皇国のはるか上空3000mをミディが飛んでいく。その速度は既に500km/hを優に超え、先を行く特書鳩をしっかりと追跡した。
飛行も安定してきたタイミングで、蒼太が気が付いたようだ。
回された腕に力が入るのを敏感に感じ取ったミディが声をかける。
「おはようございます」
「ああ、うん……ところで今どれくらいで飛んでる?」
「ちょうど今安定してきたところです。速さは鳩と同じ、高さはわた雲よりは上、ぐらいでしょうか」
「……ならこのまま目を閉じたままにしとくよ」
「それが賢明かもしれません」
なにせ今までの比較的低高度低速な飛行ですら影に引きこもっていた男である。目を開けたところで景色を楽しむどころか取り乱すのは目に見えている。全く当然の判断であった。
蒼太は極力邪魔にならないよう大人しくすることにした。
そうするつもりであったが、いかんせん視覚を遮断すると他の感覚が研ぎ澄まされてしまう。具体的には触覚とかだ。
すぐに居たたまれなくなり、携帯している魔力探知の魔石を取り出す。
「何か気になることでもありました?」
何か思いついたのかとミディが聞いてくるが、蒼太にそんな意図など全くない。
(むしろ気を逸らしたいことばかりなんだけど)
というのが本音である。もちろんそれを言うはずがなく
「これなら目をつぶったままでも協力できるからね。やるからには万全を期さないと」
と、白々しく建前を述べた。
「でしたら私は魔力探知は使わないで魔力を節約しますね。何か反応が見られましたらお願いします」
「アイ・コピー」
戦闘機乗りを気取るならせめて目ぐらい開けて欲しい物だが、この場でそれを指摘する者はいない。
とはいえ仕事ぶりの方は悪くなく、蒼太はいつにないほど真剣に魔力探知を行い、普段よりも広範囲をカバーしていた。それだけ広ければ得られる情報も多い。
(速過ぎて見つかった魔力反応があっという間に遠ざかってく……あ、ドラゴン)
最強種のドラゴンすら追い抜き、寄せ付ける間もなく探知から反応が消えていく。
改めて飛行速度を直視(見てはいないが)する羽目になり、顔面蒼白になっていったが、ふと何かに気づく。
「……無理してない?」
ヴァンパイアの特性として、吸血後は魔力が活性化し一時的に能力の向上が見られる。ミディが特書鳩に並ぶ飛行ができるのは調子がいい時と強調していたのも、本来の能力では不可能だからという事情があった。
しかし、本来の能力以上ということは限界を超えているということである。いくら特性で強化されていると言っても、スペックに見合わない出力を続ける負担は絶大だ。蒼太の血は魔力の供給源として優れており、いわゆる吸血バフの時間も長い。だからこそ長時間にわたる高速飛行も可能だが、今のミディは出力、持久力ともに限界を超えて動いているのである。
そしてもう一つ。上空3000m時速700kmの飛行は生身で耐えられるものではない。故に彼女は結界を展開しているが、媒材を用いない結界の維持は多大な集中力と魔力を要する。
隠してはいるものの、魔力反応で無理をしているのは一目瞭然であった。
「……。問題ありません」
「絶対そういうと思ってたよ」
真面目な彼女の事だ。強がりを認めないのはもちろん、任務の中断を提案しても断ることは容易に想像できた。
「任務止めないならさ、せめて俺の血ぐらい好きに飲みなって。そのためについてきてるんだから」
蒼太は魔法を使えない。唯一ミディを癒せるとするなら、それはやはり血の提供しかなかった。だが何を考えているのか、ミディは蒼太の腕が近づけられてもそれを噛もうとはしなかった。
「このペースで血を吸っていたらソータさんが倒れてしまいます。ただでさえ強引に連れ出したのに、魔力にかこつけて好きなだけだなんて……」
「いいからいいから、ほら」
尚も遠慮しようとする彼女の口に強引に腕を押し込む。
(あれ、これもしかしなくてもセクハラ?)
内心ビビりながらの行動ではあったが、観念したように牙が突きたてられ少しばかり安心する。
「気を使ってくれるのは嬉しいけどさ、遠慮はしなくていいよ。頑張ってるんだから血をくれって言ってくれなきゃ」
前にミディに言われたことのほんの意趣返しのつもりだが、割と本音でもあった。
そんな思いはしっかり伝わったのか、いつものように血が抜かれて行く。
「ん?」
肩につつかれた感触があり、振り返るとそこにはミディの影が小瓶を持っていた。
(今? ここで?)
戸惑いながらもそれを受け取る。中身は黒飴だった。
「なんで?」
「……飴は栄養補給にちょうどいいですし、黒糖は増血作用があると言われてますから」
「ああ、そういうことね。ていうかもういいの? たくさん魔法使ってるのに足りる?」
「その分こまめに頂きますので大丈夫です」
「確かにそっちの方がいいか」
こまめな回復の方が楽ならそれに越したことはない。遠慮しているわけじゃないならいいか、と蒼太は貰った黒飴を口に入れる。
「思ってたより美味しいな黒飴って」
「……そうですか」
この世界の黒糖は技術力の不足からか地球のものよりも雑味が多いが、それだけミネラルが豊富ということでもある。この黒飴は加工の際、さらに手を加えて造血効果を高めた代物であった。
甘いものでリラックスできたのか、蒼太の顔に赤みが戻る。血糖値も上がり、集中力も働き始めてきた。
「視界良好、異常検出なし。ねえ、今どれくらいまで来た感じ?」
「そろそろ東辺境伯領が見えてくるぐらいですね。緩衝地域にはあと半刻ほどで着くと思います」
「早い、早すぎる。もうジェット機じゃん」
まだまだ認識が甘かった、とドライブ感覚で聞いたことを後悔する蒼太。一時間前に皇都にいたのがもう1000kmの彼方である。飛んでいるのがミディでなければ信じられないところだ。
しばらくして再度吸血を挟んだころ、蒼太はある反応を探知した。
「ミディ。右45°に多分鳩狩り。位置は低め」
これまでのフライトで特書鳩とミディの速さがずば抜けているのはさんざん確認している。その速度についてこれるとなれば、件の鳩狩りで間違いないだろう。
「了解です。一旦高度を上げますので、接近のそぶりが見えたら教えてください」
「オッケー」
今回の目的は『鳩狩り』の狩猟である。気づかれて逃げられれば伝書鳩が飛べない状況は改善されない。そのためミディは速度と高度をさらに上げた。
「まさか本当に特書鳩狩りがいるだなんて……」
「あいつら改造実験大好きだからね。これぐらいのことはするでしょ。どうやってあんなバカみたいなスペックを実現したかは分からないけど」
「……ソータさんが言うと重みがありますね」
ミディとしては鳩狩りよりも蒼太の方がよほど信じられない存在である。厳密には生み出されたわけではないのだが、実験の結果として彼がいる以上は確かに常識内で考えるのは無意味なのだろう。
『鳩狩り』は警戒しているのか、それとも獲物を観察しているのか、一定の距離を保ちながら飛行を続けている。今までよりもさらに強く結界を張り、気を張っているミディを見兼ねて、蒼太は無言で血を吸わせた。
「……助かります」
「俺はまだ余裕あるから。それよりこんな高いと迎撃のタイミングも難しくない?」
今回、対象を狩るにあたってミディがとった作戦は、囮に襲い掛かった瞬間を狙い撃つカウンター作戦である。特書鳩を狩れる以上、最高速度がミディを上回る可能性があるからだ。そのための後の先、最悪後の後になってでも仕留めなくてはならない。
今二人は上空5000m付近に位置している。この距離では先を読んで行動したとしても攻撃が間に合わない可能性があった。
だが、ミディは自信ありげに告げた。
「大丈夫です。ソータさんのおかげで新しい魔法を編み出せましたから」
「俺のおかげ?」
(多分、魔力のことかな)
確かに魔力の補充にアテがあれば心置きなく練習できるのだろう。彼女がそういうのならば、蒼太としてもそれを信じるだけである。意識を『鳩狩り』に集中させ、極力鮮明なイメージをミディに共有する。
そして、すぐにその時は訪れた。
「動いた!! ……嘘だろ、マジかよ!?」
『鳩狩り』が速度を上げる。見る見るうちに加速していき、音速の壁にぶつかり、超えた。マッハの世界に足を踏み入れ、特書鳩に迫る。
あまりの速度に驚きの声を上げる蒼太に対し、ミディは瞬時に切り替え、意識を研ぎ澄ましていた。
その様子に気づいて慌てて黙る。
だが、彼女の変化はそれっきりだった。魔力が高まるわけでも、魔法を展開しているわけでもない。こうしている間にも『鳩狩り』はぐんぐん距離を詰めている。特書鳩が接近に気づいたが、あまりにも生物としての格が違う。なにより、特書鳩と言えど音速の域には達していないのだ。特書鳩10号は鳩丸とは違い、本能に従って愚直に逃げているが、最早その命は風前の灯火だった。
遂に射程内に捉えた『鳩狩り』が爪を構える。まだミディはアクションを起こさない。それならそれで、と蒼太が考えたときであった。
急に『鳩狩り』の速度が落ちる。力無く落下していくその姿を見れば、事切れているのは明白だった。
「ミディなんかした?」
「造影魔法で小さくした黒槍を射出しました」
もう無理して高速飛行することは無い。落下速度を緩める程度に魔法を使いながら、ミディは撃ち込んだ槍を蒼太に見せる。
それは槍というよりも幾分か手が加えられており、要するにライフル弾に近い形状をしていた。
……のだが、その魔法は蒼太の目には映らない。
「今どれくらい?」
「……だいたい先ほどまで飛んでいた高さに戻ってきたところです」
「ならもうしばらく目をつぶってるからその後でもう一回見せて」