上手く動かない。無言を敵意と受け取ったのか、少女の瞳がすうっと細められる。
「…勝手に人の家に上がり込んで、弁明も謝罪も無しですか。その戦装束は白銀聖騎士団のものですが、あなたのような無作法者が聖騎士とは思えないのです。盗品の類であれば後からノエルに返すとして、
ボゥ、とその指先に燐光が灯る。
話し合いをする前に臨戦態勢に移ってしまった少女に、大慌てで懐から1枚の手紙を取り出す。両手を上げて敵意がないことをアピールしながら必死に白銀聖騎士団としての正式な遣いであることを伝える。
少女は胡乱気な瞳でこちらを見詰めたまま、おもむろに指を弾いた。すると、足元から現れた無数の骨片がカタカタと組み上がっていき、1人分の骸骨となった。骸骨は私が手に持っていた手紙を受け取ると、主のもとへと歩いていく。
間近で見せられた怪奇現象に肝を冷やしつつ、少女が手紙を読み終わるのを待つ。ファーストコンタクトは最悪に近いが、あの手紙を読めばきっと協力してくれるはず。
そうしているうちに手紙を読み終わったらしく、折りたたんで封書に戻した彼女は小さくため息を吐いた。こちらを射抜く視線からは、既に敵意は霧散していた。
「……要件は分かりました。白銀聖騎士団の協力要請、潤羽家現当主潤羽るしあがお受け致します」
◇◆◇
「……それで、ノエルの代役としてあなたが来たと」
「―――、?」
「う……それについては申し訳ないのです。ノエル以外で態々こんな所まで足を運ぶ人が居るとは思いませんでしたし、るしあの魔術資料を盗みに来た悪党という線も消しきれなかったのです」
「―――?」
「え? う、うん。住んでるのはるしあ1人なのです。掃除とかは使い魔の皆さんにやって貰っているので、特に不便を感じたことはないですが……」
こちらの素性が判別したことでようやく『圧』が消え、代わりに彼女本来の小動物のような性格が段々と垣間見えてきた。この洋館でひっそりと暮らす彼女だが、それはそれとして寂しさはあるらしい。こうして足を運ぶ人間も稀であるから、お喋りの相手は基本的に使い魔とのコミュニケーションくらいだとか。
「ふーん。キミ、副団長なんだね。あれだけの団員さんが居て、その中で事実上のトップってことでしょ? すごいねぇ」
「―――。」
「ノエルはどう? 元気にしてる? ……うん、そっか。あの子もお人好しだから、きっとまたどこかで無理しちゃうこともあると思うんだよね。その時は、キミがしっかり支えてあげてほしいな」
「―――!」
「ふふ、いい返事。るしあの代わりに、しっかりお願いね?」
外見は齢二十にも満たないであろうに、何処か大樹のような落ち着きを感じさせる声音で彼女はそう言う。……確か、死霊術師の中には自らの生死の境界すらも曖昧にすることができると聞いたことがある。もしくは、彼女自身が人間ではなく魔界の出身であると考えれば―――
……やめよう。
いくら自分が考えても詮無きことだ。
今はただ、白銀聖騎士団副団長としての務めを果たすだけでいい。
「―――?」
「うん。じゃあ、早速始めちゃおうか。術式はもう組み終わってるから、すぐにでも始められるよ」
いつの間に、と素直に驚く私を見て、彼女は悪戯っぽく笑った。
◇◆◇
事の経緯はこうだ。
数日前に狩りへ出掛けた夫が戻ってこないと、騎士団に通報が入った。昼夜問わず多くの人員を投入して捜索にあたったが、手がかりのひとつも見当たらない。状況から考えると、魔獣の類に襲われたか、野盗などに着ぐるみを剥がれて殺されたかのどちらかだろう、と団としては結論を出した。
この国ではそう珍しくもないケースだったが、諦めきれない妻は、どうにかして夫の遺品を探して欲しいと引き下がらなかった。それで何か見つかったのであれば諦めます、と。
……要は、切っ掛けが欲しいのだろう。
頭で理解していても、強い未練を断つのは簡単ではない。『遺品』という物によって、『夫が死んだ』という事実を自らに認識させるための防衛的反応なのだ。
「今から行うのは『還魂術』という霊魂術の1種。東国では黄泉比良坂とも呼ばれる、冥界へと向かう道程にいる魂を呼び出して交信するもの。あくまで交信ですからこの世界に物理的な影響を及ぼすことは出来ないということと、完全に冥界へ定着してしまった魂はこの程度の術では呼び出せません」
「―――。」
「まず前提として、この術式に応じるということは対象が亡くなっているということ。そして、応じないのであればまだ生きているか、既に冥界の住人となっているかのどちらかなのです。さらに注意点なのですが、あなたは呼び出された者の魂と一切の会話をしてはいけません。耐性のないものが交信を行えば、正気を保っていられる保証はないのです。……それでも、同席したいのですか?」
「―――!」
「……分かりました。万が一には備えておきますが、今伝えた事は絶対に守るようにお願いします」
水銀で描かれた精巧な魔法陣を前に、朗々と詠唱が紡がれていく。彼女の詠唱に呼応するかのように水銀が光を放ち、蝋燭と紫水晶のみで照らされていた室内を青白く染め上げる。
同時に、何処からか風が吹く。締め切られているはずの部屋に、無機質な冷たさを纏う風が頬を撫でた。身震いひとつ、無意識に腰に提げる剣の柄に手が触れる。
いよいよ術式も佳境を迎えたのか、詠唱の強さと魔法陣の光が共鳴するように強まっていく。
「―――境界を繋ぐ要石。逆しまの砂時計。突き立てる霊銀の楔。汝、我が呼び声に応え、その姿を現し給え」
一際強く魔法陣が発光し、思わず目を庇う。そっと手を下ろした時―――そこには、1人の男性の姿があった。髭を蓄えた彫りの深い顔立ちだが、その瞳には感情の色が感じられなかった。
ゆっくりと周囲を見渡す。そして私たちを視界に捉えると、合点がいったように1人頷いた。
『……ああ。そうか……私は、死んでしまったのか。こうして呼び出された今、ようやく理解できた。……私を呼び出したのは、そちらのお嬢さんかな?』
「はい。安らかな眠りを望まれていたことは承知しているのです。しかし、残された貴方の妻はそうではない。深い悲しみと絶望に沈む中で、それでもと私に依頼されたのです」
『うむ……そうだろうな。妻には申し訳ないことをした。……しかし、今の私からしてあげられることは、何もないのではないかな』
「妻からの依頼は遺品の捜索。……命絶える直前、あなたが何処で何をしていたのか。その時の所有品などについて、心当たりがあれば話してほしいのです。それさえ分かれば、あとは私たちが引き受けます」
『最期。最期、か。覚えていることといっても、あまりにも少ないのだが……確か、闇、暗闇だった』
「……他に、感じたことや聞こえたこと。何でも良いので覚えている限りのことを」
『あとは、そうだな。あれは……光? 薄紫色の光が、見えた気がする。後は、熱と、痛み、と。獣の唸り声、が……! 俺の、腕を、食っていて……あァ、嫌だ、助けてッ! 喰われる!! 嫌だ、死にたくないッ!! なぁっ! 見てないで助けてくれよォッ!!?』
「―――ッ!?」
「危ない、下がって!」
突如として半狂乱となり、るしあさんの後ろに控えていた私に飛び掛かろうとする男性。しかし、るしあさんがその間に割り入ったことで彼の手は空を切り、突き飛ばされた私は無様に尻もちをつく。
「……死者の中には、自らの死を認識できないまま霊魂となる者もいます。この方のように、私たちが語りかけることで自らの死を認識する方もいるのです。……呼び出した時の穏やかな雰囲気からして、何となくそんな感じはしていました」
そう言って男性を見つめる彼女の瞳からは、感情が読み取れない。転がる私を庇うように立ちながら、その視線はずっと荒ぶる男性の霊魂へと向け続けられている。
宥めるでもなく、祓うでもなく、ただじっと。
今際の際の絶望と悲しみを叫ぶその姿を、魂に刻むように。
「……刻限なのです」
『―――あ、ァ……すまない、ナタリア……』
その言葉を最後に、空気に溶けるように消えていった。
魔法陣の輝きも、吹き荒んでいた風も、全てが嘘だったかのように元通りになる。しかし、早鐘を打つ心の臓と、背中を濡らす気持ちの悪い汗が、今のが紛れもない現実の出来事であったと告げている。
なんとか立ち上がるが、酷く気分が悪い。そんな私の姿に、るしあさんは僅かに苦笑を覗かせた。
「初めての還魂に立ち会って、気絶していないだけ立派なのです。その身体で帰るのは大変でしょうし、少し休んでいってください」
◇◆◇
「どうぞ。鎮静作用のある薬草を調合したハーブティーなのです」
ありがとうございます、と受け取り遠慮なく口にする。清涼感のある香りが鼻に抜け、嫌な寒気に震えていた身体を芯から温めていく。カップの半分程を飲み下したところで、ようやく人心地をつけたような気がした。
そんな私の心中を知ってか知らずか、対面に座るるしあさんが口を開いた。
「どうでしたか? 死者との邂逅は」
「―――、」
今更誤魔化す気にもなれず、素直に胸の内を吐露する。文字に起こせば単純な出来事であっても、実際にこの身で体感してみて理解できた。成程確かに、これは生半な気持ちで手を出して良い類のものでは無いと。
下手をすれば、こちらの身をも危険に晒しかねない。
「その通りです。死者と生者の接触は、本来あってはならないこと。その道理を捻じ曲げられてしまうからこそ、るしあ達
「……。」
「あなたも、今回の件で理解してくれたと思いますが。体調が戻り次第、なるべく早く騎士団本部に戻った方がいいのですよ」
ともあれ、今回得られた情報は貴重なものだ。彼の発言からして、実際に亡くなった場所は王国北部の山岳地帯だろう。その中でも紫水晶が採れる洞窟と言えばかなり限られる。……そして、彼を殺めたのは恐らく魔獣の類。
しかも、近隣の森から北部の山岳地帯まで成人男性1人を捕らえて移動できるということは、かなり大型の魔獣だろう。そんな生物が王国の付近まで足を伸ばしてきたということは、討伐隊の編成も視野に居れるべきか。
つらつらと思案しながら過ごすこと半刻程度。ようやく身体の具合も普段程度まで快復してきたため、帰り支度を始める。その間、何かの書物を読んでいたるしあさんだが、見送りのために正面玄関まで来てくれた。
「―――、」
「うん。気を付けてね。……もう会うこともないと思うけど」
そう言って、少し寂しそうに笑うるしあさん。
やはり、1人で長い時間を過ごすのは寂しいのだろう。彼女には協力していただいた恩もあるし、個人的にももう少しお話していたかった思いはあるのだが……。
「―――!」
「えっ? い、いいよ別に、キミも忙しいでしょ! 態々こんな所まで来なくたって、るしあは慣れてるからさ……いやほんとに! 大丈夫だってばぁ!」
しばしの押し問答。
「―――?」
「う、うん。それじゃあ本当に気をつけて帰ってね」
ばいばい、と小さく胸の前で手を振るるしあさんに見送られながら洋館を後にする。本部に戻ったらまた仕事の山だな、とげんなりしつつも、行きより少しだけ重くなったような気がする肩をコキリと回した。
「……いい子だったなぁ。いつか、ノエルの元を離れた時は……るしあが貰っちゃっても、良いかな?」
……なんだか寒気がする。
近いうち、教会でお祓いして貰おうか……。