アルシェ・イーブ・リイル・フルトの朝は早い。
部屋の窓を開け陽の光を浴び、自分と二人の妹の分の朝食を用意することから始まる。
妹たちを起こした後は一緒に食事をとり、朝の支度を整えてから家を出る。
家といったが、正確にいうならば寮が正しい。
バハルス帝国が帝都アーウィンタールに存在する、帝国魔法学院。
その学院の敷地内に建てられた学生寮の一室が、今のアルシェの居住地となっている。
妹たちと暮らしているからか、或いは元貴族であるからか、それともその両方を考慮された結果からか、部屋はそれなりに広い。
大人が三人暮らしても問題ない程度には。
しかし最大の理由は自分の師が手を回してくれたおかげだろう、とアルシェは思っている。
親元を離れて寮で三人で暮らすことになった時も本人たち以上に心配してしたり、美味しいものを食べるのが好きで露店を回ることが趣味だったり、仕事が増えると人知れず部屋でげっそりした表情になる程度には。
魔法もマジック・アイテムも好んでいるし、収集癖もあるが、魔法省に勤めている人間のような生粋の魔法狂いではない。
学院内においても一目置かれ、その魔法に対する知識の深さはかの帝国一の大魔法詠唱者、フールーダ・パラダインからも認められるどころか、相談を受ける程。
アルシェの師は現在、帝国魔法学院で講師を勤めている。
彼が受け持つ講義では毎回教室の席が全て埋まり、廊下にまで人集りができるほどだ。
名実ともに帝国魔法学院一の講師であり、彼の教え子の中には学生でありながら凡人の到達点である第三位階魔法を行使できるものもいる(アルシェもそのうちの一人である)。
お陰で近年の帝国の魔法詠唱者のレベルの高さは急激な上昇傾向にあり、過去最高水準となったとか。
その功績から、帝国200年の歴史の中で、フールーダに次いで魔法の発展に貢献した人物とも言われている。
しかし、そんな魔法詠唱者としての評判を受けている師だが、それに見合わぬほど温厚で腰が低い。
一流の魔法詠唱者というのは皆己の研鑽の成果である魔法に対して誇りを持ち、何よりそれを研究し行使する自分自身に多少なりとも自尊心を抱くものだ。
魔法は才覚がものを言うと言っても過言ではなく、言い換えれば魔法を操る自分にはそれだけの才能があることの証明となるからである。
だが己の師は魔法詠唱者としての自分に自信がない様子で、先日も「だってまだ第三位階までしか使えないし・・・」とか、「俺が学院一の人気講師とかなんの冗談なんだ・・・」と愚痴っていた。
あの年で第三位階まで使えるなら世間では充分優秀な魔法詠唱者扱いされるが、本人はそうとは思っていないらしい。
いまだ向上心の衰えない恩師の姿勢に、改めて尊敬の念を抱く。
おそらくあの人は「自分には過ぎた評価だ」というのだろうけど。
そんな師を毎朝起こしに行くのは、今のアルシェの日課の一つだ。師には一つ欠点があった。
ーーアルシェの師匠は朝に弱かった。
帝国魔法学院 同内某講師室
師匠が普段寝泊まりしている部屋の扉の前に立つ。
一応自宅として集合住宅の一室を借りているらしいが、そちらに帰るのは週に一度あるかどうかだとか。
ノックを3回。返事なし。
部屋の番号と、その一室の主人の名前が刻まれた小さなプレートが掲げてある扉が開く様子もなし。
仕方なく、アルシェは預かっている合鍵で施錠を解いた。
部屋はそれなりに広いはずだが、本棚とそこに収納しきれていない書籍や一見するとガラクタにも見えるマジック・アイテムの数々が放置されており、見事なまでにとっ散らかっていた。
隅に置かれたいくつかは、埃を薄く被っている。
中にはそこそこ値の張る代物もあるのかもしれないが、流石に多すぎるし不用心(本当に危険な物や盗られて困るものは別の場所にあるらしい)なので幾つか売るなり捨てるなりして処分してはどうかと過去に告げたことがあったが、アイテム蒐集家である持ち主が中々手放す気にならないため、溜まっていく一方だ。
室内の様子から、片付けが不得手なのは明らかだ。その暇もないのかもしれないが。
その汚部屋の主人は、窓際にある机に突っ伏して寝ていた。
机の上には採点済みの答案用紙や、魔法に関する資料や論文が広げられている。
昨夜も遅くまで作業していたのだろう。
揺すっても、「ブラック・・・・・・ぎょう・・・・・・はん・・・・・・・い・・・・・・」と寝言をこぼすばかりでまるで起きる様子がない。
疲れているようだしこのまま寝かせてやりたい気持ちはあったが、そういう訳にもいかない。
アルシェは心を鬼にしなければならなかった。何故なら。
今日は平日。つまり仕事がある。
「師匠。師匠、もう朝です。起きて下さい!」
声をかけながら体を揺さぶったところでようやく「んん…っ?」と反応した。
カーテンを開け、朝日を強制的に浴びさせて起床を促す。
目蓋が開く。やっと起きたらしい。
「・・・おはよう、アルシェ」
「はい。おはようございます、師匠」
昨日と、おそらく明日も変わることはないであろう、師弟の朝の挨拶。
師匠の顔を見る。
帝国や王国では珍しい、黒い髪と瞳。南方にそういう風貌の人々がいるらしいと聞いたことがあるが、師匠曰く「自分は帝都生まれ帝都育ち」らしい。
身体の線は細く、顔も少々痩せぎすだが魔法詠唱者にはそういう者がえてして多くおり、然程目立つことはない。
むしろ髪と瞳を除けば全く目立たなく、道を歩く群衆に埋もれて見失いそうなくらいだ。
見事な作りの漆黒の魔法詠唱者用のローブを着ていなければ、一流の魔法詠唱者には見えないだろう。
寝ぼけ眼を虚空に向け数秒程度ぼ〜っとした様子だったが、何かを思い出したのか顔を青くした。
「今何時!?」
バッとこちらに顔を向け、手で口についた涎を拭いながら時間を尋ねる己の師に、アルシェは感情を見せない表情で言い放つ。
「八時」
「やばいやばいやばいかんっっぜんに寝坊したぁ!!?」
オレシャカイジンなのにぃ、と言いながらドタバタと忙しなく朝の支度を始めた師匠に、弟子はローブを渡しながら告げた。
「嘘、今は七時。そうならないようにいつも起こしに来ていること、忘れたんですか?」
そういうと動きをとめ、ほっとしたのか息を吐いて椅子に腰を掛け直した。
「よかった・・・クビになるかと思った。この歳で今更無職とか、親になんて言おうかと思った・・・」
「師匠なら、そう簡単にクビにならないと思いますけど」
「いや、わかんないだろ。それにいい歳した大人が寝坊して遅刻とか・・・」
心配しているが十中八九そうはならない、いやなれないだろう。主に某魔法狂いの老人とかのせいで。
実際には賭けないが、賭けてもいいくらいだ。
「というか、今みたいな冗談はやめてくれよ、心臓に悪いから」
冗談では・・・あぁ時間の方か、とさっきの師匠の慌てようを思い出し、表情の変化に乏しい自覚のある顔が僅かに緩んだ。
「気をつけます」
「ほんとかなぁ・・・?」
弟子が信用できないらしい。なんてひどい師匠だ、と笑いそうになった。
これが、弟子のアルシェ・イーブ・リイル・フルトと、帝国でも有数の魔法詠唱者であり教育者としても随一の腕をもつ偉大な師匠ーー
ーー『アインズ・ウールゴウン』の、朝の日常の一時である。
「ところで師匠、その机に置いてある紙は・・・」
「あぁ、これは解呪のための新しいマジック・アイテムに関する・・・」
「ふやけてますけど」
「あ」
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