「―――いやぁ、やはり語り合う相手がいるというのはいいものでござるな。あっという間に時間が過ぎていくでござる」
朗らかに笑いながらそう言うのは、秘密結社holoXの用心棒こと
ひとつにまとめた色素の薄い金髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。翡翠の双眸は柔和な光を宿し、健康的なスポーツウェアに包まれた肉体には一切の無駄がない。小柄な体躯ながら引き締まった四肢は、野山を駆け回る牝鹿を思わせる。
「holoXに身を寄せてから、朝の鍛錬に付き合ってくれる人も中々居なかったでござるからなぁ。こうやって誰かとランニングできるなんて思わなかったでござるよ」
笑顔で私の隣を走るいろはさんの額には、汗のひとつも浮かんでいない。対照的に、私の全身からは滝のような汗が流れており、既に正常な呼吸すらままならない有様だ。
いろはさんの肩にしがみつくタヌキのような生物『ぽこべぇ』が彼女の肩を必死にタップしているが、生憎と私の状態に気づく様子はない。
「あなたさえ良ければ、これからもかざまと一緒に朝のランニングをして欲しいんでござるが……。無理強いはできないけど、かざまの話相手も兼ねて是非にお願いしたいでござる!」
こひゅー、こひゅー、と明らかにヤバい呼吸を繰り返すうち、徐々に視界の端が黒く狭まっていく。暑さを通り越して寒気を感じ始めると同時、一瞬の浮遊感に襲われて―――
「あ、でもそうするとお仕事に支障が……んぇ? ぽこべぇ? どうしたでござ―――ふわぁあああぶっ倒れてるでござる!? なぁんでぇ!?」
◇◆◇
「本当に申し訳ないでござる……」
ところ変わって幹部棟・いろはさんの自室。
しょぼん、という効果音が聞こえてくるほど、落ち込んだ様子で正座するいろはさん。酸欠でぶっ倒れた私を担ぎ込んだはいいが、手当てをする前に目を覚ましたので取り敢えず謝罪を、ということで今に至る訳なのだが。
ランニング中にぶっ倒れたのは単に私の体力不足だし、いろはさんが何か悪いことをした訳でもない。だというのにここまで謝られてしまっても居心地が悪いというか、正直やりにくい。相手が幹部ともなればなおさらだ。
というか、先程からぽこべぇがいろはさんの頬を引っ張っているので絵面が酷いことになっている。お目付け役の仕事とはいえ、もうその辺にしといてあげてほしい。
「うぅ……あ、そうだ! お詫びと言ってはあれだけど、せめて朝御飯をご馳走させてほしいでござる! かざまからの迷惑料と思って、遠慮せずに食べていってください!」
「―――、?」
「任せるでござる。これでも料理はそれなりに嗜んでいるのでござるよ」
むん、と胸を張るいろはさん。確かにキッチンと思しきスペースには調理器具が並んでいるし、どれもそれなりに使い込まれた輝きを放っている。いろはさんのような美少女に手料理を振舞ってもらえるとなって、断固拒否できるほど私も聖人ではない。お言葉に甘えてご相伴にあずかることとした。
「承知でござる。と、その前に……汗だけ流してきても良いでござるか? かざまが戻ってくるまで軽く食べれるものを用意するでござるよ」
言って、冷蔵庫の中を探し始める。流石にそこまで気を遣わせてしまうのは悪いかとも思ったが、いろはさんは既に何かを抱えて戻ってくるところであった。すぐに食べられるものといえば、何だろうか。やはりサムライということで和食的さむしんぐなのだろうか―――
「はいっ。遠慮せず食べてほしいでござる!」
満面の笑顔でいろはさんから生のナスを手渡された。
なぁんでぇ???(宇宙猫)
◇◆◇
生ナスに齧り付くという貴重(?)な体験といろはさんお手製の朝食を頂くという貴重な体験を味わった後。いろはさんの日課であるという鍛錬に協力(見学ともいう)することになった。かざまのお手伝いなのでこれも仕事のうちでござるよ、と言われたが……上司がそう言うんだからそうなのだろう。きっと。
いつもの和装に着替えたいろはさんに連れられて、やってきたのは道場のような場所。磨き抜かれた飴色の床板は足裏に吸い付くような錯覚すら覚えるほどで、静謐な空気に満たされた空間はまるで別世界のようだった。
まさか幹部棟の一角にこんな場所があったとは。
「一応、かざまの希望でラプ殿に設えて貰ったでござるが……他の皆はほとんど使わないから、ぶっちゃけかざま専用スペースみたいなものでござるな」
「―――、?」
「それこそ、任務があればいいんだけどねぇ。最近はさかまた案件が多くって、あんまりかざまの出番がないのでござるよ。だからこうして非番の時も鍛錬は怠らず、勘が鈍らないようにするのでござる」
実力者揃いの幹部達の中でも、こと戦闘においてはいろはさんが頭ひとつ抜けているのだとクロエさんが言っていた。暗闇や障害物に溢れたステージを整えた上で五分五分に迫るかどうか、とも。ふわふわした雰囲気からは想像もつかないが、外見≠強さというのは嫌という程知っているので、今更そこに驚きはない。
道場の壁際に座り、ぽこべぇと共にいろはさんの鍛錬を見守る。
「まずは肩慣らしも兼ねて、基本の型からでござるな」
ゆっくりと息を吐き、目を閉じるいろはさん。直立不動の姿勢ながらも、彼女の身体から余計な力が抜けていくのが素人目にも分かった。
背負った刀を抜き放ち、型をなぞるように振るう。地盤を固めるように、鉄を打つように、何千何万回と身体に染み付いた動きを繰り返す。
そこにどんな術理があり、どんな理論が行使されているのかは分からない。が、鋭い眼差しで刀を振るう―――『剣舞』という言葉が相応しいのだろうか―――いろはさんの姿は力強く、それでいて美しかった。
そんないろはさんに見蕩れることしばし。
一区切りがついたのか、動きを止めたいろはさんは体内に籠った熱を吐き出すかのように息をついた。朝のランニングでは顔色ひとつ変えなかったというのに、その額には大粒の汗が浮かんでいる。肉体的に、というよりも精神的な負担が大きいのだろうか。
「―――、」
「ふー……、あっ、ありがとうでござる」
「―――、!」
「え? かっこよかった? ……ま、まあ? かざまも伊達に用心棒を名乗ってないでござるからな! このくらいは嗜みというか、当然でござる!」
タオルと飲み物を手渡しつつ感想を伝えると、若干頬を赤くしながらも胸を張るいろはさん。一々言動が可愛いなこの人。
私の隣に腰を下ろし、スポーツドリンク片手に息を整えながら他愛もない話に花を咲かせる。
「かざまの故郷は田舎も田舎、山奥の小さな里でござるよ。なにぶん外界から閉鎖された所だったから、初めて街に出た時は目を回したものでござる」
「―――?」
「ん……別に戦うことが好きって訳じゃないでござるよ? むやみな殺生はかざまも好きじゃないし、余裕があれば生かすでござる。ただ、holoXのみんなや大切な人を守るためなら―――っ」
不意に言葉を切ったいろはさん。傍らに置いてあった刀を掴んで腰を浮かせる。鋭く細められた瞳に怜悧な光を宿し、羽織を翻した彼女は簡潔に告げた。
「―――侵入者でござる」
◇◆◇
holoX基地・正面入口。
10m程の距離を保ったまま、侵入者と睨み合ういろはさん。私はというと、巻き込まれないようにぽこべぇを抱えて少し離れた物陰から事態を見守っている。なにせ私は一般構成員、期待される程の戦闘力など持ち合わせていないのだから。
内心ハラハラしつつ、堂々と乗り込んできた侵入者へと視線を向ける。
上背はおよそ150cm弱といったところか。黒と赤を基調とした和装に身を包み、腰あたりに交差させる形で二振りの大刀を背負っている。長く伸びた白い髪と丸みを帯びた体躯から女性であることが分かる。素顔を隠すように面を被ってはいるが、その額から覗く一対の角を見れば誰しも勘づくだろう。
「―――此処は我等が主君、大悪魔の居城。如何なる用向きがあろうとも、許可なき者、通るに能わず。鬼よ、疾くこの場を立ち去るがいい」
凛とした声で警告が投げられる。先程までの柔らかな雰囲気は消え、触れれば斬れそうな程に硬く研ぎ澄まされた空気を纏っていた。
「むっ、そんな冷たいこと言わないでほしいな。どっちかというと、余の目的は悪魔の総帥よりお侍さんなんだ余」
「……かざまの知り合いに鬼は居ないでござるが」
「余が一方的に知ってるだけだから大丈夫だ余。という訳で―――今から果たし合いを申し込む!」
しゃらん、と流れるような動作で二刀を抜き放つ鬼娘。構えは独特だがそこに一切のブレはなく、気楽な声音が紛れもない強者であると告げていた。その様子を見たいろはさんも目を細め、腰を落として刀の鯉口を切った。
そうしてお互い構えたまま、時間だけが過ぎていく。
10秒か、20秒か。身動ぎひとつ、呼吸すらも探り合う程の緊迫した空気。自分が無意識に生唾を飲み込む音が、嫌に大きく聞こえた。
やがて、張り詰めた糸が限界を迎える。
「「―――ッ!!」」
大地を蹴り砕いて弾丸のように飛び出した鬼娘と、残影すら残して疾駆するいろはさんの距離が一瞬で食い潰される。
刹那の交錯―――を、したのだろう。私の目では何が起こったのか全く視認できなかったが、いろはさんは既に納刀している。鬼娘も二刀に血振りをくれており、緩やかに鞘へと納めていく。
かちん、と。鎺が小気味の良い音を立てると同時、鬼娘の付けていた面が正中から真っ二つに分かたれた。隠されていた美貌にうっすらと笑みを湛え、白髪赤眼の鬼娘は楽しそうに宣言する。
「うん、余の負けだな」
「……今の一太刀、敢えて受けたでござるな」
「ん? そんなことない余? まあ全力は出してないけど、それはお互い様ってことでな。それよりも今の歩法はなんだ!? 余、見たことないんだけど!」
先程までの殺伐とした空気はどこへやら、まるで茶飲み友達のように再会の宣言をする鬼娘。マイペースというかなんというか、でも不思議と悪意は感じない。純粋、なのだろうか。
いろはさんも眉を下げて困惑している様子だ。あ、でも人が良いから何だかんだ教えてあげてる。やさしい。
出るタイミングを失ったまま、私は二人のやり取りを見守ることしか出来ない。腕の中のぽこべぇも思いのほか触り心地がいいのでモフらせてもらおう。
「むっ、そろそろ時間だな。それじゃあ余は帰るぞ! また遊びにくるから、その時はよろしく頼むぞお侍さん!」
「や、できれば二度と来ないで欲しいんですけど……」
「酷い余ぉ!?」
満面の笑みでぶんぶんと手を振りながら歩いていく鬼娘と、引きつった笑顔で応じるいろはさん。対象的な二人だけど、意外と相性は悪くないのかもしれない。
鬼娘の姿が見えなくなった辺りで、いろはさんが疲れたようにため息を吐いた。急いで駆け寄るが、どうやら怪我はない様子だ。ぽこべぇも心配そうにいろはさんの周りをくるくると周っている。
「―――?」
「うーん、果たし合いとは言っていたでござるが、文字通り
「―――、?」
「それは心配ないでござるよ。非常時に限り、かざまとクロちゃんには独断で戦闘行為を開始できる裁量が与えられてるでござる。なので事後報告でも全然問題ないでござるよ」
刀を背負い直し、肩を竦めるいろはさん。
「ともあれ、ラプ殿に報告でござるな。その後はまた鍛錬の続きでござる! あの鬼も相当の手練、気は抜けないでござるからな!」
「―――!」
「おっ、手伝ってくれるでござるか? それはありがたいでござる! よーし、やる気出てきたでござるー!」
腕を突き上げてやる気をみせるいろはさん。力になれるかは分からないが、私もできる限りのサポートはしていきたいと思う。
さしあたって、幹部棟とは正反対の方へ歩いていくいろはさんを引き戻すところから始めなくては。
一体どこのお嬢なんだ……